その名はルミエル
お披露目会に向けて、屋敷は騒がしさを増していた。
ルミエルは招待客の名前を覚えるため、ヴァーミリオンに付きっきりで教え込まれている。
残された時間は、あと二日。
ドレスの試着に、家名と家系の再確認。
さらに、慣れないダンスの練習まで——
息つく暇もなかった。
ルミエルと双子は、少しずつ距離を縮めていた。
ルミエルもまた、二人と過ごす時間を増やすため、できるだけ遅く起きるようにしている。
「ルミエルさまぁ〜、今日の髪はこれでどうでしょうかぁ〜」
甘く間延びした声とともに、鏡の中に新しい自分が映る。
シンプルにまとめられた団子に、淡いピンクのリボンが一つ。
派手ではない。けれど——どこか柔らかくて、優しい印象だった。
ルミエルは鏡越しにそれを見つめる。
そして、小さく笑った。
「うん……これで大丈夫」
オニキスも横から、ルミエルの髪型を静かに見つめていた。
「ルミエル様、似合っております」
短く告げると、わずかに口元を緩める。
その一瞬の笑みを、ルミエルは見逃さなかった。
体ごとオニキスの方へ向け、じっとその顔を覗き込む。
「……?」
不意に距離を詰められ、オニキスの表情がわずかに揺れた。
居心地の悪さを覚えたのか、浮かべていた笑みはすぐに消える。
ルミエルは少しだけ首を傾げた。
「オニキスは……もっと笑ったらいいのに……」
その言葉に、オニキスの視線がわずかに揺れる。
だが——
すぐに、何事もなかったかのように表情を消した。
カリナはいつも、柔らかな笑顔を浮かべている。
けれどオニキスは、どこか壁を作るように、無表情でいることが多かった。
「そうですか?」
オニキスの頬が、わずかに赤く染まる。
その様子を、横にいたカリナがニヤニヤと眺めていた。
「そうですよぉ〜。オニキスは、笑うと綺麗に見えるんですからぁ〜」
からかうような声音に、オニキスはわずかに視線を逸らす。
ルミエルは、そんな二人のやり取りを見つめながら——
ふと、違和感を覚えた。
カリナはいつも笑っている。
親しみやすく、柔らかくて、近づきやすい。
それなのに——
どこか、一線を引かれているような感覚があった。
「……二人に、聞きたいことがあるんだけど……」
ルミエルの言葉に、オニキスとカリナは顔を見合わせ、同時に首を傾げる。
「なんでしょうか?」
「なんで、獣人化しないの?」
あまりにも唐突な問いに——
二人の動きが、ぴたりと止まった。
「それは、ですねぇ〜。ルミエル様がご主人様だからですよぉ〜」
カリナはいつも通りの笑顔で答える。
けれど——どこか、軽い。
ルミエルはその返答に、小さく首を傾げた。
「獣人化した方が、楽なんだよね?」
ぽつりと零れたその言葉は、どこか懐かしかった。
モミジが、口癖のように言っていた言葉。
一瞬だけ、空気が止まる。
「……はい。楽です」
答えたのはオニキスだった。
「ですが——仕事中ですので」
淡々とした声音。
正しい返答。けれど——
それ以上、踏み込ませないようにする線引きが、はっきりと感じられた。
「カリナは白虎……白くって、きっと……可愛い。
オニキスは黒豹……黒くって……綺麗なんだろうなって……」
想像するだけで、ルミエルの口元は自然と綻んでいた。
オニキスとカリナは、思わず目を丸くする。
——そんなふうに言われたことは、一度もなかった。
「ルミエル様は優しいんですねぇ〜」
カリナは、いつものように笑う。
けれどその笑顔には、わずかに影が差していた。
ほんの一瞬——
オニキスの視線が、静かに伏せられる。
そのとき。
コンコン、と控えめなノックが響いた。
オニキスが扉へ向かい、静かに開ける。
そこに立っていたのは——
威厳の欠片もない様子の、ヴァーミリオンだった。
ルミエルはぱっと表情を明るくし、駆け寄る。
「こんにちは……」
「本日の授業に参りました」
ヴァーミリオンは丁寧に頭を下げる。
先ほどまでの空気が、ゆっくりと日常へ戻っていった。
ヴァーミリオンの溺愛ぶりは、瞬く間に屋敷中へと広がっていった。
その影響か、ルミエルへの嫌がらせは、いつの間にか完全に姿を消していた。
こうして——
ルミエルを取り巻く環境は、急速に良い方向へと変わっていく。
そして。
時間はあっという間に過ぎ——
ついに、お披露目会当日を迎えた。
その日の朝は、いつもとは明らかに違っていた。
ルミエルの支度には、これまで以上に力が入れられている。
ばあやが丁寧に髪を整え、一本の乱れも許さない。
用意された衣装は、黒を基調に、金の刺繍が細やかに施されたものだった。
華やかな場では、淡く明るい色が好まれる。
だからこそ——黒は珍しい。
それはまるで、ルミエル自身を象徴するかのようだった。
支度が整った頃——
静かに扉が開き、ルベルが部屋へと入ってきた。
その姿を見た瞬間、ルミエルは息を呑む。
理由は、一目で分かった。
ルベルの装いもまた、黒を基調としていた。
金の刺繍が同じように施され、胸元には黒と金のネクタイ。
——まるで、示し合わせたかのように。
ルミエルと、同じだった。
自然と視線が自分の服へ落ちる。
そしてもう一度、ルベルを見上げた。
「……」
言葉にはならない。
けれど——
それが何を意味しているのかは、はっきりと伝わってきた。
親子として、並ぶための装い。
その事実に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「よく似合っている。普段の淡い色の服も可愛いが……今日の装いは、大人っぽく見えるな」
ルベルはそう言って、自然な仕草でルミエルの頭に手を置いた。
優しく、ひと撫で。
その温もりに、ルミエルの肩がわずかに緩む。
——が。
「ルベル様」
すかさず、ばあやの声が割り込んだ。
ルミエルの髪に手を伸ばし、乱れた部分を素早く整える。
「今、整えたばかりでございます。無闇にお触れになりませんよう」
ぴしりと言い切るその様子に、ルベルはわずかに苦笑した。
ルミエルの支度が整った頃——
会場では、すでに一つの話題で持ちきりになっていた。
「聞きまして? 死にかけた者を、一瞬で癒したとか」
「ふん……そんなもの、尾ひれのついた噂だろう」
「ですが、その子……元は平民だったと」
「拾われただけの娘だ。運が良かっただけだろう」
「……神の使い、などとも聞きましたわ」
ざわり、と空気が揺れる。
期待、猜疑、軽蔑、好奇——
様々な感情が、名も知らぬ一人の少女へと向けられていた。
その名は——ルミエル。
まだ姿も見せていないにもかかわらず、
会場の中心は、すでに彼女だった。
そして——
その“主役”が、まもなく姿を現す。
誰もが、その瞬間を待っていた。




