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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

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影の笑み

元老たちとの挨拶が終われば、外へ出る。

それが、最初に交わした約束だった。


けれど今は――その約束を守れるか、ルベルには分からない。


ここ数日、ルミエルはどこかおかしかった。

声をかければ応じるが、視線は合わず、感情の起伏も乏しい。

まるで、遠くに意識を置いたまま、体だけがここにあるようで。


そんな状態で外へ連れ出していいのか。

その判断が、ルベルにはつかなかった。


「ルベル様。外に出た方が、よろしいかと存じます。

ここは……ルミエル様にとって、あまり良い場所ではありません」


ばあやはそう言って、静かに視線を伏せた。

その声音に、確かな気遣いと迷いが滲んでいる。


ルベルは一瞬、言葉を失った。

この屋敷にいること自体が、あの子を追い詰めている――

そう告げられた気がして。


だが、悩みを抱えたまま立ち止まっていても、何も変わらない。


「……そうだな」


ルベルは小さく息を吐き、決断した。


「外へ出よう」


ルベルは、以前の外出先で起きた騒動を思い出していた。


「エルもついて来い。それと――モミジ。周囲の警戒を頼む。気づかれない程度でいい」


「了解」


ばあやはそのやり取りを聞き、軽く肩をすくめた。

「はいはい。私は疲れましたから、少し休ませてもらいますよ」


そう言って部屋を出ると、指示を伝えるためと、ルミエルの身支度を整えるために廊下を進んでいった。


執務室を出て、ルミエルの部屋に入る。


ソファに腰かけたまま、彼女は動かずにいた。

視線は宙を彷徨い、こちらを見ているようで、どこも見ていない。


その傍らに、無言で立つモミジ。

以前よりも一歩後ろで、けれど確かに“護る者”の立ち位置だった。


ばあやは、そっとルミエルのそばに歩み寄った。


「ルミエル様。前にお話ししていたお出かけ――行けることになりましたよ」


その言葉に、ルミエルの瞳がわずかに揺れる。

一瞬だけ、光が差したように見えた。


ばあやを見るその表情は、かすかにやわらいでいる。

けれどそれが、外へ出られる喜びなのか、

それとも――ただ、期待してしまった自分を誤魔化すためなのか。


ばあやには、まだ分からなかった。


ばあやが優しく声をかける。


「ルミエル様。外は寒いので、暖かくして出ましょうね」


ルミエルが立ち上がると、モミジは自然に右手を差し伸べる。

護衛としての慎重さと、彼自身の優しさがにじむ動作だ。


ルミエルはそっとその手の上に手を置いた。

そして、無言のままドレスルームへと導かれていく。


その間、ばあやの言葉とモミジの手が、ルミエルに小さな安心を与えていた。

外の寒さも、今は少しだけ遠く感じられる。


ルミエルは暖かい服に着替え、重い足取りでホールへ向かう。

モミジのエスコートは完璧で――ルミエルから他の使用人の目が届かないよう、自然な位置を取りながら歩く。


ホールに着くと、ルベルが待っていた。


「来たか。今日は貿易が盛んな街に行く」


ルミエルはこくりと頷く。

力のない頷きに、ルベルの眉がわずかに下がる。


「行くの、楽しみ……」


ルベルが手を伸ばし、ルミエルの手を握る。

ルミエルは無表情のまま、その手に手を置いた。

動作は自然だが、感情はほとんど表に出ない。


その間に、エルはモミジに周囲の警戒について説明する。

モミジは猫の姿になり、身軽に玄関を抜けて姿を消した。


エルはルベルとルミエルの半歩後ろを歩き、静かに馬車に向かう二人に付き従う。


玄関を潜り、三人は外に出た。

木々は枯れ、葉はすべて散り、風が冷たく肌を刺す。

曇天の空は鈍く、まるで世界そのものが、ルミエルの沈んだ心を映しているかのようだった。


ルベルは控えめに使用人へ声をかける。


「おい、そこの者。温度調整のできる魔石を持って来い」


使用人は“はい”と返事をすると、駆け足で去っていった。

その間、三人は馬車に向かい歩き出す。


冷たい風が通り抜ける馬車道で、ルミエルは無表情のまま足を運ぶ。



三人が馬車に乗り込むと、使用人が少し息を切らしながら戻ってきた。


手にはブローチの形をした魔石を握り、直接ルベル、エル、そしてルミエルに差し出す。


「ルミエル様には、私がお付けいたします」


その声は穏やかだが、口端がわずかに歪むのを、草むらに潜んだ猫姿のモミジは見逃さなかった。


低く身をかがめ、背中を地面に沿わせるようにして、ルミエルの隣に座るルベルたちを観察する。


周囲の草が揺れる音も、使用人の小さな足音も、全てモミジの耳に届く。


