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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

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ルベルの葛藤

屋敷に戻ってから、まだ一日しか経っていない。

それでもルベルの胸の内は、ひどくざわついていた。


焦燥と怒りが絡み合い、胸の奥に沈殿している。

理由は分かっている。

――ヴァーミリオンだ。


あの男の声、視線、含みを持たせた笑み。

思い出すたび、内側から熱がこみ上げ、思考を乱す。


眠ろうと横になっても、まぶたは重くならなかった。

暗闇の中で、天井を見つめながら、何度も寝返りを打つ。


――なぜ、あの場で何も言えなかった。

――なぜ、あれほど苛立っている。


答えは浮かびそうで、形にならない。


夜が白み始めた頃、ようやく諦めて体を起こした。

眠っていないのに、時間だけが過ぎている感覚が、不快だった。


窓の外は静まり返り、屋敷はまだ眠っている。


その沈黙が、かえって胸を締めつける。


しばらくして、控えめなノックが響いた。


「失礼いたします」


エルの声だ。


ルベルは小さく息を吐き、答える。


「……入れ」


扉が開き、いつも通りの表情でエルが入室する。



エルは驚いた顔をした。


「病気になったんですか?」


その一言で、胸の奥に溜まっていたものがざわりと動く。


「……なにが言いたい」


声は低く、感情を抑えきれていなかった。


「主君がこの時間に起きていたので、驚いたのです」


普段なら、まだ夢の中にいる時間だ。


ルベルは小さく息を吐き、重たい身体を起こしてベッドに腰掛ける。


「わかった……それで、今日の予定は?」


エルは、朝方まで整理していた書類を思い出すようにして答えた。


「予算案と使用人の見直しです。それから……元老たちから、面会の申請が上がっています」


その言葉に、ルベルはこめかみに指を当てた。


「……そうなるのは、分かっていた」


低く吐き捨てるように言い、寝不足の身体を引きずるように立ち上がる。


支度をしながら、窓の外に目をやった。


差し込む朝日がやけに眩しい。


こんなにも、憎らしく感じる朝は久しぶりだった。



身支度が終わると、エルと二人で執務室へ向かう。


廊下を歩けば、使用人たちは一様に頭を下げた。

その表情はどこか強張っており、必要以上の緊張が張りついている。


ルベルはその様子を見て、別荘にいた穏やかな使用人たちの顔を思い出した。


「……別荘の使用人たちは、ちゃんとルミエルについているんだろうな」


「はい。ルミエル様に関わることは、すべて別荘にいた者たちに任せています」


ルベルは軽く頷いた。


「ここにいる使用人たちは……信用できんからな」



そのまま執務室の扉を開ける。


中では、ソファに寝そべった金髪の男が待ち構えていた。


その姿を見た瞬間、ルベルは深く息を吐く。


「勘弁してくれ……俺はお前に構ってる暇はない」


男は寝そべったまま、顔だけをこちらへ向けた。


「俺だって来たくて来たわけじゃない」


その軽い口調に、エルの眉がぴくりと動く。

彼は一歩近づくと、遠慮なく男の腕を掴んで引き起こした。


「その態度は何ですか、イオラン様」



無理やり起こされたイオランは、力なく背もたれに身を預けた。


「エルも元気そうだな」


その気の抜けた声音に、ルベルは苛立ちを隠すように足先をわずかに動かす。


「……わかったから。早く要件を言え」


「相変わらず短気だな、若様。

いやね、じいさんどもがうるさくてさ。養子の子供に会わせろって」


エルは静かにイオランを見やった。


「今すぐは無理です。主君の仕事も溜まっていますし……それに、ルミエル様にはまず屋敷に慣れていただく必要があります」


その言葉に、イオランは少し顎に手を当て、考え込むような仕草を見せた。


「ふぅん……じゃあ、五日後はどうだ?

実は俺も、ちょっと興味があってな」


その瞬間、ルベルが間髪入れずに言葉を重ねる。


「会わせる気はない。

……先生も、お前も、どうしてそんなにルミエルに執着する」


イオランは呆れたように肩をすくめた。


「気にするなって方が無理でしょう。

あの気難しくて冷徹な若様が――その子にご執心だなんて聞かされたら」


わざとらしく間を置き、口元に薄い笑みを浮かべる。


「誰だって、気になりますよ」


その言葉に、エルは小さく息を吐いた。


「……ええ。私も最初は驚きました」


視線を伏せ、ほんの一瞬だけ考え込むように間を置く。


「ですが、今は……そうなるのも無理はないと感じています」


二人はふと、ルベルの方を見た。


わずかに赤くなったその顔に、エルは思わず吹き出しそうになるのを堪える。


イオランは、珍しいものでも見たかのように目を見開いた。


「おやおや……若様。まさか、照れてるんですか?」


その一言に、ルベルはぴくりと肩を震わせる。


「……照れてなどいない」


声は低いが、どこか必死だ。


「それよりもだ!

