目覚めの午後と二つの謎
昼下がりの屋敷は、柔らかな日差しに包まれ、
廊下の木の床も温かく光っていた。
使用人たちは屋敷内の雑務に追われているが、
ルミエルの部屋だけは、静かで穏やかな空気が漂っていた。
大きな木製ベッド、窓から差し込む光、
薄いレースのカーテンが揺れる。
その中で、ひとり眠る少女が、ゆっくりとまぶたを開いた。
横には、温かくて、柔らかくて、ふわふわした塊。
思わず抱きつく。
「……ん……」
ぎゅっ。
抱きしめられた塊は、びくっと跳ね、ベッドの上で飛び退く。
「わっ!? なんやなんや! 心臓止まるか思たわ!」
寝ぼけ眼でその背中と尻尾を見つめるルミエル。
……見覚えのある猫だ。
猫はベッドから降り、扉の前に行って前足でカリカリと引っ掻く。
廊下側からメイドが顔を出す。
「どうなさいました?」
「悪いな…嬢ちゃん起きたさかい、オレがちょっと様子見とるだけや」
メイドは会釈して去る。
扉が閉まると、ルミエルは小さな声で呼ぶ。
「……モミジ?」
猫はピタッと止まり、尻尾をぶんぶん振る。
「おお〜覚えとったんか!? せや、オレやオレ! モミジやで!」
ルミエルは小さく頷き、少し不安げに視線を落とす。
「あのね……ばぁや……いないの……」
モミジは優しい声で答える。
「ばぁやは今、外の用事で追われとるんや。
せやからオレが嬢ちゃんの護衛しとったんやけどな……
この部屋は安全やさかい、ついついうたた寝してしもてな」
ちょっと気まずそうに伸びをするモミジ。
日差しに照らされた毛並みは、猫の時とはまた違う温もりを感じさせる。
ルミエルはそっと手を伸ばし、モミジの背をなでる。
「ありがとう…モミジ…」
モミジは尻尾をくいっと揺らして、にやりと笑う。
「せやろ〜? オレが守っとるんやから安心しい。嬢ちゃん、ゆっくりしてええで」
ルミエルは少し微笑み、布団に体を預ける。
昼下がりの柔らかな光が二人を包み、
屋敷の小さな私室に、静かで穏やかな時間が流れた。
そんな穏やかな時間を過ごしていると、慌ててルベルが部屋に飛び込んできた。
その後ろから、エルが落ち着いた足取りでゆっくりと続く。
「ルミエル…体調は大丈夫か?」
勢いよくルミエルに駆け寄るルベルに対して、エルはコップに水を注ぎ、静かにルミエルに差し出す。
「主君、少し落ち着いてください」
ルミエルはゆっくりとコップを受け取り、慎重に水を口に運ぶ。
「エル…ありがとう…」
その声に、エルもルベルも自然と胸が温かくなる。
そしてルベルは、いつもより強く心を揺さぶられていた。
(可愛い…可愛い。今すぐ抱きしめたい)
ルベルの胸の奥で、歓喜にも似た小さな叫びがこだまする。
「体調も良さそうだな」
ルベルは平然を装って口に出したが、心の中では動悸が早鐘のように打っていた。
(頼む…何事もなかったように見えてくれ…!)
「ごめんなさい…心配させちゃったね」
「起きないと思った」
口では落ち着いた声を出すが、内心では手のひらに汗がにじみ、全身が熱を帯びる。
エルとモミジはそんなルベルの様子を見抜き、意思疎通するかのように軽く呆れた表情を交わす。
ルミエルはそのやり取りを静かに見つめていた。
目の前で、猫姿のモミジがルミエルのすぐそばに伏せている。
その姿は、ふわふわで小さくて、抱きしめたくなるくらい可愛い――ルミエルは心の中で微笑む。
しかし次の瞬間、ルベルがモミジを掴んで離してしまう。
ルミエルは思わず小さく息を呑む。
(え…モミジ…!)
