教会の無礼に鉄槌を
あれから数日が経ったが、
ルミエルはまだ目を覚ます気配がなかった。
その間、ルベルたち大人は後始末に追われている。
ウイルスをばら撒いた貴族たちは、モミジとクライが捕まえたダクトからの情報を元に確保されていた。
ダクトの証言により、貴族たちの計画や居場所、関与の証拠がすべて明らかになったのだ。
しかし、今最も大きな問題は、やはりルミエルのことだ。
村では「聖女探し」が始まり、
通りすがりの兵士や民間人に顔を見られたことで、誰かに特定されてしまったらしい。
屋敷の周囲には、ルミエルの顔を一目見ようと人々が次々と集まる始末だ。
それだけならまだ良かったのだが――
教会も口を出し始めていた。
屋敷には、静かなはずの時間が戻らない。
毎日届く手紙の中に、今日も教会からのものが混ざっていた。
エルがそっと手紙を差し出す。
「今日も来てますね」
ルベルは顔をしかめ、嫌そうに言った。
「またか」
彼は手紙を受け取り、静かに広げた。
封を切る音だけが、屋敷の静寂に小さく響く。
教会――猊下からの書簡。
文字を目で追うルベルの表情は、いつもより険しかった。
「ヴェルファレイン様へ――
この度は、祖国のため、並びに民の安全を守るべく、ウイルスによる感染症への迅速かつ的確な対処に尽力されましたこと、心より深く御礼申し上げます。
その折、ルミエル様が魔法により治療され、無事にご回復なされたとの報告を承りました。
つきましては、教会として正式な属性検査を実施し、また今後の保護管理を行わせていただきたく存じます。
どうか一度、お手を煩わせ、足をお運びくださいますようお願い申し上げます。」
ルベルは声を落とすことなく読み終えた。
その言葉の裏に潜む意味は明白だった――
「ルミエルを、教会の管理下に置きたい」ということだ。
顔を強ばらせたルベルは、手紙をぎゅっと握りしめた。
そして無言のまま、暖炉へと向かい、静かに炎の中へと放り込む。
紙が燃え、はじける音が屋敷の静けさを破った。
その光景に、ルベルの目は冷たく光った。
「何が保護だ。羽虫どもが、生意気な」
吐き捨てるようにルベルが言う。
すぐ隣でエルが冷笑しながら続けた。
「ええ。本当に――自分たちの派閥ですらまともに統制できていないくせに、よく言いますね」
ルベルとエルが「羽虫」と呼ぶのは天使属性の者たち。
悪魔側に属する彼らとは、根本的に相容れぬ関係であり、
天使を崇める教会は2人にとって明確な敵対勢力だった。
ましてや、長い年月をかけてようやく見つけ出した 探し人――
ルミエルを横取りしようとするなど、到底許せることではない。
ルベルは淡々とした声で言った。
「とりあえず、消すか?」
エルは間髪入れずに頷く。
「賛成です」
そんな物騒な会話の最中、扉をノックする音が響いた。
一人の騎士が入室し、敬礼して報告する。
「失礼します。教会の者が来ております。手紙の返事が無いとのことで、直接訪問されたとのことです。」
その言葉を聞いたルベルの額に、怒りの筋がぎゅっと浮かぶ。
「……この際だ。はっきりさせてやろう」
低い声で言い切ると、彼は続けた。
「客室に案内しろ。あと、お茶は出さなくていい」
エルが薄く笑った。
「歓迎する気、ゼロですね」
「当然だ」
無表情のまま言い捨てるルベル。
その背にエルが続き、2人は客室へと向かっていった。
ルベルとエルは、客室の扉の前に立った。
中から不機嫌そうな声が響く。
「なんだ、この屋敷は……お茶も出さないのか」
態度の悪いおじさんの声だった。
ルベルは眉一つ動かすこともなく、扉を押し開けた。
