異世界転移 50年後も君と
異世界に落ちてしまった。
稀にそういう人が居るのだと親切な人が教えてくれた。
知らない土地で女独りでは危なかろうと、中年の女性とその母親のおばあさん二人暮しの家に一緒に住まわせてもらった。
その地は最寄り町から馬車で一日かかるほどの田舎だった。付近は牧歌的な光景が広がり、村人もみな穏やかで優しかった。
その中でも、とてもよく世話を焼いてくれる男性がいた。特徴的な見た目ではないが、穏やかな瞳でしっかりと相手を見つめ、穏やかに話す人だった。
好感を持てる男性だと思った。相手も私のことをそよ風のような人だと褒めてくれた。やがて恋人になった。
村人たちも、世話になっているおば様も祝福してくれた。結婚するまでは一緒に住めないと彼に言われた。村の風習だと。私もそれでいいと思った。
もとの世界に戻る方法は一向に見つからない。自分の両親のことは心配だけど、この世界への思い入れがどんどん深くなっていく。
この世界にとどまる意味ができたと彼に伝えたら、嬉しそうに笑ってくれた。
ある時月明かりの下で、二人手をつないで川沿いを歩いていると、彼が不意に『決めた』と口にした。『何を?』と尋ねると少し笑って、『後で伝えるよ』と言ってくれた。
その話を聞いたのは、いつもと同じような穏やかな朝のことだった。彼に誘いだされ、木立の下に座って彼の話を聞いた。
穏やかに見えるこの国も実は冷戦状態なのだと言う。隣国と、国境にある宝玉と言われるものを取り合っているのだそうだ。
そして、彼はその最前線で攻撃の要として戦っていたのだ。『都会に行けば英雄扱いなんだよ?』そうおどけて言う。
「しかし、終わらない戦いに意味を見いだせなくなって田舎に逃げてきた。でも、決めたんだ。またあそこに戻ると」
国を守るのは大事なことだが、大事な人が戦場に赴こうとしているのを素直に受け入れるのは難しかった。
「なんでそう思ったの……」
「君と川沿いを歩いているときに決めたんだ。今は穏やかにみえるこの土地も、宝玉を取られた瞬間すべてが終わってしまう。こんな田舎でもやがて敵国に飲み込まれてしまう」
そう言って私の両の手を彼の両の手で握りしめて、いつもの穏やかさに少し力強さが加わった瞳と声音で話し続ける。
「50年後も君とこうして君の隣を歩いていたい。そう思ったんだ。だから、行ってくるよ」
彼を止めることもできずに、ただその帰りを待つことになった。
お世話になっている家のおばあ様は体調を崩し亡くなった。おば様はこれを機に都に出た息子のところに行くそうだ。私は彼に、よければ彼の家を管理してほしいと頼まれていたので、おば様の家を出ることにした。
彼のいない彼の家で独り過ごす日々が続いた。女の独り身と言っても村人と信頼関係を築けている今となっては過分な心配だったとわかった。彼の婚約者として村人に大切にしてもらえている。
ある時、都に出たおば様から頼りが届いた。国の中央に行けば、もとの世界に戻る手伝いをしてもらえるかも知れないと。
深く知り合った人がそばにいない今となっては、もとの世界に戻ってしまってもいいと思えた。でもその一歩を踏み出すことができなかった。
年月ばかりがただ過ぎていく。戦場からの彼の頼りもやがて絶えた。村人たちも哀れんで、声をかけてくれる。
彼はもう死んだと言う人がいる。君は美しい。誰か他の人をいくらでも紹介できると。
待っているのはもうやめていいんだと言ってくれる人もいる。彼は他の人と結婚したのだろうと言う人もいる。
なんてことを言うのだ、とは思わなかった。私もそう思っていたからだ。でも、例えば今ももし彼が戦場で戦っていたら。私との50年後を夢見て生き延びているのだとしたら。そう思うとこの家を離れることはできなかった。
言葉一つで私を縛ってなんて酷い人なのだと思う。相談もせず、人の話も聞かずに戦場へ言ってしまうのも酷い。それでも元の世界に戻れる機会を見送りながら、彼を待ち続ける。
幸い彼の瞳を思い出すと穏やかな心で待つことができた。彼の声を思い出すと穏やかに暮らすことができた。そよ風を感じるとあの日々を思い出せた。
50年後も君と歩けることを夢見ながら。
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