選ばれなかった輝き
肌寒い空の下――
ルミエルたちは街の中を歩いていた。
セラフィム導国で訪れた街とは違い、ここは白壁を基調とした建物が並び、どこか整いすぎている印象を受ける。
魔石を混ぜ込んだ外壁は淡く光を反射し、道の端には一定間隔で魔石灯が埋め込まれていた。
貿易街と聞いていたわりに、露店は少ない。
人の往来はあるが、活気というよりも整然とした静けさが漂っている。
「何か欲しいものはあるか?」
ルベルが歩きながら、隣のルミエルに声をかける。
ルミエルは少し考えるように視線を落とし、それから小さく首を横に振った。
その様子に、ルベルは一瞬だけ言葉を探すような間を置く。
後ろを歩いていたエルが、柔らかく声を添えた。
「アクセサリーなどはいかがですか?」
「そうだな。とりあえず、見てみるか」
三人は通り沿いの宝石店へと向かう。
歩く間も、ルミエルの肩はわずかに強張ったままだった。
寒さのせいか、それとも初めての土地への緊張か。
少し離れた位置から様子を見ていたモミジは、その変化を静かに見守っていた。
先ほど見かけた使用人の表情が、ふと脳裏をよぎる。
――気のせい、だろう。
そう自分に言い聞かせるように、モミジは視線を前へ戻した。
街は穏やかで、何事も起きていない。
少なくとも、今は。
モミジは、ルミエルの胸元に視線を落とした。
そこに留められているブローチから、微かに魔力を感じ取る。
――確かに、反応はある。
だが、ルベルやエルが身につけているものと比べれば、あまりにも弱い。
違和感を覚えたモミジは、軽やかに一歩踏み出す。
後ろ脚を縮め、そのまま跳ねるようにしてルミエルの前へと回り込んだ。
目の前に現れたモミジに、ルミエルは瞬きをひとつするだけで、身を引くこともなく立ち尽くす。
次の瞬間、モミジは口を伸ばし、ブローチをそっとくわえた。
「……モミジ?」
名を呼ばれても、抵抗する様子はない。
ただ状況を理解しきれないまま、されるがままに立っている。
その様子に、モミジは小さく喉を鳴らした。
口に咥えた瞬間、理解した。
――ない。
そこにあるはずの、あの微かな温もりが。
ブローチから伝わるはずの、穏やかな熱が、どこにも感じられない。
ただ冷たい金属の感触だけが、口元に残る。
その瞬間、点と点がつながった。
ルミエルの手が冷えていたこと。
かすかに肩を震わせていたこと。
それでも「寒くない」と、静かに首を振ったあの仕草。
――理由は、最初からそこにあった。
モミジは息を詰め、ブローチをそっと咥え直す。
胸の奥で、嫌な予感が静かに形を成していく。
これは偶然じゃない。
だが、今はまだ口にする時じゃない。
モミジは何事もなかったように身を引き、
ただひとつの確信だけを胸に刻んだ。
モミジは一瞬、ルミエルの方へ視線を向けた。
その視線を感じ取ったのか、ルミエルはゆっくりと顔を上げる。
感情の薄い瞳が、わずかに揺れ――そして、小さく首を横に振った。
拒むでもなく、肯くでもない。
ただ「今ではない」と告げるような、曖昧な仕草。
モミジはその意味を悟る。
口に咥えたブローチから伝わる魔力は、あまりにも弱かった。
本来あるべき温もりが、そこにはない。
(……違う)
そう確信した瞬間、モミジは静かに一歩、後ろへ下がった。
「おい、それを返せ。ルミエルが風邪を引く」
ルベルが手を伸ばす。
だがモミジは反射的に距離を取り、低く身構えた。
威嚇はしない。
だが、その場から退く気もない。
モミジは、ルミエルの意思を確かに受け取った。
次の瞬間――
ガリッ、と鈍い音が響く。
噛み砕かれたブローチが、力なく地面へ落ちていった。
それを見たルベルは、反射的に一歩踏み出した。
「――待て」
だが、その腕をすぐに掴んだのはルミエルだった。
「……だめ」
小さな声だったが、はっきりとした意志がこもっている。
そしてルミエルは、モミジの方へ視線を向け、ゆっくりと縦に頷いた。
その合図を受け取ったモミジは、ためらうことなく身を翻す。
次の瞬間には、人混みの中へと溶け込むように姿を消した。
「ルベル……だめ。私が、お願いしたの」
