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後編

 後編です!

 最後までお付き合いよろしくお願いします!


 王家主催の舞踏会で起きた、王太子アレイスターによる婚約破棄騒動の翌朝。


 王都から少し外れた伯爵領のちょうど中心に建つ伯爵家の領主屋敷。


 歴史の重みを感じさせる貫録を放つ白亜の屋敷の裏口付近で、二人の若者が互いに向き合ったまま立ち尽くしていた。


 一人は昨夜の婚約破棄騒動の中心人物である伯爵令嬢トレシアの本当の姿、トレス・クロムウェル。


 そして、もう一人は洋墨を垂らしたような黒い髪に下がり気味の眉と暗緑色の瞳をした、色白で痩せ型の小柄な青年。


 顔立ちはそこそこ整っているが、伏し目がちな姿勢と目元まで伸びた長い前髪が内気っぽく、冴えない印象を抱かせている。


 彼こそトレスの幼馴染にして、婚約破棄騒動を起こしてまで守ろうとした親友のフラン・コルトンである。


「トレス、絶対に君一人だけを行かせたりしないよ」


 強い意志の籠った視線を向けるフランを前に、トレスはどうしたものかと言わんばかりに整った顔を顰めながら頭を掻いた。


「……あのなぁ、フラン。これは俺が一から十まで自分で決めたものなんだ。お前が責任感じたりして付き合う必要は無いんだぜ?」

「そういう訳にはいかないよ。今、ここで君を一人だけ旅立たせたりなんかしたら……僕は、大切な友人を失う事になって、絶対に一生後悔するから」


 いつも弱気で心を許した親友であるトレス相手にも中々自分の意見を言えないフランが珍しくハッキリとそう言った。


「まいったなぁ……」


 王太子の婚約者としての生活に終止符を打ち、国を去る為の旅支度を終えて、早朝から屋敷を出ようとした所にフランが待ち構えていたのを認めた時は酷く驚いた。


 普段は狩猟や乗馬といったアウトドアな行事にはあまり参加せず、屋敷の中で読書やピアノの演奏をやっているような彼が似合わない大量の荷物を身体中に付けている姿は不格好で滑稽ですらあったが、それ以上に必死とも言える真剣さが感じられた。


「……フラン、三男坊の俺と違ってお前は跡取り息子だろ? 家族や領民の事をちゃんと考えて言ってんのか?」


 厳しい視線と口調で咎めるようにフランに尋ねると、フランは一度怯んだように言葉を詰まらせた。


 しかし、それをすぐに正すと、更に強く意志の籠った眼差しをトレスへ向けながら口を開いた。


「勿論、何度も考えたよ……家族の事は大切だし、ウチの領地に暮らしている人達の事を考えなきゃいけない事も分かっている……でも、それでも僕は、君が! 君の事が何よりも大事なんだ! 僕のせいで君は国を去るのに、僕だけが国に留まり続けるなんて嫌なんだ!」


 普段の彼らしくない大きな声と強い口調にトレスは珍しく少し気圧され、目を大きく開いて驚いた。


「フラン……」

「元を辿れば、僕が自分の力だけでエドマンドの事を上手くあしらえなかった事が原因だ! トレスの責任じゃないし、どうしても君が悪いと言うのなら、それに乗っかった僕にだって責任がある……謂わば僕等は、共犯だよ」


