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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
金色の瞳の少女

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温もり

柔らかな日差しが窓から差し込む部屋の中、少女は壁際で小さく身を縮めていた。

頭の奥はまだ霞んでいて、目の前で交わされる言葉の意味はほとんど理解できない。

ただ、声のトーンや間合い、空気の張りつめた感じだけが胸に届く。


「ちょっと来い」


ルベルの声が、部屋の空気を切り裂いた。


少女はびくりと肩を跳ねさせる。


言葉の意味はわからない。


ただ、低く強い音だけが耳に刺さり、身体が先に反応した。


その様子に、エルがわずかに顔をしかめる。


「なんですか、主君……さっきは関わってほしくなさそうだったのに」


ルベルは答えず、視線だけを動かした。


壁際で小さく身を縮める少女を見る。


「起きてから、ずっとあそこか」


「……声は聞いたか?」


少女の耳に届くのは、意味を持たない音の塊だけだった。


低く、重く、胸の奥をざわつかせる圧。


エルはしばらく少女を観察し、静かに一歩距離を詰める。


「聞いてないですね。警戒して話さないだけじゃないですか?」


――警戒して、話さない。


その言葉も理解できない。


けれど、張りつめた空気と声の強弱が、胸を締めつける。


小さな身体はさらに縮こまり、指先が壁を強く掴んだ。


その中に、聞き慣れた音が混じる。


「産まれた時から奴隷だと。言葉なんて教えられないよな」


――奴隷。


その音を拾った瞬間、少女の全身が強張った。


意味は分からない。


ただ、痛みと恐怖に結びついた響きだということだけを、身体が覚えている。


「そりゃあ、そうですよ。奴隷にそんな事、いちいち――」


そこまでだった。


少女の呼吸が乱れ、視界が揺れる。


足元の感覚が、ふっと遠のいた。


「……っ」


崩れ落ちる小さな身体を、ルベルは即座に抱き留めた。


軽い。


腕に伝わる体温は、異様に熱を帯びている。


「熱がある」


即断だった。


「医者を呼べ」


命令が部屋に響く。


エルは頷き、すぐに踵を返して外へと向かった。


少女は、何が起きているのか理解できないまま、強く抱えられている。


腕の中で、小さな身体が震えている。


けれど――


胸の奥で、これまでにない感覚が、かすかに芽生え始めていた。


逃げなくていい。


痛みが来ない。


理由は分からない。


それでも、抱き留める腕の中で、少女は初めて“守られている”という感覚を覚えていた。


日差しは変わらず部屋に差し込み、暖かさと不安の入り混じった空気を包み込んでいた。


少女の呼吸は浅く乱れているが、その小さな生命は確かにここにある。


ルベルは少女を抱えたまま、ひとつ深く息を整える。


揺らさぬよう、慎重に腕を動かし、寝台へと歩み寄った。


柔らかなベッドに身を沈めさせると、少女はわずかに身を縮める。


その反応に、ルベルの胸がきしむ。


熱を帯びた体温が腕越しに伝わり、命の脆さを否応なく意識させられた。


「……ここだ。大丈夫だ」


言葉が通じるとは思っていない。


それでも、声を落としてそう告げながら、少女をそっと横たえた。


ほどなくして、エルが医者を連れて戻ってくる。


白衣を纏った人間が部屋に足を踏み入れた瞬間、少女はぎゅっと目を閉じ、体を小さく折りたたんだ。


見知らぬ存在への警戒心は、まだ強く残っている。


診察を終えた医者が静かに告げる。


「少し熱がありますね。無理は禁物です」


ルベルは短く頷き、少女の体勢を整える。


布団をかけ、熱を持つ小さな体を包み込むように手を添えた。


少女はぐったりとしているが、意識はまだある。


半ば閉じた瞳の奥で、怯えが消えきらないまま揺れていた。


ルベルは息を殺し、ゆっくりと手を伸ばす。


その指先が、少女の頭にそっと触れた。


