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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

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43/45

牙が剥かれた朝


朝の演習場。

普段は活気に満ち、剣を交える金属音や声が飛び交う場所だ。

しかし今は、張り詰めた緊張が場を支配していた。


モミジは半獣の姿に変わり、猫の鋭い牙と爪が光を受けて輝く。

毛先が逆立ち、耳はピンと立ち、目には底知れぬ光が宿っていた。


それを見た騎士たちは指を差し、嘲笑を浮かべた。

「おいおい、なにその猫みたいな格好……本気か?」

「ははっ、なんだ、遊び気分かよ」

軽く笑いながら、嘲るような声が場を震わせる。


モミジの身体に熱が走る。

鼻先をかすめる緊張の匂い、爪先から伝わる戦意――笑い声を軽く見る騎士たちに、怒りと守りたい気持ちが渦巻いた。


騎士の視線がモミジの背後のルミエルに移った。

ルミエルはその冷たい視線を感じ、肌に突き刺さるようで額に汗が滲む。

モミジの額には、怒りの青筋が浮かんだ。


「それにしても、ルベル様はこういう拾い物、本当に好きだな」

「それって、どないいう意味や……まったく、ここにおる奴ら、性格悪すぎや!」


モミジの足に力が入り、跳ねるようなしなやかな動きで一気に騎士に詰め寄る。

驚いた騎士は動けず、剣を構えることさえできなかった。


「大口を叩く割には、反応できてへんや。」

騎士は剣を強く握り、刃先を小刻みに揺らす。

モミジはひらりと避け、背後に回る。


「今のは油断してただけだ……」

モミジは鼻で笑う。

「そうは見えへんよ」


背後の騎士もモミジを睨みながら嘲笑した。

「お前らみたいな底辺は、泥水でも舐めとけ」


その言葉が耳に届くたび、モミジの脳裏に断片的な映像が流れる。

鉄の匂いが鼻を刺し、冷たい檻の奥で震える黒髪の少年。

狭く暗い空間に、嗚咽と怯えた視線が重なり、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

騎士の罵声がどんどん遠くなる。目の前の現実よりも、過去の光景が鮮明になった。


知らない筈の子供の姿に、なぜか目が釘付けになる。

少年の前に立つ男の姿が、はっきりと浮かび上がった。


胸を殴られたような衝撃が、体の芯まで走る。

心臓が早鐘のように打ち、血が逆流する感覚。目の前の世界が揺れ、呼吸が一瞬止まる。


少年の檻の鉄の冷たさ、狭く暗い空間、嗚咽と怯えた視線――

すべてが、今ここに重なった。


目の前に立つ男――

戦闘用奴隷として少年を調教した男。

その顔と手つき、過去の痛みのすべてがモミジの脳裏に押し寄せる。


怒り、恐怖、復讐心。

それらが渦を巻き、体の隅々まで熱と圧力となって広がる。


モミジの瞳がぎらりと光り、体が硬直する。

全てが一気に繋がった――過去の痛みと、今目の前で繰り広げられる現実が、モミジの内側でぶつかり合う。


モミジの目は騎士を捉えているはずなのに、脳裏には、あの調教してきた男の姿が映る。

騎士が何かを話すたび、過去の声が断片となって脳にこだまする。


「おい!早く立て!弱ければ処分するだけだ」


体毛が逆立ち、体中の感覚が鋭敏になり、殺気が自然と滲み出す。

息が詰まり、血の流れまで熱を帯びるようだった。


「んなこと、言われんでも分かっとる……全部、殺せばいい……」


呟きが、理性を押しのける。

モミジの背後で、異変をいち早く察したルミエルが手を伸ばし、腕を掴む。


腕が引っ張られる感覚に、モミジは背後のルミエルを見た。


「なんや、そんな悲しい目で見ても…何も、終わらんやん…」


しかし、モミジの目に映るのはルミエルではなく、黒髪の少年が助けを求めるように縋りつく姿だった。


「そこで…見てみぃ、こいつら始末して、自由にしやる」


ルミエルが必死に声を紡ごうと手を伸ばすより早く、モミジは騎士に飛びかかった。


鋭い爪が一瞬で騎士の目を突き刺し、悲鳴が闇に引き裂かれる。

鎧の軋む音が響き、騎士はその場で膝から崩れ落ちた。


モミジの胸の奥では、長年押し込めてきた復讐心が黒く渦巻き、全身に熱と圧力となって広がる。

怒りが視界を染め、現実と過去の境界が消えかけていた。


ルミエルはモミジの腕を掴む。

揺れる力強い腕から、怒りと憎悪が容赦なく伝わってくる。

「モミジ…やめて…!」

モミジはルミエルの声が、耳に入って来なかった。


モミジの一方的な攻撃に、演習場の空気が一気に凍る。