しかし、ブローチに異変はなく、表面は光を反射して何も異常を示さなかった。


モミジはわずかに尾を揺らし、眉をひそめる。


そのまま何もせず、ルミエルの傍に控える影となり、警戒を続ける。


馬車の静けさと冷たい風が、周囲の緊張感をさらに増していた。


三人を乗せた馬車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。

それを見届けると、モミジは軽やかに地を蹴り、屋根の上へと跳び乗った。


猫の姿でも、さすがにこの季節は堪える。

屋根を伝う冷たい風に、思わず耳を伏せ、身体を丸めた。


「……割に合わないな」


小さく鼻を鳴らしながら、尾を体に巻きつける。


とはいえ、馬車の中にいればぬくもりはある。

ブローチに仕込まれた魔石が、穏やかな熱を生み出しているのだ。


屋根越しに伝わる振動を感じながら、モミジは目を細めた。

中にいるあの三人より、こちらの方が気楽だとでも言うように。


馬車の中では、ルベルの隣にルミエルが座り、向かいにエルが腰掛けていた。


「……少し、風が入っているな」


ルベルはそう言って、違和感の正体を探るように視線を巡らせる。

ブローチのおかげで寒さは感じないが、肌を撫でる空気がどこか冷たい。


「そうですね……」


エルも同じように周囲を見回し、すぐに気づいた。


「ルミエル様の窓が、少し開いています」


そう言って立ち上がり、窓を閉める。


「寒くなかったか?」


ルベルが穏やかに問いかけると、ルミエルは小さく首を振った。


「……寒くない」


その声は静かで、はっきりとしていた。

けれど、膝の上で組まれた指先が、かすかに震えている。


ルベルはそれに気づかないまま、安堵したように微笑んだ。


「そうか。なら、いい」


馬車は再び、静かに進み出す。


その温もりの中で、言葉にされなかった寒さだけが、ひっそりと残っていた。



馬車は静かに揺れながら、目的地へと向かっていた。


中は静かで、外の冷気もほとんど感じられない。

暖かさを保つ魔石の力だろう――少なくとも、そう思えるほどには。


やがて馬車が止まり、御者の声がかかる。


ルベルは先に立ち、ルミエルへと手を差し出した。


「着いたぞ」


その手を取った瞬間、わずかな違和感が走る。


冷たい。


ほんの一瞬のことだったが、確かに指先が冷えていた。


「……寒かったのか?」


ルベルがそう尋ねると、ルミエルは一瞬だけ言葉に詰まり、すぐに小さく首を振った。


「そんな事ない……」


声音は穏やかで、表情もいつも通りだった。

だが、どこか視線が定まらない。


ルベルはそれ以上追及せず、手を引いて馬車を降りた。


――気のせいだろうか。


胸の奥に、ほんのわずかな引っかかりだけを残して。


ルベルは繋いでいた手を放し、険しい顔でエルを呼ぶ。


「ルミエルを頼めるか? 少し用事を済ます。」


エルはいつもより低い声と、表情を読み取り、一つ返事でルミエルを預かる。


ルベルは御者に無言で近づいた。目が合う――


御者はルベルの険しい顔つきを一瞥しただけで、全身の力が抜け、背筋が凍った。


二人はルミエル達の声が届かない、静かな馬車の隅へとゆっくりと移動する。足音一つも立てず、周囲には張り詰めた空気だけが残る。


「本家で働く者としての責任感が、あまりにも欠けているようだな」


その声は低く、冷たく、威圧の塊のように響いた。


御者は一瞬たりとも目を逸らさず、ルベルの視線の鋭さに耐えるしかなかった。


「な、なんのことでしょうか…」


御者の声はか細く、言葉の端々から震えが伝わる。その頼りなさに、ルベルの苛立ちはさらに増す。


「窓はどうして開けていた。しかも、ルミエルが乗る位置が――」


御者は肩をビクビクと震わせながら、目を伏せて答える。


「乗る前に換気していて…そのまま閉め忘れてしまい…申し訳ありません…」


ルベルは鋭い視線を御者に向ける。言葉は荒くないが、圧力は十分に伝わる――まるで刃物を向けられているような重さだ。


だが、これ以上問い詰めても仕方ないと判断し、ルベルは短く言った。


「分かった。もう行け。今後、同じことはするな。」


御者はうなずき、背を向けて馬車に戻る。その背中にルベルの視線は冷たく注がれる。


しかし、馬車に向かって歩き去る瞬間、ルベルに背を向けたその背中に、御者はかすかな笑みを浮かべた。誰にも気づかれぬ狡猾さ――次の機会を密かに狙うかのような、わずかな挑発を含んだ笑みだった。


馬車の屋根に座るモミジは、毛繕いをしながらも、馬車に向かって歩く御者の顔をじっと見つめた。

ルベルの後ろ姿を背に、御者の口元にはわずかに笑みが浮かぶ――その小さな悪意を、モミジは確信に変えていく。

屋敷から続く、使用人たちの悪巧み。次に何が起きるのか、影が静かに忍び寄っていた。


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