値踏み
元老たちはすでに席についていた。
誰ひとり口を開かぬまま、ただ視線だけが室内を支配している。
冷え切った沈黙が、重く横たわっていた。
やがてブラインが一歩前に出る。
「皆様がお揃いですので、挨拶に移らせていただきます」
彼が公爵の名を告げようとした、その瞬間――
「お待ちいただこう」
低く抑えられた声が、静寂を切り裂いた。
ヴァーミリオンだった。
「召集したのは我々だ。名乗る順も、こちらが決める」
ブラインは言葉を止め、静かに一礼する。
元老たちの間に、わずかな優越の色が浮かぶ。
「グラヴェル・ヴァーミリオンと思います。ルミエル様もどうかお見知り置きお」
ヴァーミリオンはやっと、ルミエルを意識した。
ルミエルの向ける鋭い目は、警戒に満ちている。
次に、ヴァーミリオンの隣に座る男が口を開いた。
白銀の長髪に、漆黒の鋭い瞳。
重厚なローブを身に纏い、左手には家紋入りの指輪。
その佇まいから放たれる威圧感は、ヴァーミリオンをも凌いでいた。
重く低い声が、部屋に響く。
「私はアラステア・ヴェルディアンと申します。――お嬢様が、どのような方かと楽しみにしておりました」
あくまで表向きの挨拶。
しかし、声の抑揚と視線には冷たさが滲んでいた。
ルミエルは直感的に理解する。
――自分は、受け入れられていない。
ルベルは蔑む口調に、わずかに表情を歪めた。
その変化を見逃さなかったのは、ヴァーミリオンの向かいに座る元老だった。
中性的で整った顔立ちの男は、一度視線を巡らせ、やがて穏やかな声を出す。
「君たちは、もう少し言い方というものを考えられないのかね」
責めるでも、庇うでもない。
ただ、場を諫めるだけの声音だった。
男は青い瞳で静かにルミエルを見る。
敵意も好意も読み取れない、淡い視線だった。
席を立ち、軽く一礼する。
その拍子に、短く整えられた緑の髪が揺れた。
「お嬢様。私はエルヴィアン・タリウスと申します」
その声は柔らかく、張り詰めた部屋の空気をわずかに緩めた。
だが瞳には、現当主であるルベルの父への忠誠と、ルミエルへの警戒の両方が滲んでいる。
肩入れすべき相手を静かに測っている様子も、青い瞳から読み取れた。
ルミエルも小さく頭を下げる。
緩みかけた空気を切り裂くように、張りのある声が響いた。
声の主は、タリウスの隣に座る筋肉質の男だった。
「なんだ。次の当主候補は、ずいぶんと弱そうだな」
赤い瞳が獣のようにルミエルを射抜く。
捕食者に睨まれたかのような圧に、ルミエルは思わず身を強張らせた。
「お? やるか? 交戦的な奴は、俺は嫌いじゃないぞ」
挑発的な言葉に、ルベルは小さく息を吐く。
強者のルベルには従い、弱者のルミエルには矛先を向ける――
その態度は、潜在的な野心を漂わせていた。
「……早く、俺の娘に挨拶しろ」
冷えた空気に居心地の悪さを覚え、筋肉質の男は赤い髪を掻く。
「わかったよ。カリオス・レヴァントだ。――寝首を掻かれないよう、気をつけるんだな」
ルミエルの背筋が凍った。
挑発的なレヴァントの隣で、小柄な男が口を開く。
場の空気とは噛み合わない、ゆったりとした調子で。
「君は、どうしてそんなに挑発的なんだ」
元老の中では最も若い男。
緑の瞳は落ち着き、周囲の変化を見逃さぬよう静かに巡らせている――
その視線は、大人たちではなくルミエルへと向けられていた。
「それに……娘さんは少し変わっているね。何をそんなに怖がっているんだい?」
室内の空気がわずかに沈む。
誰もが一瞬戸惑い、そしてすぐに理解した“つもり”になる。
威圧感を隠そうともしない大人たちの前で、幼い子供が怯えるのは当然のことだ。
ただ一人、小柄な男だけが、ルミエルの視線や微かな反応を観察していた。
ルベルは「またか」と言いたげに深く息を吐く。
「当たり前だろう。お前たちの顔が怖いから、怯えているんだよ」
冷えた声が、はっきりと言い切った。
「……そうじゃない」
小柄な男は一瞬だけ言葉を選ぶように間を置く。
「この子、あまり良い環境にいたようには見えないけど……まぁ、今はいいや。
私はヴェルミス・イオランだ」
金髪の奥に隠れた緑の瞳は落ち着き払ってルミエルを見据えている。
忠誠心や媚びはなく、自分の基準で物事を見極める態度が宿っていた。
ルベルやタリウスに対しては、必要があれば従う線引きを持つ。
ルミエルに対しては、興味と観察心が優先されていることが自然に伝わる。
ルミエルは視線を外せず、胸の奥がざわつき、心臓の鼓動が早まった。
背中には冷たい汗が滲む。
ルベルは膝の上に座り、ルミエルの代わりに紹介した。
「この子がヴェルファレイン家の養子になったルミエルだ。皆様にはお世話になることもあるだろう。」
ルミエルは名前を呼ばれると、思わず肩をすくめ、小さくお辞儀をした。
目を泳がせながら周囲を見渡し、息を詰めるように震える唇で声を絞り出す。
「よ、よろしく…お願いします…」
ほんのわずかに手を握りしめる仕草が、緊張と不安を物語っていた。
ヴェルディアンはルベルへと視線を移し、その真意を測るように見据えた。
