第20話 獣たちは祈らない
都市部から離れれば離れるほど夜の闇を照らす光源はその数を減らしていき、鬱蒼とした森の中ともなれば月の明かりすら届かない。
広がるのは真の黒。眼前すらまともに見えないその場に一人、ローブを着た影が揺らめく。
「キョ、キョウハナゼココニ?」
ローブの周囲には取り囲むように影が並び、その中の一つが代表して言葉を発した。
覚束ない口振りで、最低限なコミュニケーションは取れる程度の知能。
そんな影にローブは舌打ちをし苛立たし気に応じる。
「何故、何故と聞きましたか。愚かな獣達ですね。それすらも考える力が無いとは……。いいですか? ワタクシが来たということは、お前たちの仕事の時間ということです」
落ち着いた声の女性。年齢は子供のようでもあり、大人のようでもある。年齢不詳の彼女は周囲の影を煽るように両手を広げ、高らかに声を上げる。
「哀しき獣達よ! 今ここにアリエルが命じます。ここより南方に小さな村、ビニグス村がある。そこを襲いなさい! ただし、村の人間は襲ってはいけませんよ? いつも通り、食っていいのはそれ以外の部外者だけです!」
歓声のような獣達の雄叫びが上がる。彼女を取り囲む影達はすぐに消え去り、森には静寂が戻った。
風が吹き、木々が揺れる。揺らめく木の葉の隙間から月光が射し、光に晒された彼女はただ静かに嗤い、再びその姿を闇に溶かした。
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「ごちそうさまでした」
手を合わせて満腹の意を示す櫛奈。陽はすっかり沈み、夕飯時。櫛奈が水浴びをしている間に子供達は先に食べ終わっていたらしく、食堂には櫛奈とアーラ、それにトゥムクスだけがいた。
「食べた後に言おうと思ってたんだけど、クシナもちゃんと神に祈るんだね」
「ん? ああ、いただきますとごちそうさまのこと? うーん、どうなんやろ。ウチが物心ついたときからやってたことやし、あんまり祈ってるっていう実感はあらへんなあ」
「そうなんだ。でも、きっとどこも一緒なんだね。人は今日を生きられたこと、それから食物への感謝を込めて、祈る。神がいなくなっても自然と皆、それをやってるんだ」
ここは神が実際にいる世界、と櫛奈は聞いている。だから信仰が厚いし、アーラのように生贄という存在も生まれてしまう。
神の存在がどういった影響を与えているのか、櫛奈は知らない。神頼みの国だと、いなくなれば当然困るだろうし、独り立ちできている国ならば神がいようがいまいが変わらないだろう。
そしてこの国は恐らく後者。今現在神がいないにも関わらず、誰もが懸命に生きようとしている。
それもきっと、この国を愛しているからこそ。
だから頑張るし、不在の神にも祈っている。
きっとそれは良いことなんだろう。
「そうですね。祈りも大事なことです。ですが、神がいない今、それぞれが自分自身で生きられる力を持たないといけないことも事実です」
トゥムクスは生真面目な顔でそう言って、空になった皿を片付けていく。
「あ、ゴメン! 片付け手伝うわ!」
「いえ、ゆっくりお寛ぎ下さい。貴女方は客人なので、手伝わせるわけにはいきません」
にべもなく、彼はそう言って洗い場へと消えて行ってしまう。
友達の家に行った時のような居心地の悪さを感じる。誰かが忙しくなく動いている中で、自分だけがもてなされているという状況に、櫛奈は慣れていなかった。
「それにしても、クシナさっきのカッコよかったよ! ワタシ、ますますクシナのこと好きになっちゃった!」
「ありがとうな。ホンマ強かったわ。トゥムクスさんが攻撃してけえへんルールやったから勝てたけど、普通の試合やったら、まあウチの負けやろな」
「あはは……。そりゃあ、この国で一番の実力者だからね。それでもクシナは凄かったよ」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
初めて戦闘らしい戦闘を行って分かったが、ちゃんと緊張する性分らしかった。幾ら櫛奈が部活の試合で体を動かす経験があったとしても、それとこれとは話がまるで違った。
きちんとした実力者との闘い。それもただの実力者ではなく、生き死にの賭けに勝ってきた強者。
その勝者が放つプレッシャーこそが、櫛奈が緊張した理由なのかもしれない。もちろん負けたらどうしようとか、そういった精神面での重圧はあっただろうが、それでも生の人間が放つ圧には敵わない。
「……ウチもまだまだやな~」
「そんなことないよ」