 一緒に責任を取らせてよ、と様々な激情を無理に押さえ込んでいるような引き攣った笑顔を、トレスに向けながらフランは言った。


 --これは、この場ですぐ説得は出来そうにねぇな。


 心の中で独り言ちたトレスは頭を掻きながら、深く溜息を一つ吐いた。

 そして、また一つ新しい覚悟を決める事にした。


「……俺は、お前には自分の家を継いで幸せに暮らして欲しいと思ってる……だから、旅をする最中は何度でも家に帰るよう言うぜ?」


 トレスは一歩、また一歩と踏みしめながらフランの方へと近付いていく。

 フランは若干身体を強張らせながらも、まっすぐにトレスの事を見詰め続けた。

 そして、遂にトレスがフランのすぐ目の前で接近すると、そこで立ち止まった。


「それでも……気持ちを変えずに俺に付いて行くのなら、その時は好きにしろ」


 トレスは、フランの本気を受け入れる事にした。


 トレスの言葉にフランは大きく目を見開いた後、その瞳から大粒の涙を零しながら何度もうんうんと首を縦に振った。


「トレス……ありがとう、ありがとう……僕の、大切な……大切な、親友……」

「おいおい、こんな事で泣いてちゃ旅なんてやっていけねぇぞ? これから先はもっと色々な事を嫌でも経験しなきゃなんねぇだろうしな」


 そう言って、トレスは子供の頃にやっていたようにフランの肩に腕を回し、グイッと顔を近付けて悪戯っぽく笑い掛けた。


「わっ、ちょっと……急にびっくりしたよ……」


 何故か照れくさそうに顔を赤らめたフランにトレスはハハッと楽し気に短く笑った。

 その時だった。


「ん? あれは、誰だ?」


 急に複数の馬が駆けてくる荒々しい蹄の音が聞こえ、視線を屋敷の裏門の方へ向けたトレスの瞳に力強い立派な黒馬に跨ってこちらへと向かう人影が映った。


「え? だ、誰?」

「……! あれはっ!?」


 フランの口から出た疑問の言葉にトレスは答えず、代わりに目を大きく見開き、その直後に冷や汗を一筋流しながら険しい表情を浮かべた。


 そんなトレスの様子を見て、フランはトレスにとって好ましくない相手が近付いて来ている事を悟った。


 一体何者かをトレスに尋ねるよりも先に、猛スピードでやって来た一頭の黒馬が二人の前で嘶きを上げながら止まり、騎乗していた人物が颯爽と降り立ってきた。


「間に合ったようだな」


 黒馬から降り立ったのは背の高い精悍な美青年だった。


 アレイスターと同じ煌びやかな金髪を項辺りで束ね、左胸に様々な勲章を付けた青い軍服姿と紅蓮の焔を彷彿とさせる深紅の瞳が圧倒的な威圧感を放っている。

 そんな彼とトレス達が立っている場所から少し離れた位置に、大きく立派な軍馬に跨ったまま待機をしている同じ青色の軍服姿の男達の姿が見える。

 それが、王家直属の近衛騎士団だとトレスはすぐに気付き、自然と身体を強張らせた。


「やはり、この国を去るつもりだったのだな? トレシア、いや、今はトレス・クロムウェルと呼ぶべきか?」

「はぁ……全てお見通しって事ですか? ギルベルト・シュナイダー公爵閣下?」

「っ!!」


 トレスの言葉にフランは絶句した。

 彼はギルベルト・シュナイダー公爵。

 アレイスターの従兄にあたる王族の一人であり、若くして多くの武勲を立て、異例の早さで近衛騎士団団長の座に就いた天才的な武人でもある。


「しかし、お前は一人で去るつもりだとばかり思っていたのだが……その男は誰だ? ただの使用人ではなさそうだが?」

「……彼は、フラン・コルトン。ウチの隣の男爵領の領主の一人息子で、俺の幼馴染です」


 トレスは一歩前に足を踏み出し、ギルベルトに正面から向き合う姿勢を取った。

 それはまるで、昨夜の夜会でアレイスターとマリーの二人と対峙した時と同じ凛とした姿だった。

 トレスは静かに深く息を吸い、ゆっくりと吐き出すと覚悟を決めた力強い瞳でギルベルトの鋭い眼光を正面から受け止めると、その場に跪いた。


「公爵閣下。性別を偽り、アレイスター殿下の婚約者として振る舞った暴挙については、全て俺が一人で計画して実行した事です。本当の性別を隠すのに協力した使用人達は、俺が領主子息である立場を利用して強引に協力させました……全ての責任は俺一人にあります」

「!! トレス! ち、違います! 計画には僕も関わっていました! むしろ事の発端は僕にあります!」


 全ての罪を被ろうとするトレスの言葉を慌てて否定したが、それを聞いたトレスは気迫のこもった強い眼差しで、それ以上の言葉を封じた。


 これは全部俺が清算する、だからお前は黙っていろ!


