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奴隷だった少女は悪魔に飼われる 〜居場所のなかった少女は、悪魔に溺愛されていく〜  作者: アグ
本家の檻

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冬の初め

騒々しい夜が明け、朝日が部屋に差し込む。

ルミエルは眠い目を腕で擦りながら起き上がった。


窓辺に歩み寄り外を覗くと、夜の間に降り始めたのだろう、

薄く白い雪が静かに積もり出している。


音を吸い込んだような景色を前に、

ルミエルは言葉もなく、ただ外を見つめていた。

それはこの屋敷に来る前、

まだ名も知らぬ場所で見た朝を思い出しているかのようだった。


考え込むように佇むその背に、

ばぁやが静かに部屋へ入ってくる。


柔らかな声でルミエルに問いかけた。


「外に、何かございましたか?」


ルミエルは外に積もる雪から、ばぁやへと視線を移した。


「……前は、雪が嫌いだったの」


ぽつりと零れた声は、どこか遠くを向いていた。


「寒くて……手も足も、感覚がなくなって……」


言葉にするたび、胸の奥がきゅっと縮む。

石の床、冷たい空気、息を吐くたび白くなる視界――

あの頃の記憶が、雪と重なって蘇る。


「でも、今は……」


ルミエルはもう一度、窓の外を見た。


「雪を見ても……あったかいなって、思えるの」


ばぁやは眉を下げ、静かに歩み寄ると、

何も言わずルミエルを胸に抱き寄せた。


包み込む腕は柔らかく、ぬくもりがじんわりと伝わってくる。

ルミエルはその中で、ほっと息をつき、

小さく、けれど確かに微笑んだ。


「ここでは、そんな思いはしませんから」


ばぁやの声は、雪よりも静かで、暖かかった。


「大丈夫ですよ、ルミエル様」


ルミエルは、ばぁやの腕の中に残る温もりを名残惜しく感じながら、そっと身を離した。


「……ばぁや、ありがとう。

 でもね、今日やらなきゃいけないことがあるの」


ばぁやは微笑み、ゆっくりと手を離す。


「それなら――可愛らしくしなくてはね」


そう言って衣装箪笥の前に立ち、

白を基調に、金の花刺繍が控えめに施されたスカートを選び出した。


着替えを終えたルミエルの背後に回り、

ばぁやは慣れた手つきで髪をまとめていく。


両側に小さなお団子が形作られ、

鏡の中には、どこか落ち着いた、

それでいて愛らしさを残した少女が映っていた。


ルミエルは少し照れたように視線を逸らし、

それでも、どこか誇らしげに胸を張った。


「それで、ルミエル様はどちらへ行かれるのですか?」


ばぁやの問いかけに、

ルミエルは一瞬、言葉を探すように視線を落とした。


昨夜のモミジの表情が、ふと脳裏をよぎる。

それだけではない。

この屋敷で過ごす以上、

避けては通れないことが、まだいくつもある。


ルミエルは小さく息を吸い、顔を上げた。


「……みんなと、お話ししてみたくて」


その言葉に、ばぁやの胸にじんわりと温かいものが広がる。


「ええ。まずはお顔を覚えていただくのも、よろしいかと存じます」


ばぁやの提案に、ルミエルはこくりと頷いた。


穏やかに満ちていた部屋の空気を切るように、

扉が三度、控えめに叩かれる。


「ルミエル様、失礼いたします」


扉が開き、

エルが無駄のない所作で一礼した。



「今日から私が、ルミエル様の身の回りの護衛を務めます」


その言葉に、ルミエルの瞳が一瞬だけ揺れた。

すぐに視線は床へ落ち、小さく指先を握りしめる。


ばぁやは何も言わず、その背にそっと手を置き、撫でた。


「……それは……モミジと、離れるから……」


掠れた声でそう呟く。

モミジがエルヴィアンのもとへ行くことは、すでに聞かされていた。


「戻って来るまでの、あいだです」


エルはそれ以上、言葉を続けなかった。

モミジの起こしたことも、

その後に見せていた不安定さも――

今ここで口にするべきではないと、判断したのだ。


ルミエルはエルへと視線を戻した。

そして、ほんの一瞬遅れて、口角を引き上げる。


ぎこちない笑みだった。


ばぁやは思わず指先を握りしめ、

エルもまた、言葉を探すように視線を伏せる。


誰も、その笑顔を受け取ろうとはしなかった。


ルミエルはその中で、並んで立つルベルとエルの姿を思い出す。


二人が同じ位置に立っているだけで、

この屋敷の空気は落ち着く――そんな気がしていた。


……いつも、二人一緒だった


自分の中では、ルベルとエルは最初から“揃っている存在”だった。

だからこそ、胸の奥に小さな不安が生まれる。


「……ルベルは、エルがいなくても困らない?」


問いは、確かめるようでいて、

実のところ自分を納得させるためのものだった。


エルは一瞬、言葉に詰まったように視線を逸らす。

そして、いつものように苦笑いを浮かべ、指先で揉み上げを軽く掻いた。


「大丈夫です。今は父が代わりに付いていますから」


その言葉を口にした瞬間、

エルの脳裏には、父――ブラインに容赦なく叱られているルベルの姿が浮かぶ。


腕を組まれ、逃げ場もなく言葉を浴びせられる光景。

思わずため息が出そうになるのを、エルは堪えた。


ばあやも、同じ想像をしたのだろう。

ふっと口元を緩めて言う。


「少しは引き締めてもらった方がよろしいですね。

 ルベル様を本気で叱れる方が、いませんから」


ルミエルはその会話を聞きながらも、

どうしても一つだけ、思い描けないことがあった。


