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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
帰国編

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34/40

一人じゃない

執務室に、張り詰めた空気が満ちていた。

――その静寂を破るように、扉が開く。


現れたのは、ヴァーミリオンだった。


彼は部屋の隅々まで視線を滑らせ、最後にルベルへ視線を止める。

目が合った瞬間、ふわりと表情が和らぎ、穏やかすぎる笑みを見せた。


――さきほどルミエルに向けた、あの軽蔑の笑みとは正反対のもの。ルベルはその笑顔に、むしろ危機を覚えるように姿勢を正し、椅子に座り直した。


「……先生。来ていたのですね」

その呼び方だけは、今も体に染みついている。


“先生”と呼ばれたヴァーミリオンは、わずかに目を細めて嬉しそうにする。


「若様に先生と呼ばれるとは……これはこれで悪くない。

ところで、エルはきちんと務めを果たしているのか?」


向けられた視線に、エルは静かに頭を下げ、礼を返す。


「おかげさまで。先生のご指導もあり、主君との連携も上手くいっています」


エルの返答に、ヴァーミリオンは満足げに頷いた。


そして――

ためらいなく、隣国での事件へ話題を切り替える。

「聞いた話だと、王都にある教会は破壊したとか。」


ヴァーミリオンは、ルベルの返答を楽しむように目を細める。

「あいつらがしつこいから少しお灸を据えただけだ。」


叱る気配はない。むしろ、褒めるかのように軽く手を叩いた。


「素晴らしいよ。ただ――理由が、少々気に入らなかっただけだ」


ルベルは、珍しく言葉を慎重に選んだ。


「……理由が気に入らないとは?」


ヴァーミリオンはゆっくりと机へ歩み寄り、手を置いた。

次の瞬間、指の力を強め、机上の資料を無造作に握りつぶす。


紙の擦れる音が、部屋の緊張をさらに強めた。

ルベルとエルは、その音に思わず息を呑む。


「噂だがな……小娘を庇ったと聞いている。

そうだ、先ほど廊下ですれ違った小娘と、歳が同じらしいが」


ヴァーミリオンがわざとらしく視線を向けた瞬間、


ルベルは机に手をつき、強く叩いた。

鈍い音が室内に響く。


「先生。その少女に……何かしたんですか?」


「そんなに怒るな。少し警告しただけだよ」


明らかに“ただの警告”ではない声音だった。


「……何を言ったんです?」


「なに、挨拶は基本だと教えただけだ」


その言い草に、ルベルの眉間が深く寄る。


このままでは衝突は避けられない――

そう判断したエルが、両者の間に静かに割って入った。


「ここで争っても仕方がありません。

先生、今日は何のご用件で?」


ヴァーミリオンは肩を揺らし、あっさりと答える。


「少々、忠告にな。若様、昔から教えているだろう。

――同族以外は“敵”だとな」


その声には、先ほどより濃い警告の色があった。


ルベルは顔をそむけ、小さく息を吐いた。


「……それは、先生の“思想”です」


執務室の空気が、再び沈み込む。


ヴァーミリオンは、静かにため息を漏らした。

指先がわずかに震えながら、テーブルの上から手を離す。


「この話は――また今度にしよう。

……ただ、小娘のことは、くれぐれも注意しておきなさい」


低く告げると、彼はゆっくりと背を向けた。

そして、軽く右腕を振るように上げ、誰とも目を合わせず部屋を後にする。


扉が閉まった瞬間、

張りつめていた空気が一気にほどけた。


ルベルは深く息を吐き、椅子へ腰を落とす。

指先がまだ熱を帯びている。

そのまま視線を時計へ移した。


「……まだ起きているな」

ルベルは立ち上がる。

「エル、ルミエルの部屋に向かうぞ」


エルは黙ってうなずき、二人は歩みを進めた。


廊下に出ると、足は自然と早まった。

ルベルは、ルミエルの身を案じながら歩く。

別荘よりも広く、静まり返った廊下に自分の足音が反響する。もどかしさが胸の奥で募る。


やがて、重厚ながらもどこか品性を感じさせるドアの前にたどり着く。

指先でそっとノブに触れ、押し開けると、ソファーに座ったルミエルが目に入った。

肩の力を抜き、柔らかく微笑むその姿に、胸の奥で小さく安堵の息をつく。

空気のひんやりとした感触が、少しだけ心を落ち着かせた。


ルベルとエルは互いに目を合わせ、ブラインに合図を送った。

ブラインは直感で頷く。


「ルミエル、この部屋はどうだ?」

まずは当たり障りのない会話で様子を探る。


ルミエルは微笑みを崩さず答えた。

「すごくきれい…ぬいぐるみもいっぱいで嬉しい」


その言葉を聞き、ルベルは胸の奥で安堵した。


しかし、モミジの表情は微妙に硬い。


背中の毛が逆立ち、耳がぴくりと動く。瞳の奥にわずかな苛立ちが光る。

ルミエルの笑顔を見て、心の中で小さく苛立ちが湧き上がる――


体を小さく震わせ、尾をわずかに振る。


その尻尾は、力なく垂れ下がっていた。


エルはモミジの動きを察し、静かに眉をひそめた。

ルベルもまた、その微妙な違和感から、何かがあったことを理解する。


モミジの視線はルミエルに向かうが、口には出せない感情が残ったままだ。

胸の内で、安心と苛立ちが複雑に絡み合っている。


エルはルミエルの様子を見て、何かあったと確信した。

