地下の斬撃 1
前回のあらすじ
病に倒れた人々を救うため、ルミエル一行は魔力の届きにくい仮設テントが並ぶ広場へと向かう。
一方その頃、クライとモミジは病の原因とされる“魔力阻害の魔法陣”を破壊するため、別行動を取ることに。
しかし、辿り着いた先で二人を待っていたのは、謎の敵との対峙だった——。
薄暗い部屋に、金属が擦れる乾いた音が響く。
クライはダクトと互いの呼吸すら読もうとするほどの距離で、張りつめた空気の中、何度も刃を交えていた。
斧を握るダクトの一撃は、質量そのものが脅威だ。
振り下ろされるたびに床石が震え、風圧だけで頬を切りそうなほど。だがクライは、その豪腕を紙一重でいなし続ける。足音はほとんどない。影のように滑っては消え、次の瞬間には死角へ回り込む。
その様子に、ダクトが顔を歪めて吐き捨てた。
「おいおい!さっきから逃げてばかりじゃないか!少しは攻めたらどうだ?」
声には余裕があったが、その目の奥には微かに苛立ちが揺れていた。
クライは呼吸一つ乱さず返す。
「そう言うお前はさっきから単調でイノシシみたいだ」
「そうかよ!でも、俺は力は人一倍あるから、それでも人はヤレるんだよ!」
怒鳴ると同時に、ダクトは斧を大きく振り上げた。
天井に届きそうなほどの軌道。次の瞬間、重力すら味方にしたかのように斧がクライの頭へと落ちていく。
——遅い。
その“溜め”を見切った瞬間、クライの身体は迷いなく前へ飛び込んだ。
刃が空気を裂く音のすぐ下、彼はダクトの懐へ滑り込み、反撃の剣閃を横一文字に走らせる。
飛び退いたダクトの脇腹に、細いが確かな傷が刻まれた。
「イノシシみたいだから、こうやってかわされて攻撃されるんだよ」
クライが静かに言う。
薄暗い部屋の中、再び金属が鳴り、緊張がさらに濃く張り詰めた。
「じゃぁ、少し趣向を変えるか」
ダクトが低く呟いた瞬間、空気が変わった。
今まで両手でしっかり握っていた斧を、彼は片手へと持ち替える。
その動作だけで、クライは眉をわずかに寄せた。武器を片手にするということは、片手分のリーチも安定も失うはずだ。それでも——いや、“だからこそ”ダクトは余裕を見せている。
自由になった左手が、獣が爪を立てる前のようにゆっくりと構えられた。
そして、斧が横薙ぎに振り抜かれた。
風切り音が部屋の中を裂き、クライは即座に剣を立てて受け止める。衝撃が腕に伝わり、骨の芯まで震えるほど重い。
「さっきと何も変わってないように見えるが」
クライが言うと、ダクトの口元に薄笑いが浮かぶ。
その笑みは“仕掛けの前兆”のようで、ぞっとするほど不気味だった。
「お前にはそう感じるんだな!」
刹那、ダクトの左手が蛇のような速さで伸びた。
クライが反応するより速く、その手は彼の右手首を掴み取る。
握られた瞬間、骨が軋んだ。
ダクトの握力はまるで鉄具のようで、逃れようと力を込めれば込めるほど相手の手が締め上げてくる。
「っ……!」
剣を持つ右腕が完全に封じられた。
その事実を理解するより早く、視界の端にダクトの体勢が動くのが見えた。
振りかぶるのでも、踏み込むのでもない。
彼は“蹴り”のための軸を作っていた。
——来る!
