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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
金色の瞳の少女

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6/39

再び感じる、世界の色

お風呂から上がり、柔らかなベッドに身を横たえたルミエルは、外から聞こえる風の音や虫の声に、ゆっくりと耳を傾けていた。

その音が、胸の奥にかすかな震えを残す。


奴隷として過ごした日々の中で、感じることを忘れていた。

痛みも、温もりも、世界の色さえも――すべてが遠いものだった。


だが今、風が頬を撫でる感覚が心地よい。

湯のぬくもりに残る痛みも、確かに「生きている」と告げている。

そして何より、これまで白と黒でしかなかった世界に、少しずつ色が戻り始めていた。


それはまるで、閉ざされていた心の扉が静かに開き始める音のようだった。

ルミエルは知らず、胸の奥で小さく息をついた。


そして今、ルミエルはルベルとエルの声にも少しずつ慣れ始めていた。

かつては耳に入る音すべてが恐怖を呼び起こす「雑音」だった。

けれど今は、その声の奥に――不思議な温かさを感じ取るようになっていた。


エルは椅子に腰を下ろし、帳簿の束を抱えたままため息をついた。

「ここまで回復の兆しがあれば、もう屋敷に戻りましょう」

落ち着いた口調だが、目の奥には焦りが宿っていた。


その言葉を聞いたルベルは、ベッドの傍に立ったまま表情を険しくした。

腕を組み、低く唸るように言い返す。

「まだ、ダメだ。安静にするように医者も言ってただろう」


ルミエルは二人のやり取りを不安そうに見つめていた。

何を話しているのかは分からない。

けれど、ルベルの声が少し強くなると、胸の奥がざわめく。

それでも――彼の視線が自分に向けられるたび、その不安はどこかへ溶けていった。


エルは眉を寄せ、帳簿を軽く机に叩きつけるように置いた。

「そんなこと言いますが、この数日でどれだけ仕事が溜まったと思っていることか!」

声にわずかな苛立ちが混じる。


ルベルは視線を逸らさず、静かに反論した。

「そんなこと言うが、隣の国に来てるんだぞ。ルミエルの体力が持つわけないだろ」


その言葉に、ルミエルは思わずルベルの袖を指先で掴んだ。

理由は分からない。けれど――この人の声が、遠くで聞こえる雨音のように心を落ち着かせた。


エルはその様子を見て、小さく息を吐いた。

怒りよりも、どこか諦めたような、そして安堵の混ざる表情だった。


「……分かりました。せめて、国境近くにある別荘に移りましょう」

エルが諦め半分の声で切り出す。

「そこでなら、主君の仕事も持ってこれますし、ルミエルももっと快適に過ごせます」


しかし、ルベルは腕を組んだまま難しい顔を崩さなかった。

眉間に皺を寄せ、視線を床に落とす。

「……それでも、数日の移動に耐えられるかどうか」


エルはわざとらしくため息をつき、少し大げさな身振りで続けた。

「はぁ……主君、いいですか? このまま仕事を溜めていたら、屋敷に戻ってから――あの広ーい屋敷の部屋で、ルミエルは一人ぼっちで過ごすことになるんですよ?」


ルベルの瞳がわずかに揺れた。

脳裏に、広すぎる寝室で寂しそうに座るルミエルの姿が浮かぶ。

その想像に胸が締めつけられ、思わず顔をしかめる。


「……そんなこと、誰もさせない。仕事の時は俺の膝の上で過ごせばいいだろう」


唐突な“親バカ”発言に、エルは半目で主を見た。

「主君……それ、世間では“親バカ”って言うんですよ」

ため息混じりに呟くと、苦笑いを浮かべた。


それでもエルは諦めず、ルミエルの方に向き直る。

この数日で、言葉を使わずともある程度意思が通じるようになっていた。

「ルミエルだって、こんな狭くて質素な部屋は嫌ですよね? 広くて、明るいお部屋の方がいいでしょう? 外にも行きたいですよね?」


優しい声で言いながら、エルは窓を指さし、続いてドアの方を指してみせた。

首を傾げ、「行きたい?」と問うように目を細める。


ルミエルの金色の瞳が、ぱっと輝いた。

――まるで「行っていい」と言われたかのように。

次の瞬間、ベッドから勢いよく飛び降り、裸足のままドアへ駆け出そうとする。


しかし、その小さな体はすぐにルベルの腕に捕まれた。

「待て、ルミエル」

静かな声だが、力強い。

腕の中で抱き止められたルミエルは、びくりと肩を震わせた。


「おい、エル……どういうつもりだ」

ルベルの低い声に、エルは肩をすくめる。

「いやぁ……確認しただけですよ。ルミエルも外に出たいみたいですし」


ルベルは小さくため息をつき、腕の中の少女を見下ろした。

ルミエルは大人しく抱かれたまま、お願いするような瞳でルベルを見上げている。

その視線に、彼の表情がわずかに緩んだ。


「……そうだな。ここは確かに狭い。行くのも悪くないだろう」


その言葉を聞いた瞬間、エルは小さく拳を握り、口の端を上げた。

――心の中で、見事なガッツポーズを取っていた。


「……その代わり、途中の宿はちゃんと取ること。それと――ば、ばあやも呼んでくれ……」

ルベルは言いながら、あからさまに顔をしかめた。

その声音には、明らかに“あまり関わりたくない”という気配が滲んでいる。


