犬キング
横断歩道を渡ろうと、信号待ちをしている時だった。
背後に気配がして振り向くと、五人が俺の後ろに並ぶような形で信号待ちをしていた。
一列に並ばなくても、其処かしこにいくらでも場所はある。変な感じはしたけど、偶々そういう形に成ったのだろうと、その時は思った。
横断歩道を渡りきると、後ろに居た者たちは別々の方向へと歩いて行った。
朝、ちょっと寝坊をしてしまって開店待ちに出遅れてしまった。パチンコ屋へ着いた時には既に三十人くらいが並んでいて、今か今かと店が開くのを待ちわびている。
仕方なく最後尾へ並ぶと、今までどこに隠れていたのかと思うくらいぞろぞろと人が現れて、俺の後ろに十五人程の列が出来た。不思議なのは、その並んだ人々はおおよそパチンコなどに興味は無いといった感じだという事。しかも、ちょっと嫌そう。嫌なのは、気色が悪いのは、こっちだっつーの。
店が開店し、先頭から客が店内へ雪崩れ込む。俺の番が来て一歩店内へ足を踏み入れると、後ろの者たちはササッと何処かへ散って行った。
そんな事が続いていた。本屋で立ち読みをしていた時も、ホームで電車が来るのを待っていた時も、只単にボケッとドブ川を眺めていた時も、俺の後ろに数人が並んだ。
流石に此はおかしいと思い、振り向き様に声を掛けてみた。
「あのう、なんすか?なんで俺の後ろに並んでんの?」
黒髪を肩の辺りまで伸ばした細身の学生だった。黒ぶち眼鏡の奥で目が泳いでいる。
「あんたも、あんたらも、なんで並ぶの?」
学生の後ろにいたおばさんも、その後ろにいた暇そうな老人も、犬の散歩の途中だろ?って感じの小型犬のリードを持った小太りの中年も、皆目を逸らす。
「なんか言えよ」
そう強く言っても誰も何も言わない。
「俺の後ろに並んで、このドブ川で何があるのん?ドブ川フェスティバル、通称ドブフェスでも始まるのん?それに参加しようとしてる?」
ドブフェスは始まる気配が無かった。そもそもドブフェスなるフェスティバルも存在しない。なのに俺の後ろには更に数人が増えて、十一名が各々居心地悪そうに並んでいる。
「はぁはぁぁん。なんかアレか?バイトか?俺の後ろに並ぶと金でも貰えるのか?そんな気色悪いバイトなんか辞めてまえ」
当然誰もが無言を貫いている。くっそー、こうなったらドブ川に入ったろか、したらこいつらも入るしかないわな。くっさそうやけど、ケケケ見とれ。
「そんならお前らも道連れや」
俺は勢い良くドブ川へジャンプした。ぬるっとした気色悪い感触がして悪臭が鼻を突く。三歩程ドブ川を歩いて振り向くと、並んでいた連中は次々と去って行くところだった。
「オイコラ、何しとんじゃい。こっち来んかい、付いて来いや」
俺の声は宙を舞い、悪臭と気色悪い感触だけが纏わりついてきた。
グボっ、グボっ、グボっという音が歩く度に靴から鳴り、悪臭を撒き散らしながらようやくアパートまで帰ってきた。自分の部屋の前に立った時には、グボっ、グボっという音も大分落ち着いていたけど、相変わらず悪臭は漂っていた。ズボンの膝の辺りはヘドロが乾燥して一部カピカピになっていた。
足はグズグズで、ネチョネチョしている。このまま部屋へ入れば、いくら靴や靴下を脱いでも部屋がグズグズのネチョネチョになってしまう。足を洗おうにも部屋に風呂は無く、ミニキッチンがポコっとあるばかりだ。
狭い玄関で、靴、靴下、ズボン、パンツ、シャツを脱ぎ捨て真っ裸になり、四つん這いになってミニキッチンを目指した。ようやく辿り着いたミニキッチンの前で意を決して立ち上がると、矢張足の裏にニュルニュル感を覚えた。右足を上げ、ミニキッチンのシンクへ入れる。足と鼻の距離が縮まり激臭が香る。と同時に一本立ちの左足がニュルニュルっと成って、ツルンとバランスを崩し、背中から床へ一人バックドロップが炸裂した。チンコがプルるるんと揺れた。床におもいっきり背中と後頭部を強打した。
「ブハハハハハハ」
何故か笑いが込み上げてきた。笑うしかなかった。俺は何をやっているのだろう?