――ルベルが、誰かに叱られている姿。


どんなに想像しようとしても、

それだけは、頭の中で形にならなかった


「じゃあ……エルが、私の側にいてもいいの?」


遠慮がちに向けられた視線に、

エルは迷うことなく、静かに頷いた。


「もちろんです」


それだけで、十分だった。


ルミエルの強張っていた表情が、ふっと緩む。

その変化を見て、エルは内心で小さく苦笑した。


――これが、ルベル相手だったなら。

まず、こんな顔は見せないだろう。


「それに……」


エルは改めてルミエルを見つめる。

白を基調とした装いに、金の花刺繍が控えめに映えていた。

派手さはないが、丁寧に選ばれた服だと一目で分かる。


「今日はおしゃれですね。どこかへ行かれるのですか?」


からかうでもなく、探るでもない。

ただ、自然にかけられた言葉だった。


「そうでした。では、私と一緒に行きましょう」


エルはそう言って、ルミエルに手を差し出した。

ルミエルの手は一度、宙で止まり、ためらうように揺れる。

それから、そっとエルの手を握った。


エルは優しく握り返し、そのままドアの前までエスコートする。


「あのね……先にお庭に行きたいの。

毎日、お手入れしている人とお話ししてみたくて」


ルミエルは窓の外に広がる、広い庭を思い浮かべていた。

毎日同じ時間に、庭師が黙々と手入れをしていることも、知っている。


「ルミエル様は、花や草木がお好きなのですね」


エルはそう言いながら、庭に出る準備として、

ルミエルの肩に厚手の上着をそっと羽織らせた。


そこへ、ばあやが帽子と手袋を差し出す。


「冷えますからね」


ルミエルとエルは庭へ出た。

薄く雪の積もった庭は静まり返り、

枯れた緑が、どこか寂しげに映る。


草木が眠る季節だ。


庭へ続く道は、誰かがこまめに掃き清めているのだろう。

足元はいつも整えられている。


それでも、庭師は毎日ここに来る。

木に触れ、土に目を落とし、何かを確かめるように。


――どうしてだろう。


ルミエルがそんなことを考えていると、

今日も、優しげな表情のおじさんが庭に立っていた。


ルミエルは庭師の隣に立ち、そっと見上げた。

少し離れた位置で、エルが静かに待機している。


庭師は一度エルに視線を向け、それからルミエルを見下ろした。

護衛が近くにいる――

それだけで、使用人は彼女を無下に扱えなくなる。


「……毎日、何をしているの?」


ルミエルは少し考え、続けて口にした。


「お世話する……花も木も、今は枯れているのに……」


ただ、知りたかった。

それだけの、素直な問いだった。


庭師は嫌な顔ひとつせず、穏やかに答える。


「お嬢様は、春になれば何もしなくても、

花や木が勝手に咲くと思っているのかい?」


「――っ」


“お嬢様”と呼ばれた瞬間、ルミエルの肩がぴくりと跳ねた。

それなのに、口元は自然と緩んでしまう。


この屋敷の使用人たちは、どこか冷たかった。

だからこそ、何気なく言葉を交わしてくれるこの庭師が、

ルミエルには特別に見えた。


「……咲くと、思ってた。

春は、暖かくなるから……」


ルミエルの言葉に、庭師は静かに微笑んだ。


「そうですね。もちろん、強く咲く花もあります。

ですが、ここの花は——

きちんと手入れをしないと、自分の力だけで咲くのは難しいのです」


庭師は足元の土に目を向けながら、続ける。


「だから毎日、土の様子を見て、

木が病気になっていないかを確かめる。

何もしていないように見えても、やることは多いのですよ」


その穏やかな語りを聞きながら、

ルミエルの中で、何かが少しずつ形を変えていく。


冷たい風が庭を抜け、ルミエルの頬に触れた。

それでも、胸の奥は不思議と冷えなかった。


「……知らないこと、いっぱい……」


ぽつりと零れた言葉とともに、

ルミエルは広い庭を見渡し、ゆっくりと息を吸い込む。


澄んだ空気が、胸いっぱいに広がった。


「あのね……また来てもいい?

私も、花……植えてみたいの」


庭師は少し驚いたように目を細め、

それから、軽く頷いた。


「もちろんです。お待ちしていますよ」


「……ありがとう。

おじさんは、きっとエルがいなくても、

私の話、聞いてくれたよね」


思いがけない言葉に、庭師は一瞬、言葉を失った。


屋敷の中の使用人であれば、

彼女を蔑ろにし、目も合わせなかっただろう。

——そのことを、ルミエル自身が分かっている。

それが、胸の奥に、静かに刺さる。


「……どうして、そう思ったのですか?」


問いかけると、ルミエルは少しだけ首を傾けた。


「わかるよ……

おじさん、私を見て……誰か分かって、

それでも笑ってくれた……」


それだけ言うと、

ルミエルはくるりと踵を返し、駆け足でエルのもとへ戻った。


少し離れたところで立ち止まり、

振り返って、小さく手を振る。


庭師はその背中を、しばらく見送っていた。


「……春が、楽しみになりますな」


誰に聞かせるでもない独り言が、

静かな庭に溶けていく。


ルミエルの隣に並んだエルは、

その様子を一歩引いた位置から見守っていた。


「今のは、良い挨拶でしたね」


そう声をかけると、

ルミエルは少し照れたように、でも嬉しそうに頷いた。


雪の残る庭に、冬の終わりを告げる風が吹く。

まだ花は咲かない。

けれど、確かに——芽吹きの兆しは、そこにあった。


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