 そう聞こえてきそうなトレスの視線に、フランは思わず言葉に詰まってしまった。


「友人が失礼致しました。公爵閣下、それで王家を謀った俺への処罰は……」

「ギルだ」

「…………は?」

「公爵閣下ではない。王宮ではギルと呼んでいたのだから、ギルと呼べ。敬語も必要ない」


 ギルベルトの場に似合わない発言にトレスとフランは揃ってキョトンとした。


「えっと、確かにトレシアだった時は、堅苦しいから愛称で呼び合う事にしようって話にはなりましたけど……」

「今、敬語は必要ないと言ったばかりだぞ。トレス」

「…………はいはい、それじゃあ、お望み通りにするぜ。ギル様」


 様も必要ないぞ、と不満げに言いつつもギルベルトは親しげな微笑みを浮かべながら、跪いているトレスに手を差し伸べた。


「そんな事をする必要はない、そのままだと膝が汚れるだろうから早く立て」


 そんなギルベルトの態度にトレスは戸惑い、僅かに首を傾げながらも、その手を取って立ち上がった。


「随分気さくに接してくれるんだな? 不敬罪を犯した罪人に対して……」

「罪人? ああ、先ずはその事について話さなければならないか」


 ギルベルトは少し緩んだ口元を引き締め、真面目な表情で言葉を続けた。


「トレス、お前が架空の伯爵令嬢トレシアとしてアレイスターの婚約者になっていた事に関しては一切不問とする事が決定している」

「……は?」

「え? それって……」

「本を正せば、アレイスターや叔父上達の無茶と確認不足が起こした王族側の完全な過失だ。そもそも罪に問うべき案件ではない」


 そう言うと、ギルベルトは懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、それを広げてトレスの目の前に突き出した。


「母上を議長として秘密裏に行った会議で出た決定事項をまとめたものだ。そこにお前の沙汰についても記されているから読むといい」


 堂々と突き出された羊皮紙を受け取ったトレスはそれにしっかりと目を通した。


「……上記に従い、クロムウェル伯爵家三男トレス・クロムウェルの行い一切を不問とする……っ!! やった! 本当にちゃんと書いてある!」


 先にトレスの事に関する記述を見付けたフランが自分の事のように涙を流して喜んだ。


「不問にしてくれんのは有り難いけどよ、アレイスター達が黙ってねぇんじゃ……ん?」


 文章を最後まで読もうと文面に視線を走らせていたトレスの目の動きが止まった。


「トレス? どうしたの?」

「…………なあ、ここの最後の辺りにアレイスターと陛下と王妃は王族から除籍して権力剥奪だの、辺境の地に追放だの書いてあんだけど、これもマジか?」

「ああ、叔父上である国王ルーゼンドルフ12世と王妃カサンドラ、そして王太子アレイスターは今回の件の責任を取って現在の地位を退き、王族からも除籍して全権力を剥奪。今頃は三人を乗せた馬車が目的地に到着する頃だろう」

「……マジか?」

「ええっ!?」


 予想外の内容にトレスはどう反応すべきか判じきれず形の良い眉を悩ましげに寄せ、フランに至っては声を上げて分かりやすく驚いた。


「た、退位に権力剥奪って、一体どうしてそんな事態に!? しかも、アレイスター殿下だけじゃなくて国王陛下と王妃様も!?」

「おいおい、幾ら何でも国王親子の罰にしちゃ重過ぎるんじゃねぇか? どうしてここまで大きな事になったんだ?」


 フランが戸惑いながら疑問を口にし、トレスもそれに同調して尋ねた。


 ギルベルトは落ち着き払った様子でそれに答えた。


「トレス、お前は去り際に“新しい王太子妃様は、道徳と規則を袖にするのがお好きで王族としての務めを果たす覚悟の足りない御方。ですから、決してお目を離されないよう進言致します”と私に忠告したよな?」


「あー、確かに言ったなぁ。帰りの馬車に乗る直前に……」


 婚約破棄騒動の直後、トレスは帰りの馬車へと向かう途中でギルベルトに出会っていたのだ。


 その時は、適当に挨拶を済ませてさっさと馬車に乗り込んでしまおうと思っていたが、ふとアレイスターとマリーが夫婦になって、いずれ国王と王妃になった場合の国の未来が決して明るいものにならないであろう事に思い至った。


 アレイスターはあの通りバカでクズだし、マリーも今までの言動を思い返した限りでは、とても有能とも責任感のある性格とも思えなかった。


 あの二人がこの国の舵取りをしたら、王国の未来はお先真っ暗な事間違いなしだ。


 そこで、ギルベルトに少しでも早く各方面に手を回して貰えば、そんな国の未来を回避する事も不可能ではないのでは?