「若様は、なぜこの子を養子に取られたのですか。
この子が“人間”だと知ったうえで引き取る――
それがどういう意味を持つのか、お分かりですか?」
確信を突くその問いに、最初に反応したのはルミエルだった。
胸の奥が、ひくりと強く揺れた。
「わかっている。
ルミエルを当主にするかどうかは、まだ決定事項ではない。
だが、当主になったとしても問題はないだろう。この国の王も人間だ。政治的にも、うまくやれるはずだ。」
ルベルは、心のどこかで迷いを抱えながらも、ルミエルを当主にする決定を下さなかった。
ヴェルディアンはルベルの迷いを、一瞬で見抜いた。
「いえ、若様。わかっていません。
たとえ遊び半分で養子に迎え入れたとしても、周囲は自然に当主候補として見ます。それに、この国を治めるのが人間であっても、ここに住むのは悪魔です。
誰も、人間の統治を素直に受け入れることはないでしょう」
ルミエルは話を聞いているだけで、気持ちが沈んだ。
ルベルも、ヴェルディアンの発言を許せなかった。
タリウスは、そんなルベルの心境を気にかけるように視線を送った。
「今は当主にする気はないということですので、養子に迎え入れた理由を聞きましょう」
ピリついた空気が、少しだけ和らいだ。
ルベルは仕切り直すように軽く咳払いをした。
「ルミエルに才能を見出したのだ。将来への投資というやつだ」
ルベルは敢えて、元老たちが好みそうな言い回しを選んだ
しかし、言葉を口にした瞬間、
胸の奥に、鈍い違和感が走った。
ルミエルもまた、ルベルの一言が胸に突き刺さった。
理解できてしまうからこそ、判断ができなかった。
言葉がわかるようになってから、戸惑うことがある。
声音や雰囲気からは、嫌な感じはしない。
むしろ、穏やかですらあった。
なのに、口にしたのは――「投資」だった。
それは、ルミエルにとって
あまりにも、辛い言葉だった。
私のこと……そうやって……。
違う。
これは、見捨てられる話じゃない。
ルミエルの思考を遮るように、イオランが割って入った。
「投資って……若様、それはちょっと無理のある言い訳ですよ。
まあでも、投資って言えるほどの“何か”は、本当にあるんでしょうね」
場の張り詰めた空気とは裏腹に、
まったりとした口調が、部屋に溶け込む。
冗談めかしてはいたが、
その言葉には、確信が滲んでいた。
ヴェルディアンは、イオランの茶化した口調に、指先で額を抑えた。
「あなたが話に入ると、ややこしくなります。
少し黙っていてください」
イオランは「分かりましたよ」と両手を上げる。
そのまま手を頭の後ろで組み、テーブルに足を乗せた。
――まるで、黙る気などないというように。
「ある」
ルベルの短い言葉が、妙に強く響いた。
それに反応したのは、ヴァーミリオンだった。
「それは、聞かせてもらいたいな」
ルベルは、膝の上で小さくなっているルミエルへと視線を落とす。
わかっていた。
自分の一言が、どれほど彼女を傷つけているのかも。
その言葉一つひとつを、どれほど気にかけているのかも。
ルミエルの身体が、わずかにぴくりと反応するたび、
その分だけ、ルベルの胸も軋んだ。
「先生は、教会での出来事をご存じでしたね。
その顛末についても、把握しているのですか?」
ヴァーミリオンは、ルベルの膝に座るルミエルを睨みつけた。
その鋭さに気づき、ルミエルは思わず身を強張らせる。
逃げるように、イオランのいる方へ視線を逸らした。
視線が、交わる。
イオランが、にこりと笑った。
――そのやり取りを断ち切るように、
ヴァーミリオンの鋭い声が、部屋に響いた。
「もちろんだ。その子が教会に連れて行かれそうになった。
若様が止めに入ったのだろう」
ヴァーミリオンの言葉は、棘を含んでいた。
一つひとつが、確実にルミエルの胸へと沈んでいく。
彼女の視線は、完全に床へ落ちている。
「それでは、俺の我儘で教会を潰したということか?」
ルベルは、ヴァーミリオンを半ば脅すような口調で言った。
張り詰めた空気の中に、レヴァントが声を挟む。
「それなら、俺も聞きましたよ。さすがです。
一瞬で瓦礫に変えたとか。
……ちなみに、どんな魔法を使ったんです?」
ルミエルは、その時の光景を思い出していた。
気づけば、ぽつりと声が零れていた。
「……風で、火を送って……
火属性に、穢魔を……
それから……火を、圧縮して……
内側から……爆発させた」
途切れ途切れの、か細い声。
それでも、はっきりとした内容だった。
ルベルも、元老たちも、言葉を失う。
――驚いたのだ。
この小さな身体から語られたものに。
――見ただけで、どんな魔法が使われたのかを理解していたということになる。
火属性と穢魔であることは、見た目から判断できる。
だが、風魔法を介して火を送り、
内側から圧縮し、爆発させた原理までは――
外から見ただけでは、まずわからない。
ましてや、それを正確に把握するなど、
小さな子供にできることではない。
それでも、ルミエルは理解していた。
無意識のうちに、すべてを。
その事実が、
静かに、重く、
その場に残された。




