8 いろいろどうする?
「あんた。猫の仔拾ってくるのとはわけが違うんだからね?」
母親の鈴芽は開口一番、そう言った。
名鉄の始発電車に乗って、刈谷市駅で降りるまでの間、元信少年は親指の爪を噛みっぱなしだった。
「なんという速さでござるか・・・。」
小さな声で呟く元信くんを見ながら、海は、そうだよなあ、馬で駆けたって急行電車の最速には及ばないもんなあ——と思った。
新幹線に乗せたら、どうなるだろう? (^^;)
母親には電車に乗る前にLINEであらましを送っておいた。
タイムリープしてきた松平次郎三郎元信(のちの家康)少年が行くところがないので、家に連れていく。始発電車で帰る。
おおむねこんな内容だ。
すぐ電話が来るかと思ったが、何も返事がない。理解に苦しんでいるのかもしれない。
しばらくして、簡潔なLINEだけが返ってきた。
『とにかく帰ってらっしゃい』
玄関の扉を開けると、母親が仁王立ちしていた。
海はフードを後ろへ外して元信少年のチョンマゲを見せる。
母親はその額に手をぺたぺた当てて、継ぎ目がないかを確かめた。
元信少年は少し嫌な顔をしたが、2度目なのでじっとしている。
そうして鈴芽は冒頭のひと言を言ったのだった。
「いや・・・、のちの天下人に対して『猫』は失礼か・・・。だけど、あんた・・・」
母親は一応、事実としては理解してくれたようだった。
「学校はどうするの? 連休中はともかく。わたしだって勤めてるんだよ?」
「別にもっちゃんは、学校行かなくたっていいじゃん。」
「もっちゃん・・・って・・・。」
「それに、家に1人でいたって大丈夫だよ。おかしな事はしないって。慎重な子だから。のちの『徳川家康』だよ?」
「あんた、そんな大そうな人に『もっちゃん』って・・・」
「元信くんだから、もっちゃん。」
「諱は軽々しく呼んじゃダメなんだって言ってたの、あんたじゃない? 次郎三郎・・・どの・・・だっけ? ちゃんと、じろうさぶろれ・・・痛っ!」
もっちゃんは思わず吹き出した。
親子だ・・・。(笑)
「とにかく、あんたたち寝てないんでしょ? ちょっと寝た方がいいよ。・・・それで、も・・・元信くんは、どこに寝せよう・・・?」
お客さんを泊める、という発想のない小さな家だから、余っているような部屋も布団もない。
「わたしのベッドで寝ればいいよ。」
「ちょっ!・・・海、あんた・・・!」
「わたしは寝室で寝ればいい。どうせお父さん帰ってくるの年末なんだから、夜もお母さんと一緒に寝ればいいじゃん。満月までの間だけなんだから。」
その日は2人とも午後2時過ぎまで寝まくった。
疲れが取れて洗面で口をゆすいだ頃には、もう陽が西の空に行っている。
連休1日、損したかな? とは海は思わない。
だって! 松平元信くんが一緒にいるんだよ!?
「目が覚めたなら、お風呂に入ったら?」
お母さんに言われて、海は初めてその問題に気づいた。
髪・・・、どうする?
わたし、チョンマゲなんて結えないよ?
月代だって毎日剃らなきゃいけないんでしょ?
わたしが剃刀なんて使ったら、もっちゃんのおでこ血だらけにしちゃうんじゃあ?
「もっちゃん・・・。」
「?」
「誰も、髷の結い方なんて知らない・・・。」
青ざめている海に、元信少年はにっこりと微笑んで見せた。
「ああ、そのことでござるか。こちらに居る間は、髷は結い申さぬ。その方が馴染めるのでござろう?」
元信少年は、この時代でどう身を馴染ませるか、すでに考えているようだった。後世のイメージのように保守的で意固地ではない。
いや、そうもありなん。と海は思う。
状況に対する適応力を欠いていては、あの戦国を生き延びることなどできなかったはずだ。
さて、お風呂だ。
どうする?
・・・・・・・
いや、これこそ・・・どうする!?
もっちゃんの時代のお風呂は、現代のようなものじゃない。浴槽だってない・・・はずだった。
殿様のお風呂って、湯気に満たされた部屋で侍女が桶の湯をかけて垢を擦るんじゃなかったっけ?
・・・・・・・・・・・
わたしは水着を着るにしたって、相手はもう小さな子どもじゃない。14歳の健康な男子だよ!?
(°Д°;) —————————!!!
どうする?
どうしよう・・・?
「・・・もっちゃん・・・?」
「どうなされた? まりんど・・・まりん。」
もっちゃんは海を名前だけで呼んで、ちょっと照れたような表情を見せる。
かわいい!
いや・・・、かわいいけど、そうじゃなくって。
ダメだよ、海。それは・・・犯罪! 相手は未成年・・・、いや・・・? 元服してるんだから、成人・・・? あれ?
いや・・・だからといって・・・。
わたしだって、まだ一応未成年・・・。
「ただ、私には未来の風呂の使い方が分からぬ。」
「あ・・・、それは、教えるから・・・。1人で・・・入れる?」
「もちろん。まさか、まりん殿に端女のようなことをさせるわけにはまいりませぬ。」
そう言って、元信少年は貸してあったパジャマを脱ぎ始めた。
「あ・・・、ちょっと待って! そのままで、説明だけするから。裸になるのは、わたしが外に出てから。」
「?」
どうにか無事にお風呂を済ませると、鈴芽が腰に手を当てて笑顔で元信少年を眺めた。
「ま、なんとかなりそうか。」
お風呂に入っている間に鈴芽が用意した「現代の服」を、元信少年はどうにかやっと身に着けていた。出張中の父親の下着とジーンズ、海のTシャツと中学時代のセーター。
鈴芽がなんとか格好をつけたあり合わせだ。
ジーパンは長すぎるが、元信少年はどうはいていいのか分からないのだろう。足先が出ておらず、殿中袴みたいなはき方をしている。
鈴芽がひざまづいてジーパンの裾を折り曲げてやると、ファスナーも閉まっていない。
やり方が分からなかったんだろう。
「これはね、こうするの。」
鈴芽がファスナーをシャッと上げると、元信少年は大きな目をさらに丸くした。
「これで、閉じるのでござるか!」
しばらく小首を傾げていてから、元信少年は小さく呟いた。
「これを具足に付けられれば・・・。」
「これは、キミのいた時代ではまだ作れないよ。」
鈴芽がそう言って笑う。
「さっぱりしたら、ちゃんと元信くんにサイズの合う服を買いに行こう。ついでに晩御飯も食べてきちゃうか?」
「お、やった!」
海が親指を立てる。
3週間もここにいるなら、少しはこの時代の街にも慣れさせた方がいいだろう。
「帽子はかぶった方がいいな。」
髷を解いた元信少年の頭は、どう見ても落武者にしか見えない。