表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/46

消えない光、届かない声

空は群青色に染まり、星が静かに瞬いている。


昼間の騒動が嘘だったかのように、

屋敷は深い静寂に包まれていた。


あの後――

モミジは「精神状態が安定していない」という理由で、

治療のため、別の場所へ連れて行かれた。


いつも、そこにいたはずの存在が消えたことで、

ルミエルの胸の奥は、ひどく落ち着かなかった。


部屋に戻っても、

耳を澄ませば聞こえていたはずの気配が、もうない。


あの時、自分が外へ出なければ――

演習場へ行かなければ――


指先を握りしめる。


もっと、強ければ。


その言葉にできない感情が、

胸の内で、静かに渦を巻いていた。


ルミエルは窓辺に近づき、夜空を見上げた。


星は、変わらずそこにある。

昼に何が起きようと、誰が傷つこうと、

空は何ひとつ、気にも留めていないようだった。


胸の奥が、きゅっと縮む。


――モミジは、今どこにいるのだろう。


ちゃんと、眠れているのだろうか。

あの時のように、怯えた目をしてはいないだろうか。


考えても、答えは返ってこない。


自分は何も知らないまま、

安全な部屋に戻されただけだ。


「……守るって、なんだろう」


小さく呟いた声は、誰にも届かず消えた。


モミジは、確かに自分を守ってくれた。

危険だと分かっていながら、前に出てくれた。


なのに、自分は――

その背中を、撫でることしかできなかった。


胸の奥に、鈍い痛みが走る。


もし、あの時。

自分が、ほんの少しでも強かったら。


言葉だけでなく、

相手の前に、堂々と立てる力があったなら。


モミジは、あんな顔をしなくて済んだのかもしれない。


「……ごめんね」


謝罪は、空に向けたものだった。

返事は、もちろん返ってこない。


それでも、ルミエルは両手を胸の前で重ねた。


逃げたくはない。

もう、逃げたままではいたくない。


今日、ルベルに言った言葉は――

ただの意地ではなかった。


ここで生きると、決めたのだ。

ここで、向き合うと。


その決意はまだ小さく、頼りない。

けれど、確かに胸の奥で灯っている。


消えそうで、

それでも、消えない光だった。


その頃――


ルベルとエルは、執務室に残っていた。


机の上に広げられた書類は、

どれもが、モミジの起こした騒動に関するものだ。


「後始末、というやつだな」


ルベルが低く呟く。


あの場は、強引に“訓練中の事故”として処理した。

騎士たちにも、口止めはしてある。


だが――

それで全てが丸く収まるほど、

この屋敷の中は、甘くない。


「納得しない者が出るのは、織り込み済みでした」


エルが淡々と告げる。


「特に、元老院は……」


言い終わるより早く、

扉を叩く音が、静寂を裂いた。


ルベルは、目を細める。


「……来たか」


騒動の後、

真っ先に動いたのは――

元老の一人、エルヴィアン・タリウス。


名門の出であり、

騎士団にも強い影響力を持つ人物だ。


この夜が、長くなることを。

ルベルは、その時すでに悟っていた。


扉が静かに開き、男が一礼した。


「夜分に失礼いたします、若様」


落ち着いた声だった。

深くも浅くもない、年季の入った礼。


エルヴィアン・タリウス。

元老院の一席を担い、長くこの屋敷の秩序を支えてきた男だ。


「……来たか」


ルベルは短く応じる。


「お呼びがかかる前に、参りました」

エルヴィアンは一歩進み、静かに続けた。

「本日の演習場での件――

“訓練中の事故”として処理されたと伺っております」


責める調子ではない。

だが、その言葉には確認以上の重みがあった。


「そうした」

ルベルは視線を逸らさずに答える。


エルヴィアンは、わずかに目を伏せる。


「英断であったと思います」

そう前置きしてから、続けた。

「しかし同時に、火種を残した判断でもあります」


エルが、静かに口を挟む。


「元老院は、どこまで把握している?」


「事実関係は、まだ断片的です」

エルヴィアンは即答した。

「だからこそ、今のうちに線引きが必要かと」


そして、まっすぐにルベルを見る。


「若様。

あの獣を――

公爵家の“保護下”に置かれるおつもりですか?」


空気が、わずかに張り詰めた。


「それとも」

エルヴィアンは声を荒らげることなく、言葉を重ねる。

「“問題個体”として、元老院に委ねられますか」


忠誠心ゆえの問いだった。

ルベルを守るための、逃げ場のない選択。


「その獣人の件だが……一先ず、保留にしてくれないか」


ルベルは、結論を先延ばしにした。


エルヴィアンは、その曖昧な返答に深く息を吐く。

長年、若様を支えてきた者だからこその所作だった。


「理由を、伺ってもよろしいですか?」


「本人の精神状態が安定していない」

ルベルは即座に答えた。

「我々も、まだ詳しい話を聞けていない」


エルヴィアンは静かに頷く。


「でしたら尚更――

元老院にお預けになっては?」


その瞬間、エルが口を挟んだ。


「そうなれば、彼は自害する可能性があります」

淡々とした声音だった。

「彼の“出自”は、極めて特殊です」


エルヴィアンは、わずかに視線を伏せる。