くそ、何がどうなっているのかさっぱり分からない。アパートの部屋を一歩出ると、背後が気になって気になって仕方がない。
「あのう~」
後ろから声がした。ついさっき振り返った時には誰も居なかった筈なのに、いつ現れたのか。嫌な予感がしつつも振り向くと、黒い雑種の中型犬が居るばかりで、人の姿は見当たらなかった。
「お前やないよな?確かに声したんやけど、誰も居らんやんけ」
「いや、俺やけど」
しれっとした顔で犬が喋った。
俺の頭の中に何でか知らんけどミスフィッツというバンドのスカルという曲が鳴り始めた。
アーイ、ウォンチョースカール♪アーイ、ニージョースカール♪
軽快なリズムと明るいメロディーに乗ってえげつない歌詞の曲だなぁと、目の前の犬を見ながらそう思った。
「嘘やろ?」
「いやいや」
「喋れるん?」
「会話しとるやん」
ダーイ、ダイダイダイ、マーダーリン♪ダッダーダーマーダーリン♪
すかさずミスフィッツのダイダイマイダーリンという曲が流れ始めた。激しい反復するリズムに、心なしか犬がヘッドバンキングをしている。
はいはいはいはい、ミスフィッツやめぇ~。
「で、おまえ何?」
そう言うと、ドロンとなり黒い雑種の中型犬が煙に巻かれた。
「うわうわうわどした?」
白い煙は青くなり、赤くなり、そして紫色となり、煙の中で先程の犬とは明らかに違う気配を纏っていた。
「ジャーン!」
自分で登場の効果音を言いながら、消えゆく紫の煙の中から飛び出て来たのは変な生き物だった。
「はい来たホイ!」
妙に人を馬鹿にしたような声で馬鹿みたいに現れたのは、パッと見は猿なのだけど体毛は無く、なんだかツルツルとしていて二本の足で立っている。褌に見えないこともない布を纏っていて、上半身は裸である。
「俺は、犬キングだワン」
犬キングと言われても、犬というよりかはやっぱり猿よりである。
「猿キングやなくて?」
そう言うと犬キングの様子がおかしくなった。
「今、なんつった?なんつったよ?あああ?」
「ええ?猿キング?」
「あああああ、俺の前で二度と口にすんな、な、な」
猿が嫌いなのかぁ。あっ!犬やからか?犬猿の仲って言うもんな、やしか。
「はいはい、わかったっす。ところで、犬キングはん俺に何か用かえ?」
「あんた最近悩みあるやろ?」
犬キングは含み笑いの顔で聞いてきた。なんかムカつく。
「悩みっつーか、最近並ぶのんよ。俺のうしろに。人が」
「それな」
人を馬鹿にしたような声で、猿みたいな顔で、わざと癇癪を起こさせるような文言を発した。マジでムカつく。
「それなって、何か知っとんの?」
ムカつく感情を抑えながら聞いてみた。
「ああ、それはねぇ」
「それは?」
「それは、詳しくはWebで!」
「チンコ切んぞ」
「冗談やがな、メキシカンジョークだワン」
なにがメキシカンジョークだ。こいつマジでなんなんやろ?犬キングて?