次の瞬間、少女の体がこわばる。


――叩かれる。殴られる。


そう刷り込まれた記憶が、条件反射のように身体を支配した。


小さな手が布団を握りしめ、体が丸まる。


呼吸が荒くなり、胸がせり上がる。


ルベルはすぐに気づき、動きをさらに緩めた。


力を抜き、ただ触れているだけの距離を保つ。


「大丈夫だ。痛くない」


低く、柔らかな声で繰り返す。


言葉ではなく、間と温度で伝えるように。


少女は目を閉じたままだが、わずかに肩の力が抜けていく。


恐怖の予兆ではない――


“守られている”という感覚が、胸の奥に静かに芽生え始めていた。


ルベルはそのまま離れず、熱を帯びた小さな体を包むように見守る。


昼の光が窓から差し込み、部屋を穏やかに照らしている。


少女はまだ言葉も理解できず、恐怖と警戒心も残っている。


それでも、生まれて初めて触れた優しさと温もりに、身体の震えは少しずつ和らいでいった。


――命を抱く感覚。守るという実感。


初めて味わうそれが、少女の内側に小さな安堵を生み出していた。


「……これは、かなり重症ですね」


エルの声が静かに落ちる。


眉をわずかに寄せ、ベッドの中で体を丸める少女を観察していた。


「そんなことは見ればわかる」


ルベルは短く吐き捨てる。


布団ごと小さな体を引き寄せ、見下ろした瞬間、無力さと苛立ちが胸に渦巻いた。


ベッドに横たわる少女の肩は微かに震え、頬は熱を帯びて赤い。


唇はわずかに開き、浅く早い呼吸が布団をかすかに揺らしている。


ルベルの表情に、抑えきれない苛立ちが滲む。


「殺気は抑えてください。こういう子は敏感なんです。


……主君とは違いますから」


エルが釘を刺す。


少女はまぶたを閉じたまま、ほんの僅かに眉を動かした。


外の世界への警戒は、まだ解けていない。


「それにしても……この子、何歳くらいですかね。


見た感じ、三歳くらいにも見えますが」


体の小ささ、幼い輪郭、細い手足――


エルは視線で測るようにしながら首を傾げる。


「……五歳前後だろう」


ルベルは淡々と答えた。


「大きくなった、と言っていた」


布団越しに抱き寄せる腕が、自然と少女を包み込む。


額に、肩に、そっと手を添え、荒く熱を帯びた呼吸を支えるように。


閉じたまぶたの奥で時折眉が揺れ、全身が小さく震えている。


赤く火照った皮膚、腕や脚に残る無数の痕。


ルベルは無意識に眉をひそめた。


この幼い体に、何の躊躇もなく刻まれてきた痛みを思い、胸の奥が焼ける。


――二度と、誰にも触れさせない。


その決意が、掌に静かな力を宿らせる。


エルは肩や手首をそっと確かめ、静かに言った。


「熱もありますし、脱水の心配もありますね。


しばらくは安静に。温めながら様子を見るしかないでしょう」


少女は目を閉じたまま、布団の中で体を丸める。


かすかな震えだけが、そこにある命の弱さを物語っていた。


熱に霞む意識の奥で、少女は遠くの声を拾う。


「……名前をつけた方がいいと思うんですよ」


エルの声が、静かに落ちる。


「苦しい時ほど、名は大切ですから」


意味は分からない。


少女は半ば閉じた瞳で、ただ声の方を見る。


――なまえ。


音だけが、熱に霞む意識の奥で揺れた。


「確かに、不便だな」


ルベルの声は低く、落ち着いていた。


その響きに、胸の奥の警戒が、ほんの少し緩む。


「……よし。なら、この子に名前をつけよう」


少女は反射的に身を縮める。


けれど、そこに脅威はなかった。


ルベルが、はっきりと告げる。


「この子は――ルミエルだ」


――ル……ミ……エル。


意味は分からない。


それでも、その音は柔らかく胸に残った。


ベッドの上で、ルミエルは熱に浮かされながら、微かに意識を繋ぎ留めていた。


遠くから、何度も呼ばれる音が耳に残る。


――ルミエル。


その名が、何度も、何度も呼ばれる。


最初は、ただの音の連なりにすぎなかった。


けれど呼ばれるたび、胸の奥がわずかに揺れる。


――これは……私のこと?


