表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/45

褒めるという裁定

騎士たちの恐怖に凍りついた視線を尻目に、モミジの背中に――叩きつけられるような衝撃が走った。


次の瞬間、身体の軸が崩れ、肺から空気が強制的に吐き出される。


視界が砂埃に覆われ、演習場の輪郭が曖昧になる。


――だが、その向こうに、はっきりとした“存在”が立っていた。


ルベルだった。


片手でモミジの額を鷲掴みにし、そのまま動きを封じている。


そこにあるのは怒りでも憎しみでもない。ただ、抗う余地のない冷徹な圧力。


「……落ち着け、モミジ」


低い声が、演習場全体に染み渡る。


それだけで、胸の奥で暴れ狂っていた殺意と復讐心が、無理やり押さえつけられた。


砂埃が流れ去ると、騎士たちは息を殺し、じりじりと後退する。


残ったのは、制圧された力と、張り詰めた静寂――そして、二人の視線だけ。


「なんや……やっと本気になったんかい」


モミジの瞳に映っているのは、ルベルではなかった。


そこにいたのは、かつて自分を徹底的に叩き込んだ調教師の男。


全身に熱が走り、視界が怒りで歪む。


「……お前は、何を見ている。


お前の名前は、なんだ」


「名前なんて無いやん。


お前らが“六十番”って呼んでたやろ」


その一言で、過去が剥き出しになる。


管理され、番号で呼ばれ、意思を奪われていた日々。


ルベルは、ゆっくりと手を離した。


モミジの身体は、そのままずるりと床に落ち、かすかに震える。


「……お前もか」


視線が、静かに、しかし逃がさぬ圧で注がれる。


「なんや、その目……今更、そんな目で見るなや」


次の瞬間、胸ぐらを掴まれ、強引に引き寄せられた。


抗う前に理解する。――力が、次元ごと違う。


「目を覚ませ。


お前は……ルミエル・ヴァルファレインの護衛だ。


モミジ――違うか?」


“ルミエル”。


その名が、濁った意識の奥底を叩いた。


胸の奥に、懐かしさと――守るべきものの感覚が灯る。


視界が、ゆっくりと現実を取り戻していく。


ルベルの背後で、両手を握りしめ、怯えた瞳で見つめるルミエルの姿があった。


それを見た瞬間、モミジの中で何かがはっきりと形を成す。


――守る、べきもの。


「……ちゃう……これは……知らん、記憶が……」


震える手。


過去と現在が、まだ噛み合わない。


だが、ルベルの手が、そっと頭に置かれた。


「話は後だ。……褒めないとな」


理解できず、モミジは目を見開く。


この状況で、褒める――?


だが、倒れ伏す騎士たちを見れば、被害は明白だった。


そして彼らはもう、モミジやルミエルを侮れない。


ルベルの一言は、評価であり――宣告でもあった。


モミジは、言葉を失った。


この状況で――褒める…


普通なら、叱責される。


怒りをぶつけられて当然のはずなのに。


胸の奥では、まだ熱と怒りが渦を巻き、指先がわずかに震えている。


視線を巡らせれば、答えは嫌でも目に入った。


倒れ伏す騎士たち。立ち上がれない者。呻き声すら上げられない者。


――被害は、明らかだった。


だが、その騎士たちの目に浮かんでいるのは、怒りでも侮蔑でもない。


あるのは、恐怖だ。


モミジではない。


ルベルに対する、純粋な恐怖。


ルベルの視線はモミジに向けられている。


それでも、その沈黙は演習場全体を縛りつけていた。


「褒める」


その一言は、評価であると同時に、宣告だった。


――この存在を、二度と侮るな、という。


モミジの瞳に、少しずつ光が戻っていく。


錯乱の渦に沈んでいた意識が、ルベルの手の感触と声によって、現実へと引き戻される。


そこにいるのは、もはや番号で呼ばれる存在ではない。


確かに、“守る側”として立つモミジだった。


そのとき――


倒れていた騎士の一人が、ふらつきながら立ち上がった。


「ル、ルベル様……お待ちください……」


声は震え、視線は定まらない。


「叱責されるならともかく……褒める、とは……」


周囲には、重傷者がいる。


中には、視力を失った者すらいる。


この場で、それを受け入れられる者など、誰もいなかった。


ルベルは、倒れた騎士たちを一瞥する。


その目に、感情はない。


そして踵を返し、ルミエルへ歩み寄ると、軽々と抱き上げた。


「褒めると言ったのはな」


静かな声だった。


「私の娘を守る力があると、証明したからだ」


騎士たちの空気が、凍りつく。


ルベルは、ルミエルを抱いたまま、視線を向ける。


「それに比べて、お前たちはどうだ」


声が、低く沈む。


「悪魔でありながら。


獣人である。


――戦闘向きでもない、猫の少年に敗れた」


一人一人に、言葉が突き刺さる。


「弛んでいるのではないか?」


その冷たさに、騎士たちの胸がひりついた。


元老側の騎士が、歯を食いしばり、震えながら声を上げる。


「しかし……これは、あまりにも……!