その姿が遠ざかると、心の中にぽっかり穴が開いたように寂しさが広がる。
「それで、お前はいつまでそんな近くにいるつもりだ。今すぐ離れろ」
ルベルの声には焦燥と独占欲が滲んでいた。
ルミエルは、でも不思議と怒る気にはなれず、少し落ち込んだ心をモミジの残した暖かさで満たそうとする。
(猫姿が好きすぎる…人間の姿も…まあ、好きだけど)
モミジは空中で一回転し、人間の姿に戻る。
ルミエルはその姿を見つめながら、心の中で小さくため息をついた。
(でもやっぱり、猫姿の方が…可愛いな…)
ルミエルがまじまじとモミジを眺めていると、モミジがくすっと反応する。
「嬢ちゃん、オレのこと、好きになったか?」
茶化すように言われ、ルミエルは少し照れながらも素直に答えた。
「うん。好きだよ」
思わず出たその言葉に、モミジは少し焦り、横目でルベルを確認する。
そこには、殺気立ったルベルがぴたりと立っていた。
しかしルミエルは怯えず、にこにこと微笑む。
「でも、ルベルもエルも好き」
その無邪気な笑顔に、ルベルの怒りはふっと消え、代わりに甘い気持ちが胸を満たす。
ルベルはゆっくりとルミエルの側に近づき、低く呟いた。
「そうだろ…」
一方、エルは少し引き気味に目を細める。
「主君、気持ち悪いです」
普段のルベルの冷静さを知っているだけに、このギャップは想像以上だった。
さっきまでセフィロス猊下が来ていたことも忘れるかのように、ルベルの心は満たされていた。
気が付けば夕方になり、ばぁやが現れる。
「そろそろ、皆さん仕事に戻りなさい。ルミエル様は疲れているのです」
その迫力に押され、モミジ以外の者たちは部屋から追い出されてしまった。
「あなたは、ちゃんと護衛していたのですか?」
「もちろんや!嬢ちゃんが目を覚ましてからもしっかり見とったで」
ばぁやはジッと、モミジの首に巻かれた黒い帯状の魔道具を見つめる。
「嘘はついていないようですね。嘘をつけば、あなたは生きていられなかったでしょう」
モミジは首に手をやり、ため息を漏らす。
「ほんま…生きた心地せぇへんわ」
それを見て、ルミエルがぽつりと言った。
「似合ってるよ」
ばぁやは続ける。
「外したければ、早くルベル様に信用されることですね」
モミジを横目に、ばぁやはご飯の支度を始めた。
「ルミエル様はまだ体調が優れないでしょうから、しばらくはお部屋で召し上がれ」
そう言うと、ばぁやは丁寧にテーブルに料理を運ぶ。
モミジはルミエルの手をそっと握り、まるで日常的にそうしてきたかのような自然な動きで、料理が並ぶソファーまでエスコートした。
その一連の流れを見たばぁやは、思わず目を丸くする。
「あなた、裏路地で生活していたのよね」
モミジはあっさりと頷く。
「せやな。オレは捨て子やさかい」
ばぁやは、ある役割も頭によぎりつつ質問する。
「間者として生きてきたのに、なんで、出来るの?どこかで、教わったのかい?」
モミジは少し考え込み、視線を手元に落とした。
指先は、まるで記憶を探るように無意識に動いている。
「……出来るような身分ちゃうで。誰かに教わった覚えもない。せやけど——」
彼は自分の手を見つめる。
その瞳には戸惑いと、かすかな恐れが宿っていた。
「初めてやったはずやのに、身体が勝手に動くんや。道筋を知っとるみたいや…」
ばぁやとルミエルが静かに耳を傾ける。
「嬢ちゃんがスプーン取ろうとしたら、その前に手を添えとった。
歩幅あわせるんも、クッションの位置調整するんも、座らせる角度も…
頭で考える前に、身体が先に動いとるんや」
その言葉に、ばぁやは目を細めた。
ただの偶然にしては、出来すぎている。
「才能…というより、記憶…かしらね」
モミジは小さく息を呑む。
「……俺自身のもんやない気がするんや」
その会話を聞き、ルミエルはにこにこと笑った。
「モミジは特別だから」
その言い方に、ばぁやもモミジも不思議そうに顔を見合わせる。
「なんでそう思うんだい?」と、ばぁやがさらに尋ねる。
ルミエルは少し考え込み、真剣な顔で答えた。
「うーん…モミジ…二個、種類が混ざってる」
「なんや?混ざるって…?」
「分からないけど…胸で混ざり合ってる」