部屋の中には、中年太りの白髪の男がソファにどっしりと座っていた。
その後ろには、護衛らしき騎士が一人、背筋を伸ばして立っている。
ルベルが部屋に入るのを男はすぐに察した。
ゆっくりと体を起こし、ソファに座ったまま声をかける。
「おや、ようこそ。やっと来てくれたか、ヴェルファレイン殿……」
その声には、わずかに皮肉と高慢さが混じっていた。
ルベルは無言で男を睨み返し、わずかに口角を引き上げる。
部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。
ルベルはソファに腰を下ろし、皮肉を込めて言った。
「セラフィウス猊下、本人が来ているとは思いませんでしたよ」
あくまで歓迎のように聞こえるが、その声には明確な苛立ちと警戒が含まれている。
セラフィウス猊下は、あまり気にする様子もなく、にこやかに微笑みながら続けた。
「先日は助けていただき、ありがとうございました。私たちも手がいっぱいで、なかなか助けに行けなくて……」
その見え透いた言い訳に、エルは思わず軽く舌打ちをする。
ルベルはそれに目もくれず、落ち着いた声で応じた。
「いえいえ、こちらも火の粉を払っただけです。話は以上でしたら、私は多忙なのでこれで失礼します」
立ち上がろうとするルベルを、セラフィウス猊下はすぐに声をかけて引き留めた。
「お待ちください。今回、貢献してくれたルミエル様に、一度お会いしようと思いまして」
その声に、ルベルの額に微かに筋が浮かぶ。
目の前の笑顔の裏に、どれだけの意図が隠されているか――
察するのに時間はかからなかった。
「うちの子は、この前の治療で力を使い切り、まだ目覚めていません。ですので、お会いになることは出来ません」
ルベルの声は冷静だが、その意思は揺るがない。
しかし、セラフィウス猊下は眉一つ動かさず、食い下がる。
「でしたら、後日、教会に来ていただけないでしょうか」
その言葉に、ルベルの怒りが抑えきれなくなる。
鋭い動きで、彼はセラフィウスの胸ぐらを掴んだ。
咄嗟に護衛が剣を抜こうと動く。
しかし、エルが素早く反応し、護衛の喉元にナイフを突きつけた。
「不用意に動けば傷つくぞ」
その瞬間、客室の空気は一変した。
張り詰めた殺気と緊張が一気に充満し、呼吸の音だけが微かに聞こえる。
ルベルとエルの視線は鋭く、セラフィウス猊下もわずかにひるむ。
一瞬にして、部屋全体が殺伐とした戦場のような空気に包まれた。
護衛とエルの視線など一切気にとめず、ルベルは低く冷えた声で続けた。
「その、汚い口で何言ってる?……お前には“口”がいらないようだな」
掴まれた胸ぐらが軋み、セフィロスの息が詰まる。
慌てて口を紡ぎながら、声を裏返らせて叫ぶ。
「ま、まて! これは光栄なことなんだぞ! この国で教会に入ることは、“名誉”なんだ!!」
ルベルは鼻で笑った。
「そんな名誉、願い下げだ。それに、俺はこの国の人間じゃない。……お前らの価値観なんて知ったことじゃ無い」
その言葉にセフィロスは目を見開いた。
――屋敷の規模を見れば、ルベルは生粋の貴族、それもこの地の有力者だと思うのが普通だ
まさか、ここがただの“別荘”だなんて、想像すらしていなかった。
「そ、それなら……これを機に……ここで暮らして――」
「――お前の口は本当に軽いな」
ルベルの声が更に低く沈む。
「今ここで殺すこともできるんだぞ」
バキ、と衣服が引き裂ける音がしそうなほど
胸ぐらを掴む手に、殺意が宿っていく。
セフィロスは顔を青ざめさせ、喉を押さえるように震えるばかりだった。
