本質
緊張が走る屋敷。
ぱっと見は穏やかだが、どこか張り詰めていた。
ルミエルは丁度、ヴァーミリオンの授業を受けていた。
「ルミエル様、計算も早くなりましたね。」
ルミエルはペンを置き、目を輝かせる。
「うん……もう少し難しいの、やりたい。」
その言葉に、ヴァーミリオンはわずかに微笑んだ。
「そうですね……では、三桁の足し算に挑戦してみましょうか。」
ルミエルは小さく頷く。
紙の上を走るペンの音だけが、静かに部屋へと響いていた。
――その時。
廊下から、足音が一つ。
コツ、コツ、と規則的に響く。
早くも、遅くもない。
だが――迷いがない。
ヴァーミリオンの手が、わずかに止まる。
ルミエルも顔を上げた。
後ろで控えていたオニキスが、静かに剣へと手を添える。
足音は、そのまま扉の前で止まった。
――一拍。
ノックは、まだない。
部屋にいる者はみな、
当然、ノックがあると思っていた。
だが――
足音は、止まらない。
そのまま、一直線に扉へと向かい――
バンッ!
強い音が、部屋に響いた。
ルミエルの肩が、びくりと揺れる。
一瞬、張り詰めた空気。
そして――
「……はぁ」
ヴァーミリオンが、深いため息をついた。
後ろでは、オニキスも剣に掛けていた手を外す。
警戒は、すでに解けていた。
「レヴァント。君は、静かに入って来ることができないのですか?」
呆れを隠さない声で、ヴァーミリオンは視線を向ける。
「おー!ヴァーミリオンもいたのか!」
大きな体に見合う、よく通る声が部屋に響く。
「当たり前です。今はルミエル様の授業中です」
呆れを含んだ声で、ヴァーミリオンが返す。
ルミエルはそっと椅子から立ち上がり、レヴァントへと近づいた。
そして、その袖をちょんと引く。
「レヴァントさん……私の護衛、してくれるの……?」
見上げる瞳は、まっすぐだった。
レヴァントは一瞬だけ目を丸くし――
次の瞬間、にっと笑う。
大きな手が伸び、ルミエルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「嬢ちゃんの頼みだ。俺がやってやるよ!」
自信に満ちた声。
ルミエルも、嬉しそうに笑みを浮かべる。
その様子を見て、ヴァーミリオンの眉間に皺が寄った。
「あなたが、ルミエル様の護衛ですか……?」
わずかな間。
「――ルミエル様、危険です」
レヴァントは目鯨を立てる。
「危険って、どういうことだ?」
低く、圧のある声。
空気が一段、重くなる。
控えていた双子の耳がぴくりと動き、尻尾の毛が逆立つ。
次の瞬間――
「「ルミエル様、レヴァント様は危険です」」
二人の声が、寸分違わず重なった。
その視線は、まっすぐにレヴァントへ向けられている。
一切の迷いもなく。
「なにが……危険なの……?」
ルミエルは、小さく首を傾げる。
カリナの尻尾が、ぴんと張り詰めた。
「レヴァント様はぁ〜……」
言いかけて、言葉が止まる。
ほんの一瞬の沈黙。
「……昔、戦争でぇ――」
カリナの声が、わずかに低くなる。
「敵も味方も関係なく、いっぱい殺したんですよぉ〜」
空気が、凍る。
ルミエルの目が大きく見開かれる。
「ほ、本当なの……?」
ゆっくりと。
一歩、レヴァントから距離を取る。
レヴァントの豪快な笑い声が、部屋に響く。
「ハッハッ!お前ら、若いな」
だが――
その目だけが、笑っていなかった。
鋭く、まっすぐに双子を射抜く。
「戦争、舐めてんのか?」
空気が張り詰める。
「敵だろうが、味方だろうが――やらなきゃ死ぬんだよ」
低く、吐き捨てるような声。
その場の誰も、すぐには言葉を返せなかった。
ルミエルの表情も、わずかに硬くなる。
張り詰めた空気を、切るように――
ヴァーミリオンが口を開いた。
「子供相手に本気になるなんて……だからあなたには、護衛は向いていないのです」
静かだが、はっきりとした拒絶。
レヴァントの視線が、ゆっくりとヴァーミリオンへ向く。
「ヴァーミリオンこそ――あの戦争で、敵を殺してたじゃねぇか」
短く言い捨てる。
ヴァーミリオンは、わずかに息を吐いた。
「……あなたと一緒にしないでください」
その声は、冷えていた。
「私の戦力など、ないに等しいのです」
レヴァントが、ふっと笑う。
「そうだったな」
肩をすくめる。
「一般兵と変わらないもんな」
ルミエルは、その会話を静かに聞いていた。
