地下の刃と狂気
夜を徹して、ルベル、エル、そしてばぁやは作戦の最終調整に追われていた。紙の上には計画が細かく書き込まれ、魔法陣が並んでいる。三人の視線が互いに交錯し、緊張が張り詰める。
「ここからが本番だ」
ルベルが低く呟くと、エルはうなずき、まとめた案件を手に現場の町の領主のもとへ向かった。
夜明けが近づく頃、現場では病人を収容できる広大な土地が確保され、仮設のテントが立ち始めていた。
しかし、王都からここまでは魔力阻害の術式がかけられており、転移魔法はまだ使えない。
そのため、モミジに術式の位置を確認してもらい、クライたち王族騎士団に破壊の準備をさせている段階だった。
術式が解除されれば、患者を安全に運ぶ道が開かれる。
ルミエル自身が王都に出向くのが最も効率的だ。しかし、命を狙われている状況を考えれば、それは危険すぎる。だからこそ、今は三人と仲間たちの知恵と行動にすべてを託すしかなかった。
朝を迎え、馬車は静かに動き出した。ルミエルの姿は、他人の目に触れないように荷台の陰に隠す形で乗せられている。馬車の中には、ルベル、エル、ばぁや、そしてルミエルがひそかに同席していた。
エルは低く呟く。
「しかし、上手く阻害魔法の結界が解けるのなら……私たちの出番はないかもしれません。それこそ教会の者たちが光魔法で治せば済む話ですから」
ルベルは少し眉をひそめ、否定的に答える。
「ちょっと待て。あいつらが動くかどうか、分からない。元々、教会の者たちもお布施――つまり金がなければ動かない。病を治せる実力者もいないだろう。そして、それを聞いて天使どもが自発的に動くとは思えない」
ばぁやが、ルベルの言葉を受けて続ける。
「ええ、当てにはできませんね。だからこそ、ルミエル様の広範囲の治療は適切だと判断しました。調べたところ、屋敷にいた肺炎の使用人まで治ったそうです。つまり、病気には確実に効くということです」
馬車の中は短い沈黙に包まれた。外の景色はまだ淡い朝日に照らされているが、彼らの心はこれから直面する現実の重さに張り詰めていた。
――同じ頃、王都近くの下水道では、モミジとクライたちが慎重に足を進めていた。
「本当にこんなところにあるのか?」
クライが周囲の暗闇を警戒しながら問いかける。
「ある。街のど真ん中に結界を作るバカ、どこにおるねん。地下に部屋を作ったんや。この日のためにわざわざ」
モミジは関西弁で答え、壁際の影を確かめながら足を進める。
湿った空気と暗闇が足音を飲み込み、緊張が一層高まる。彼らの前には、これから破壊すべき阻害術式の結界が控えていた。
足を進めていたクライたちの先で、モミジが不意に足を止めた。
「……お前ら、ここで待っときや。」
その低い声と同時に、彼の身体がふっとしなり、次の瞬間には猫の姿になっていた。
闇に紛れるように音もなく駆けていく。
(敵は五人……せやけど、二人は空気がちゃう。……あれ、指名手配犯のダクトやんけ。あと一人は誰や…なんでこんな地下に潜んどんねん)
部屋の中が丸見えで、敵の配置も一目瞭然だった
敵の立ち位置、視線の向き、動きの癖――モミジは猫の目で一つ残らず読み取っていく。
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確認を終えると、彼は素早く踵を返し、クライたちのもとへ戻ってきた。
人の姿に戻ったモミジは、息ひとつ乱さず告げる。
「敵の配置、全部見てきたで。」
クライが身を乗り出す。
「状況は?」
モミジは指を折りながら、淡々と、だが確実に情報を整理していく。
「 入口に二人、奥に一人、結界前にダクトと一番厄介な奴
。動きも気配も素人とは違う。」
空気が一瞬張り詰める。
「結界を守っているのは、ダクトとその横の一人や。突破には多少ゴタつくかもしれんけど――配置は完全に頭に入れた。
後は、どう攻めるかや。」
下水道の湿った空気が二人の間に流れる。クライは手配書の記憶を辿り、モミジに声をかけた。
「ダクトは俺が相手した方が良さそうだ。横にいる手強そうな奴はどうする?」
モミジは眉をひそめ、目を細めた。
「パワー型じゃなさそうや。スピード勝負ならオレも負けん。足止めぐらいはできるけど……正直、オレより強い」
「そしたら、俺がダクトを捕獲して、2対1に持っていく」
短く頷くモミジ。「残る三人はこちらで任せてええな」
視線が交わる。奇襲の合図もなしに、三人は呼吸を整え、暗闇に踏み込む。
「き、騎士団!! ここに入るな!」
見張りの声も届かぬまま、三人は瞬く間に入口を制圧。連携は完璧で、部屋の中へ滑り込む。
「ぐっ……!」
部下三人が静かに、しかし確実に動き、道を切り開く。
連携は一瞬で取り、呼吸もタイミングもぴったりだ。
クライ、モミジ、そしてもう一人の部下が続き、まるで暗闇を裂くように部屋の中に滑り込む。
通路の奥で、わずかな影が揺れる。
