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奴隷だった少女は悪魔に飼われる   作者: アグ
金色の瞳の少女

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守る者の影

奴隷市場へ続く通路を、黒い外套の男は音も立てずに歩いていた。


足元の砂利の感触、通りを行き交う人々のざわめき――そのすべてが、彼の探している存在の手がかりになる。


何百年も探し続けた“あの子”を、今日こそ見つけるために。


彼は何百年と探し続けてきた。


種族も、性別も、時代も関係ない。


その存在を見つけるためなら、世界の隅々まで目を光らせ、気配の微細な揺れまで逃さない。


しかし、いまだに見つからない。


焦燥が胸の奥に、小さな火のように灯る。


一瞬たりとも気を抜けない――それは、失えば二度と取り戻せないものを探しているからだ。


隣国の昼間の奴隷市場を訪れるのは、これが初めてだった。


それでも、街角を行き交う人間たちの無防備な仕草や表情の変化、呼吸の乱れ、手足の動き――


それらすべてを、黒い外套の男は観察していた。


誰も気づかない、見えない世界の端に、目を光らせながら。


焦りはある。


だがそれ以上に、必ず見つけるという確信が、心の奥底で静かに燃えていた。


奴隷市場へと続く道の向こうでは、今日も無数の運命が交錯している。


そしてその中に、彼の探していた「特別な存在」が――必ず、いるはずだった。


黒い外套の男は、視線を凝らしたまま通路を進む。


そのとき、重い扉がゆっくりと開いた。


胸の奥で、心臓が早鐘を打つ。


扉が開いた瞬間――空気の中に、彼女の魔力が色濃く漂い込んできた。


何百年探し続けても掴めなかった感覚が、一瞬で全身を貫く。


喜びが胸を明るく満たし、彼は思わず歩調を速めた。


扉の影に隠れた姿を確かめようと、足が自然に前へ出る。


だが、視界に捉えた瞬間、


その喜びは、熱く鋭い怒りへと変わった。


黒い外套の男の魔力が告げていた。


――少女の魂は、ひどく疲弊し、傷だらけだった。


痩せ細った身体には、かすかな生命の灯が、かろうじて揺れている。


足裏には、古い傷なのか、血の小さな跡が点々と残っていた。


その状態を認識した瞬間、体の奥で血が沸騰するような熱が広がる。


奴隷商に乱暴に引かれ、少女が倒れそうになった瞬間――


黒い外套の男は反射的に腕を伸ばし、その身体を抱き留めた。


想像していた以上に軽い。


筋肉も肉も、ほとんど感じられない。


腕の中で小さく震える身体を抱えながら、怒りと絶望が胸中で交錯する。


こんな状態で、なぜここまで追い込まれていたのか。


だが同時に、その弱さは、彼の内側にある“守るべきもの”を強く呼び覚ました。


怒り、焦燥、そして保護欲――


三つの感情が渦を巻く中で、彼は少女を抱いたまま、周囲の状況を静かに見渡す。


その瞬間、世界は黒い外套の男と少女だけのものになった。


そして、彼が探し続けていた存在――あの子が、目の前に確かにいた。


彼は観察していた視線を一瞬逸らし、咄嗟に手を離す。


少女は怯えた様子で、彼の横に小さく立ち直った。


その震えや肩の強張りから、緊張が即座に伝わってくる。


奴隷商は頭を下げると、隣の少女の頭を乱暴に押さえつけ、膝をつかせた。


「お客さん、すみませんね。今朝入荷したばかりでして。どうもドン臭くて」


その言葉と横暴な動きが、黒い外套の男の神経を逆撫でする。


殺気が自然と滲み出る。


だが奴隷商は気づかない。怯えの色は微塵もなかった。


しかし、少女は違った。


目の端で、その微細な揺らぎを即座に察し、身体を固くし、呼吸を整えようとする。


その反応を見て、彼は意識的に殺気を沈め、内側へと押し込めた。


奴隷商はのんきに続ける。


「気になるなら、旦那にはお安くしますよ。ぜひ、あちらのテントへ」


