化粧直し
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目の前には、平民には一生かけても手が出ないであろう豪華な食事に、最高級のお酒が次々と。
一口食べれば幸せで、二口食べれば天国だ。
三口食べればどうなるか、幸せ過ぎると不安なるのは酔っているからだろうか。
ただ座っているだけなのに、熱くなったり寒くなったり忙しくなる体は、体の軸をしっかり保てなくてユラユラしているのが自分でもわかる。
まだメイン料理とデザートがこれから運ばれてくるのに、私はこの豪華な食事の味がわからなくなってきた。
酔いを冷まそうとお酒じゃないものに目を向ける。
目の前には、流石貴族と思わせる繊細で豪華な料理と器とカラトリー。
苺のソルベを頂こうと、右手に持とうとしたスプーンにはpt950の刻印が小さく見えて戦慄した。
下げられてしまったフォークもナイフもその刻印に気づかなかったが、セットで用意するものなのだから当然プラチナ製なのだろう。
前世では1tの原石から僅か3gしか採取されないプラチナは、今世では魔境の魔物の体内から数gしか採取されない極めて貴重な金属だ。
魔物の体内にあるプラチナは、その個体によって量が変わるという。
カラトリーセットにするまでいったいどれだけの調査隊員と魔物が犠牲になったのだろうか。
彼ら彼女らの勇姿あってこそのこの食卓。
私は実家で彼らの治療の手伝いをしていた。
命に関わるような治療には関わらなかったが、軽度の皮膚疾患や骨折などのリハビリのサポートだ。
彼らは腕や脚を破損した後、元に戻らなかったり、火傷の跡が消えなかったりと問題を抱えている。
損傷した箇所はすぐに治癒魔法をかければ元に戻るのだが、損傷してから時間が経つと治癒魔法が効きづらくなり完全には元に戻らない。
とある元調査隊員の女性は、下顎から首にかけて大きなアザが残ってしまった。
本人は名誉の勲章さと明るく振る舞っていたが、普段はストールでそれを隠しているのを私は知っている。
あんなに悲しい笑顔を見たのは初めてだった。
だから私は傷を隠すための色付きの軟膏を作ったのだ。
それはつまりコンシーラーじゃないか。
前世の知識があれば出来ることも増えるかもしれない。
楽しい食事に集中したいのに、思考があちこち飛んで気分も落ち着かない。
きっとアルコールのせい。
感情が忙しくて、悲しいのか嬉しいのか自分でもわからない。
何故か自然に流れる涙は止めようがなく。
溢れてくるのは涙だけでは足りず、嗚咽と鼻水でせっかくキレイにした顔が崩れていくのがわかった。
「ゔぅ…叔父さん…わだじ…調査隊員たちに…感謝もゔじあげまずぅ…ちょっと化粧直してぎまず」
「ジェニー!そうか!うぅ…姉様見でおいでかぁ?!あの泣き虫な仔猫が、泣き虫なりにこんなに立派にっ!ウェイター案内を!」
叔父さんは目に涙をためて、机に拳を振り下ろし叫んだ。
叔父さんも酔っているようで、顔が赤くなっている。
長い髭せいでほとんど目元しか見えないが、そんな気がする。
ウィルは泣く二人を気にも留めず、料理を堪能している。
フィーはハンカチを貸してくれた。
苺のソルベを食べ終えたウィルが、この惨状の指揮を取った。
ウィルは叔父さんの最初の奥様の忘れ形見だ。
最初の奥様によく似た銀の髪と銀の瞳、出向かえてくれた時に私と目線が同じくらいだったので、170cmくらいだろうか。
13歳というと前世では中学1年生くらい。
それにしてはかなり背が高い。そこは叔父さん似なのだろう。
「お父様もジェニーも酔い過ぎです。アルコールはもう充分です。当分禁止しましょう。ウェイター!案内の前に酒を全部下げて!」
「ウィル!そんな殺生なぁ」
「いいえ!今のお父様は正常な判断ができる状態じゃありません」
「見ない間にしっかりしてお兄さんになっだねぇぇ」
「ジェニーも飲み過ぎだよ。二人して泣き上戸なんて」
「ジェニーほらお水よ」
ウィルの的確な判断の元、全てのお酒は下げられた。
お酒の入ったグラスとボトルが一斉に浮き上がり、ワゴンに収まっていく。
涙で前が霞んでいるが、給仕は、荷物を運んでくれたポーターだろうか。
当然のように軽々披露する浮遊魔法だが、グラスのお酒を一滴も溢さず、沢山の物を一気にコントロールできるのは余程センスがないと出来ない。
仕事を増やしてしまって申し訳ない。
「ゔぅポーターごめんね」
「ジェニー、その人はポーターじゃなくてウェイターだよ」
「ウィル、働いてくれる人の名前を呼ばないなんて失礼だと思うの」
「違う違う。ウェイターが本名の給仕なんだよ」
困り顔のウィルに鼻を啜りながら頭をかしげると、給仕が教えてくれた。
「失礼。補足しますと私は双子なんです。兄の名がポーター、弟の私がウェイターと申します」
「ふふ、やっぱりややこしいわよね。私も初めて来たとき同じような事を言ったわ」
「ごめんなさいぃ」