 トレスはそう思った。


 ギルベルトは国王(今では元国王)の姉であるヒルデガルド女大公の一人息子であり、王家の一員として政務にも軍務にも携わり、若くして様々な功績を上げて公爵の位を授かった程の英傑だ。


 そして、その母親のヒルデガルド女大公は現国王よりもずっと優秀な女傑であったが、次期国王候補筆頭である王太子の位は原則男子がなるべきという古い慣例と、それに逆らって次期国王の座を賭けて争った場合に起こる内乱の予感や内政への悪影響を考慮し、王としての務めをしっかり果たす事を条件に継承権を自らの意志で放棄し、王位を弟に譲ったという。


 ギルベルトと女大公ならマリーが王太子妃になったとしても、突然の婚約破棄騒動でしばらく荒れるであろう内政にいち早く手を回し、今後起こりうる様々な問題を事前に回避してくれるだろう。


 そう思い、トレスは去り際に出会ったギルベルトに忠告を残しておいたのだった。


 トレスはアレイスターのバカさ加減にはうんざりしていたが、残していく国自体が嫌いな訳ではなかった。


 だからこそ、憂国の思いからトレスはギルベルトに進言をしたのだ。


「お前の言葉通り、あの女は能力も人格も評価するに値しない程の酷さだったが、それ以前に絶対に王家の一員に迎えてはならない事情があった……だから、アレイスターが婚約破棄をして、あの女を新しく婚約者に迎え入れると発言した時点で、あの馬鹿とそれを咎めずに増長させた叔父上達の運命は決まった。まあ、そもそも最初に聖女との婚約を破棄して中央聖教会との関係を悪化させた時点で最早後は無い状態ではあったのだがな……」


 ギルベルトは嘆かわしいと言わんばかりに眉を顰め、深く溜息を吐いた。

 つまり、詳細は分からないがマリーには素行や家格以前に後ろめたい大きな問題があったという事なのだとトレスは理解した。


「王家に絶対に迎え入れてはならない事情って、一体?」

「恐らくマリーとアレイスターの大恋愛にはデカくてヤバい黒幕がいたってところだろ? 今になって少し考えてみりゃ、確かにスタローン男爵とは王宮で何度か会った事があるけどよ、あれは王家を相手に陰謀を張り巡らせるなんて出来る度胸も器ねぇ野郎だったな」


 フランの問いに答えたトレスは視線を微かに上向きにし、自分が見てきたスタローン男爵の姿や振る舞いを思い出す。

 トレスの知っているスタローン男爵は自分よりも格上相手には媚びへつらい、使用人等の下の相手には横柄な態度を取る典型的な小物だ。

 確かに非情で欲深い男ではあったが、自分よりも強い相手には絶対に逆らおうとはしない、小心者でもあった。

 あの男には王国の最高権力者の一族である王家を相手に何かを仕掛けようなど、考える頭も実行力もない。


 今、思い返せば王宮内でのマリーの境遇に関しては、不自然なものがあったなとトレスは今になって思い至った。


 マリーはアレイスターを自分の物にする為ならば形振り構わないと、礼儀作法や上下関係に厳しい王宮内で礼儀も常識もかなぐり捨てたような振る舞いをし続けていた。


 婚約者だった俺にハッキリと敵意を向けて根拠のない暴言を吐くわ、アレイスターを見付ければ人目を憚らずにイチャつき始めるわ、俺と仲の良かった令嬢やマナーに厳しい貴婦人達に窘められると子供みたいに泣いてヒステリーを起こすわ、愛は盲目状態のアレイスターでなければ付き合い切れない酷さだった。


 当時の俺はアレイスターと一日も早く別れたかったから深く考えず、必要以上に関わらないようにしていたが、幾らマリーが王太子であるアレイスターの寵愛を受け、更に国王夫妻も黙認している状態とは言え、あそこまで酷いものを周囲の大臣や貴族達がずっと放置していたのは妙だ。


 彼等の不興を買えば、例え王家が認めていたとしてもその立場は非常に悪くなる。


 そもそも爵位が一番低い男爵家の令嬢、しかも母親は平民の踊り子という、血統至上主義者が殆どの上位貴族達が巣食う王宮内で異分子とも言えるマリーに対する悪感情はかなりあったはず。


