9 史跡散歩
ショッピングモールには鈴芽の運転する車で行った。
「わたしともっちゃんは、後ろに乗るよ。もっちゃん、スピード出ると怖いみたいだから。」
「怖がってなど、おらぬぞ。」
強がるところが男の子だなぁ。かわいい!
元信少年は少し話を逸らすように、別のことを呟いた。
「未来の輿は人も馬もなく、自分で勝手に走るのだな。如何なる絡繰なのか・・・?」
今度は元信少年は爪を噛んだりせず、何かを考え込むようにハンドルを握る鈴芽の手元をじっと見ていた。
「四百年も経つと、文字もずいぶん変わるのだな・・・。」
きらびやかな商業空間の飾り付けや音楽に驚きながらも、元信少年はそういうところに目を付けてもいた。
常に状況を把握しようとするところは、やはり武将なのだろう。これほどの環境の激変にも、すでに対応を始めている。
海はそんなもっちゃんを、少し頼もしげに目を細めて見る。なんだか、実の姉にでもなった気分——。
「戦・挑・さ?・安・・・?」
ああ、そうか。(笑)
「もっちゃん。この時代、横に書かれた文字は左から読むんだよ。アルファベットやカタカナは無理だよね? ひらがなは読める?」
「ひらがな?」
「ああ、『かな』のこと。女文字。」
「漢字と平仮名は読める。それにしても如何なるお方の筆か、整っているが硬い文字だな。」
「えーっと、これは・・・、フォントと言って、機械が打ち出す文字なの。」
何言ってるか、分からないよね・・・。知らない単語ばかりだよね?
「この時代では、たいてい文字は機械が書くの。スマホみたいな・・・つまり、文字を書く絡繰があるの。・・・・わかる?」
元信少年は少し考えていたが、やがて得心したように返事を返した。
「未来では、絡繰が人間の家来になっておるのだな?」
正しいような、正しくないような・・・。
ひょっとしたら人間の方が機械に支配されているかもしれない・・・。
衣料品売り場で服を買い、和食のレストランで夕食を取る頃には、元信少年にも寛いだ笑顔が見られるようになってきた。
状況に対する適応性が高い。
元信少年は出てきた料理を美味しそうに食べながら、ポツリと漏らした。
「食べ物が温かいというのは、良いものだな。」
海にはその意味が分かる。
「そうだよ、もっちゃん。この時代には『毒見』なんて・・・」
と言いかけて、海は思い直した。
それは、わたしたちみたいな平和な日本の一般庶民だけの話かも・・・。
とにかく、もっちゃんに飾らない笑顔が見え始めたことが、海には嬉しかった。
翌日、海は元信少年を連れて近くの史跡に歩いて行った。椎の木屋敷跡公園だ。
刈谷は元信くんのお母さん、於大の方の在所でもある。水野家の関連史跡亀城公園もあり、しかも椎の木屋敷跡は家から歩いて行けるほどの距離だ。
椎の木屋敷は、松平広忠から離縁されて実家に帰された於大の方が一時期住んだ場所と伝えられる。
今は、あずま屋と於大の方の銅像がある高台の小さな公園である。
「この丘の一帯が『椎の木屋敷』って呼ばれたらしいよ。」
「私は、水野の所領はよく知り申さぬ。」
そうか。もっちゃんは1歳になる前にお母さんとは別れて、その後は6歳頃から駿府で人質になってたんだもんね。
水野家に来ることなんて、あるわけないもんね。
「母上はこのような面立ちをしておられたのか?」
元信くんは於大の方の銅像を見上げて、呟いた。
「これは後世の人の想像で作っただけの銅像だよ。本当にこんな顔だったかどうかなんて、現代の人は誰も分からない。」
「水野家は織田方だったから。」
元信くんは少し寂しそうに言う。
「織田家に人質になっていた頃にも会うことはなかったの?」
「人質? 私は織田家にいたことはござらぬが?」
「あ、やっぱり。そっちの説の方が正しいの? じゃあ、駿府に直接に送られたんだ。」
「まりんど・・・は詳しいのだな。」
「あ・・・一応、推しの歴史なもんで・・・。」
「御師?」
「えっと・・・つまり、わたしは家康の・・・もっちゃんのファン。」
「半?」
どう言えば伝わる?
「あの、要するに、わたしは元信さまが好きなの♡」
・・・・・・・・
元信くんは大きな目をさらに大きくした。
あ・・・、誤解されたかな?
・・・・・・・・
そうか! 「贔屓」って言えばよかったのかな?
そのあと亀城公園まで足を伸ばした。
ここもまた明治になって建物は取り壊されたので、今は一部の堀の形だけが残る公園で、一部にはスタジアムまで建っている。
海は散歩しながら、知っている限りの知識を元信くんに話して歩いた。元信くんは刈谷の城については全く見たこともないので、海の話を興味津々で聞いてくれている。
海はまた舞い上がりそうになる自分を懸命に抑えていた。
だって、これまで誰とも話すことのできなかった歴女のオタク話を、興味津々で聞いてもらえているんだよ?
しかも、隣で並んで歩いてその話に熱心に耳を傾けていてくれるのが——。
誰あろう、憧れの家康様の若き頃、松平元信さま本人なんだよ————!?
「そうか。ここにも堀があったのなら、なかなか攻めにくそうな城だな。」
一方の元信少年は、まりんの話をそんなふうに聞いている。刈谷を攻めることを考えているのかもしれない。