忍び寄る影1
次の日も、その次の日も、そのまた次の日も……
学院生活は何事もなく過ぎていった。
「なぁ、リシェル」
次の授業の準備をしていると、隣のダリウス・ヴァルシオンが話しかけてきた。
「だから! 馴れ馴れしく呼ばないで!」
「お前が『呼んで良い』って言ったじゃねぇか」
「良いとは言ってないでしょ!?」
「そうだったか?」
「そうよ! あなたが変なあだ名をつけてくるから名前の方が『マシ』だって言ったはずよ!」
「へぇ~、よく覚えてるな」
そう言われて、騙されそうになっていた事を知った。
「覚えていたんじゃない! 最低っ!」
やっぱり悪魔なんて信じられない!
「そんな事言うんだ。あーあ、せっかく教えてやろうと思っていたのに」
え? 何を?
そんな言い方をされると、すごく気になっちゃうじゃない。
でも、これも騙そうとしているだけかもしれない。
私がグッと下唇に力を入れた。
「そんな態度取るんだったら、もう教えねぇ」
「……ほんと性格悪いわね!」
ダリウスの策なだけだと分かっていても、やっぱり気になる。その事が悔しい。
私が眉をひそめると――
「まぁいいや」という声が落ちてきた。
「リシェル、周り見てみろ」
「周り……?」
そう言われて視線を巡らせる。
すると、なぜか周りは悪魔だらけになっていた。
「……え?」
この教室に、天使は私しかいない。
まるで、悪魔の学校に迷い込んでしまったかのような光景に、私は目を丸くする。
「あれ? ……なんで?」
驚く私に、彼は薄く笑いながら告げた。
「講師が話してただろ。『次の授業は、天使と悪魔で分ける』って。やっぱ聞いてなかったんだな?」
嫌味たっぷりの口調に、胸がカッと熱くなる。
しまった!
昨日聞いた歌の事を考えていたから……っ!
「き、聞いてたわよっ!」
顔を真っ赤にしながら、私は慌てて教科書を手に取り、足早に教室を飛び出した。
背中越しに、ダリウスの含み笑いが追いかけてくるように聞こえた。
その時――
「あ! 待って!」
可愛い声が聞こえた。
振り返ると、小柄な悪魔の女の子がチョコンと立っていた。
「落としたよ」
その子の手には、私のノートがあった。
あ、飛び出した時に……
「ありがとう」
そう言ってノートを受け取ると、彼女は優しく微笑んだ。
「どういたしまして」
その柔らかい笑顔に、思わず表情が緩んだ。
最初は、何もかもがギクシャクしていた。
平穏な学生生活なんて、程遠く感じていた。
でも、天使と悪魔が些細なやり取りを重ねるうちに……徐々に距離が縮まっている気がする。
周りの天使たちも、悪魔たちも、警戒心が減って、お互いへの見方が変わってきているように思う。
ずっと、共存共栄の取り組みとして共学になるなんて絶対失敗だと思っていた。
でも、確実に少しずつだけど変わり始めてる。
卒業は難しいのかもしれないと思っていたけど、もうそんな心配は要らないのかもしれない。
私は、天井の高い廊下の窓から差し込む光に目を向け、晴れ渡る空を仰いで小さくため息をついた。
「ふぅ……」
帰り道――
「もうこんな時間……。みんな夕食ね」
私は速足で学院から寮に向かっていたが、ふと背筋に冷たい感覚が走った。
「……?」
また……
ダリウスと夜に偶然会ったあの日から時々感じる、誰かに見られているような視線……
絶対おかしい!!
私は勢いよく振り返る。
でも、目に映ったのは、暖色から寒色へと移り変わろうとする学院の庭だけだった。
見落としがないか、じっくりと周囲を見渡す。
すると、遠くの柱の影で白い髪が揺れた……気がした。
「……っ!!」
誰か居る!?
そう思い、迷わず柱に向かって駆け出した。




