第24話
恵民署の柱であったコ・ジュマンが、音を立てて崩れようとしていた。
ミョンファンが粥に盛った毒は、老いた彼の体内で最悪の化学反応を起こしていた。持病であった「骨髄炎」が急激に悪化し、病魔はついに頭蓋の奥深くまでその牙を伸ばしていたのだ。
「……手が、冷たい。もう脈が、泥の中を這うようだ」
クァンは師の細くなった手首を握り締め、己の無力さに歯噛みした。
国王・顕宗は、国家の重鎮を救うべく、よりによってミョンファンを治療責任者に指名する。それは、狐に鶏の番をさせるような残酷な采配だった。
「もはや手遅れです、王様。骨の髄まで腐った病を治す薬など、この世にはございませぬ」
ミョンファンの言葉は、診断ではなく「死の宣告」だった。彼の冷ややかな瞳は、横たわるコ・ジュマンを「消し去るべき過去の遺物」として切り捨てていた。
「……いいえ、まだ道はあります」
静寂を破ったのは、クァンだった。その瞳には、絶望を焼き尽くすほどの「生の執念」が宿っていた。
「悪い部分が薬で届かぬ場所にあるなら、そこへ直接、手を届かせればいい。……頭を切り開き、腐った骨を削り取るのです」
その場にいた医官たちが、一斉に息を呑んだ。
「狂ったか! 人の頭は神域だ。そこに刃を入れるなど、殺人と変わらぬ!」
「死を待つのを『医』と呼ぶなら、俺は人殺しと呼ばれても構わない!」
クァンの咆哮が、重苦しい内医院の空気を震わせた。彼は知っていた。馬の蹄の腐敗を削り取れば、再び走れるようになることを。人の骨もまた、生きようと足掻いているはずだと。
顕宗は、クァンの顔をじっと見据えた。
「ペク・クァン。其方は、自分の命を懸けられるか? 失敗すれば、其方はもちろん、協力した者すべてが極刑に処される」
「……私の命など、師匠が教えてくれた『医の道』に比べれば塵に過ぎません。必ず、お救いしてみせます」
クァンの言葉に、一人の女性が歩み出た。カン・クネだ。
「私が、助手を買って出ます。この若者の手は、かつてカン・ドジュン様が持っていた『命を視る手』です。私が、その証人となります」
ミョンファンの顔が、怒りと恐怖で歪んだ。自分の計画を、この「馬医」が再び壊そうとしている。
深夜、厳戒態勢のなか、秘密の手術が始まった。
寝台に横たわるのは、かつてクァンを「人」として認め、医師としての翼をくれた師匠。
クァンの指先が、鋭く研がれた銀のメスを握る。
(……怖いか? いいえ。俺の腕には、おじさんと、父さんと、師匠。三人の父親の命が流れている)
クァンは深く息を吐き、コ・ジュマンの頭皮に刃を沈めた。
溢れ出す血を、クネが熟練の手捌きで拭う。
ついに現れた、病魔に侵され、変色した頭蓋骨。クァンは特製の小さなノミと槌を手に取った。
――コン、コン、コン……。
静まり返った部屋に、骨を叩く鈍い音が響く。それは、死神の扉を叩く音か、それとも再生の鼓動か。
クァンの額から滴る汗が、床に落ちる。彼は、ミリ単位の精度で、腐った骨を削り落としていった。その集中力は、もはや人の領域を超え、一種の祈りに近かった。
「……見えた。これが、毒の残滓と病の核だ」
クァンは、骨の奥に溜まった黒い膿を、慎重に、かつ大胆に掻き出した。
その瞬間、今まで不規則だったコ・ジュマンの呼吸が、ふっと深く、規則正しいものへと変わった。
手術を終え、クァンがよろめきながら外へ出たとき、夜明けの光が王宮を照らし始めていた。
待ち構えていたミョンファンが、勝利を確信したような顔で詰め寄る。
「終わったか、ペク・クァン。師を殺した気分はどうだ?」
「……残念でしたね、院長。師匠は、生きておられます。そして……貴方の盛った毒の正体も、この膿が語ってくれるでしょう」
ミョンファンの顔から血の気が引く。
クァンは、血に染まった自分の手をじっと見つめた。この手で、師を救った。そしてこの手で、父を殺した「巨悪」との本格的な戦いが始まるのだ。
骨を削り、魂を繋いだ夜。
馬医から始まったクァンの物語は、いまや「伝説」という名の領域へと、その第一歩を刻み込んだ。