 場合によっては、マリーの存在を不快、もしくは邪魔に思う者の手で抹殺される可能性が出てもおかしくない。


 事実、アレイスターの婚約者だった時にも刺客を送り込まれた経験がトレスにはあった。


 それにも関わらず、マリーの方からはそんな話は全く聞いた事がなく、一切傷付いた様子を見せずにアレイスターの婚約者の席にまんまと収まった。


 王国内でも王家に次ぐような強い力を持った協力者がいなければ、不可能と言って良い程の逆転劇である。


 そんな芸当が出来るのは……。


「王太子妃に相応しくない弱小貴族令嬢を守れるだけの権力、宮廷内の上位貴族を黙らせられるだけの影響力……例えば、ボードレール侯爵家とか、か?」

「流石だな、その通りだ」


 トレスの答えにギルベルトは満足げに頷いた。


「ボードレール侯爵家って……王国屈指の資産家で金融業を基盤に色々な事業を手広くしている一族だよね? 確かに色々黒い噂話を聞いた事があるけど……」

「金に困っている貴族に大金を貸す代わりに危険な取引を持ち掛けたり、他の貴族の弱みに繋がる情報を吐かせたりしてるって噂を、俺も聞いた事があるぜ。恐らく宮廷内の連中もボードレール侯爵に借金があったり、何か弱みでも握られている奴らが少なくなかったんだろうな」


 トレスは自分の言葉に納得したように軽く二、三度小さく頷いた。


「それに、スタローン男爵は元々高利貸しをやってたんだ。同じ商売をやってたんなら以前から面識があってもおかしくねぇし、マリーを引き取った話を聞いて一枚噛ませるように近付いたか……いや、むしろマリーを引き取る事自体がボードレール侯爵の方からの持ち掛けた話なのかもしれねぇな」


「そうか、確かにそれなら筋が通るね」


 フランはふむふむと頷いていたが、トレスの方はまだ得心がいかない様子だった。


「けど、ボードレール侯爵は黒い噂が絶えない奴だが、王家に迎え入れられない相手って程じゃねぇよな。侯爵家だから家柄は悪くねぇし、腹黒い貴族なんざ五万といるんだしよ」


 その通りだ、とトレスの疑問にギルベルトは速やかに答え、更に言葉を続けた。


「スタローン男爵家のバックにはボードレール侯爵家が控えていたのだが、問題はそこではない。ボードレール侯爵家は我がシュナイド王国と長年敵対関係にある憎きブラヴァイン帝国と繋がっていたのだ」


「ブ、ブラヴァイン帝国だって!?」

「おいおい、大分話がデカくなったな……」


 予想を大きく上回る大きな黒幕の正体にフランとトレスは目を丸くして驚いた。


 ブラヴァイン帝国はシュナイド王国と約二百年もの間、敵対関係にある強大な軍事国家だ。

 今から約五十年前のトレスの曾祖父が当主だった時代、度重なる戦で王国と帝国はお互い疲弊しきっており、当時の国王からの密命でトレスの曾祖父は、フランの曾祖父を含めた信頼の出来る人物数名で結成した特務使節団を率い、秘密裏に帝国の穏健派や戦争によって貿易等に悪影響が出ていた周辺諸国を味方に付け、内外から終戦へ向かうよう手回しをした事により、以後は互いに侵略行為を行わない二国間条約を結ばせる事に成功した。

 それ以来、両国は互いに沈黙を守り続けていた。


 五十年の月日が経った事で警戒が緩くなった隙を突いて、国への忠誠心が薄いボードレール侯爵家に何かしらの取引を持ち掛けたという事だろう。


 二国間条約のせいで大っぴらに王国に攻め込む事が出来ないのならば、内側から徐々に裏切り者を増やしていき、最終的には内部を完全に帝国側の人間で埋め尽くす計画だったに違いない。


「つまり、アレイスターが婚約破棄してまで王太子妃にしようとしたマリーは、国を裏切っていたボードレール侯爵の手先だったから、それで責任取って親子揃って退位と王族から除籍ってなった訳か」


「そう言う事だ」


 騙されていただの、知らなかっただので済ませられる範疇を大きく逸している、とギルベルトは不快感を隠そうともせず吐き捨てるように言った。


「もし、この計画が成功していたらと思うとゾッとするな……」

「そ、そうだね……」


 冷や汗を一筋流しながら苦笑するトレスに同調するように、フランは無言で何度もコクコクと頷いた。


「……なあ、この事に関しても俺には何のお咎めもなくて、本当に良いのか? 側でアレイスターとマリーがくっ付くのを止めなかったんだぜ?」


 アレイスターの関心をマリーへ向くように振る舞っていた自分の行いを振り返ったトレスは、バツの悪そうな表情を浮かべながらギルベルトに尋ねた。


 結果的に最悪の事態は防がれたが、マリーをアレイスターに押し付けたいが余り、その素性について調べる事を怠っていた事をトレスは今更ながらに後悔した。


「トレス! き、君は……」

「お前は何も悪くない」


 フランが何かを言うよりも先に、ギルベルトがキッパリとした口調でトレスに擁護する言葉を言い放った。


「お前はボードレール侯爵ともスタローン男爵とも関係は無く、奴等の計画に加担していた訳では無いのだから何の責任も無いだろう。そもそもの相手の事をよく調べせずに本能赴くままに行動するアレイスターと叔父上達の愚かさが全ての元凶だ」