そして、小さく頷く。
「じゃ……前は戦争中だったから……そういうこと、してたんだよね?」
小さな声。
けれど、不思議とよく通る。
レヴァントの動きが、ぴたりと止まる。
きょとんとした顔で、ルミエルを見た。
「……そうだな」
先ほどまでの圧が嘘のように、静かな声だった。
ルミエルは、ゆっくりと双子へ視線を向ける。
「大丈夫だよ……レヴァントは、無闇に襲わない」
その言葉に、張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
その一連のやり取りを見て、ヴァーミリオンもわずかに笑みを浮かべた。
「流石はルミエル様です。若様とは違う支配力をお持ちだ」
穏やかな声音の、はっきりとした評価。
その言葉に、ルミエルの頬がほんのりと赤く染まる。
視線が、そっと床へ落ちた。
「ありがとう……グラヴェルさん……」
小さく礼を言う。
レヴァントは、その様子をじっと見ていた。
値踏みするような、静かな目。
「……でもよ」
ぽつりと呟く。
「嬢ちゃんなら、俺の護衛はいらねぇだろ」
「確かに……力だけで言えば、ルミエル様の方が上でしょう」
ヴァーミリオンは一度、言葉を区切る。
「ですが――魔力を封じられれば、話は別です」
視線が、まっすぐレヴァントへ向く。
「まだ幼いルミエル様は、そのまま連れ去られてしまうでしょう」
レヴァントは、腕を組みながら小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
ヴァーミリオンは続ける。
「それに、ルミエル様は穢魔を完全には扱えていません」
「守る時は、無意識に発動されるのですが……」
わずかに間を置く。
「攻撃に使おうとすると、途端に発動しなくなるのです」
レヴァントの口元が、わずかに歪む。
⸻
「それは、あれだろ」
レヴァントが、ぽつりと呟く。
「嬢ちゃんの気持ちの問題じゃねぇのか」
その言葉に、ヴァーミリオンの動きが止まる。
考え込むように、わずかに視線を落とした。
――ドクン。
ルミエルの心臓が、大きく跳ねる。
次の鼓動が、やけに早い。
「ど、どうして……そう思うの?」
かすかに震える声。
レヴァントは肩をすくめる。
「だってよ」
当たり前のように言う。
「守りてぇって思えば使えるんだろ?」
少しだけ、ルミエルを見る目が柔らぐ。
「だったら――」
一拍。
「嬢ちゃんは、人を傷つけるのが嫌なんじゃねぇのか?」
⸻
「それは、あれだろ」
レヴァントが、ぽつりと呟く。
「嬢ちゃんの気持ちの問題じゃねぇのか」
その言葉に、ヴァーミリオンの動きが止まる。
考え込むように、わずかに視線を落とした。
――ドクン。
ルミエルの心臓が、大きく跳ねる。
次の鼓動が、やけに早い。
「ど、どうして……そう思うの?」
かすかに震える声。
レヴァントは肩をすくめる。
「だってよ」
当たり前のように言う。
「守りてぇって思えば使えるんだろ?」
少しだけ、ルミエルを見る目が柔らぐ。
「だったら――」
一拍。
「嬢ちゃんは、人を傷つけるのが嫌なんじゃねぇのか?」
ルミエルの息が、浅くなる。
――痛い。
ふいに、過去がよぎる。
振り下ろされる腕。
鈍い音。
逃げ場のない日々。
「そ、そんなこと……ない……」
かすれる声。
レヴァントの視線が、じっとルミエルを射抜く。
「あるだろ」
静かに、言い切る。
「……なら、やってみろよ」
一歩、踏み出す。
「俺を攻撃してみろ。軽くじゃ、びくともしねぇ」
ルミエルの視線が、レヴァントに向く。
――ドクン、ドクン。
耳の奥で、心臓の音がやけに大きく響く。
血の気が引いていく。
それを見たカリナとオニキスの耳と尻尾が、力なく垂れた。
「レヴァント――やめなさい!」
鋭く、空気を断ち切る声。
ヴァーミリオンだった。
レヴァントは、ヴァーミリオンへ視線を向けた。
「……分かったよ。やめる」
短く言い、視線を外す。
そして――
もう一度だけ、ルミエルを見る。
ほんの一瞬。
「護衛は引き受ける」
低く、静かな声。
「……でも、一つだけ言わせてくれ」
わずかに間を置く。
「敵を殺さなきゃ、助けられねぇ命もあるんだ」
それだけ言うと、背を向けた。
扉へ向かう足取りは、いつもより少しだけ遅い。
そのまま、何も言わず部屋を出ていった。




