アフターストーリー3
閲覧ありがとうございます。
今回でこの物語の本編は一旦終わりです。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
ルイにプロポーズされてから、数ヶ月後。
窓際のレースカーテンが、朝の風にふわりと揺れた。
陽光のやわらかな気配に、重い瞼をすこしだけ開くと、エレナの視界に、白い天井と、隣で眠るルイの後ろ姿が映った。
(あ……ここ、そうだ。あのときと同じ部屋。)
見慣れない光景に、自分がどこにいるのか思い出したエレナは、しばらくぼんやりと、そのルイの背中を見つめていた。
この場所に初めて来たのは、プロポーズ旅行の時だった。
緊張と期待とが混ざって、ベッドの配置ひとつにさえ赤くなっていた、あの日。
でも今日は違う。
「……ん、おはよ。」
ルイが目を覚ましたようで、ゆっくりとこちらを振り向く。
あどけないルイの表情を見れるのは、エレナの特権だとエレナ自身、自負していて、内心得意げになった。
エレナは微笑み、挨拶を返した。
「おはよう……ぐっすり眠れた?」
「うん、いつもより、よく眠れた気がする……多分、隣にいるのが“奥さん”になったからかな?」
「ふふっ、何それ。」
少し戯けたように言ってみせたルイに、エレナは微笑んで、枕元で指を絡めるようにルイの手を取った。
「でも、嬉しい……入籍した日に、改めてこの宿に来ようって言ったの、ルイだったよね?」
「ああ。やっぱりさ、ちゃんと“始まりの場所”に来たかったんだ。」
ルイは、少し照れたように視線を泳がせながら言った。エレナはそんな表情も愛しいと思った。
「プロポーズの時、本当はもっと格好つけるはずだったのに、レストランが臨時休業でさ。あのときは、正直すごい落ち込んだんだ。」
「知ってる。あんなに落ち込んでたルイ、珍しかったもん。」
「……エレナに悟られてたのも、地味にショックだったけどな。」
「でもね、それでも嬉しかったの。言葉も指輪も、ちゃんとルイの気持ちだったから。」
エレナは、指輪がはめられた自分の左手を見下ろす。
銀のリングが、朝日にきらめいた。
あの日、プロポーズした時にもらった婚約指輪と、入籍した日にはめた結婚指輪。
エレナにとっては、どんな宝石にも代えがたい特別な指輪だ。
あれから季節がひとつ巡って、ふたりはいくつかの旅行も、一緒の夜も重ねてきた。
もう、あの頃のような“ひとつの部屋に2人で泊まる”ことへの初々しい戸惑いはない。それでもーー
「今朝も、目が覚めて隣にルイがいるってだけで、やっぱり嬉しいよ。」
「……俺も。毎回、新鮮だなって思う。」
静かに重ねられる会話。
言葉のひとつひとつが、ただの“日常”になりつつあった。
でも、そうやっていつもと変わらない日々を一緒にいられることが、何よりも幸せだった。
そうやって、朝の他愛もない会話を終えた後、2人はゆっくりとベッドを抜け出し、軽く髪を整えてから、朝食のラウンジへ向かう。
変わらぬ宿の風景。
木のぬくもり、香ばしいパンの匂い、そして窓から見える湖畔の眺め。
「……懐かしいな。」
「だな。あのときは、前後のこともあってか、紅茶のティーポットすら緊張して倒しかけたし。」
「いやぁ、あの時のルイはいつも以上に緊張してたもんね。いつもそつなくこなすルイがあんなに動揺して……私もすごく印象に残ってるよ。」
「うぐ……」
くすくすと笑いながらテーブルにつく。
エレナは、少し肩を寄せるように座って、ふとルイの横顔を見た。
「ねえ、ルイ。」
「ん?」
「もし、あの時……すれ違ったままだったら、今、私たち、どうなってたんだろうね?」
ルイは一瞬、表情を止める。
「……考えたくもないな。」
「私も。」
すれ違って、遠ざかって、それでも、手を伸ばしてくれたのは、ルイだった。
「私が諦めかけてた時、ちゃんと想いを伝えてくれてありがとう。」
「俺も……怖かったけど、言ってよかったって思ってる。エレナも気持ちを伝えてくれて、俺の想いも受け取ってくれて、ありがとう。」
淡々と語られる言葉の奥にある感情を、エレナはちゃんと知っていた。
この人は、不器用で、それでいて、いつも誠実だった。
臆病なほどに真面目で、でも大切な場面では、必ず一歩踏み出してくれる。
――だから、私はこの人を選んだんだ。
食後、チェックアウトまでの時間をゆっくり過ごすために、2人はもう一度、部屋に戻った。
窓を開けると、風がカーテンを優しく揺らす。
ルイはベッドの縁に腰かけて、何気なく指輪をいじっていた。
「エレナ。」
「なに?」
「この先、きっと、また喧嘩することもあると思う。それでも……」
「うん。」
「その度に、今日みたいに、“戻って来られる場所”を作っていこう。」
宿のことだけじゃなく、想い出を、気持ちを振り返るといった意味合いだとエレナは感じた。
「うん。約束。」
ふたりは指を絡め、小さくうなずき合った。
「ねえ、ルイ。昔のこと覚えてるかな。ルイのお嫁さんになるって言ったの。あの時も今もずっと変わらない。本気で想ってたんだよ?」
「ああ……伝わっていたよ。だから、責任とって、エレナのこと幸せにしたい。」
エレナが笑いながらそう言うと、ルイは真剣にそう答えて、絡めていた指を外して、手をしっかりと握った。
旅の終わり。
部屋の扉を閉めるとき、ルイがそっと言った。
「……また、来ような。」
「うん。何度でも。」
そしてふたりは、肩を並べて歩き出した。
すれ違いも、迷いも、今ではすべて“過去”になって、2人を繋ぐ“想い出”になっている。
大切なのは、現在。
そして、この先も変わらず隣にいるという、静かで確かな未来。
エレナはふと、ルイの指先に絡めた自分の手を見て、小さく笑った。
なんてことない朝なのに、どうしてこんなに幸せなんだろう。
こうやって自然に大好きな人の隣にいられることに喜びを感じる。
多分、それは、あの頃、ずっと夢に見ていた“2人の未来”が、今、ここにあるからだ。
すれ違い続けた日々も、信じられなかった自分も、
あの「好き」は、全部この未来に続いていたんだ。
今、こうして、ようやく“2人で始める”一日がやってくる。
お読みいただきありがとうございます。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
今後は少しばかり本編では描ききれなかった番外編をお送りしていく予定です。
そちらもお付き合いいただけると嬉しいです。
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よろしくお願いいたします。