 だから己を責めるな、とギルベルトはトレスを慰めるような幾分柔らかい声音で言葉を掛けた。

 そんな彼の優しさにトレスは少し目頭が熱くなるのを感じた。


「ありがとうな……ギル様、あんたって厳しいから誤解されやすいけど、やっぱり優しい奴なんだな」


 トレスが嬉しげに微笑んで返すと、それを見たフランは身体を強張らせて赤面し、ギルベルトは目を見開くと咳を一つしてから、とにかく、と仕切り直すように再び口を開いた。


「今回の件でボードレール侯爵家は取り潰し、首謀者である当主のヘルマン・ボードレール侯爵は国家反逆者として準備が済み次第、即刻斬首刑に処し、その家族は北部の監獄で終身刑に処す予定だ。協力者であったスタローン男爵家も同様に取り潰し、マリーとスタローン男爵も同監獄で終身刑に処す事になっている」


「なるほどねぇ……しかし、ヤケに手回しが良いな? こうなる事を予測してボードレール侯爵を恨んでいる貴族達と手を組んでたのか?」


「全員ではないが、今回の作戦に協力する事を条件に過去の罪を帳消しにしてやると取引をした。今まで脅されてきた恨みのせいか予想以上に良い働きをしてくれた」


 ギルベルトがクククッと悪そうに微笑む姿を見て、おー怖、と言いながらトレスは苦笑した。


「だが、アレイスター達の件に関して上手く事が運んだのは、あの三人のおかげと言えるがな」

「三人?」


 今度は一体何の事かとトレスは首を傾げる。


「シリウス・ベルモンド、ライオネル・レヴィ、セシル・ニコラウス、君と親しくしていた三人が、目の前で責められている君を静観していた事に違和感を覚えなかったか?」


 そう尋ねるギルベルトの言葉で、トレスは舞踏会の夜に親しかった三人が何も言いだそうともしなかった理由を即座に理解した。


「そうか……俺とアレイスターの婚約を破棄させて、アレイスターとマリーの婚姻を新しく結ばせる。それを滞りなく実現させる為に、敢えて何も言わなかったのか」


 我が身可愛さに黙っていた訳じゃなかったのか、と思うトレスの口元に微かに笑みが浮かんだ。


「彼等は本心ではアレイスターの事を早々に見限っていたようだ。それでも、王族との関係を良好に保つ為に我慢を続けていたようだが、いい加減堪忍袋の緒が切れたと言っていたな」


 ギルベルトの言葉を聞いたトレスは、アレイスターと三人の関係を静かに思い返していた。


 頭脳明晰なシリウスや腕の立つライオネルが有能である事を良い事に、本来なら自分がやるべき公務の類をほぼ全て押し付けてこき使い、そのくせ自分よりも優れている二人の存在にプライドが傷付けられると労うどころかキツく当たっては更にこき使う。

 セシルに至っては何の非もない姉を不当な理由で一方的に婚約破棄して捨てるという、刺されても不思議ではないレベルの恨みを買っている。

 

 成程、あの三人がアレイスターの暴挙に対してずっと黙っていたのは、この日を無事に迎える為だったのかとトレスは腑に落ちた。


「アレイスターの側近として収集してきた奴の素行の悪さや王太子としての不適合さをまとめた資料を集め、自分の親やその派閥の有力者達に声を掛けて集めたおかげで、アレイスター達を追放する為の会議を気付かれずに開催出来た。彼等は立派な功労者だ」

「待って下さい。じゃあ、昨夜の婚約破棄騒動はアレイスター殿下を完全に失脚させる為の計画でもあったという事ですか?」


 フランの問いにギルベルトは、その通りだ、と短く答えた。


「ボードレール侯爵家とブラヴァイン帝国の目論見を潰すだけならば、もっと簡単に早く済ませる事も出来たが、この際に我が王国の恥部以外の何物でもないアレイスター達を纏めて一掃する事にしたのだ」