だが逃げ場はもうどこにもなかった。
ダクトの足が、空気を押し潰すような重い音を立てて迫る。
そして次の瞬間、クライの脇腹に強烈な衝撃が叩き込まれた。
「——ッ!」
肺から息が強制的に押し出され、視界が一瞬揺らぐ。
鉄の塊で殴られたような感覚。肋骨が悲鳴を上げ、体が横へ弾き飛ばされる。
丸腰同然で、掴まれたままの状態。
ダクトは逃さない——まるで獲物を仕留める獣そのものだった。
薄暗い下層通路、横で鈍い金属の衝撃音が響く。
モミジは思わず振り返りそうになったが、ぎりぎりで耐えた。
いま目を逸らせば、絶対に黒ずくめの男に斬られる──その確信があった。
「大丈夫か!?」
心臓を握られるような緊張の中、思わず声をかける。
黒ずくめの男は低く笑いながら返す。
「人の心配してるなんて、随分余裕だな」
モミジは短く舌打ちした。
「余裕あるわけあらへんやん。オレ、いまにも殺されそうやねんで」
二人の間に距離はほとんど縮まらない。
だが互いに、腹の探り合いを続ける──一歩間違えれば命取りの心理戦だ。
壁際に背を寄せ、影に溶けるように身を低くして、モミジは敵の微かな呼吸や足の動きを観察する。
短剣の先端をほんのわずか動かすだけで、次の一撃に備える。
「くそ……一瞬たりとも気抜かれへんやん」
心の中で小さく呟き、次の動きを読む──呼吸、視線、重心のわずかな揺れ。
全身が緊張で張り詰め、まるで影と同化しているような感覚だった。
一歩でも踏み込めば即死。
互いに距離を保ちながら、言葉少なに、ただ心理と反応のぶつかり合いが続く。
黒ずくめの男が二本の短剣を握り直す。
その動作はほんの一瞬。だがモミジの心臓は跳ね上がった──
次の瞬間には、男との間があっという間に詰まっていた。
「——はっ!」
二本の短剣が、上から下へ、クロスするように振るわれる。
光をほとんど反射しない暗がりで、刃がほんの一瞬光を捕らえた瞬間、モミジの体が反応する。
右手に握る短剣を瞬間的に上げ、相手の左手の短剣を封じる。
金属がぶつかる鈍い音が耳に響き、手首に振動が走る。
だが、反対の刃が迫る。
咄嗟に右手の籠手付き手袋で防ぐ──
刃が籠手に触れた衝撃が腕の骨まで伝わり、思わず息を飲む。
「ホンマに……かなわんわ、見えんやん!」
心の中で吐き捨てるように叫ぶ。
暗がりと速さのせいで、目に映るものはほとんど動きの残像だけ。
黒ずくめの男は低く笑う。
「見えない奴が俺の攻撃受け止めるか?」
モミジは唇を噛み、集中を極限まで高める。
わずかに見える肩の動き、手首の角度、刃の反射光──
その全てを組み合わせて防御を決めた。
短剣の金属がぶつかる火花のような音、籠手に伝わる衝撃、そして冷たい緊張──
モミジの全身が一瞬の閃きと反射の連鎖で動いている。
「……くそ、見えへんのに、どうやって防ぐんや!」
短く舌打ちし、次の攻撃に備えて重心を低くする。
刃のわずかな角度を読んで、体を半歩ずつずらす──
ここで一歩間違えれば死ぬ──その覚悟が、全身に染み渡る。
暗い通路の影に身を潜め、モミジは手元のワイヤーを操作した。
細く光る赤い線──油を染み込ませ、先端には火種を仕込んである。
「ほな、ちょっと足止めしてもらうわ」
心の中で舌打ちしながら呟く。
このワイヤーがうまくいけば、黒ずくめの男の動きを一瞬止められる──その隙を狙うのだ。
黒ずくめの男が短剣二本を握り直し、跳び後ろに飛んだ瞬間、ピンと何かに引っ張られる感覚に顔を歪めた。
「くっ……何だこれ!」
暗闇に舌打ちが響く。
男の動きは一瞬止まり、赤く揺れるワイヤーの光が視界の端にちらつく。
モミジは短剣を握り直し、重心を低く保ったまま慎重に間合いを詰める。
「今や……!」
低く囁き、右手の短剣を素早く振るう。
ワイヤー越しに男の左腕を狙い、刃と刃が交差する音が鋭く響いた。
相手の腕を封じ、左手にある短剣でさらに動きを制限する。