そして、静かに問いかける。


「意地悪なおじさんとか、居なかったですか?」


その言葉を聞くと、ルミエルの手に持っていたジュースの入ったガラスコップがピタリと止まった。

小さな震えが手先に伝わり、ジュースがわずかに揺れる。


恐怖を押し殺すように、ルミエルは必死で表情を保つ。


「あ…あいさつしただけ…」


声はかすかに震え、手にしたガラスコップが小さく揺れた。


ばぁやは、ルミエルが周りに心配をかけたくない気持ちを察した。

その言葉を聞くと、自然とため息がもれた。


ルミエル様……そこは本心を話さなければ


ばぁやは、人は簡単には変わらないことを知っていた。


ルベルは、強がるルミエルを見て胸を痛める。

「分かった。ルミエル、ブラインに用事があるんだ。連れて行っていいか?」


ルミエルはブラインをじっと見つめ、にっこりと笑った。

「うん。ブラインさん、さっきはありがとう」


小さく手を振って見送る。

ドアが閉まるまで、ルミエルは静かに見つめた。

閉め切られるのを確認すると、ゆっくりと目を伏せ、肩の力を抜いた。


明らかな安堵が、ルミエルの表情にふっと浮かんだ。

 その横顔を、モミジはすぐそばでじっと見つめていた。だが、その瞳には小さな不満が宿っている。


 ――なぜ、あの子は“大丈夫”なんて嘘をつくんや。


 胸の内でつぶやいたモミジは、堪えきれずに口を開いた。


「嬢ちゃん。なんでも隠したらええってもんちゃうで?」


 その声に、ルミエルは視線を揺らし、小さく息を呑んだ。

 本当は困っていたのだ。だが、ルベルに頼るのが嫌だと思ってしまった。迷惑をかけたくない――その思いが、素直な言葉を押し込めていた。


「……迷惑、かけたくないの。自分で、頑張りたいから」


 ルミエルの弱い告白に、モミジは少し素っ気ない態度で応じる。


「それでええと思うんやったら、ワイは何も言わへんよ。ただな……」

 言葉を区切ると、モミジはルミエルの目をしっかり見据える。

「反対の立場の気持ちも、ちゃんと考えたることや」


 その声音には、叱責だけではない、守りたい者への優しさが滲んでいた。


モミジは珍しくルミエルから距離を取ると、家具の上へひょいと跳び乗った。

 そこでしばらく身じろぎし、丸くなりやすい場所を探すように小さく動いたあと、落ち着いたように身体を丸めて外の景色へ視線を向ける。


 ルミエルは、その姿を黙って見つめていた。

 さっきモミジが言った言葉が、頭の奥にゆっくりと沈んでいく。


 ――反対の立場の人の気持ち。


 ルベルは、あの時どう感じたのだろう。

 どうしてモミジは、あんな悲しそうな目をしたのだろう。


 考えた途端、胸の奥で不安だけが静かに膨らんでいく。

 その膨らみは、手で押さえても逃げていかない。

 ただ、じわじわと広がって、息を詰まらせる。


 ルミエルは唇を噛み、モミジの小さな背中から目を離せなかった。


ばぁやは、ルミエルの強がりを見て胸を痛めた。

その目に宿る怯えと我慢は、長い経験でよく知る“助けてほしい子の目”だった。


「ルミエル様……。例えば私が意地悪をされていて、何も言わずに隠していたら、どう思いますか?」


その問いは、静かにルミエルの胸に落ちた。

返事をしようとした瞬間、悔しさがこみ上げてきて、指先が震える。


「そんなの……悲しいよ……」


声は震えていたが、その言葉だけは真っ直ぐだった。


ばぁやは、その純粋さにほっとしたように微笑んだ。


「……ルベル様は、きっと気づいておられますよ。

ルミエル様が、怖かったのだということも」


ルミエルは息を呑んだ。

胸の奥がぎゅっと痛む。


助けてと言いたい。

でも言ったら嫌われるかもしれない。

拒絶されるのが怖い。


その恐怖は、昔から体に染みついて離れなかった。


ばぁやの言葉を聞いたルミエルは、そっと視線を動かした。

家具の上で丸くなっている白と茶色の虎柄の猫――モミジが目に入る。

その尻尾は、力なく垂れ下がっていた。


ルミエルは胸が痛くなり、ゆっくりと近づいた。

家具の下から見上げるように、そっと声をかける。


「モミジ……心配かけてごめんね。

でも、もう少しだけ待ってほしいの。わたし、まだ勇気がないの」


しばらく沈黙が続いた。

モミジはゆっくり顔を上げると、細い瞳でルミエルを見つめ、立ち上がる。


「ほんなら……しばらくはオレに言いや。

ルベルの旦那には、まだ話しづらいんやろ?

──オレが聞いたる」


優しい声だった。

ルミエルは小さくこくりと頷いた。


「嬢ちゃんは、ほんま変なとこで怖がるんやな。」


モミジは小さく笑うと、軽やかに家具から飛び降りた。

床に着地した尻尾が、ゆっくりと揺れる。

その動きには、どこか誇らしげな喜びが滲んでいた。


頼られたことが――ただ嬉しかったのだ。


ルミエルはその姿を見つめ、小さく息をついた。

胸の奥に、ささやかな温もりが灯る。


「……ありがとう、モミジ」


その言葉に、モミジの尻尾がほんの少しだけ弧を描いた。


部屋の空気が、穏やかに静まっていく。


重かった不安は、まだ胸の奥に残っている。

けれど――ひとりではない。


その事実だけが、今日を終えるための支えになった。


見にきてくれてありがとうございます。

次回も気も休まることなく。屋敷は荒れます

そして、モミジに異変も徐々に

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