「で、俺がアレイスターとの婚約を破棄しようとしていたのを、これ幸いと利用したって訳か。婚約破棄が成立した事が耳に入ればボードレール侯爵が必ず帝国とコンタクトを取ろうと動き出すだろうから、そのタイミングで現行犯として捕縛出来るし、アレイスターの醜態を大々的に公開すりゃ会議の時に王家除籍に反対する声も減らせるだろうって筋書きだったんだろ?」

「ああ、その通りだ。ちなみに現在不在となっている王座には、現在友好国であるリスリアン王国に留学中の王女、シャーリーを帰国させて早急に戴冠式を行い、女王として新国王の座に就いて貰う予定だ。母上を筆頭とした優秀な補佐を数名付ける事もすでに決定している。一度王位継承権を放棄した母上やその息子である私が就くよりも、その方が揉め事が少なく済む。何より親と兄を反面教師にして育ったシャーリーの謹厳実直な人柄は能力も含めて信用出来る」


 ギルベルトは満足そうに頷き、トレスの言葉を肯定した。


「昨夜の舞踏会の裏で、そんなに大きな計画があったのか……」


 あまりのスケールの大きさにフランはもう付いていけないと言わんばかりに呆然としていた。


「成程な、あっちもこっちで騙し合いだったって事か」


 結局はあんたの一人勝ちだけどな、と言ってトレスは苦笑した。


「踊らされるのは不服か?」

「……いや、俺の目的は達成出来たし、文句はねぇよ」

「そうか、それでは最後の仕上げといくか」

「仕上げ?」


 一体何かと首を傾げるトレスの前でギルベルトは急に跪き、呆気に取られたトレスの右手を優しく握ると指先に口付けた。


「トレス・クロムウェル、お前を私の妻として迎え入れたい」


「……へ?」


 トレスは再び言葉を失った。

 こいつは今、何て言った?


「……えええええええええっ!!」


 トレスが事態を飲み込めずにいる内に、呆けていたはずのフランがトレスよりも先に驚愕の表情で絶叫した。


「こ、公爵閣下! 一体どういう事ですか!? トレスをつ、妻に迎えるって!?」

「そのままの意味だ。私はトレスを妻、生涯の伴侶として迎え入れたいと思っている」


 跪いた姿勢のままでキッパリと言い切るギルベルトと本人以上に取り乱すフランの様子にトレスは冷静になっていった。


「あのよぉ、ギル様……一番根本的な事を忘れてねぇか? 俺、男だぞ? だから、そもそも無理だろ?」

「何故だ? 我が国の法では同性の婚姻は認められているぞ? 同性婚をする者が滅多にいないから知る者は少ないがな」

「マジで? って、いやいや!  そういう問題じゃねぇだろ!」

「ならば、どういう問題だ?」

「いや、だからさ……」


 トレスが反論をしようとすると、ギルベルトはスクッと立ち上がり、右手でトレスの形の良い顎を軽くクイッと持ち上げて自分の視線とまっすぐに合わせてきた。


「類稀なる王国屈指の美貌、何をしていても人の目と意識を惹きつける気高さ、目的の為ならば大胆な行動を率先して取れる行動力、友と国の為ならば己の身を犠牲にする事も厭わない高潔さ、どんな相手の心も掴んでしまう溢れんばかりの魅力……お前は自分の素晴らしさを過小評価している。もっと自覚を持つべきだ」

「いや、自覚って……ていうか、顔近い気がすんだけど?」


 ギルベルトの圧があまりにも凄い為、強く掴まれている訳でもないのにトレスは逃げられなくなっていた。


「トレス、私はお前のその全てに惚れたのだ。今は私の気持ちを受け入れられなくても構わない。だが、私は必ずお前の身も心も手に入れてみせる」


 覚悟しておけよ、と言ってギルベルトは自信に溢れた不敵な笑みを浮かべた。


 やばい、こいつは本気だ。

 サラッと身も心も手に入れるとか言い出したぞ。

 心はともかく身って……とにかくやばいぞ、これ。


 男として色々な危機感を覚える予想外の事態に、トレスは引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。