苛立ちは募る。


それでも、彼の意識は常に少女に向いていた。


怒りを胸の奥へ押し込み、少女の肩に軽く手を添える。


無言のまま、守るための距離と準備を整える。



そして、黒い外套の男は奴隷商に向けて、低く問いかけた。


「その子は、いつから扱っている」


低く、冷たく、しかし静かな声。


その一言で動揺を誘い、状況を掌握するつもりだった。


少女の身体越しに伝わる微かな恐怖と、自身の殺気の量――


その均衡を意識しながら、すべては彼女を守るための観察と判断の一瞬だった。


奴隷商の声が、平然と空気を引き裂く。


「コイツですか? 赤子の時から調教してますんで。ちゃんと使えるようになってますよ」


その言葉が、胸の奥に突き刺さる。


――赤子。


そのひと言で、これまでぼんやりと漂っていた違和感の輪郭が、刃のように研ぎ澄まされた。


黒い外套の男は、しばし視線を落としたまま、その響きを反芻する。


赤子の段階で叩き込む。


学びも反応も育つ前に、従順さを植えつけるということだ。


表情も、反射も、反抗の痕さえ残らないまま育て上げられた者たち。


本来なら、ある程度年を重ねれば、自我はひび割れのように顔を出す。


小さな怒り、瞬間の抵抗、ふと零れる悲しみ――


そうした欠片が、年を経るごとに人を人たらしめていく。


だが、彼女にはそれがない。


むしろ、ないからこそ異様だった。


育つ前に、感情そのものを刈り取られている。


胸の奥で、抑えきれないものがうずく。


怒りか、哀れみか、それとも激しい苛立ちか――


感情は熱を帯び、全身を焼くように広がった。


だが、ここで見せれば事は逸れる。


冷静さを失えば、目的は潰える。


黒い外套の男は、深く息を吸い、


熱を押し込めるように喉を鳴らした。


「……そうか」


短い言葉を落とすと、彼はその場を離れる。


言葉は、それだけで十分だった。


頭の中では、ひとつの思考が回り始めている。


――どうやって崩すか。


――どうやって、この搾取を断ち切るか。


復讐と救済、その両方を同時に成立させるための計画。


その輪郭が、確かに浮かび始めていた。


立ち去る前、黒い外套の男は無意識に、彼女の肩先へ指先を触れた。


強く握るでもなく、優しく撫でるでもない。


ただ、確かめるような、ほんの一瞬の接触。


小さく震えるその感触が、胸の奥に痛みを残す。


石畳に足音を刻みながら、彼の影は市場のざわめきの中へ溶けていった。


振り返ることはしない。


それでも、視界の端には残っている。


濡れた髪と――灰色の世界の中で、ただ一点だけ淡く揺れる金色の瞳。


その残像が薄れていくにつれ、世界は再び日常の喧騒に満ちていった。


だが、彼の内に灯ったひとつの火は、消えていない。


やがてそれは、冷徹な設計へと形を変え、


復讐と救済を同時に描き出すものになるだろう。


夕方。


薄暗くなった市場の通りで、奴隷商たちは店じまいを始めていた。


散らばった商品が無造作に片付けられ、


少女はその隙間に押しつけられるように座らされる。


何人かの買い手が近づいてきたが、結局、手を伸ばす者はいない。


手に入れられないと悟った瞬間、


身体の奥底で、小さな安堵が芽生える。


――だが、それも束の間だった。


少女の視線が、先ほど肩に触れた外套の男のいた方向へと向かう。


あの時の指先の感触――柔らかく、温かく、かすかにくすぐったい。


今まで知らなかった、得体の知れない安心感だけが、胸の奥に残っていた。


市場の静けさが、音もなく崩れ始める。


遠くから、金属の擦れる音と、統率の取れた声が響いた。


「不審者を確認! 封鎖せよ!」


少女は身体を強張らせ、息を止める。


声の方向から、騎士団の存在がはっきりと伝わってくる。


揃った足音。


鈍く光る鎧。


石畳に長く伸びる影――全てが、確実に迫っていた。


「こいつらなんてどうでもいい! 早く逃げるぞ」


