話す覚悟
昼間の陽光が差し込む、静かな一室。
ベッドやソファーといった最低限の家具は揃っている。
――にもかかわらず。
部屋の隅、影が濃く落ちる場所で、胡座をかいて座る一人の男がいた。
背を丸め、膝に置いた手は、わずかに強張っている。
部屋と溶け込むように、気配は薄い。
そこに“居る”というより、“存在を消そうとしている”ようだった。
その姿は――
何かから逃げるでもなく、
ただ、何かを待ち続けているようにも見えた。
⸻
静寂を打ち破るように――
バン!
無造作に、ドアが開かれる。
堂々とした足取りで、ルベルが部屋に入ってきた。
視線が一巡する。
整えられたはずの部屋に、生活の痕跡はほとんどない。
その違和感に、ルベルは僅かに眉を顰めた。
ドアを閉め、当然のようにソファへ腰を下ろす。
まるで自分の部屋であるかのように。
「モミジ。――生きてたんだな」
冷めた声。
その言葉に、床の男はすぐには反応しなかった。
一拍遅れて、ようやく顔を上げる。
「なんや……
自殺でもしてた方が、よかったん?」
声に力はない。
挑発の形をしているが、覇気はなく、どこか投げやりだった。
ルベルは、その様子が気に入らない。
ほんの僅か、顔が歪む。
「お前、つまらなくなったな」
その言葉に、モミジは再び顔を上げる。
思っていたよりも顔色は悪くない。
――生きてはいる。
それを確認し、ルベルは無意識に胸を撫で下ろした。
「なんや、つまらんて……
オレやて、調子悪い時くらいあるんや」
軽く流すような口調。
だが、内側では必死だった。
自分でも整理できない記憶。
知らないはずの感情。
それらが、絶えず頭の奥を引っ掻き回している。
「俺は、ルミエル以外に気を使うつもりはない」
唐突な宣言。
その一言に、モミジは小さく鼻で笑った。
「なんや今更。
そんなん、みんな知ってるやん」
笑ったはずなのに、
その目には、少しだけ――諦めが滲んでいた。
「だから、言う。
お前、何を思い出した」
ルベルの一言には、迷いがなかった。
――確信だ。
モミジの肩が、僅かに強張る。
嫌なところを突かれ、奥歯をぎゅっと噛みしめた。
どこまで、話していいのか。
気味悪がられないか。
喉の奥で言葉が絡まり、上手く出てこない。
「……なにって……」
それ以上、続かなかった。
ルベルは一瞬、モミジを見つめ――
それ以上の追及を、あっさりとやめた。
「分かった」
短く、それだけ。
「そうそう。お前に会いたがってる奴が二人いる。
……会うか?」
その言葉を聞いた瞬間、
モミジの脳裏に浮かんだのは――
あの、幼いルミエルだった。
モミジが口を開こうとした瞬間、ルベルは遮るように言った。
「まぁ、お前に選ぶ権限はない」
心の中で舌打ちをしたモミジは、じっとルベルの顔を見据える。
ドアの向こうで待機している者の気配を感じ取りながら、どう動くか考えを巡らせる。
「一人はお前の引き取りに来たものだ」
ルベルの言葉に、モミジの拳がわずかに震える。
怒りが身体を駆け巡り、耳と尻尾が自然と逆立った。
「なんやそれ! 何勝手に決めてるんや!」
詰め寄るモミジのすぐ後ろで、ドアがゆっくりと開く。
その隙間から現れたのは、ルミエルとエルヴィアン――二人揃ってこちらを見つめていた。
「若様、わざとあんな言い方をしているなら、ちょっと性格悪いですよ」
エルヴィアンがやわらかく声をかけ、場の緊張を和らげる。
モミジの目に、ルミエルが映った。
一瞬、血の気が引く。
そしてすぐに、熱が身体を駆け巡り、心臓の鼓動が速くなる。
手は自然と力を握りしめ、身体は小さく震えていた。
「な、何しに来たんや…」
会えたはずなのに、胸が締め付けられる。
嬉しい気持ちと、戸惑い――
そのどちらもが、同時に押し寄せてきた。
「し、心配で…あれから…一度も会えなかった…」
ルミエルの声が、モミジの心をさらに揺さぶる。
「心配はいらへん。俺はどこも怪我してへん」
モミジは両手を広げ、笑顔で主張する。
ルベルと二人きりだった時とは違い、ルミエルの前では無理にでも元気そうに振る舞わなければ――そう自分を律していた。
ルミエルはその無理な笑顔に気づいていた。
