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『炯眼(けいがん)の馬医 ―異世界朝鮮・泥中に咲く龍の譜―』   作者: 水前寺鯉太郎
第1部

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第26話

【1587年 初春・漢陽 恵民署から思い出の地へ】

「生かして帰すな! マファンの種を、ここで絶やせ!」

 ミョンファンが放った刺客たちの冷たい刃が、月光を反射してクァンの背中を裂いた。深手を負い、鮮血で雪を赤く染めながら、クァンは必死に夜の漢陽を駆ける。

(……死ねない。まだ、あのお嬢さんに……チニョンさんに、伝えていないことが……!)

 意識が薄れゆく中、クァンは辛うじて恵民署の門へと辿り着き、崩れ落ちた。

 運び込まれたクァンの処置に当たったのは、他ならぬチニョンだった。震える手で止血を行い、彼の命を繋ぎ止める。数日間、生死の境を彷徨ったクァンが、ようやく重い瞼を開いたとき、そこには涙で瞳を濡らしたチニョンがいた。

「……クァンさん。いいえ、ヨンダル。……貴方なのね?」

 チニョンの掠れた声に、クァンの瞳が大きく揺れた。

「……お嬢様。なぜ、その名を……」

「司僕寺の馬の名を聞きました。そして、貴方のその目が、ずっと私を……あの穴蔵の時と同じように守ってくれていたことに、ようやく気づいたのです」

 十二年。長すぎた空白が、一瞬にして埋まっていく。

 二人は、かつて少年と少女として過ごした、あの思い出の場所へと向かった。

 冷たい風が吹く中、クァンはチニョンの手を静かに握る。

「……私は、貴方の身代わりとして生きてきました。私が受けた愛も、身分も、本当は貴方のものだったのに」

「いいえ、お嬢様。俺は、貴方が笑って生きていてくれただけでいい。……それだけが、俺を馬医として生かしてきた光だったんです」

 雪の降る夜、二人はただ無言で肩を寄せ合い、積年の想いを確かめ合った。

 しかし、幸福な時間は長くは続かなかった。

 頭部手術に成功し、奇跡の回復を見せていたコ・ジュマンの体に、予期せぬ異変が起きていた。傷口から侵入した「破傷風はしょうふう」――。

 全身の筋肉が硬直を始め、激しい痙攣が師を襲う。

「……王様……。どうか、ペク・クァンを……罰しないでください……」

 コ・ジュマンは、駆けつけた顕宗の衣を掴み、最後の一力を振り絞って訴えた。

「彼の手術に、一点の曇りもありません……。この病は、天が私に与えた運命……。あの子を、私の愛した『医の道』を……どうか、絶やさぬよう……」

 その言葉を最後に、コ・ジュマンは意識を失い、深い昏睡へと落ちていった。

 この好機を、ミョンファンが見逃すはずがなかった。

「ご覧ください。頭を切るなどという冒涜的な真似をしたから、このような『呪い』に罹ったのです! ペク・クァンは医師ではなく、首医様を殺めた人殺しに過ぎません!」

 ミョンファンの告発に、朝廷の重臣たちが同調する。

 クァンは、師を救えなかった悔しさと、ミョンファンの卑劣な工作の間に立たされ、再び窮地へと追い詰められていく。

 横たわる師匠の傍らで、クァンは静かに誓った。

「師匠……貴方が守ろうとしたこの国を、そして、ようやく巡り会えたチニョンさんを、俺は決して諦めない。……たとえ、この手がどれほど血に汚れようとも」

 師の命の灯火が消えようとする中、クァンの瞳には、かつてないほど激しい「反撃の炎」が宿っていた。

 ミョンファンへの報復。そして、亡き父ドジュンとソックの無念を晴らすための、真実の戦いが今、幕を開ける。

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