「待て。人質にすればいい」


奴隷商の冷えた声に従い、ひとりの男が檻へと歩み寄る。


カチャリ――鍵の開く音。


その瞬間、少女の背筋を冷たいものが走った。


「早く来い!」


力任せに腕を掴まれ、少女は無理やり引きずり出される。


小さな身体。


細い手足。


抗う余地など、最初からなかった。


石畳の冷たさが、震える身体に突き刺さる。


檻を抜け、男の指示通り奥へ進もうとした、その瞬間――


闇の奥、影の中から、ひとつの気配が静かに現れた。


次の瞬間、


少女の腕を掴んでいた男の手首が、捻り上げられる。


「いだだだっ! 何しやがる!」


悲鳴とともに、男が振り向き、拳を振り上げた。


だが――


そこに立っていたのは、今朝、確かに見た姿。


黒い外套の男。


フードの影から覗く赤い瞳が、


静かに、しかし確実に怒りを帯びて、闇の中で光っていた。


男の動きは、あまりにも速かった。


商人の拳が振り下ろされるより先に、身体をひねってかわし、間合いを詰める。


一瞬。


乾いた衝撃音とともに、商人は床に膝をついた。


闇に残ったのは、押し殺した呻き声だけ。


黒い外套の男に、迷いはない。


疲れも、躊躇も――微塵も見えなかった。


少女は息を詰め、胸の奥で心臓が暴れるのを感じる。


力の差。


圧倒的な差。


理解するより先に、身体がそれを悟っていた。


震える手を胸に押し当てながら、少女は気づく。


恐怖よりも先に、奇妙な安心感が広がっていることに。


守られている――そう思ってしまった自分に、戸惑いながらも。


闇の中で、赤い瞳が静かに光った。


次に何が起こるのか。


少女には、まだ想像もできない。


黒い外套の男が、闇に溶けるように立つ。


その背中は、少女の目には世界の中心のように映った。


あの背中がある限り、すべての脅威が遮られる――


そんな感覚を、少女は初めて知る。


だが、市場の奥から迫る音が、その錯覚を引き裂いた。


金属の擦れる音。


揃った足並み。


鈍く光る鎧――騎士団が、確実に近づいている。


不意に、外套の男がしゃがみ込み、少女と視線を合わせた。


「悪いが……急いでる」


低く、落ち着いた声。


それだけで、少女の胸はわずかに軽くなる。


次の瞬間、身体が宙に浮いた。


男に抱き上げられたのだと気づいた時には、腕に伝わる温もりが、思考を追い越していた。


今まで知らなかった安心が、胸いっぱいに広がっていく。


揺れる腕の中で、少女の小さな呼吸や震えが、そのまま伝わっていた。


外套の男は、無意識のうちに腕の力をわずかに緩め、衝撃が伝わらないよう歩調を整える。


戦場ではない――


そう判断したかのように、彼の動きには一切の荒さがなかった。


少女が胸元に額を寄せた瞬間、外套の男はわずかに足を止める。


その重さと温度が、確かな“生”として伝わってきたからだ。


抱え直す腕は慎重で、壊れ物を扱うように静かだった。


次の瞬間、足元が淡く光り、視界が一瞬で切り替わる。


気づけば二人は、市場の喧騒から切り離された、暗がりの通路に立っていた。


「この先に馬車がある。移動するぞ」


低く短い声。


だが不思議と、その言葉には急かす響きがなかった。


揺れる馬車へ向かう道すがら、少女は腕の中で、自分の鼓動や呼吸が少しずつ落ち着いていくのを感じる。


緊張で張り詰めていた心が、ゆっくりとほどけていく。


夢の中のようで、それでいて確かな現実。


包まれている――そう思ってしまうほどの温もり。


少女は初めて、自分の心が静まっていくのを知った。


恐怖と不安は消えない。


それでも、その奥にある確かな安心だけが、夜の薄暗さの中で静かに灯っていた。


揺れる世界に身を委ねながら、少女は胸の奥に芽生えた微かな温もりを抱え、そっと目を閉じる。

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