別れ
騒ぎが落ち着き、お披露目会が終わった頃。
庭園のベンチに、ルミエルとモミジが並んで座っていた。
夕暮れの光が、長く影を引いている。
「あの、メイドと護衛は役に立たんなぁ」
ぽつりと、モミジが言う。
その手は、自然とルミエルの頭に伸びていた。
撫でる指は、いつもより少しだけ優しい。
「そんな事……ないよ……」
ルミエルは小さく首を振る。
「二人とも……庇ってくれてた……」
視線は膝の上に落ちたまま。
ドレスの裾を、ぎゅっと握っている。
「見てたから分かっとる。でもなぁ……」
モミジはそれ以上、すぐには言葉を続けなかった。
ただ、ゆっくりと顔を上げる。
沈みかけた夕日が、目に映る。
「——ああいう場で、守りきれんのは“足りてへん”いう事や」
静かな声だった。
責めるでもなく、怒るでもなく。
ただ事実を置くように。
風が、二人の間を抜ける。
少しだけ冷えた空気に、ルミエルの肩がわずかに震えた。
「……でもな」
モミジの手が、もう一度頭を撫でる。
今度は、少しだけ力を込めて。
「それでも、お前はようやっとる」
「……っ」
「誰も守れん奴より、ずっとええ」
夕暮れの光が、ゆっくりと消えていく。
庭園に、夜が落ち始めていた。
「モミジは……本当にここから離れるの?」
眉が、力なく下がる。
その顔を見て、モミジは小さく笑った。
「せやな」
少しだけ間を置く。
「これから何年も一緒におるための、条件みたいなもんや」
ルミエルの視線が、足元へ落ちる。
芝生の隙間を、じっと見つめる。
「……今のままじゃ、ダメなの……?」
か細い声だった。
風が抜けて、草木が擦れる。
その音が、やけに大きく聞こえる。
「ダメやな」
即答だった。
でも、その声は柔らかい。
「そのままやと――オレは、嬢ちゃんの横を歩けへん」
ルミエルの指先が、ぎゅっと握られる。
言葉の意味を、噛みしめるみたいに。
沈黙が落ちる。
モミジは、少しだけ空を見上げてから続けた。
「嬢ちゃんはな」
一拍。
「自分で思っとるより、ずっと出来る子や」
ルミエルが顔を上げる。
まっすぐ、モミジを見る。
「せやのに、“出来へん”って決めつけとる」
「……っ」
「それ、いちばん勿体ないで」
風がまた吹く。
さっきより、少しだけ優しい風。
「……自信って、どうやったらつくの……?」
迷子みたいな声だった。
モミジは少しだけ目を細める。
「簡単やで」
間を置いて、ルミエルの頭に軽く手を置く。
「一回でええ。“自分でやった”って思える事、作るんや」
「……自分で……」
「誰かに守られたやなくて、誰かを守れたでもええ」
「自分で選んで、自分でやった――それが一個あればええ」
ルミエルは、言葉を飲み込むように黙る。
胸の奥に、何かをしまい込むように。
「……出来るかな……」
「出来るわ」
間髪入れずに返す。
「オレが保証したる」
「オレらみたいなもんは、奪われることに慣れてしもうた」
ぽつりと、モミジが言う。
「その話し方も、その名残や」
ルミエルの肩が、わずかに揺れた。
「せやけどな――」
一拍置く。
「自信がつけば、自然と変わるもんや」
風が抜ける。
葉の擦れる音が、静かに響く。
「……っ」
さっき揶揄われた場面が、頭をよぎる。
ルミエルは小さく唇を噛んだ。
「モミジは……どうして……そんなに堂々としてるの……?」
その問いに、モミジは少しだけ目を細める。
すぐには答えなかった。
代わりに、視線を遠くへ投げる。
沈みきる前の、赤い空。
「……慣れやな」
短く、そう言う。
けれど、それだけじゃ終わらない。
「奪われる側やなくて、“取り返す側”に回っただけや」
静かな声だった。
誇るでもなく、ただ事実みたいに。
「最初はな、震えとったで」
モミジは小さく笑う。
「でもな――一回でも“自分で取り返した”ら、変わる」
ルミエルが、じっと見つめる。
「……何を……?」
「なんでもええ」
少しだけ、悪戯っぽく口元が上がる。
「尊厳でも、居場所でも、名前でも」
「……名前……」
その言葉に、ルミエルの瞳が揺れる。
モミジは、ちらりと横目で見る。
「嬢ちゃんも、そのうち分かる」
そして、軽く頭を小突く。
「“守られる側”で終わる器やないやろ」
遠くから、ルベルとエルが歩み寄ってくる。
それに気づいたモミジは、ゆっくりとベンチから立ち上がった。
「そろそろ時間やな」
振り返らずに言う。
「出来るだけ、早う戻るさかい。待っててや」
「――え」
声をかけるより早く、
モミジの姿が、ふっと揺らぐ。
次の瞬間には、小さな猫の姿へと変わっていた。
草むらに一歩踏み出す。
振り返らない。
そのまま、音もなく溶けるように消えていった。
「待って……!」
伸ばした手は、空を掴む。
もう、そこには何もいない。
残っていたのは――
さっきまで頭に置かれていた、手の感触だけだった。
風が吹く。
その温もりを、攫うように。
「……」
ルミエルは、その場に立ち尽くす。
そのとき、
足音が、急に近づいてきた。
「おい――」
走ってきたルベルが、苛立ちを滲ませて声を上げる。
「あいつ……せめて合流してから行け」
視線は、モミジが消えた草むらへ。
「ルミエルが攫われたらどうするんだ」
皮肉混じりの声が、庭園に響く。
エルは一歩後ろで立ち止まり、静かに周囲を見渡す。
「……行かれましたか」
落ち着いた声で、そう言った。
そのまま一礼し、周囲の警戒を解くことはない。
「問題はありません。警戒は維持しております」
淡々と、しかし確実に状況を抑えている。
ルベルは小さく舌打ちする。
だがすぐに――
ルミエルの様子に気づき、言葉を止めた。
「……あいつは、戻る」
短く、断言する。
「……はい。モミジであれば、必ず」
エルが静かに続ける。
ルミエルは、小さく頷く。
握ったままの手を、胸元へ寄せながら。