ルミエルにお前たちを会わせる気はない。さっさと帰れ」


話題を無理やりねじ伏せる。


帰れと言われて、素直に従うイオランではなかった。


「……まあまあ、そう邪険にしないでくださいよ」


そう言って、懐から一通の封書を取り出す。


「これを渡しに来ただけです。タリウスさんから」


その名を聞いた瞬間、ルベルの眉がわずかに動いた。


「……あいつか」


エルが無言で視線を向ける中、ルベルは無造作に手紙を受け取り、封を切る。


紙の擦れる音だけが、室内に響いた。


―――――


ルベル・ヴェルファレイン様


若様はきっと、養子に迎えたその子を

私たちに会わせるおつもりはないのでしょう。


ですが――

老人の戯言として、ひとつだけ聞いていただければ。


挨拶のないままでは、その子は本家に受け入れられません。

後を継ぐにせよ、嫁がせるにせよ、

顔も知らぬ者に忠誠を誓う者はいないのです。


家臣の心を得られぬ者は、いずれ孤立します。

追い出されるか、追い詰められるか――

それは環境が決めることでしょう。


もちろん、この場で全てが解決するとは申しません。

ですが、禍根を残さぬためにも、

一度きちんと“お披露目”なさるのが賢明かと。


老いぼれの戯言と思って、聞き流していただいても構いません。


――エルヴィアン・タリウス


―――――


読み終えた瞬間、ルベルの指がきしりと音を立てて紙を握り締めた。


「……っ」


言葉にならない苛立ちが、胸の奥で渦を巻く。


イオランはその様子を眺めながら、肩をすくめた。


「ま、あの人らしいですよね。

正論ぶって、ちゃんと刃を仕込んでくる」


ルベルは顔を上げず、低く吐き捨てる。


「……脅しだな」


「ええ。しかも“正しい顔”をした脅しです」


その言葉に、ルベルの表情がわずかに歪む。


ルミエルの姿が、脳裏をよぎった。


――守ると決めたはずなのに。


「……ふざけるな」


小さく、しかし確かな怒りを孕んだ声が、執務室に落ちた。



「エルはどう思う……」


「手紙の内容どおりであれば、です。

先生はすでに動いていますし、参加しなければ……他の元老方も動くでしょう」


エルはそこで言葉を切った。

それ以上は、言わずとも伝わる。


ルベルはゆっくりと視線を上げ、イオランを見据える。


「お前の意見は」


イオランは肩をすくめ、気だるげに息を吐いた。


「若様、こう見えても俺も元老の一人ですからね。

顔も知らない子供を、無条件で信用はしません」


そう言ってから、ほんの少しだけ声を落とす。


「……ですが、だからといって、手を出すつもりもありませんよ」


掴みどころのない彼の態度からしても、このまま放置しておける状況ではない。


ルベルは小さくため息を吐いた。


「……わかったよ。ダリウスがわざわざ手紙を寄越すくらいだ。

顔は出すしかないだろ」


そう言って、諦めたように肩をすくめる。


イオランはその様子を見て、満足そうに口の端を上げた。

そしてソファーから立ち上がり、執務室の扉へ向かう。


「じゃあ、じいさん達には俺から伝えておきますよ。

若様は準備でもしててください」


ドアノブに手をかけ、軽く振り返る。


「場所は会議室。時間は……九時頃でいいですね」


二人は、イオランが部屋を出ていくのを黙って見送った。

扉が閉じる音が、やけに大きく響く。


しばらくして、ルベルは深く息を吐き、椅子の背にもたれかかった。


「……帰って来なければよかった」


吐き出すような声だった。


別荘で過ごした、何も考えずにいられた日々。

あの静けさが、胸の奥で鈍く疼く。


エルは何も言わず、手にしていた書類を机の上に置いた。

整えられた紙の端が、わずかに震える。


「教会とうまくやれていれば……戻る必要はありませんでしたね」


一拍置いて、視線を上げる。


「……あの別荘、本当に手放すおつもりですか」


ルベルは即座に答えた。


「いい。あそこはもう知られた。置いておくだけで厄介だ」


それきり言葉を切り、少し間を置く。


「……だから、連れてきた」


視線が、窓の外へ向く。


「置いていけば、行き場を失うやつが出る。

それだけだ」


淡々とした口調だったが、エルは知っている。

あの別荘にいた者たちの多くが、身寄りを失った者や、戦火に残された子どもたちだったことを。


切り捨てることもできた。

それでも、しなかった。


それが――ルベルという男だった


「かと言って、本邸にいつまでも置くつもりもない。

新しい別荘を建てる。次は海辺がいい」


そう言って、ルベルは短く息を吐いた。


「ラストアップしてくれ」


その言葉に、エルはわずかに口元を緩める。

そして静かに頭を下げた。


「承知しました。すぐに探します」


エルが部屋を出ていくと、執務室には再び静けさが戻った。

窓の外からは、遠く人の行き交う気配と、穏やかな昼の光が差し込んでいる。


ルベルは机に肘をつき、指先で額を押さえた。


まだ日は高い。

だが、すでに一日分の重さが肩にのしかかっている。


これからまた、次の判断が待っている。

それでも今は――ほんのわずかでも、思考を止める時間が欲しかった。


彼は椅子にもたれ、静かに息を整える。


嵐の前の、束の間の静寂。

ルベルの一日は、まだ終わらない。


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