引き止めるようなその言葉に、ルベルの動きが止まる。
様子を見ていたエルが、一歩前に出て静かに告げた。
「確かに……ルミエル様が、モミジに指示していました」
ルベルは、ルミエルの理解しがたい行動に、思わず眉をひそめた。
「……なぜだ。どうして、あれを壊させた」
問いかける声は低く、抑えられている。
ルミエルは答えず、ただ視線を落とした。
指先がわずかに揺れ、やがてぎゅっと服の裾を握りしめる。
「……言えない」
その一言だけが、静かな空気に落ちた。
それ以上、何も続かない。
沈黙が重く横たわり、冷たい風がその隙間をなぞっていく。
ルベルは歯を噛みしめ、拳を強く握った。
何か言いたい。だが、言葉が見つからない。
その様子を見ていられず、エルが小さく息を吐く。
「……ひとまず、ここでは寒すぎます」
視線を前に向け、歩き出しながら続けた。
「宝石商へ向かいましょう。話は、それからでも」
誰も否定せず、ただその背に続いた。
宝石店の外観は、周囲の街並みに溶け込むように控えめだった。
だが一歩中へ入ると、宝石の煌めきが壁や床に反射し、静かな豪奢さが漂っている。
一目で、上流貴族しか足を踏み入れない店だとわかる。
店員はルベルの姿を認めると、目を見開き、慌てて深く頭を下げた。
「いらっしゃいませ。ヴェルファレイン様がいらっしゃるなら、事前にご一報いただければ――」
ルベルは軽く手を上げ、言葉を遮る。
「構わん。娘が寒がっている。個室を用意してくれ」
店員はルミエルへ視線を移し、その整った顔立ちに一瞬息を呑んだ。
そして、すぐに悟ったように深く頷く。
「ただいま、ご用意いたします」
店員が準備に向かうと、ルベルはルミエルの手を引いて店内を歩き出した。
ガラスケースの中には、色とりどりの宝石が静かに並び、淡い光を反射している。
ルミエルはそれをぼんやりと眺めていた。
「なにか、気になるものはないか」
ルベルの声は、いつもより柔らかい。
ルミエルは首を横に振りかけ――ふと、視線を止めた。
黒銀の縁に留められた、小さな赤い宝石。
くすんだような深い色が、静かに光を宿している。
その瞬間、胸の奥がひくりと揺れた。
あの日――初めて彼に救われたときに見た、あの赤い瞳。
ルミエルは、思わずその宝石から目を離せずにいた。
ルベルは、ルミエルのほんの僅かな変化を見逃さなかった。
一瞬だけ、揺れた視線。
そこに、確かに光が戻ったのを見た。
「……そうか」
それだけを呟くと、ルベルは静かに視線を外し、近くに控えていたエルを呼ぶ。
エルはすぐに歩み寄り、主の耳元で短く指示を受け取ると、無言で頷いた。
ほどなくして、店員が戻ってくる。
「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」
エルが一歩引き、ルベルとルミエルの進む道を空ける。
そのまま二人は個室へと案内され、エルだけが店内に残った。
案内された部屋のテーブルには、様々なアクセサリーが整然と並べられていた。
店員の指示で、ルベルとルミエルはソファーに腰を下ろす。
並べられた宝石はいずれも純度が高く、光を受けて澄んだ輝きを放っている。
ルベルは久しぶりに目にする質の良さに、わずかに目を細めた。
「よく、ここまで揃えたな」
一方で、ルミエルは宝石に視線を向けることなく、静かに座っていた。
その輝きが、彼女の心に届く様子はなかった。
ルベルはルミエルの反応を見て、眉をひそめた。
「……この様子なら、俺が選ぶ」
ルミエルは生気のない表情のまま、ゆっくりと頷く。
ルベルは彼女をまじまじと見つめ、
「ヘアアクセサリーはないのか。この娘に合いそうなものを持ってきてくれ」
そう指示すると、店員は静かにその場を離れた。
店員が部屋を出ると、室内は静まり返った。
宝石の並ぶテーブルの向こうで、ルミエルは変わらぬ表情のまま座っている。
その肩は細く、呼吸だけがかすかに伝わってきた。
ルベルは何も言わず、視線を外すことなく彼女を見守る。
――選ばせることが、必ずしも正しいとは限らない。
そう胸中で結論づけ、彼はただ待つことを選んだ。