目の奥に隠れた迷いと、心の痛み。
「身体じゃない。心だよ、モミジも向き合わないと」
噛み合わない言い方だったが、その言葉は部屋の空気を静かに変えた。
横にいたエルヴィアンは二人のやり取りを静かに見つめ、ひとりで納得するように頷いた。
「どうやら、こちらお嬢様には頭が上がらなそうですな」
エルヴィアンの一言が、部屋の緊張をふっと緩ませた。
モミジは知らない顔の男を睨みつける。
「おっさんは何もんや?」
エルヴィアンは微笑を崩さず、ゆっくりと答えた。
「私はエルヴィアン・タリウスです。ここの元老の一人です。
あなたが、問題児のモミジですね」
モミジの頭の中には、演習場で騎士を巻き込んで大騒ぎした自分の姿が蘇る。
エルヴィアンはその一件を、軽く「問題児」と片付けただけだった。
モミジは、
ルベルが訓練としてその場を収めた時のことと、
エルヴィアンが「問題児」と言った言葉とを、頭の中で重ねていた。
「なんや……ここの屋敷の奴らは、随分と太っ腹やな……」
胸の奥が、じわじわと苦しくなっていく。
その痛みから目を逸らすように、モミジは皮肉めいた言葉を吐いた。
だがエルヴィアンには、
その態度もまた――
嫌な現実から目を背けようとする、子供の精一杯の強がりにしか見えなかった。
「あなたは、まだ子供ですからね。ある程度は聞きますよ」
青年になりきれていないモミジのその表情は、
エルヴィアンには――助けを求める子供のものに見えた。
このままでは、また一人で抱え込んでしまう。
ルミエルは、そう確信して一歩踏み出した。
そのやり取りを、ルミエルが遮る。
ルミエルの足が、モミジの前で止まる。
あと一歩踏み出せば、ぶつかってしまうほどの距離。
「モミジ……モミジは、何を見たの……?
ここでは言えない……?
誰になら、話せる?」
苦悩を少しでも取り払おうと、ルミエルは真剣な眼差しで見つめた。
その視線に耐えられず、モミジはそっと目を逸らす。
モミジは、目の前に立つルミエルではなく――
その背後にいるルベルへと、視線を向けた。
一瞬のことだった。
だが、その小さな選択が、はっきりと意味を持ってしまう。
「……せやな。まずは……ルベルの旦那に、話そう思う……」
その言葉に、ルミエルの眉がわずかに下がる。
何かを言いかけて、結局口を閉じ、
彼女は一歩、後ろへと下がった。
――選ばれなかった。
ただそれだけの事実が、胸の奥に静かに広がっていく。
「……分かった。それじゃ、私はもう行くね……」
精一杯、明るく。
子供なりに、ちゃんと大丈夫なふりをして。
「……分かった……」
モミジも、そう返すしかなかった。
間違ったことをしたわけじゃない。
それでも、胸の中は少しも晴れなかった。
ルミエルは背を向ける。
その小さな手が伸びた先は――
ルベルではなく、エルヴィアンだった。
ぎゅっと掴んだ指先は、ほんの少し震えている。
「行こう」
エルヴィアンは何も言わず、その手を受け取り、
ルミエルと共に部屋を後にした。
扉が閉まる。
部屋には、ルベルとモミジだけが残された。
モミジの肩は、目に見えて落ちていた。
背中も、表情も――まるで一回り小さくなったようだ。
ルベルは、黙ったままそれを見ている。
モミジの態度。
そして、ルミエルが迷いなく、別の大人の手を取ったこと。
理解はしている。
正しい判断だとも、分かっている。
――だが。
胸の奥に残る、言いようのない苛立ちだけは、消えなかった。
「お前は、あとで鍛え直す。覚悟しろ」
その一言で、
モミジの目が、はっきりと見開かれた。
――見捨てられた。
そう思っていたからだ。
喉が鳴る。
「……なんや。オレ、用無しちゃうんか……?」
思わず漏れた声は、さっきより少しだけ明るい。
「さっき……あのじいさんに引き渡す、言うてたやん」
強がるように言いながら、
胸の奥では、確かに安堵が広がっていた。
「分かった。最初から、ちゃんと話す。
……お前も、ちゃんと話せ」
その声音は、
頼みではなく――命令だった。
モミジは一瞬だけ視線を落とし、
やがて、ゆっくりと頷く。
その重さを、理解したからだ