思考は熱に溶けて曖昧なのに、その音だけは不思議と心に届いた。


ゆっくりとまぶたを持ち上げる。


見慣れない部屋。


そして、二人の男がこちらを見ていた。


紅い瞳の男――ルベル。


銀髪の男――エル。


ふたりの口が、確かに同じ音を形作っている。


「……ルミエル」


その瞬間、ルミエルの視線が、ゆっくりと彼らへ向いた。


焦点は定まらない。


それでも、確かな反応だった。


「……反応、ありましたね」


エルが小さく息を漏らす。


「理解したんじゃないですか?」


ルベルは腕を組んだまま、わずかに口角を上げた。


「元々、察しのいい子だ。すぐに分かる」


その声音は自信に満ちていながら、どこか誇らしげで柔らかい。


その空気を切るように――


ルミエルの腹が、小さく鳴った。


静かな部屋に、控えめな音が響く。


ルベルが一瞬目を瞬かせ、


エルは吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。


「……食べ物、持ってきます」


笑いを堪えながら、エルが立ち上がる。


「頼む。胃が受け付けないかもしれん。消化のいいものにしろ」


ルベルの声は低く穏やかで、気遣いがにじんでいた。


ルミエルは、そのやり取りをただぼんやりと見つめる。


言葉は分からない。


けれど、穏やかな声と空気に、胸の奥がほんの少し温まる。


やがて、階下からふわりと香りが漂ってきた。


肉でも魚でもない、


けれど心を落ち着かせる、やさしい匂い。


誘われるように、ルミエルはゆっくりと目を開ける。


半ば無意識のまま、上体を起こした。


「……どうした。無理するな」


すぐに気づいたルベルが、ベッド脇に歩み寄る。


何か言おうとして、喉が鳴る。


声にならない代わりに、視線だけが扉へ向かった。


その瞬間、扉が静かに開く。


銀の髪を束ねたエルが、木製のお膳を両手で運んでいた。


湯気の立つスープの香りが、部屋いっぱいに広がる。


「匂いで起きたのか?」


冗談めかした声に、


ルミエルはぼんやりと彼を見つめ、こくりと頷いた。


「はは……食欲が戻ったなら上等だ」


エルは上機嫌に言い、お膳を棚に置く。


器が木に触れる、軽い音。


湯気の向こうで、


ルミエルの頬にわずかに血色が戻り始めていた。


ルベルは椀を取り、匙ですくう。


軽く振って熱を逃がし、ベッド脇に腰を下ろした。


「少しでいい。飲めそうか?」


問いかけに、返事はない。


瞳はスープを追っているのに、唇は固く閉ざされたまま。


――怯えているのか。


それとも、まだ疑っているのか。


ルベルは短く息を吐き、


そして、ふっと口角を上げた。


「……なら、食べないなら俺が貰うぞ?」


わざとらしく匙を自分の口元へ運ぶ。


その仕草に、


ルミエルの肩がびくりと跳ねた。


次の瞬間、小さな手がシーツを這い、


ルベルの裾をぎゅっと掴む。


揺れる視線。


震える唇。


やがて、指先が自分の口元を、ちょん、と指した。


「……」


声はない。


けれど、意味ははっきりしていた。


ルベルの表情が、柔らかく崩れる。


「そうか。なら最初からそう言えばいい」


匙をもう一度すくい、ゆっくりと唇へ運ぶ。


今度は、拒まなかった。


スープが口に流れ込み、


ルミエルの喉がかすかに動く。


あたたかさが、体の奥へ染み込む。


小さく息を吐き、まぶたが震えた。


「……よし。偉いな」


その声には、安堵と誇らしさが混じっている。


ルミエルは何も言わない。


ただ、裾を掴む指の力を、ほんの少し緩めた。


匙が運ばれるたび、


瞳の色が、ゆっくりと落ち着いていく。


昼の光が窓から差し込み、


金色の瞳の奥に、小さな輝きを灯す。


「……もう少し、飲めるか?」


問いかけに、


ルミエルはわずかに首を傾け、口を開いた。


その無言の応えに、ルベルは小さく笑う。


「いい子だ」


そのたびに、


彼の中の何かが、静かに変わっていく。


義務でも、同情でもない。


ただ、守らなければならないという衝動。


やがて器は空になり、


ルミエルは満足したように目を閉じた。


寝息を確かめ、


ルベルは毛布を整え、乱れた髪にそっと触れる。


その瞬間、身体がびくりと強張る。


――叩かれる。


だが、痛みは来ない。


代わりに、手のひらのぬくもりが、やさしく包む。


――あたたかい。


それが何なのか、まだ分からない。


けれど、胸の奥が少しだけ軽くなる。


ルベルは静かに息を吐き、立ち上がった。


「……少し休ませよう」


「はい。主君も」


最後に一度だけ振り返る。


柔らかな光の中、


ルミエルの寝息は穏やかだった。


その姿は、


かつての戦場の記憶を遠ざけるほどに、静かで、安らかだった。

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