「……特殊、と言いますと?」


エルは、続けて口を開いた。


「彼は、幼少期の記憶を失っています」

「今回の件は、その記憶を刺激された結果ではないかと」


「詳しい話を聞いていないと言ったな」


ルベルが、静かに口を挟む。


「その事実自体は、以前から把握していた」

「本人から、親のことも分からないと聞いている」


エルヴィアンは、数度ゆっくりと頷いた。


「……それならば」

一拍置いて、提案する。

「彼を、元老院ではなく――

私のもとに預けてみてはいかがでしょう」


一瞬、空気が止まる。


「もしくは」

エルヴィアンは視線をエルへ向けた。

「ブライン殿のもとへ」


まさかの名に、エルとルベルは目を見開く。


エルの声が、思ったよりも大きくなった。


「……父に、ですか?」


エルヴィアンは、落ち着いたまま話を続けた。


「ええ。正直に申し上げます」

「その獣人の件は、すでにブライン殿から伺っておりました」


エルは、息を呑んだ。

父とエルヴィアンが水面下でやり取りをしていたことを、

今になって知ったからだ。


「ブライン殿とは、長い付き合いになります」

エルヴィアンは懐かしむように目を細める。

「彼が誰かを評価するのは、本当に久方ぶりでした」


一度、言葉を区切り。


「話を聞くうちに――

私自身も、あの獣人に興味を持ったのです」


ルベルは、思わぬ助け船に、かえって表情を曇らせた。


「しかし……」

指で額を押さえながら、言葉を探す。

「ルミエルの言葉には、反対していただろう」


ルミエルを迎え入れる挨拶の場では、突き放した。

だが今、モミジに対しては受け入れる意思を見せている。


その矛盾を、ルベルは真正面から投げかけた。


エルヴィアンは、即座に首を振る。


「若様。その二つを同列に語られては困ります」

「お嬢様の件は、公爵家の威信に関わる問題です」


淡々と、だが重く言い切る。


「統率。信頼。そして――お嬢様ご自身の信用」

「それらが伴わぬ限り、私は賛成できません」


ルベルは、深く息を吐き、頭を抱えた。


「……では」

「エルヴィアンが、ルミエルを信頼できると判断すれば」

「その時は、賛成してくれるのか」


エルヴィアンは、迷いなく頷いた。


「します」


その一言が、場の空気を変えた。

ルベルの前に、ひとつの道筋が――確かに生まれた。


エルは、一度言葉を区切るようにして口を開いた。


「……それは、進展ですね」

「ですが、その獣人を預けるとして――その後は、どうなさるおつもりですか?」


視線をエルヴィアンに向ける。


「彼は、ルミエル様に忠誠を誓っています」

「エルヴィアン様に、つき慕うとは思えません」


獣人は、一度主君と定めれば、容易にその元を離れない。

それは、この場にいる誰もが知っている事実だった。


だからこそ、その沈黙は重かった。


「分かっています」

エルヴィアンは、はっきりと言った。


「だからこそ、その獣人は――

お嬢様に見合う護衛として、私が一時的に預かり、教育を施します」


そして、静かに視線をルベルへ向ける。


「その代わりです」

「そちらは、お嬢様が私に認めさせるに足る“何か”を示してください」

「そうなれば、この件は円満に収まるでしょう」


その言葉には、確かな重みがあった。


条件であり、同時に保証でもある。

エルヴィアンは、口にしたことを違えない。


それはこれまでの行動と実績が、何より雄弁に物語っていた。


だからこそ――

今の発言は、重い。


そこまで言われては、ルベルも反対できなかった。


「分かった。獣人の教育はエルヴィアンに任せる」

「だが、精神が落ち着いてからの引き渡しだ」

「今ここで無理にルミエルと引き離せば、再び暴走する恐れがある」


その決断に、エルヴィアンは静かに頷いた。


「承知しました」

「それと――彼が今、秘密にしている事は必ず報告してください」


すでに、ルベルとエルが何かを隠していることを見抜いていたのだ。


エルヴィアンは一礼すると、そのまま執務室を後にした。


扉が閉まるのを見届けてから、ルベルは深く息を吐く。


「……食えないじいさんだ」


エルも肩をすくめ、苦笑する。


「本当ですね」


そして、一匹の猫は静かな部屋で丸まっていた。

眠っているように見えるほど、静かに。


——けれど。


頭の中では、知らない情報が波のように押し寄せていた。


知らない部屋。

知らない子供。


その子供を見るたび、胸の奥に、不安と孤独が広がる。


モミジは、思わず声をかけていた。


「お前はなんや……何者や?」


子供は、虚ろな瞳でこちらを見る。


「何もって……○×△やん……」


大事なことを言っている。

それだけは分かるのに、音が掴めない。


「何言ってるん?」


「なんで……助けてくれないん……」


「助けるって、なんや!」


その言葉に、モミジ自身が怯えていることに気づく。


「お願いだから……僕を見て……」


「見とるやん!」


「見てないよ……」


子供は、少しだけ微笑んだ。


「いつか……○×△……と向き合ってや。待っとる……」


次の瞬間、霧が満ちて、子供の姿は溶けるように消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