アナザーストーリー〜エミリエ編〜
閲覧ありがとうございます。
エミリエが在学中、片想いしていた頃の話です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
梅雨の名残がようやく空から消え、からりと晴れた夏の週末。
朝から光が街を包み、淡い陽炎のように空気が揺れていた。
エミリエは、その日一人で映画を観に街へ出かけていた。
プレスリリースされた時から気になっていた恋愛映画。
タイトルは『教会でもう一度、君に愛を誓う』。
話題作だったけれど、誘う相手もいないまま公開初日を過ぎ、やっと観ることができたのが今日だった。
(先生も、こういう映画観たりするのかな……)
ふと、頭に浮かぶのは、いつも気になるあの人のこと。
先生。
私の担任の先生。
真面目で、優しくて、生徒思いで。
誰にでも公平に接してくれる、理想的な先生。
エミリエは、そんな先生にずっと憧れていた。
(……最初は、ほんの憧れだったのに。)
いつからだろう。
教室で交わす何気ない言葉、放課後の課題の相談、サロンでのやり取り。
先生の言葉に救われたことが、いくつもある。
そのひとつひとつが、いつの間にか心に積もって。
学校以外でもずっと先生のことを考えるようになって。
気づけば、先生のことを考えるだけで、胸が苦しくなるようになっていた。
十代の女の子は大人の男性に偶像的に憧れてしまうとどこかの雑誌で見たけれど。
そんな言葉では言い表しきれないほど先生の想いが募っていた。
(先生に会いたいな……)
映画館に向かう道すがら、ふと目に入ったカフェのテラス席では、仲睦まじいカップルが笑い合っていた。
それを横目に見ながら、エミリエは少しだけ目を細めた。
昔なら、なんとも思わなかったかもしれない。
むしろ、目的のないウィンドウショッピングなんて退屈かもとまで思っていたのに。
今は違う。
その温もりの中に、自分もいたいと、そう思ってしまう。
(先生と、もしああやって並んで歩けたらーー)
そんな叶わない想像ばかりしてしまうのは、自分でも分かっていた。
先生は、大人で、教師で、誠実な人だ。
未成年の生徒に軽々しく手を出すような人じゃない。
それどころか、もし想いを打ち明けたら、きっと真剣に悩んで、丁寧に断ってくれるだろう。
だから、言えない。
ずっと、言えなかった。
(この気持ちは、秘密のまま。誰にも言っちゃいけない。)
エミリエには友達がいた。
周囲からは明るくて社交的で、クラスの中心的な存在だと見られていた。
でも、休日になると、なんとなく予定を入れられないことが増えていった。
ーーだって、もしかしたら、先生に呼ばれるかもしれないから。
課外活動の準備、サロンの試作会、校外学習の相談ーー先生と会える機会が少しでもあるなら、空けておきたかった。
決まってもいない“もしも”のために、予定を空けることが当たり前になっていた。
(先生となら、どこに行っても楽しいと思えるのに。)
遊園地のポスターが貼られたレンガの壁を見ながら、エミリエはふと立ち止まる。
想像する。
もし、先生と一緒に来たら。
チケットを取って、列に並んで、ジェットコースターに乗って、笑い合ってーー。
そんなことを想像してしまう自分が、少し子どもっぽくて恥ずかしいと、わかってはいる。
でも、想像するだけで胸が高鳴る。
(でも、しょうがないよね……)
だって、先生が好きだから。
誰にも言えないこの想いが、ずっと胸の奥で疼いている。
叶わないってわかってる。
でも、それでも、消せない。
好きになってしまった気持ちは、もう元には戻らない。
映画は、本当に素敵だった。
感動して、何度も涙をこらえた。
でも、映画の中のふたりを見ながら、心のどこかでは先生のことばかり考えていた。
あのセリフを、先生が言ってくれたら。
あの微笑みを、私に向けてくれたら。
夢のような時間のはずなのに、どこかで現実に戻ってしまう。
(はあ……私、ほんとにダメだな。)
映画館を出て、大きく伸びをする。
まぶしい太陽の光に少し目を細めながら、足元を見ていたとき——ふいに、見慣れた車が視界を横切った。
(えっ……?)