くすくすと笑うフィーは、ウェイターに果実水をもらっている。
ウェイターはグズグズの私にも、にこやかに果実水を用意してくれた。優しい。
そして、化粧室に案内してくれた。
化粧室で顔を確認すると、目元と鼻部分の化粧が涙と拭いた時のこすれで大分崩れていた。
リップも大分色が落ちていたが、落ち方がまばらでなく均一なので綺麗に見える。
さすが高級品といった落ち方だ。
早く直して美味しい料理を食べたい。
大急ぎでポーチから取り出したのは、あぶらとり紙とメイク落としを浸した綿棒とアイシャドウ、パウダーとリップ。
あぶらとり紙でテカったおでこを整える。
おでこは広範囲にツヤツヤしていると美しく見えないので丁寧に油を取り、パウダーでセミマットに。
充血した目は、光魔法で血管を黙らせて綺麗な白目に。
そして色がぼやけて汚く広がった目元を、その綿棒でキレイに拭き取る。
小ぶりの単色のアイシャドウを指でぼかして一色でグラデーションを作っていく。
目元から下は、剥げてしまった箇所をパウダーでぼかして馴染ませる。
小鼻の周りがとくに赤く酷いことになっていたので丁寧に。
リップも塗り直して、まるでメイクしたての綺麗な顔に。
前世のようにカラーコントロール出来る品があれば楽なのだが、生憎存在しないようだ。
コントロールカラーがあれば、赤みを消してもっとキレイにしたに仕上がるのになと思ってしまう。
化粧直しが終わったら叔父さんにコンシーラーやカラーコントロールのことも話してみようと思った。
調査隊の事を引き合いに出したら研究させてくれるかもしれないなと甘えた考えに期待してしまう。
化粧直しを終わらせて席に戻ると全員の飲み物がジュースになっていた。
叔父さんはすっかり酔が冷めたようで、メイン料理の肉を頬張っていた。ジュースに一切手を付けていない。
酔が冷めやすいのは光魔法が得意な人の特徴だ。
「そうそう、明日からのことを教えてなかったね。学園には就職したということで退学届けを出しておくから気にしないでいい。明日からはフィーのお世話を頼むね。病み上がりだろうし、わからないこともあるだろうからしばらくはリンダと一緒に行動するといい」
「ありがとうございます」
学園では高学年になるほど途中で辞めていく人が多いので特に珍しいことではない。
家督の勉強をするためや、ヘッドハンティングでの就職、結婚など様々だ。
「今日はさっそくフィーを美女に仕立ててくれたね。さすがジェニーだ」
「僕も変身したいな」
「近いうちに一緒に変身させてもらいましょうね」
「いつでも言ってくだい」
鉄は熱いうちに打て。
さっそく叔父さんに新しいメイク用品の開発の事をはなしてみる。
「叔父さん、フィー様に使った化粧品でいくつか改善案と新商品の案があるの。調査隊員のお役にも立てると思うから外商の人とお話してもいい?」
「どういった内容かな?」
仕事モードのキリリとした顔で聞く姿勢を取ってくれた。
「まず、色味の少なさが気になるわ。調査隊では深部を調査する時に顔にドーランを塗って迷彩柄にするでしょ?女性にもそのドーランのように落ちにくくて多彩な色があればと思うの。さっきの私みたいに、すぐ化粧直しに行ってたらお役に立てないもの。特に社交場では。何度か社交場にもウェイターとして駆り出されて思ったけど、そこは女性の戦場よ?」
実のところは自分が使いたいだけだが、もっともらしい理由で提案してみる。
「戦場か。あまり社交場には顔を出さないから気にしなかったがそうかもしれないな」
あまり刺さっていないようなので、別の提案をしてみる。
「化粧品にはモンスターが使われてたけど使い心地がとても良かったから普及したらいいのに。でも今のままでは平民には使いづらいから、行き渡っても使いこなせる使用人がいる富裕層だけだと思う」
「なるほど。平民まで普及か。確かに最近モンスターが増えていて、ただ斬り捨てるでけではコストが合わなくてな。使い道を探してたところなんだ」
「モンスターの研究なら僕もお手伝いできるかも」
「私も外商に感想を聞かれてたところなの。私名義の商会で出資出来るわ」
やった、好感触。
ウィルもフィー様も味方になってくれるようだ。ありがたい。
叔父さんも首を縦に降ってくれたので、外商に要望を伝えて開発するのに許可を貰えた。
嬉しい。
デザートを食べ終えて、しばしの歓談の後に部屋に戻りメイクを落とした。
メイク落としはオリーブオイルが配合されていた。
ゆっくり優しく丁寧に摩擦を少なく馴染ませる。
メイクをすみずみまで落としたら、しっかり保湿してベッドに入る。
明日からのお仕事。
フィー様の部屋にはまだまだ使っていないメイク用品がたくさんあった。
楽しみで仕方ない。
目を閉じると思いの外疲れていたようで、すぐに夢の世界に誘われた。
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