エルはすかさず口角を上げ、肩をすくめた。

「来てほしくなさそうに言わないでくださいよ。あの方しかいないじゃないですか」

帳簿を片手に、わざと軽い調子で続ける。

「変な新人を連れていくより、ばあやの方がよっぽど頼りになりますよ。主君を制圧できる数少ないお方ですからね。それに――ルミエルにも丁度いいと思います」


「……分かってる」

ルベルは渋い顔のまま短く答えた。

深くため息を吐き、指先でこめかみを押さえる。


その様子を、ルミエルはベッドの上から静かに見つめていた。

何を話しているのか分からない。けれど、二人の声の強弱や、視線の動きから、少しずつ“感情”を感じ取れるようになっていた。

ルベルの低い声は落ち着いていて、エルの声はどこか明るい。

その対比が耳に心地よく響く。


ルベルは、ふと視線をルミエルへ向けた。

その金色の瞳がこちらを見返すのを確認すると、柔らかく息を吐く。

「……明日の朝には出発できるようにしておけ。ルミエルの着替えだけでいい」


エルはわざとらしく目を細めて、口の端を上げる。

「服だけでよろしいので?」


「靴はいらない。まだ歩いていい足じゃない」

ルベルは即座に言い切った。

その声音には、迷いも冗談もない。


ルミエルはその言葉の意味を知らないまま――けれど、胸の奥がほんのり温かくなった。

優しい声。安心できる気配。

それだけで、十分だった。


エルは小さく笑って肩をすくめた。

「了解です。じゃあ、ばあやには私から連絡しておきますね」


ルベルは軽くうなずき、視線をルミエルへ戻す。

ランプの灯りが金の瞳に反射し、柔らかく輝いた。


外では風が木々を撫で、虫の声が静かに響く。

その穏やかな夜の中――三人の間には、言葉以上のぬくもりが流れていた。


ルベルは、抱えていたルミエルの身体をそっとベッドに下ろした。

柔らかな寝具が沈み、ランプの灯が揺らぐ。

彼は静かにその灯りを吹き消すと、部屋は月明かりだけに照らされた。


「お前も休め。俺はここで寝るから」


短くそう告げて、エルを部屋から下げた。

ルミエルが夜中にどこかへ行かないよう、ソファに体を横たえながらも意識は完全に眠りに落ちきらなかった。

時折、寝返りを打つルミエルの寝息がかすかに聞こえるたび、ルベルは安心するように目を閉じた。


──そして、夜が明けた。


まだ空が白みかけたばかりの早朝。

ルミエルは小鳥のさえずりに誘われるように目を覚ました。

昨夜の会話の断片が頭に残っている。

「ここから出る」──その言葉だけで胸が弾み、彼女は無意識に笑みを浮かべた。


ベッドから身を起こすと、足裏に鈍い痛みが走る。

けれど、そんなことは気にしていられない。

彼女は小さく「よいしょ」と息をつきながら、そっとルベルの肩を叩いた。


「……ルミエル?」

眠たげな声で名を呼びながら、ルベルはうっすら目を開けた。

そして、ルミエルが立っていることに気づくと、一瞬で眠気が吹き飛ぶ。

勢いよく身を起こし、慌てて彼女を抱き上げた。


「何回言えばわかるんだ。歩くのはまだダメだ。傷が広がるだろ」


叱るような言葉だったが、その声音は驚くほど穏やかだった。

ルミエルは怒られたとは思わず、ただ目を細めて彼を見上げる。

嬉しそうに微笑むその姿に、ルベルは苦笑いをこぼした。


「怒ってるのになんで笑ってるんだ…」


「ルミエルは人の感情に敏感なんだって、言いましたよね?」


不意に聞こえた声に、ルベルはピクリと反応する。

扉の方を見ると、そこにはエルが腕を組んで立っていた。

朝の光を背にして、どこか楽しげに微笑んでいる。


「仮にも主人なんだから、ノックぐらいしろ」


「しましたよ。ルミエルが起きた時に。主君が気づかなかっただけです」


ルミエルはそんな二人を見比べながら、くすくすと笑った。

その笑顔に、張りつめた空気が一瞬にしてほどけていった。


「今すぐ出られるように支度は終わっているのに、朝食を食べてからにしましょう」


そう言い残し、エルは静かに部屋を出ていった。

残されたルベルは、ルミエルの髪の乱れをそっと直し、軽く笑みを浮かべる。


「さあ、服を着替えようか」

ルベルは柔らかいパジャマを脱がせ、代わりに用意していた淡い色のワンピースを手渡した。

胸元に小さなリボンがあしらわれ、裾には優雅なフリル。

ふんわりとした生地がルミエルの小さな体を包み込み、まるで春風に揺れる花のように見えた。


ルミエルはまだ言葉を話せないが、金色の瞳がキラキラと輝き、嬉しそうにワンピースの袖を通す。

ルベルが手を添えてゆっくり着せると、初めて自分の服を選んでもらった安心感と、少しの誇らしさが混ざった表情を見せた。


朝食を二人で済ませると、ルベルはそっとルミエルを抱き上げた。

抱えられたルミエルのワンピースは柔らかく揺れ、朝の光を受けて淡く輝く。

数日ぶりに外に出たルミエルは、初めての時の不安はもうなく、冷たい朝の空気を肌で感じ、風や鳥の声、草の香りに心を躍らせた。


ルベルはその小さな体を抱きしめながら微笑む。

腕の中で安心し、楽しそうに目を輝かせるルミエル。

外の世界は、彼女にとってまだ新しく、そして優しい光で満ちていた。


朝の光と新鮮な空気の中、ルミエルは小さく息を吐き、期待と勇気を胸に、二人と共に新しい一歩を踏み出すのだった。


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