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奴隷だった少女は悪魔に飼われる 〜居場所のなかった少女は、悪魔に溺愛されていく〜  作者: アグ
本家の檻

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屋敷に潜む影

庭師と別れた後、ルミエルとエルは屋敷の敷地を歩いていた。

すれ違う使用人たちは一様に視線を伏せ、足早に去っていく。

エルが傍にいる間、露骨な侮蔑は向けられない。

その代わり、彼らはルミエルをいない者のように扱った。


使用人たちの態度に、どう声を掛ければいいのか分からず、

ルミエルは少し離れた場所から彼らを眺めることしか出来なかった。


エルもまた、その距離を感じ取り、ルミエルの半歩後ろに立つ。

前に出ることはせず、ただ、逃げ道を塞ぐように。


使用人たちは仕事の手を止めない。

しかし、視線は合わず、誰一人として近づこうとしなかった。


「みんな……やっぱり……私のこと、きらい?」


掠れた声に、誰も答えない。


エルは小さく息を吐き、周囲に分かるほどの魔力を滲ませた。

空気が重くなり、見えない棘のような圧が、

ルミエルを避ける形で使用人たちへと絡みつく。


数人が思わず胸を押さえ、顔を歪めた。


「ルミエル様は、優しすぎるのです」

エルの声は静かだったが、冷たかった。

「使用人など、気に留める必要はありません」


その瞬間、ルミエルの眉が、ほんの少し下がる。


彼女は使用人たちの様子を見て、そっとエルの手を握った。


「……だめ」

小さく、しかしはっきりと。

「そんなこと、しちゃだめ……みんな、苦しい」


その言葉が、

エルの言葉に向けられたものなのか、

それとも、使用人たちを苛む魔力に向けられたものなのか。


どちらとも取れるまま、空気だけが静かに張り詰めていた。



「少しは、主君の真似でもしてみてはどうですか?」


エルの言葉に、ルミエルは足を止めかけ、

それでも二人はゆっくりと廊下を歩き出した。


ルベルの名が出た途端、ルミエルは自然と首を傾ける。


「……ルベルの、まね?」


エルは小さく頷いた。


「ええ。主君でしたら、無視する使用人がいれば」

一拍置いて、淡々と続ける。

「その場で、二度とそんな態度が取れないようにします」


ルミエルの脳裏に、ルベルの姿が浮かんだ。


「……ルベルは」

少し考えてから、首を横に振る。

「そんなこと、しない」


ルミエルの前では、

彼はいつも穏やかで、優しくて――

見事なほど、猫を被っていた。


二人は、しばらく黙ったまま廊下を歩いていく。


会話の途切れた空間に、足音だけが静かに響いた。


ひとつ角を曲がった先――

そこは、ルミエルがまだ足を踏み入れたことのない方角だった。


空気が、わずかに変わる。

肌を刺すほどではない。

だが、確かにピリピリとした違和感が流れていた。


その感覚は、エルでさえ正体を掴めないほど微かなものだった。


「ねえ……あっちって、誰のお部屋があるの?」


ルミエルの問いに、エルは廊下の奥へ視線を凝らす。

先ほどまで浮かべていた柔らかな笑みは消え、

代わりに、警戒を含んだ険しい表情が現れた。


「……あちらには」

一瞬、言葉を選んでから続ける。

「元老が一人。グラヴェル・ヴァーミリオン様がおられます」


――グラヴェル・ヴァーミリオン。


その名を聞いた瞬間、ルミエルの身体がびくりと震えた。


初日。

そして、挨拶の場で交わした、ほんの短いやりとり。


思い出そうとしただけで、胸の奥がひやりと冷える。

ルミエルにとって、その男は――

すでに“恐怖”として刻み込まれていた。


顔から血の気が引き、息が浅くなる。

心臓だけが、やけに早く、耳の奥で脈打っていた。


その異変に気づいたエルは、即座にルミエルの手を取る。


「……戻りましょう」


そう言って引き返そうとしたが、

ルミエルの足は、床に縫い止められたように動かなかった。


怖い。

それでも――逃げてはいけない気がした。



「ねえ……普段……」

ルミエルは言葉を探すように、少し間を置いた。

「グラヴェルさんって……一人、なの?」


その問いには、恐怖よりも別の感情が滲んでいた。


グラヴェル・ヴァーミリオンという存在そのものより、

廊下に漂う、あのピリピリとした気配。

それが、どうしても気になって仕方がなかったのだ。


「屋敷は、基本的に安全ですので」

エルは周囲を一瞥し、淡々と答える。

「不審な者が入り込んでいる可能性は、低いかと」


それでも、ルミエルの首筋を冷たい汗が伝った。

鼓動が早い。


「……エルは」

小さく息を吸ってから、続ける。