「駄目だっ!!」

「!? フラン?」


 その時、ずっと黙っていたフランが突然大きな声で叫んだ。

 らしからぬ親友の行動にトレスはとても驚いた。


「そんな事、絶対に駄目だっ!!」

「ほう、私の求婚に異議を唱える気か?」


 殆ど蚊帳の外だったフランの抗議にギルベルトは遺憾というよりも、不思議そうに眉を顰めた。


「……フランとやら、私はトレスの事を無理に手篭めにしようとは思っていない。そう言った覚えもないが、何故そこまで必死な表情を浮かべている?」


 ギルベルトにそう尋ねられたフランの表情には確かに余裕が一切感じられない必死さが滲んでおり、今にも爆発してしまいそうな危うさすら感じられた。

 その今まで見た事のない様子にトレスは心配になった。

「お、おい、フラン……お前、大丈夫か? 俺の事を心配してくれてんのは分かっけど……」


「……違う、それだけじゃないんだ……トレス!」


 絞り出すような小さな声から突然大きな声で名前を呼んだフランにトレスは目を丸くして驚いた。


 そして、それに続く言葉はトレスを更に驚愕させるものだった。


「もう黙っていられない! 聞いてくれトレス! 僕は、僕はっ……君の事をずっと愛してたんだっ!」


「…………は、はああっ!?」


 こいつ、今何て言った?


「トレス! 僕は、君との関係が壊れてしまう事が怖くてずっと黙っていたけれども……初めて会った時から、僕は君の事が好きだったんだ! だから、本当は君がトレシアとして僕の婚約者のふりをしてくれた時、夢が叶ったみたいで、とても嬉しくて……このまま本当の婚約者になって欲しいとプロポーズをしたかった……けど、君に気持ち悪がられて絶交されたらと思うと、怖くて言えなかった……君がアレイスター殿下の婚約者になる言った日の夜、僕は辛くて、悔しくて、涙で枕を濡らしたよ……」


 そこまで言い切ると、ずっと喋り続けていたフランは荒い呼吸をしながらトレスの両手を掴んで、自分の方へと引っ張った。


「もう我慢出来ないから、言うよ……トレス! 僕は君の事誰よりも愛している! 僕と結婚して下さい!!」


 お前もかよっ!!


 あまりの衝撃に声が出せなくなっていたトレスだったが、心の中では周囲に響き渡らんばかりの大きな声でフランの求婚に突っ込みを入れていた。


「貴様、私と張り合うつもりか?」

「これだけは、トレスの事だけは死んでも絶対に譲れませんっ!!」


 静かだが威圧的なギルベルトと激情が迸りまくっているフランが向かい合い、二人の視線の間に火花がバチバチと飛び散っていた。


「お、おい! ギルもフランも落ち着けって!」

「落ち着いてなんかいられないよ! 君の事が好きだったのは僕が最初で、誰よりも一番長く想い続けていたのだって僕なんだ! もう絶対に誰にも譲りたくない!」


 幼馴染からのあまり知りたくなかったカミングアウトにトレスは頭痛を覚え始めていた。


「やっとギルと呼んでくれたか……予想以上に、悪くないな」


 こっちはこっちで完全にトレスに惚れているギルベルトの態度にトレスの頭痛は余計に悪化した。


 更にこの後、この事態に駆け付けたギルベルトの協力者である、シリウス、ライオネル、セシルの三人からも自分達が各々の理由でトレスに惚れており、ギルベルトに協力した一番の理由がアレイスターの無能と横暴に辟易したからではなく、アレイスターが愛するトレスをぞんざいに扱ったからだという聞きたくないカミングアウトを聞かされ、一気に三人も増えた計五人からの求婚を受けて、頭痛が最高潮にまで達した状態で悩まされる羽目になる事をトレスはまだ知らない。


 こうして、トレシアもといトレス・クロムウェルの苦悩の日々は続いていく事になったのである。


 結局、トレスが五人の求婚者の中の誰を選んだのか?


 それとも、誰も選ばずに済ませたのか?


 その結末については、また別の話――。

 如何でしたか?

 最後まで読んで下さった方がおりましたら、心から感謝致します。

 そして、少しでもこの作品を読んで楽しんで戴けたのならば本望です。

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― 新着の感想 ―
前編の最後からBL展開?とは思いました。法律で同性婚が認められてるとまでは予想できませんでしたが。平民なら祝福するんですがお貴族様しかも公爵が跡継ぎ作らなくて大丈夫なの?跡継ぎのために第二夫人(いや第…
2025/05/04 21:56 退会済み
管理
[一言] 主人公だけが不幸せになるハーレムだな せめて女王の伴侶として王配にするとかすれば「マシ」だったろうに
[一言] まさかのハーレムエンド…! 幼なじみはかもな~、でしたが他はそうきたか!でした。
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