まともに訓練していけば、皆、強くなれます!」


ルベルは答えない。


ただ、地面へと視線を落とした。


そこには、まるで描かれた軌跡のように、


モミジが暴れた動線が、鮮明に刻まれている。


「強くなれる、か」


静かな声。


「ならば、緩い訓練など無意味だ。


もっと死ぬ気でやるべきだな」


一拍。


「今日のは、いい訓練になっただろう」


誰も、言葉を失った。


モミジの一方的な暴力は、


ルベルの口を通すことで――“訓練”へと姿を変えた。


「怪我の程度なら、控えている術師に任せればすぐ治る。

死ぬ気で挑めば、生き残る術も自然と身につく」


その言葉に、演習場の空気が一瞬で冷えた。

騎士たちは、誰一人として声を出せない。


「こんな……訓練、続けられ……」


震えた声が零れた瞬間、ルベルは遮った。


「続けられるさ」


淡々とした声。


「このモミジは、幼少期から死線の中で鍛えられてきた。

それに――私の娘も、お前たちより過酷な環境で生きてきた」


視線が、騎士たちをなぞる。


「自覚しろ。どれだけ甘やかされていたかをな」


ルベルは右手をわずかに動かす。

すると、控えていたエルが音もなく姿を現した。


「主君、なんの御用でしょうか」


「演習が甘かったようだ。

これから訓練内容を見直す。死人が出ないよう、治療師を常に配置しろ」


「かしこまりました」


それだけで話は終わった。


ルベルは、まだ状況を理解できず立ち尽くすモミジを、右手で抱え上げる。

扱いは、まるで荷物だった。


「重い。猫になれ」


命令に、モミジは逆らわない。

力なく猫へと変わり、尻尾と耳が垂れ下がる。


ぶら下がる小さな身体に、意思は感じられない。


その瞬間、モミジの意識に、見覚えのない景色が流れ込んだ。

断片的で、歪んでいて、現実と区別がつかない。


胸の奥に、混乱と恐怖だけが残った。


ルベルの腕の中で大事に抱えられたルミエルは、黙ったままモミジを見つめていた。


力なく垂れた耳と尻尾。

先ほどまでの暴威が嘘のような姿。


ルミエルの胸の奥が、静かに疼く。


その感覚に引きずられるように、古い記憶が浮かび上がった。

忘れていたわけではない。

ただ、普段は触れないようにしていたものだ。


冷たい視線。

背を向けられる感触。

言葉にならない孤独。


それらは、確かに自分のものだった。


モミジの中で起きている“異変”とは違う。

けれど、重なって見える何かがある。


ルミエルは、無意識に指先を握りしめた。

視線は、離れない。


理由は分からない。

ただ、目を逸らしてはいけない気がした。


ルベルは二人を抱え、そのまま執務室へと向かった。

モミジは微動だにせず、されるがまま運ばれていく。


一方ルミエルは、ルベルの横顔を見つめながら、胸の奥に重たい痛みを抱えていた。

この事態を招いた引き金が、自分だったのではないか――

その思いが、内心で何度も繰り返されていた。



執務室に着く。


ルベルは抱えていたモミジを、テーブルの上に無造作に置いた。

それからルミエルをソファへと導き、ゆっくりと腰を下ろさせる。


顔色の悪かったルミエルの顔は、さらに血の気が引いていた。


「さて……どこから説明してくれる?」


ルベルは二人を交互に見渡す。

室内には沈黙だけが落ち、誰も口を開こうとしなかった。


その時、後ろから付いてきていたエルが一歩前に出る。


「私が聞いた限りの話でよければ、説明できますが」


エルはルミエルとモミジへと視線を向ける。


――本当に、第三者に語らせていいのか。

その問いが、視線だけで投げかけられていた


ルミエルは、自分勝手に部屋を出てしまったこと。

その結果、騎士に絡まれたこと。


そして、モミジを止められなかったこと――

次々と浮かぶ後悔に、胸が締め付けられ、今すぐにでも消えてしまいたい気持ちに襲われる。


そんな中で、エルの一言が胸に響いた。


――逃げていては、いけない。


そう思った瞬間、ルミエルは無意識のうちに拳を握りしめていた。


「わ、わたしから……話す……」


震える声で、ルミエルは続ける。

「みんなに……迷惑をかけてるの……わたしだから……」


ようやく自分と向き合おうとした、その矢先に起きた今回のトラブル。


ルミエルは一度息を整え、ゆっくりと口を開いた。

語る覚悟を決めて。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