「アーラはホンマにウチのこと全肯定やな……。まあええんやけど。ところで、この後どうすればいいんやろか。ちゃっかりご飯までご馳走になってしもうたけど、これから一か月護衛やろ?」
「そうだね。お昼は良いんだけど、夜中は私とクシナが交代で見張り、とかかな」
そう提案するアーラに櫛奈は頭を悩ませる。
「うーん。ウチ、夜中起こされても起きられへんと思うんやけど」
櫛奈の生活サイクルとして、現実世界の昼は現実世界で日常を過ごし、夜に眠った後こちらの世界に来ている。
そしてこっちの世界で寝たら現実世界で起床する。今のところちょうど登校時間前に起きることができている。
だがあまりにも都合が良すぎる。寝てる時間も動きたい、という意識が高い人間の夢を実現させたかのような都合の良さ。
特に問題視はしてこなかったが、しかしこっちの世界の夜中に働くとなった場合、現実世界ではどうなっているのか。そこのところを詳しく聞くべきだろう。
ここに連れてきた張本人に。
『フェイレス。ちょっと聞きたいことあるんやけど』
念のためフェイレスに思考で会話を試みると、意外にも燕尾服の紳士がその姿を現す。
「……フェイレス。呼んどいてなんやけど、そんなポンポン姿見せて良いん? 万が一誰かに見られて説明しなアカンようなるのイヤやで?」
『ご心配なく。その辺り抜かりはございません。悪魔の探知能力を見くびってもらっては困ります』
「いや、知らんけど……。それで、どうなん? ウチ、ちゃんと起きれるん?」
こっちの世界で櫛奈が入眠したら、現実世界で起きることになる。ただし、そうなるとこっちの世界で幾らアーラが櫛奈を起こそうとしても、現実世界で櫛奈が寝ない限りはこっちに来られないのではないか。
櫛奈は未だに世界の行き来の仕組みが理解できていなかった。
『任せてください。例え別の世界で起きていたとしても、ワタシはクシナさんに寝ていただくよう呼び掛けますから』
「いやそれ根本解決になってへんよな!?」
仮に二時間ごとの交代だとしても日中二時間も睡眠できる時間は捻出できないし、する場所もない。授業二限分、ぶっ通しで寝ていたら怪しまれる以前に心配されてることだろう。
かと言って学校を丸々一か月休むわけにもいかない。その間アルバイトもあるし、家事もしなければならない。とてもではないがこれ以上、二足の草鞋は履けない。
色々と考えていた櫛奈にアーラが元気よく提案してきた。
「あ、じゃあさ。夜中は私に任せて! それでお昼は櫛奈が護衛する、これが一番良いんじゃないかな?」
「うーん。でも申し訳ないしな~……」
「全っ然! 寧ろもっとクシナの役に立ちたいって思ってるんだから。これぐらいやらせてよ」
瞳を輝かせながら、胸を張ってそう言い切るアーラ。
このまま甘えてしまってもいいのだろうか、と思ってしまう。それは櫛奈が今まで出来るだけ一人でやろうとしてきたから。自分の都合で誰かが面倒な目に遭うなんて、そんなことは櫛奈自身が許せなかった。そんな自己中心的な人間にはなりたくないと、そう思っていた。
だが、誰かに頼ることは自己中心的ではないのかもしれない。
クラスメイトからの気分転換の誘いも、弟からの家事手伝いの提案も。
今みたいにアーラからの業務分担の話だって。
全部、甘えなどではない。その言葉を信じて、その気持ちに応える。引け目を感じる必要なんてない。
年齢や立場、場所や時間なんて関係ない。
櫛奈がどうしたいのか。自問自答の末、彼女はアーラにきちんと向き直る。
「うん。せやったら、お願いさせてもらうわ。頼りにしてるで、アーラ」
人に頼るというのは思いの外、心が晴れやかになる。自然と表情が柔らかくなり、笑みがこぼれ破顔する。
「う、うん。精一杯頑張るからね」
アーラが急にしおらしくなって、顔を背ける。心なしか顔が赤い気もする。
もしかして体調が悪くなったのかもしれない。
「え、アーラ大丈夫か? 風邪でも引いたんか?」
風邪だったら護衛どころじゃない。すぐに体温を測ろうと彼女の額に手を伸ばす。
「熱は無いみたいやけど……」
「――っ!!」
突然、アーラが立ち上がる。顔はもうすっかり後ろを向いていて、彼女がどういう表情をしているのかこちら側からでは読み取れない。
「わ、わたっ、し。ちょ、っと、夜風に当たってくる、ね」
そう言って、アーラはそのまま駆け出して行ってしまった。
「……なんやろ。食べ過ぎたんかな」
『クシナさんは本当に悪魔ですよね』
「いや、アンタに言われたないわ」
すっかり誰もいなくなった食堂で一人、櫛奈は悪魔にツッコミを入れるのだった。