ルミエルの言い方は、自分でもよく分かっていないようで、でも心からそう思っている、独特で直感的な表現だった。
ばぁやもモミジも、その答えに少し呆然としつつ、言葉の意味を測りかねていた。
まるで別人のだれかが混ざってるような。
「分からないものは仕方ないですね。ルミエル様はご飯を召し上がって下さい」
外では騒ぎになっていたが、屋敷の中は静かに時間が流れていった。
ルミエルはゆっくりご飯を口に運び、少しずつ元気を取り戻していった。
食事を終えると、満足そうにソファーで体を横たえる。
「ふぅ…お腹いっぱい…」
その様子を見たモミジはそっと隣に座り、ルミエルの手を握ったまま見守る。
人間の姿で立っているモミジの柔らかな温もりが、ルミエルの安心感をさらに深める。
ルミエルがまどろむように眠りに落ちると、モミジはそっと立ち上がり、部屋の入口を気にしながら護衛の姿勢を取った。
ばぁやも静かに厨房へ戻り、夕方の柔らかな光が部屋を包む中、屋敷内は再び穏やかで静かな時間が流れていった。
夜、ルベルとエルは領地に戻るタイミングについて話し合っていた。
長居すれば、教会や市民の騒ぎも大きくなるのは目に見えている。
「ルミエルの体調は大分回復してるが…」
ルベルがそう言うと、エルが続ける。
「そうですね…後3ヶ月は様子を見た方が、私も安心できます」
二人で悩んでいると、ばぁやが静かに中に入ってきた。
「少し良いかい?」
「なんだ?」ルベルが答える。
「モミジをルミエル様の執事兼護衛にしたく存じます」
その言葉に、ルベルは思わずテーブルをドンと叩く。
明らかな対抗心が、体中に燃え広がる。
エルは冷静に、ルベルの肩に手を置き、落ち着くように促す。
「護衛ならまだしも、アイツに執事が務まるとは思えません」
「私もそう思っておりましたが…」ばぁやは静かに続ける。
「しかし、今日一日の様子を見ている限り、モミジは完璧にエスコートをこなしておりました。手つきや歩幅、料理の並べ方から、ルミエルの手を取ってソファーまで案内する一連の流れまで、まるで長年の習慣のようです」
ばぁやは少し微笑み、動作の細かさを挙げる。
「食事の前には、ルミエルの座る位置を確認し、ソファーの高さやクッションの位置まで調整。料理を運ぶ際には、手元の安定だけでなく、ルミエルの視線や口元の動きにも気を配り、必要に応じてサポートしています。さらに、体調の変化も敏感に察知し、声かけや水分補給のタイミングも完璧でした」
ルベルの目が、思わずモミジを追う。
「教育も要らないレベル…か」
「はい。見ていた限り、指示なしでも自然とルミエル様を気遣い、場の空気を整えていました。経験や訓練の蓄積というより、能力とセンスで成り立っているように思えます」
ばぁやの言葉に、ルベルはまだ対抗心を燃やしつつも、内心ではモミジの意外な才能に驚かされていた。
しかし、エルはある違和感に気づく。
「しかし…どこでそんな技術を?」
ばぁやがそれについて深く探るように視線を向ける。
「本人はわからないと言っていました。ただ——ルミエル様は“特別”と」
その言葉に、ルベルが反応する。
「……アイツが特別だと?」
ばぁやは静かに頷く。
「ええ。“混ざっている”とルミエル様はおっしゃっていました」
エルは腕を組み、真面目な表情で思考する。
「混ざっている……一体、どういう意味なのでしょう」
ルベルは不機嫌そうに視線を逸らしたが、
心の奥では、妙な胸騒ぎが渦巻いていた。
ばぁやも、その言葉の意味を計りかねていた。
モミジ自身も理解していないようだが——
ルミエルだけは、無意識にその本質を見抜いているのかもしれない。
屋敷の外では、夜の静寂が広がり、
遠くで犬が吠える声がかすかに響く。
そして、二つの謎だけが残された。
「モミジの過去」と
「モミジの本当の存在」。
その答えは、まだ闇の中にある——
こうして、穏やかで不可思議な一日は終わり、
屋敷は深い眠りへと沈んでいくのだった。
次回もゆっくりした。日常シーンをメインで書いていきます。
見にきてくれてありがとございました。
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