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奴隷だった少女は悪魔に飼われる 〜居場所のなかった少女は、悪魔に溺愛されていく〜  作者: アグ
本家の檻

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三神、空禍狐

白い狐が現れた。


空を玩具のように掴み、引き裂くように揺らすその姿は、

あまりにも神秘的で――そして、異様だった。


地上から見上げるモミジとルミエルの間に、

張り詰めた空気が落ちる。


「あれはあかん。戻る方がええ……」


巨大な狐の一連の動きだけで、モミジは理解した。

あれは“災厄側”の存在だと。


だが、ルミエルは首を縦に振らない。


「だめ……あの子、苦しんでる」


「なんで分かるんや? どう見ても街を襲う気やろ」


違う。


ルミエルには聞こえていた。


あの咆哮は怒号ではない。

泣き叫ぶ声だ。


胸を押し潰されるような痛みが、

彼女の内側で軋んでいた。


空禍狐が、ゆらりと軌道を変えた。


その巨大な影が、まっすぐこちらへ落ちてくる。


白い前足が雲を掴む。


握り潰された雲は、悲鳴のように軋み、

やがて鋭く尖った雷の形へと変貌していく。


空気が焦げる匂いがした。


次の瞬間――


空禍狐はそれを、投げた。


雷は閃光となり、音を置き去りにして走る。


城壁を貫いた衝撃は、一拍遅れて轟音となって炸裂した。


砕けた石が宙を舞い、

堅牢だったはずの城壁は、あっけなく崩れ落ちる。


たった一撃で。


その光景を目の当たりにし、

モミジも、いつになく表情を硬くしていた。


「あかん。嬢ちゃんの命令でも、あそこへは近づかせへん」


あの暴威の中心へ飛び込むことは、

死地へ踏み込むのと同義だ。


ルミエルも、城壁を砕いた一撃を見ている。


身体は震えていた。


喉の奥がひくりと鳴る。


――それでも。


彼女は引かなかった。


モミジの背から、ふいに身を滑らせる。


「ルミエルっ――」


小さな足が地面に着くと同時に、

彼女はひとりで街へ駆け出した。


だが、その腕が強く引かれる。


モミジの手が、手首を掴んでいた。


「離して……」


金色の瞳が、まっすぐ前を射抜く。


「モミジが行かないなら……私、一人で行く」


震えているのは身体だけだ。


心は、一歩も退いていない。


ルミエルの決意に満ちたその瞳に、モミジは頭をかく。


「分かった。でも、引き際はオレに従ってもらうさかい。」


モミジはルミエルを抱き上げ、冷たい風から守るように両腕で覆った。


早足で城壁へ向かう。


その間にも、空禍狐は領地の上をぐるぐると旋回していた。


まるで何かを探しているかのように、ゆっくりと空をなぞる。


月の光を受け、白い毛並みが淡く輝いていた。



地上から牽制するように、魔法が放たれる。


火の玉。

水の槍。

雷の閃光。


次々と空禍狐へ向かって撃ち上がる。


だが、空禍狐はそれをものともしない。


前足をゆっくりと伸ばすと――


空に浮かぶ雲を、掴んだ。


雲を引き寄せる。


まるでマントを操るように、しなやかに。


集まった雲は空禍狐の周りに広がり、巨大な幕のようにその身を包み込む。


火も、水も、雷も。


魔法はその雲に触れた瞬間、音もなく掻き消されていった。


「なんや。アレ雲やろ?普通貫通するやろ!」


モミジはあり得ない雲の使い方に、呆気に取られるしかなかった。


空禍狐は、ゆっくりと雲を口に含んだ。


柔らかい綿を食むように、静かに飲み込む。


そして、優しく吐き出す。


 

吐き出された雲は、空中でほどけるように広がり――

キラキラと輝く粒子へと変わった。


無数の光が夜空に散り、ゆっくりと地面へ降り注いでいく。


幻想的な光景だった。


まるで、夜空から星が降ってきているようにも見える。


だが――



最初の粒子が地面に触れた瞬間。



ドンッ!!


爆音と共に大地が弾けた。



続けて、次々と粒子が落ちる。


ドンッ!

ドォンッ!!

ドンッ!!