「何か、感じる?」


エルは首を横に振った。


「特には。――どうなさいました?」


その瞬間だった。


ルミエルの肌に触れる空気が、はっきりと変わる。


先ほどまで感じていた、かすかなピリピリとした違和感。

それが一気に研ぎ澄まされ、

逃げ場のないほど濃密なものへと変質していった。


――悪意。


それはもう、気のせいではなかった。


気づけば、ルミエルは走り出していた。


廊下を抜け、いくつもの扉が視界を横切る。

どこかにある“それ”を見逃さないよう、

神経を限界まで尖らせながら。


「ルミエル様、お待ちください!」


エルもまた、すぐに後を追って駆け出した。


ルミエルは直感でヴァーミリオンの部屋を特定していた。


独特な哀しみ。

それを押し潰すような、圧倒的な威圧感。


ほんの数度しか会っていないはずなのに、

その存在は、強く記憶に残っている。


その気配が、今――

部屋の周囲から、はっきりとした殺気へと変わっていた。


この距離で気づかないほど、エルが鈍いはずがない。


ルミエルは許可も求めず、扉を開けた。


ヴァーミリオンは、いきなりの来訪者に苛立ち、

手にしていた羽ペンを机へと叩きつける。


立ち上がり、冷たい視線でルミエルを射抜いた。


廊下に満ちていた殺気は、

部屋の中に入った途端、嘘のように消えていた。


ルミエルは、それを逆に異質だと感じた。


「小娘。何しに来た」


ヴァーミリオンはそう言い捨てると、

続けて入ってきたエルを鋭く睨みつける。


「フォレスト。お前までか。

どうやら、また一から礼儀を叩き直す必要がありそうだな」


冷たい言葉が投げられる中、

ルミエルはそれを聞き流すように、部屋へと視線を走らせた。


大きな窓。

その先に続くバルコニー。

高い天井。


——どこに、いるの……?


「先生、今は……それどころでは……」


エルの声は、ヴァーミリオンの一喝にかき消された。


「私もお前たちに構っている暇はない!」


吐き捨てるように言い、ヴァーミリオンは踵を返す。

バルコニーへ向かい、数歩――その瞬間。


空気が、軋んだ。


凝縮された殺気が、外から一気に流れ込んでくる。


――来る。


考えるより先に、ルミエルの身体が動いた。

敵の攻撃軌道へ、迷いなく踏み込む。


「っ!」


雷光が走る。

放たれた魔法は、常のものよりも明らかに速い。


ルミエルは手のひらを突き出した。


次の瞬間、黒い渦が生まれる。

空間を歪め、周囲の物を引き裂くように引き寄せながら、渦は大きく口を開いた。


獲物を狙う獣のように――


黒は雷を噛み砕き、音もなく飲み込んだ。


エルも、ヴァーミリオンも、思わず息を呑んだ。


攻撃性しか持たないはずの穢魔を、

支援の形で操る者など――見たことがない。


常識から外れたその在り方に、

二人の目には、ルミエルがどこか神秘的に映った。


「エル……外にいる」


静かな声だった。

だが、その一言で空気が引き締まる。


刺客は、バルコニーの奥。

枝を広げた木の上に身を潜めていた。


視線が合った瞬間、

相手は迷いなく木から飛び降り、逃走を図る。


エルは即座に踏み込み、

床を蹴ってバルコニーの外へ躍り出た。


刺客とエルの距離が、文字通り一瞬で消えた。


エルの周囲に、鋭利な矢の形をした水が静かに浮かび上がる。

水は揺らぎもせず、獲物を定めた刃のように整列していた。


放たれたのは、合図もない瞬間だった。


水の矢が一直線に走る。


刺客は即座に身を翻し、地を蹴って回避する。

矢は背後の地面を抉り、湿った音を立てて突き刺さった。


――遅い。


エルはすでに、次の動作に入っていた。


膝を深く沈める。

次の瞬間、地面が弾け、エルの身体が跳ね上がる。


距離という概念を置き去りにした跳躍だった。


刺客が振り向くより早く、影が覆う。


右手が伸び、首を掴んだ。


逃げ場も、抵抗の猶予もない。


そのまま、叩き落とす。


ドゴンという鈍い衝撃音が響き、

地面が凹み、砂埃が爆ぜた。


衝撃は空気を震わせ、屋敷の奥にまで届く。


エルは手を離し、倒れ伏す刺客を見下ろす。


そこに迷いはなく、ただ――処理した、という静けさだけが残っていた。


刺客は、その衝撃であっさりと意識を手放した。


「――地下牢へ連れて行け」


低く、感情のない声だった。

そこに、いつもの穏やかで紳士的なエルの面影はない。


どこからともなく現れた数人の戦闘員が、

何も言わず、倒れた刺客を抱え上げる。


足音は静かに遠ざかり、

やがて、その場には沈黙だけが残った

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