アナザーストーリー〜フィリップ編〜
閲覧ありがとうございます。
フィリップの前世編です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
ずっとゲームの世界に関わりたいと思っていた。
物語に命を吹き込む仕事に憧れて、大学時代から夢中でゲーム会社を志望した。
そしてようやく念願が叶い、配属されたのは……まさかの乙女ゲームの部署だった。
正直、最初は戸惑いしかなかった。
周りの同僚は皆、華やかな女性向けコンテンツに情熱を持っている。
一方、俺はギャルゲーを少し触れたことがあるくらいで、乙女ゲームに関しては門外漢。
「女の子が好きな世界って、どうやって描くんだ?」
そんな風に悩みながらも、与えられた仕事に向き合った。
だけど不思議なことに、関わっていくうちに、俺はその乙女ゲーム――『運命の花嫁と約束のキス』にのめり込んでいった。
最初はキャラ設定の資料に目を通すだけで十分だと思っていたのに、気がつけば自分でもプレイしていた。
芯が強くて、まっすぐで、時に脆さを見せながらも前を向くヒロイン。
攻略対象の男たちはみんな魅力的で、それぞれが人生に迷いながらも彼女に出会って変わっていく。
そういう物語に、心が震えた。
リリース後は、アニメショップやおもちゃ屋、家電量販店を片っ端から巡っては、棚に並ぶ自分が携わった作品を写真に撮った。
手触りの残るパッケージを何度も撫でて、改めて「この世界に命を吹き込むことに携われたんだ」と実感した。
家に帰ると、完成品をプレイしながら開発中の思い出を一人で振り返る。
うまくいかなかった日もあったし、胃が痛くなるほど揉めた打ち合わせもあった。
それでも、ゲーム業界に飛び込んでよかったと心から思った。
……そんな矢先、信号無視の車に撥ねられ、人生を突然終えることになった。
夢を叶えたばかりで、志半ばで。
無念だなんて言葉じゃ足りないくらい、心が千切れそうだった。
そして、目を覚ますと、そこはまるで異国の高級ホテルのような部屋。
鏡を見れば、自分とは思えない美青年がこちらを見返していた。
名前を告げられた瞬間、信じられなかった。
「フィリップ」――あのゲームの中のキャラクター。
まさか、自分が携わったゲームの世界に転生するなんて。
最初は夢だと思った。けれど、何度も自分の頬を叩いても、痛みは現実を告げていた。
「イマーシブ体験じゃん!」
最初は、そんな風に無邪気に興奮していた。
でもすぐに気づいた。
この世界では、自分と同じ現実を共有できる人なんていない。
ゲームの中に入り込んだ俺は、どこかでずっと孤独だった。
それでも、この世界を壊したくなかった。
“フィリップ”として与えられた役割を演じて、彼の人生を全うしようと決めた。
喋る時の一人称は“僕”と言うようにして、物腰柔らかで外に出かけるのが好きで美味しいものを食べるのが好きな青年。
他にも細かい設定があって、そのキャラクター設定を何度も反芻した。
ゲームのシナリオをなぞるように生きることで、この世界に敬意を示したかった。
でも、役目に縛られるうちに、心はだんだんと平坦になっていった。
楽しいはずの物語を、ただの既定路線としてなぞる自分がいた。
そんなある日。入学式の一か月前。
学園近くに滞在していたとき、偶然目にした光景があった。
「ルイー!今日はクレープ食べに行こっ!」
「おい……そんな引っ張るなって。」
「ねぇ、今度この映画見たいんだ!」
「……いいけど、たまには他のやつと行けよ。」
「そんな選択肢はありませーんっ!ルイと一緒にいるのが一番楽しいもん!」
「恥ずかしいやつだな……」
ヒロインでもない、シナリオのどこにも載っていなかった“幼なじみ”の女の子。
イレギュラーだ。
最初は驚いた。でも、ワクワクした。
自分と同じ、ゲームの外からやってきた人間なんじゃないかって。
そんな彼女を見ているうちに、思い出した。
――俺は、誰かとワクワクする気持ちを分かち合いたくて、このゲーム業界に入ったんだ。
この世界で、彼女だけがシナリオに縛られずに生きているように見えた。
そんな姿が、無性に輝いて見えた。
やがて、入学式の日。
留学生として学園に顔を出した俺は、自然と彼女の姿を探していた。
あの笑顔が、また見られるかもしれない。
それだけで心が高鳴っていた。
けれど、学園で出会った彼女は、前とは違っていた。
戸惑うように、ルイとの距離をとったり、ぎこちなく笑ったり。
おそらく……記憶を取り戻したのだろう。
自分が乙女ゲームの世界にいると気づいて、それでもなお迷いながら生きている彼女。
その姿に、俺は深く心を打たれた。
やがて、俺はサロンで彼女と再び出会い、話をするまでの仲になった。
彼女の言動は時々、俺には理解できないほど不器用で。
でも、それが人間らしくて、愛しかった。
シナリオの枠を飛び越えて、不器用に生きようとする姿は、俺には眩しかった。
(ああ、俺が“フィリップ”として生きるこの世界でも、まだ新しい感情に出会えるんだな。)
次第に、俺の役目は決まった。
彼女の選んだ世界を、見届けること。
ゲームのシナリオ通りじゃなくていい。
この世界を、ゲームのシナリオを知っている俺にとっても、彼女にとっても、もう一度”ワクワク”できる場所に変えたい。
そう思えた。
もしこの世界が物語だとしても――彼女の笑顔だけは、きっと“真実”だ。
だから、フィリップとしての人生を楽しもう。
彼女と同じ時代を生きることを、誇りに思おう。
それが、俺にできる、たったひとつの物語の結末だと思った。
静かな風が、湖のほとりを吹き抜ける。
この世界に来て、俺はようやく”主人公の気持ち”を知ったのかもしれない。
(俺は、この物語に出会えてよかった。)
そっと瞼を閉じる。
遠い前世の自分に向けて、心の中で呟いた。
――この世界でも、俺はちゃんと生きてるよ。
そして、再び目を開けた時。
サロンの扉の向こうに、あの子の笑顔があった。
それだけで、すべてが満たされた気がした。
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一旦、定期更新での番外編は以上になります。
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