02 新しい家族
光が揺れていた。
死の底へ沈んだあの暗闇とはちがう。
柔らかくて、あたたかい光。
ゆっくりと瞼を開くと、知らない天井と木の匂いが広がった。
ここは……見たことのない部屋だ。
いや、それだけじゃない。
視線が低い。
手が、小さい。
身体そのものが――十歳くらいの子供のものになっている。
(ここが……異世界か)
状況を整理するより早く、扉の向こうから声がした。
「ルークス、起きているのか?」
入ってきたのは、黒髪で逞しい体つきの男。
鋭い目をしているのに、不思議と怖くはなかった。
「剣の稽古で倒れるなんて、十歳で無茶をするな。」
低く落ち着いた声。
俺の頭に置かれた大きな手は、驚くほど温かかった。
胸の奥がざわつく。
(……こんなふうに心配されたこと、前はなかったな)
男――父親らしい彼は、
「しばらく休んでいろ」とだけ言って部屋を出ていった。
そのすぐあと、軽い足音。
「ルークス、起きたのね。よかった……」
今度は優しい女性が入ってきた。
肩までの髪、柔らかい瞳。
額に触れた手は、驚くほど優しくて、
胸の奥がぎゅっと痛くなる。
「まだ顔色よくないわ。今日は一日休んでね?」
こんなふうに心配してくれる声を聞くのは――
一体いつ以来だろう。
さらに小さな影が覗き込む。
「おにいちゃん、もういたくない……?」
妹らしい少女が、潤んだ目で心配そうに見上げていた。
家族。
俺を心配してくれる“家族”。
(なんで……こんなに優しいんだよ)
戸惑いが胸に広がる。
優しさを受け取ることが怖い。
知らなかった感情だからだ。
彼らが部屋を出ると、急に静かになった。
その静けさが、さっきの温かさを逆に強調する。
……この世界の俺は、一体どんな家に生まれたんだ?
そう思った瞬間、
“この身体が見てきた記憶”がゆっくりと浮かび上がってきた。
アークライト家の記憶が一つひとつ浮かぶたび、
胸の奥がざわついた。
この世界での俺の家——アークライト家は、
北方辺境を守ってきた由緒ある“剣士の家系”だ。
大貴族のように豪華ではない。
だが、民に寄り添い、魔物や盗賊から領地を守ってきた誇り高い家だ。
代々、騎士団や辺境警備隊に多くの戦士を送り出してきた歴史があり、
“剣に生きる家”として地域では広く知られている。
当主であるアレク・アークライトもまた、
父祖の意思を継ぐ優れた剣士だった。
無口だが誠実で、
民を守るためなら命すら投げ出す覚悟を持つ男。
その大きな手は、戦士の硬さを持ちながらも、
家族に触れるときだけは驚くほど優しかった。
母のルナ・アークライトは、
薬師の家に生まれ育った心優しい女性だ。
怪我をすれば必ず駆け寄ってくれ、
落ち込めば小さく背中を撫でてくれる。
この家を“家”として温かく保っているのは、
間違いなく母の存在が大きい。
妹のライナは六歳。
人懐こくて、笑うとえくぼができる。
俺の腕にしがみついて「お兄ちゃん」と無邪気に笑うたび、
胸の奥がじんわりと温かくなる。
アークライト家は、
強くて、誇り高くて、温かい家族だった。
……いや、正確には“家族というもの”そのものが、
俺には初めての経験だった。
(……前の世界の家とは大違いだ)
そう思った瞬間、
前世の記憶が刺のように胸を貫いた。
父が事故で死んでから、あの家は崩れた。
母は俺を“邪魔者”としか見なくなった。
「アンタがいると再婚できないのよ」
「泣いてばかりで鬱陶しい」
「勝手に治しなさいよ、もう」
そんな言葉を幼い俺は毎日のように浴びた。
体調を崩しても看病などされることはなく、
菓子パンが投げ置かれたテーブルが
唯一の“食卓”だった。
母が男を連れ込む日は、
「声を出さないで。恥ずかしいから」と
部屋に鍵をかけられた。
その家には、
温かい声も、優しい手も、
名前を呼ぶ愛情も存在しなかった。
……だからこそ。
アークライト家の優しさが、胸に刺さる。
名前を呼ばれるたび、
頭を撫でられるたび、
妹に抱きつかれるたびに、
「どうして俺なんかに……?」
そんな戸惑いが喉の奥で詰まる。
温かい世界に放り込まれた子犬のように、
どう振る舞えばいいのか分からない。
だが――戸惑いながらも分かっていた。
この家は本物だ。
優しい父、穏やかな母、無邪気な妹。
どれもが前の世界では手に入らなかったもの。
……それでも。
胸の奥の闇だけは消えない。
復讐のために生まれ変わった。
それだけは、どれほど優しさに触れても揺らがない。
それでも、胸の奥のどこかが重いままだった。
前の世界で積み重ねられたものは、
この温かさだけでは消えない。
優しい声も、あたたかい手も、
確かに嬉しいはずなのに、素直に受け取れない。
どうしていいか分からないまま、
ただ深く息を吐いた。
――俺は、この家で生きる。
復讐を忘れたわけじゃない。
気持ちの整理がついたわけでもない。
それでも、目の前の“家族”が優しいという事実は変わらない。
その現実と、忘れられない過去の両方を抱えたまま、
そっと目を閉じた。