服が裂ける音が、静まり返った客間の空気を鋭く切り裂いた。
まず動こうとしたのは護衛だった。
一歩踏み出す――しかしその瞬間、
エルの影が揺れただけで、
護衛の喉元に細身の刃があてがわれていた。
ほんの細い線が描かれ、
赤い滴が白い襟元へ落ちる。
客間に並ぶ豪奢な調度品も、
絨毯も、重厚な柱も――
その緊張の前ではすべて無意味に沈黙する。
セフィロスは喉を鳴らしながら言葉を吐き出した。
「だが……あの力を……そのままにしておくのは……あまりにも……」
ルベルの指が胸ぐらを掴む感触を強める。
動く度に高級布地がきしみ、糸が軋む。
「そうだな、お前達は何もできなくて、
ただ指を咥えて見てるしかなかったよな」
客間に置かれた銀の燭台が震え、
蝋燭の炎が揺れる。
「それに加えて――ルミエルはいまや“聖女”。
喉から手が出るほど欲しいだろ?」
セフィロスは言い返せない。
貴族らしい威厳など、すでにどこにもない。
ルベルの声は静かだが、
その言葉は刃のように鋭く、容赦がない。
「だが一つ言っておく。
この国が助かったのは――“ルミエル自身の選択”だ」
そして、冷たく言い切る。
「俺としてはな、この国なんてそのまま放って、
自分の国へ帰ることだって出来たんだよ」
その言葉で、客間の空気がまた一段階重くなる。
突き刺すような沈黙――
逃げ場は一つもない。
「わ、分かった……分かったから……離せ……」
ようやく絞り出したセフィロスの声は、
懇願とも屈辱ともつかない濁った響きだった。
ルベルは掴んでいた手を乱暴に離す。
解放された胸元が大きく揺れ、
セフィロスは咳き込みながら呼吸を取り戻す。
まだ納得していない――そんな顔だった。
歪んだ表情で、服の襟を整えながら、
屈辱を押し潰すように立ち上がる。
「とりあえず……また、招待状を送る。」
その言葉は、形式的な体裁を取り繕ったものだが、
声の端にはまだどこかで権威を保とうとする響きがあった。
それを聞いたルベルは、
微笑むでもなく、怒るでもなく――
ただ冷たく、興味のない声で応じる。
「……勝手にしろ。ただし――受け取ると思うなよ。」
エルはまだ護衛に刃を当てたまま動かず、
客間の空気は張り詰めたままだった。
セフィロスは最後に一度だけルベルを見た。
その瞳には、
恐怖と執着と――そして理解不能な嫉妬が混ざっていた。
だが、何も言えずに踵を返した。
扉が閉まる。
音が響く。
静寂が落ちる。
そしてようやく――
エルが護衛の喉から刃を離した。
セフィロスは言葉もなく、
逃げるように背を向けて客間を後にした。
ローブの裾が乱れ、扉が勢いよく閉まる。
ルベルはその背を横目に、深い、長い息を吐いた。
――やっと、終わった。
緊張の糸がひとつだけ緩んだその瞬間、
足音も静かに、メイドが近づいてきた。
おどおどした気配はなく、
ただ穏やかな報せだけがそこにある。
「ルベル様――
ルミエル様が目を覚ましました。」
言葉が届いた瞬間、
ルベルの表情が凍り、そして――溶ける。
怒りも殺気も霧散して、
ただ一人の少女を想う優しい色が宿る。
言葉を返す暇もなく、
ルベルは踵を返し、
客間を飛び出すようにして足早に廊下へ向かう。
――重厚な柱が並ぶ静かな廊下
――厚い絨毯が靴音を吸い込み
――燭台の灯火が優しく揺れて
――その光の先に、小さな命が待っている
胸の奥にあるのは、ただひとつ。
帰ってきた――
そんな安堵と熱。
ルベルの足取りは迷いなく、
彼は一直線に、
ルミエルの元へ向かった。
――そして扉が開く。
次回はルミエルの声をゆっくり聞いける。日常会話多めにします。