地面が爆ぜ、土と石が空へと吹き上がる。


まるで爆弾が降り注いでいるかのようだった。


遠く離れた場所にいるモミジたちのところまで、衝撃が伝わってくる。


暗い夜の中で、爆発だけが激しい光を放っていた。


「えげつないにも程があるやろ……」



モミジが呆れた声を漏らす。


「で、でも……攻撃したのは……こっちから」



腕の中で、ルミエルが小さく言った。



モミジは一瞬だけ視線を落とす。


「何言ってるん?先に城壁破壊したんは、あいつや!」


すぐにツッコミを入れた。


二人が街に近づく頃には、領民の悲鳴があちこちから響いていた。


人々は我先にと逃げ出している。

押し合い、ぶつかり合いながら、ルミエルたちが来た方向へ雪崩れるように走っていた。


遠くからは、親を探す子供の声。

必死に子供を探す親の叫び。

怪我をした者が助けを求める声。


そのすべてが、ルミエルの耳に流れ込んでくる。


「コレは、ルベルの旦那探してる場合ちゃうぞ。」


モミジが周囲を見回しながら言う。


ルミエルも前へ視線を向けた。


兵士たちの前で、声を張り上げている老人がいた。


燃えるような赤い髪。

年老いているはずなのに、背筋はまっすぐ伸びている。


「逃げ遅れた者を先に外へ出せ! 怪我人は城壁の内側へ運べ!」


兵士たちに矢継ぎ早に指示を飛ばしていた。


その豪胆な態度は、まるでこの場の指揮官のようだ。


ルミエルにも見覚えがある。


元老の一人。

カリオス・レヴァント。



強い者に付き、風向きを読むことに長けた男だ。


今もまた、この混乱の中で

自分が主導権を握ろうとしているように見えた。


そして、レヴァントの横で、気だるそうに地面へ腰を下ろしている人物がいた。


男の周囲には、淡く光る防御壁が展開されている。


まるで周囲の混乱とは無関係だと言わんばかりに、静かに自分の空間を保っていた。


男は騒ぐ様子もなく、頬杖をつきながら空を見上げている。



その視線は、逃げ惑う人々でも、兵士でもなく――

空を舞う空禍狐へ向けられていた。


元老の中でも、一番若い男。


ヴェルミス・イオラン。


ルミエルの記憶に、強く残っている人物だった。


彼は以前、ルミエルにこう言ったことがある。


ルミエルはイオランを見ると、思わず声が漏れていた。



「ヴェルミスさん……?」


小さな声だったはずなのに、イオランはしっかりとその声を拾った。


ゆっくりと顔を向けると、立ち上がりルミエルへ歩み寄ってくる。



「挨拶ぶりだねぇ」



イオランはルミエルをじっと眺めた。


まるで何かを観察するような視線だった。



「あの時とは顔つきも変わったね。そちらの獣人君も……面白そうだ」



悲惨な戦場には似合わない、ゆったりとした口調だった。


「なんや、お前……会うなり失礼ちゃうか?」



モミジの眉間の皺が、さらに深くなる。

イオランは少し首を傾げた。


「話し方も変わってるんだね」


噛み合わない会話に、モミジはイオランを睨みつける。


ルミエルは、モミジが苛立っていることに気づいた。

慌てて会話に割って入る。


「私の護衛なの。モミジって言うの」


それから、改めて紹介する。


「モミジ……こちらは元老の一人。ヴェルミス・イオランさん」


イオランはモミジを一瞥すると、ふっと目を細めた。


「なるほどねぇ」


その視線は、次の瞬間には空へ向いていた。

空を舞う空禍狐を、興味深そうに眺めながら。


「面白いことになってる」


まるで騒ぎを楽しんでいるかのように、呟いた。


ルミエルもモミジも、イオランにつられて空を見上げた。



「お嬢さんが来るの、よく若様が許したねぇ」


ルミエルの目が泳ぐ。

視線を逸らし、顔を伏せた。

その反応を見て、イオランは小さく笑った。


「なるほど」


「若様には内緒で来たのかぁ」


それからモミジを見る。


「モミジくんだっけ? 後で若様に怒られるね」



すべて見抜いたような言い方だった。


モミジは肩をすくめる。


「せやろ?」



「嬢ちゃんはオレのことなんとも思ってへんのや」


ニヤニヤと笑いながら答えた。

その軽口に、さっきまでの張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。



イオランは、空を舞う空禍狐を目で追っていた。

その時―ー

前方から、カリオス・レヴァントが大股でこちらへ歩いてくる。


「イオラン! 何してやがる!」


腹の底から響くような声だった。

ルミエルの方が、思わずビクリと肩を跳ねさせる。

レヴァントの鋭い視線が、ルミエルへ向けられた。

自分よりはるかに小さな少女を、値踏みするように見下ろす。


 「なんだ、小娘」


 「こんな所にいたら危ないぞ。死にたいのか?」


 次の瞬間――


「ワハハ!」


豪快な笑い声が響いた。


イオランは、露骨に迷惑そうな顔でレヴァントを睨む。


「カリオス、うるさい」


それから、ちらりとルミエルを見る。


「それに――」


「知能で言えば、嬢ちゃんの方が上さ」


「そんなわけないだろ!」


レヴァントが、ルミエルと自分を見比べて言う。


横ではモミジが、うるさそうに耳を押さえていた。


「いや、間違いなく嬢ちゃんの方が上やろ」


モミジは肩をすくめる。


「あんさんは、どっちか言うたら脳筋バカって感じや」


それを聞いたレヴァントは、一瞬きょとんとした。


そして―ー


「ワハハハ!」


腹の底から大きく笑う。


「言うじゃないか!」


その様子を見て、イオランは小さくため息をついた。


それから、空を見上げる。 


「カリオス」


静かな声だった。


「少し聞きたいんだけど」



視線は空禍狐を追っている。


「あれは……どうしてここに来たと思う?」


レヴァントは腕を組み、少し考える。


「どうしてって……」


「腹の居所が悪いんじゃないのか?」



一瞬で、モミジとイオランの視線が冷たくなる。


まるで温度が下がったかのようだった。


イオランは額に手を当て、深いため息を吐く。


「カリオス……」


呆れを隠そうともせず続けた。


「三神って、知ってますよね?」


レヴァントは鼻から息を吐き出す。


「もちろんだ!

空禍狐くうかこ

禍海月まがくらげ

森禍鹿しんかろくだろ!」


イオランは、子供が正解を言ったかのように、うんうんと頷いた。


「凄いじゃないかぁ。」


幼い頃から教育を受けていないモミジとルミエルは、その名前を初めて聞いた。


聞き慣れない響きに、自然と興味が向く。


二人の表情を見て、イオランはすぐに気づいた。


「お二人さんは……知らないようですね。」


空では、なおも空禍狐がゆっくりと旋回している。


その夜――


ルミエルは、

三神という存在を思い知ることになる。


それは、

とても長い夜の始まりだった。



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