騎士たちは剣を構える。だがモミジは、鋭い爪を人間の手に戻し、腰を低く落とし、自然と体が軸に乗る。

その瞬間、モミジの胸の奥で、どこか懐かしい感覚がざわめいた。


――こんな動き、前にも…あったような――


腕の角度、足の踏み込み、体の重心――すべてが無意識に連動し、彼はどの攻撃にも瞬時に対応できる。

騎士たちは目を見開き、息を呑む。


「なんだ、その構えは…」


見慣れない、どこにも隙がない立ち姿。

ほんの少しの動きで相手を翻弄できそうな体の使い方だけで、戦場の空気は張り詰め、誰も一歩も動けなかった。


演習場の空気が、一瞬で張り詰める。


「来ないのか…お前たちはオレを…殴るのが好きなんだな。」

モミジは軽く笑みを浮かべ、腰を落として体を軸に載せた。爪先で蹴り込み、しなやかに一気に前へ詰める。


最初の騎士が剣を振り上げた瞬間、モミジは腰を回し、体重移動で軽く弾かれるように避け、同時に相手の肩を肘で押し流す。

次の瞬間、低い構えから前蹴りを放ち、接近してきた別の騎士の胸を蹴り飛ばす。体の軸がぶれず、着地と同時に反転して別の敵へ。


三人目の騎士が手を伸ばしたが、モミジは腕を絡め、相手の力を利用して投げ飛ばす。地面に倒れた騎士の衝撃音が場に響き渡る。


モミジは軽く跳ね上がりながら体の軸を素早く切り替え、蹴りと肘打ちを連続させて距離を詰め、四人目の騎士の下半身を正確に狙う。


騎士たちは全員、剣を振るどころか足を踏み出すことさえできず、ただ身構えるしかなかった。


モミジの動きは静かで、しかし隙がなく、まるで体全体で攻撃と防御が同時に行われているかのようだった。


「な、なんだ…あいつ、ただの人間じゃないだろ…」

誰かの声が震えた。


モミジは軽く息をつき、腰を落としたまま相手を睨む。

目の前の騎士たちは、自分たちの力が無力であることを悟り、息を詰めて身動きできずに立ち尽くした。



「どうしたんだ…オレで遊んでるのか?弱すぎるだろ。」


その声に、モミジの瞳は騎士を捉えていなかった。

目の前に映るのは、少年時代に自分を徹底的に叩き込んだあの男――冷酷な調教師だった。


そして、次の瞬間。

モミジの復讐心が全身を支配した。


まず目の前の騎士の胸めがけ、鋭い前蹴り。呼吸も整わぬまま、肘で顔面を強打。剣を握った手はひねられ、関節が外れそうな勢いで床に叩きつけられる。


後ろから飛びかかろうとした二人目の騎士には、猫のように跳躍しながら回転蹴りを放つ。


足の爪先が相手の胸に突き刺さるように当たり、倒れ込んだ騎士は苦悶の声を上げる。


三人目が剣を振りかざすも、モミジは相手の腕を絡め取り、その勢いを利用して投げ飛ばす。


地面に叩きつけられた騎士の骨が軋む音が、演習場に鋭く響く。


四人目の騎士が逃げようと後退した瞬間、モミジは低い構えから飛び蹴り。


相手の膝を砕き、さらに肘打ちで側頭部を強打する。倒れ伏した騎士は呻き、もがきながらも身動きが取れない。


「これでも…まだ遊びか?」


モミジの声は冷たく、震えすらなかった。


最後に残った騎士二人が剣を構えたが、モミジの目はすでに少年時代の調教師を捉えていた。


その視線だけで、二人の心は凍りつく。


モミジの動きは静かで、しかし一瞬たりとも隙がなかった。


すべての攻撃は流れるようにつながり、騎士たちは恐怖に固まったまま倒れ伏す。


演習場は完全に沈黙し、残ったのは破壊された鎧と呻く者たち、そして復讐心に染まったモミジの冷たい瞳だけだった。


モミジが、残った二人の騎士へ息の根を止めるため、地面を強く蹴った――その瞬間だった。


騎士たちの背後、演習場の奥。


そこから黒い影が、視界を裂くような速度で迫る。


――速い。


そう認識した時には、すでに遅かった。


額を、何者かに掴まれる。


次の瞬間、視界が反転し、

背中に――凄まじい衝撃が叩き込まれた。


壁。


石壁に身体を押し付けられ、肺から息が強制的に吐き出される。

背骨に響く痛みと、圧倒的な力。


モミジの四肢は、びくりと跳ねたまま動かない。


――重い。

――逃げられない。


耳元で、低く、抑えた声が落ちる。


「……ここまでだ」


その声だけで分かる。

これは騎士でも、兵士でもない。


場の空気が、完全に変わった。


モミジの視界の端で、倒れた騎士たちが小さく震えている。

そして、掴まれた額越しに感じるのは――

怒りでも、殺気でもない。


圧倒的な“制圧”の気配。


演習場は、静まり返った。


――血と悲鳴の余韻を残したまま。


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