奇襲――その静かな破壊力は、敵に何の余裕も残さなかった。
勢いよく部屋の中に滑り込み、クライの視線は一瞬でダクトをとらえた。
反射的に剣を抜き、鋭い角度で振り下ろす――不意打ちのように。
しかし、ダクトは微動だにせず斧で迎え止める。
鋼の音が低く響き、力のぶつかり合いを伝えた。
「騎士様が不意打ちとは、恥ずかしくないのか?」
巨体の上半身は裸で、筋肉が光を受けて盛り上がる。
薄笑いを浮かべ、唇を舌で滑らせるその仕草は、戦場に似つかわしくないほど不気味だ。
クライは競り合いながら、静かに声を上げる。
「騎士も、真面目な奴から死んでいくもんだ。ずる賢く生きるしかない──それを聞けないなら、覚悟を決めろ」
斧と剣の刃先が火花のようにぶつかる。
その瞬間、部屋の空気は一層鋭利に研がれ、二人の呼吸と力のぶつかり合いだけが響く。
──視線を少し上げれば、モミジと黒ずくめの男が数メートル先で短剣を交わしていた。
互いに一歩でも踏み込めば命取り。
互いの呼吸と視線だけが、張り詰めた緊張を伝えている。
「おまえ、裏切ったんだな」
黒ずくめの男の声は低く、知っている者だけが持つ余裕を含んでいた。
モミジの心臓がわずかに跳ねる。相手は自分の戦術を見抜いている──そう感じさせる視線だ。
「裏切るも何も…オレ、あいつらの仲間ちゃうやん。オレは有利な方につくんや」
モミジは冷静を装いつつも、内心は緊張で張り詰めていた。
背後のクライ、そしてルミエルの存在を意識しながら、最小限の動きで自分を守る。
一瞬の判断ミスが命取りになることを、彼は骨の髄まで分かっていた。
「その程度の腕で主人を選ぶのか」
男の言葉には侮蔑が混じるが、冷静さを崩さず、試すような響きだった。
モミジはその言葉を胸に刻み、短剣の角度を微調整する。
「選ぶも何も、状況が全てや……こっちの方が有利やと判断しただけや」
思考は素早く、体は慎重に──理性と本能が鋭く交差する瞬間だった。
刃先が軽く触れる。
火花も音もなく、ただ張り詰めた空気だけが空間を裂く。
目線と呼吸、微妙な重心の移動。
戦いは言葉と心理だけでも十分に殺気を孕んでいた。
薄暗く湿った地下の通路。
壁にこびりついた水滴が足音に反応して静かに落ちる。
冷気が足元から忍び込み、呼吸を荒くさせる中、斧と剣がぶつかる金属音だけが響く。
クライと斧を握るダクトは、振り下ろすたびに獣のような荒い息を吐き、にたりと笑った。
「そうか……そこの小僧はお前と同じ雇われだったか。残念だな。地下だろうと今夜だろうと、俺が首を落とすことに変わりはない」
斧の刃には乾ききらない血痕がこびりつき、競り合うたびに赤黒い滴が床へ落ちる。
薄暗がりに反射して、より生々しさを増す。
「子供の肉はな、簡単に裂ける。骨も細いからよ、斧の重みだけで砕けて気持ちいいんだ。悲鳴が腹に響く感じが……たまらねぇんだよ!」
刃についた古い血を舌でなぞるダクトの仕草に、空気が一瞬凍る。
モミジは短剣を握り直し、眉をひそめた。
「……なんや、その気色悪い趣味は。オレに近づけたらたまったもんちゃうわ……!」
クライは斧の衝撃に押されつつも、冷静に刃を逸らす。
火花が散り、床に深い亀裂が走る。
薄暗い地下で、音と影が異様に際立った。
「心配するな。絶対に捕まえる。
あいつだけは……逃がさない」
モミジは黒ずくめの男と距離を保ちながらも、ダクトの不気味な声と斧の重みを肌で感じ、胃の奥が冷たくなる。
(……あんなん、もし斬られたら……)
その思考を察したかのように、ダクトの哄笑が地下に響き渡った。
斧と剣が金属音を立ててぶつかる音が地下にこだまする。
クライとダクトが競り合う隣で、モミジは短剣を握りしめ、相手の動きを警戒していた。
黒ずくめの男は低く声をかける。
「心配するな。俺がこいつを始末する。
ダクトは、お前が死んだ後で渡す。いじめられても、痛くはないだろう」
ダクトは不満そうに割って入る。
「なに言ってやがる。生捕りにしてオレにやらせろよ」
モミジは眉をひそめ、舌打ちした。
「なんや……コイツら、ほんまにイカれとるやん」
クライは斧と競り合いながら、冷静に応じる。
「犯罪に手を染める奴は、大体変態だ」
その一言に、モミジは短く息を吐いた。
クライと自分の意見が、初めて一致したように感じた瞬間だった。
戦場の中で、正義と狂気、冷静と本能が一瞬だけ交わる──
斧の衝撃音がまだ地下に残る。
緊張を残したまま、二人の戦いは次へと続く。
見ていただきありがとうございます。
次回はクライとダクトの戦闘シーンをメインにお届けします。
楽しみにしていただけると、とても嬉しいです。
ちなみに、モミジは普段はふざけた関西弁ですが、戦闘になると短剣一振りで相手を翻弄する、なかなか侮れないタイプです。
読んでくださる皆さんも、次回の展開でその意外な強さをぜひチェックしてみてください。