「くそ……こっち見えないのに、どうしてわかるんだ!」
焦り混じりの声に、モミジは舌打ち。
だが、息を整え、次の動きを見据える──勝機は確かに自分の手元にある。
火の揺らめきと金属音の中、モミジは踏み込み、短剣を鋭く振り下ろす。
肩や腕を封じつつ、黒ずくめの男の主導権を奪う。
男は初めて、焦りと警戒が混じった視線をモミジに向けた。
「……貴様、やるな」
モミジは冷や汗を拭い、低く笑う。
「せやろ?オレ、ただの小僧ちゃうで」
影と火と刃が入り交じる中、モミジは次の反撃のチャンスに備え、間合いをしっかり保った──
ここからが、本当の勝負だ。
黒ずくめの男は深く息を整え、余裕の笑みを浮かべた。
「でも、これただのワイヤーだろ」
モミジの仕掛けたワイヤーは、握られた短剣二本によってあっさりと切り離される。
モミジは舌打ちしながら、軽く肩をすくめた。
「少しはハンデくれてもええやん。オレの方が弱いんやから」
男は薄笑いを浮かべ、暗がりで鋭く言い放つ。
「じゃぁ、鬼ごっこでもするか?オレにやられなかったらお前の勝ちだ」
モミジは短く息を吐き、身構える。
「ええよ……相手してやるわ」
その瞬間、通路の奥から重い金属音が響く。
斧と剣がぶつかる金属音──クライとダクトの戦いの音だ。
モミジは視線をそちらに向け、心の中で確認する。
(クライ、大丈夫か……!あいつ、まだ持ちこたえとるんやな)
ワイヤーと短剣を準備しつつ、モミジは黒ずくめの男を牽制したまま、頭の片隅でクライの戦況を追う。
地下の通路には、二つの戦場が同時に存在していた──
一方ではクライが斧の衝撃に耐え、反撃の隙を探る。
もう一方では、モミジがワイヤーと短剣を駆使し、黒ずくめの男を制限し続ける。
金属音、火の揺らめき、呼吸の荒さ──
暗闇の中で、二つの戦いが絶妙な緊張感で重なり合う。
モミジは短剣の角度を微調整しつつ、視線を戦況に巡らせる。
「よし……ここからが本番やな」
地下通路の重い空気の中、モミジが黒ずくめの男を牽制している横で、遠くから金属音が鋭く響いた。
斧と剣がぶつかる、重々しい音。
クライはダクトと互いの呼吸を読み合いながら、薄暗い部屋の中で刃を交えていた。
振り下ろされる斧の衝撃は、ただの力任せではなく、計算された重みを持って迫る。
床石が微かに震え、空気を切り裂く音が耳を打つ。
「……くそ、まだ持ちこたえろ」
クライは自分に言い聞かせるように息を整えながら、斧の軌道を読み取り、一歩ずつ距離を詰める。
ダクトが斧を振り下ろした瞬間、クライは息を整える。
「さっきの横腹、効いたか?」
ダクトは肩をすくめ、不敵に笑う。
「まさか」
だが、クライの呼吸の一つ一つに、痛みが走る。脇腹の傷が動くたびに鋭く響き、息を吸うたびに鈍い痛みが肋骨に広がる。
それでも、剣を握る手はぶれない。
斧を受け止め、間合いを計り、振るう──
だが力だけでは、ダクトの圧倒的な剛腕に勝てない。
そこでクライは戦法を切り替える。
競り合いの最中、意図的に力を抜く──まるで自分が押されているように見せかける。
その瞬間、ダクトの重心が微かに前に傾き、バランスを崩す。
クライの目が鋭く光る。
“今だ”
刹那、剣を滑らせ、バランスを崩したダクトの胴体を狙い斬撃を加える。
刃が斧の脇をかすめ、脇腹に小さな切り傷を刻む。
ダクトの顔に一瞬、驚きの色が浮かぶ。
しかし、クライはすぐに次の動きを考えていた。
痛みをこらえながらも、相手の力に合わせて身を任せる──
これが、力で勝てない相手に対する、彼なりの戦い方だった。
薄暗い地下で、金属音と息遣いだけが響く。
クライの冷静な目と、ダクトの荒い呼吸。
力任せの戦いではなく、知略とタイミングで勝負する二人の戦いが、ここでひときわ際立つ。
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