「ちなみに並んでくるアレらな、犬ですねん」
「は?」
「わしの命令でアレらはチミの後ろに並んでいるのデース。人に形を変えた犬なのデース。わし、犬キングやから全ての犬は、わしに平伏すのデース」
「ちとまて猿。やない犬キング。そんならアレか?おのれがアレやらせとんのか?」
「イエース、アイドゥ。実験デース。つかまた猿ていうたなコラ」
「実験?実験やと」
「やっぱ鬱陶しかった?アッハァーン?」
ブチっと音がした。ブチギレるとはこういう事か。そのまま犬キングへ殴りかかると、何処からともなく現れた三匹の犬が襲いかかってきた。犬キングへのパンチは空を切り、俺は犬に噛みつかれながら、犬キングの足元でひしゃげる。
突然、「キャンキャン」と、か弱い声になった犬たちが俺から離れ逃げて行った。
「兄さん、大丈夫でっか?」
ようやく身体の自由を取り戻し、その声に振り向くと猿熊が立っていた。
「サルクマぁぁ」
「どうしましたの兄さん?、この猿みたいのにヤられてましてん?」
猿熊はゴリゴリの元ヤンキーで、今は立派に組織へ属している。狂犬みたいなルックスをしていて喧嘩最強である。その猿熊が、俺を兄さんと慕うのには訳があった。
ある日、夜道を歩いていると正面から絶対関わってはいけない雰囲気をゴンゴン出しながら此方へと来る者があった。あの猿熊である。
ヤバい、マジでヤバりんこパークインフェルノである。道の端に寄り気配を消していると、猿熊が寄って来た。
「おいコラ、おまえ、何死んどんじゃい」
「ひぃぃぃ、いや、なんもしてませんよ」
「死んどるやないかい」
と、そんなやり取りをやっている時だった。殴られると思い咄嗟に突き出した手が、運悪く猿熊の胸に当たり、猿熊が後ろによろけた瞬間にドスを持った男が俺と猿熊の間をすり抜けた。
男は失敗を悟り、すぐさま横の雑居ビルへ走り込んで行った。
「何やこいつ」
猿熊の表情が白黒している。
「ちょっと待っとけよ」
猿熊はそう言うと男が走り込んだ雑居ビルへもんどりうって入って行った。
ほんの少ししてから三階辺りの窓が割れる音がして、人間が降ってきた。さっきのドスの男だった。男はアスファルトに身体を打ち付けプルプルしている。雑居ビルの入口から猿熊がドスを持って帰ってきた。半分意識の無さそうな男を乱暴に起して、「お前は今日から芳一と改名しいよ」と言うが早いか、右耳をドスで切り落とした。
「ひいぃぃぃ」
俺は何を見せられているのだろう?それから間髪いれずに左耳も落とし、その両耳を踏みにじりながら、猿熊が寄ってきた。ヤバいだろコレ。もう無理。終わったわ。
「兄さん」
「え?」
俺は猿熊が何を言ったのか全く要領を得なかった。
「身体張って俺を守ってくれてありがとうございます」
いやいやいやいや違いまっせ。
「これからは、兄さんと呼ばせて貰います。なんかあったら直ぐ駆けつけるんでなんなりと言うてください。あんたは、いや兄さんは命の恩人や」
「おい、お前なんじゃい。横からしゃしゃり出てきてから。わしの犬に何しとんじゃい」
「は?なんやワレ?猿か?」
猿と言われた犬キングの顔が真っ赤になっていて、本当に猿に見える。犬キングは何かの儀式のようなポーズをとり叫んだ。
「犬たちカモーン」
犬は来なかった。
「あり?どうした?犬カモーン」
犬キングがいくら呼んでも犬は来ない。何故なら、さっき猿熊にヤられた三匹の犬たちがX(旧Twitter)などのSNSで犬用の掲示板に猿熊の事を拡散希望のハッシュタグを付けて投稿していたからだ。
「おいこら、兄さんに何やっとんじゃい。覚悟せいよ」
猿熊は犬キングをメタメタにした。段々と犬キングの生命反応が小さく成っていく。猿熊犬一、敵に回すと恐ろしい男だけど、味方ならなんと心強いのだろう。猿なのか熊なのか、はたまた犬なのかよく分からない名前なのに。
犬キングは虫の息となり、そして最終的には黒い煙となり消えた。その時、何かが変わった。犬たちにしてみれば、歴史が動いた。
猿熊の中に光が灯ったようだった。それは猿熊が新たな犬キングへと君臨した瞬間だった。最強最悪な猿熊が、犬の力まで得てしまった。まだ本人にその自覚はない。
「兄さん、やったりましたわ。また何かあったら直ぐ駆けつけるんで」
猿熊は颯爽と去って行った。
ん?ちと待てよ。ムムム、これはもしかして、あり?となり、俺は希望が見えた。
凶悪な人たちよりも 犬たちの方が強く、その犬たちの頂点に君臨するのは現在犬キングの 猿熊で、猿熊を従えているのは、 俺という事になり、俺はしれっと権力を手に入れたのだった。
〈了〉