一瞬で胸が高鳴る。
「……先生っ!」
無意識に、声が出ていた。
振り返った人たちがエミリエを見る中、車はゆっくりと停まり、窓が開いた。
「エミリエ?聞き覚えのある声がしたと思ったら……本当にお前か。」
何度も脳内でリピートした声が耳に届き、エミリエの頬がふわりと熱くなる。
「すみません、映画館の前で、見覚えのある車を見て……つい。」
「いや、驚いたけど……気がついて、声かけてくれて嬉しいよ。今日は一人で出かけているのか?」
「はい、映画を観に……この前、お話した作品、観てきました。」
「『教会でもう一度、君に愛を誓う』だったよな?どうだった?」
先生が、自分の他愛もない話を覚えてくれていた。
たったそれだけのことが、エミリエの胸を温かくする。
「……すごく、良かったです。」
「そっか。それは何よりだ。」
車内の静かな空気が、ほんのりとした陽の香りと混ざって、エミリエの鼻腔をくすぐる。
シトラスのような香りが心地いい。
けれど、長居はできない。
ここは停車禁止区域だ。
ここで、先生を引き留めるわけにはいかない。
エミリエはまだ話したいと思う気持ちを押し殺して笑顔を作る。
「邪魔しちゃいましたよね。引き留めてしまって、すみません……」
「いや、全然。むしろ偶然会えてよかったよ。エミリエ、今から帰るところか?」
「はい……」
「じゃあ、駅まで送っていこうか。まだ映画の感想、たくさんあるだろ?」
「えっ……ほんとに、いいんですか?」
「もちろん。お前さえ良ければな。」
「はいっ!ぜひ!」
弾んだ声が、通りに響いた。
助手席に乗り込み、シートベルトを締める。
先生の選んだ車で、選んだ空間で、先生の隣に座れる。
たったそれだけで、心がふわふわと浮いていく。
先生の車に乗るなんて、いつぶりだろう。
確か、初めて乗った時は、課外活動の時。
電車がトラブルで止まってしまっていて、家の近くまで送ってくれたんだ。
(こうして、さりげなく距離を縮めてくれるところも……好きになっちゃうんだよね。)
車の窓から流れていく景色。
ほんの10分足らずの道のり。
けれど、それが宝物のような時間に感じた。
先生は運転中も、エミリエの話を真剣に聞いてくれて。
時折笑い、時折相槌を打ち、まるで友人のように自然体だった。
それがまた、切なかった。
(先生にとって、私は“生徒”で、“教え子”でしかないんだよね……)
けれど、今はそれでいいと思った。
こうして、偶然にも2人きりの時間をくれた奇跡に、心から感謝した。
こういった神様からの特別なサプライズプレゼントがあるから諦められない。
きっと、これからも自分は休日の予定を入れることはないだろうとエミリアは感じた。
駅に着くと、先生が静かに車を停めた。
「今日はありがとうございます、先生……休日にも先生に会えて、すごく、嬉しかったです。」
「こちらこそ、楽しかったよ。感想も聞けて良かった。」
エミリエは少しだけ、迷ってから言った。
「先生。私、改めて先生に会えて……本当に良かったと思ってます。」
先生は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「大袈裟だな。でも、ありがとう、エミリエ……お前のそういう素直なところ、俺は好きだよ。」
“好き”という言葉に、心が跳ねた。
でもそれは、生徒に向けられた“好き”だと、ちゃんと分かっていた。
エミリエの好きとは温度が違うことも。
「……じゃあ、また。」
「またな。気をつけて帰るんだぞ。」
車が走り去る音を背に、エミリエは一度だけ深呼吸した。
叶わない想いかもしれない。
でも、この気持ちは、嘘じゃない。
誰かに話すこともない、秘密の恋。
それでも、心のどこかでずっと温かく灯り続けるこの気持ちは、たぶん私を強くしてくれる。
(きっと、いつか……)
エミリエはそっと笑った。
この恋が、人生で一度きりの、切ない片想いであっても。
この夏の日の記憶が、宝物であることには変わりない。
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