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前編

 一度は悪役令嬢モノを書いてみたいと思って書いてみました。

 楽しんで戴ければ幸いです。

「トレシア・クロムウェル伯爵令嬢! 己よりも身分の低い者を蔑み、傷付ける非道な貴様との婚約を破棄し、私はこのマリー・スタローン男爵令嬢を新たに婚約者、未来の王太子妃として迎える事を此処に宣言する!」


 煌びやかな衣装に身を包んだ金髪碧眼の美青年、シュナイド王国の王太子であるアレイスター・シュナイダーはまるで小動物のような小柄で愛らしい栗色の髪に円らな緑色の瞳をしたピンク色のドレス姿の少女を優しく抱きしめながら、声を大にして目の前の相手に言い放った。


 アレイスター王太子殿下の婚約者、トレシア・クロムウェル。


 長く伸ばしたサラサラと流れる月光のような淡い白金色の髪にアメジストの如く澄んだ紫色の輝く瞳。


 女性にしては背は高く、スラッと真っ直ぐに伸ばした姿勢に深紅のスマートなドレスがとても良く映え、貴族令嬢らしい品格と大人びた色香を漂わせている。


 マリーが庇護欲を刺激するか弱い美少女であるのに対し、トレシアは一切隙のない完璧な美女といった対照的な魅力を備えていた。


 王国を支える有力貴族やその令息令嬢達が一同に集められた王宮の広間で行われた舞踏会。


 その中心で突如として始まった王太子による、婚約者である伯爵令嬢への断罪劇。


 戸惑い、ざわざわひそひそと遠巻きに小声で何事かと話し合う人々に囲まれている居たたまれない状況の中であるにも関わらず、トレシアは背筋をピシッと線を一本通しているかのように姿勢を正し、視線は一切の迷いなく真っすぐにアレイスターとその隣に立つマリーへと向けていた。


「殿下、先程身分の低い者を蔑み、傷付ける非道と仰られましたが、それは具体的にどのような行いの事でしょうか?」


 形の良い唇から紡ぎ出される意外と低めのハスキーな声音は決して大きな声ではないものの、広間全体によく響き渡り、耳心地はまるでベルベット生地のように滑らかで舞踏会の参加者達の心を一瞬で掌握した。


「……はっ! し、白を切るつもりか! 見損なったぞトレシア! 貴様が茶会やパーティーでマリーに出会う度に差別的な言葉や心ない侮辱の言葉を浴びせ、更には彼女のドレスをわざと汚し、持ち物を盗んで壊すという卑劣極まりない行いをしていた事を私が知らないとでも思っていたのかっ!」


 トレシアの美声に圧倒され、一瞬呆けていたアレイスターはしきり直すように声を荒げてトレシアを糾弾した。


「ああ、アレイスター様! マリーはとても辛かったです!」


 涙目でそう言いながら、マリーがアレイスターの身体に抱き付くと、それに応えるようにアレイスターはその小さな身体を熱く抱擁した。


「成程、それが事実でございましたら確かに私は非道な悪女に違いありませんね……ですが、殿下。私はそのような卑劣な行いをした覚えは一切ございません」


 目の前で繰り広げられる婚約者としても、貴族の令嬢としても屈辱的なやり取りを見せ付けられてもトレシアは全く動じずに返答した。


「私が非道な行いをしたという証拠をこの場で示して戴けない限り、私はクロムウェル伯爵家の名誉に掛けてその告発の全てを否定をさせて戴きますわ」

「証拠だと? 証拠は此処にいるマリーの涙だ! 彼女の美しいこの涙こそ何よりの証拠だ!!」


 アレイスターは決まったとばかりに片手を前に突き出して愉悦の表情を浮かべていたが、それを真正面から見たトレシアはプッと軽く吹き出してしまっていた。


「なっ、ト、トレシア……まさかとは思うが貴様、今笑ったか?」

「……いいえ、そんなまさか! 殿下の勘違いでございましょう! とにかく……」


 トレシアはコホンと軽く咳をして仕切り直すと再びすっと背筋を正し、アレイスターとマリーをまっすぐに見据えた。


「殿下。涙など、誰でも流す事の出来るものを証拠と呼ぶのは些か暴論ではございませんか? それでは、マリー様の訴えを事実だと認める事は致しかねます」

「何だとっ! 貴様! まだ己の罪を認めないというのかっ!」


 せっかくの決め台詞をどこ吹く風と言わんばかりに無視され、アレイスターはより一層声を荒げたが、トレシアはそれを冷めた表情で流していた。


「トレシア様! どうか罪をお認めになって下さい! 地位の低い男爵家の出の者であるマリーが、アレイスター殿下に愛されている事に嫉妬して酷い行いをしたのだとしても……マリーは貴方を許します!」


 今度はマリーが声を張り上げて、トレシアを糾弾してきた。

 本人は舞台のヒロインにでもなっているつもりなのか、微かに口角が上がり、優越感に浸っているのをトレシアは見逃さなかった。

 そもそも男爵令嬢が上の身分である伯爵令嬢に対して、上から目線で物を言い、しかも先程の婚約破棄に続いて自分は愛されているだの言い出したりと、自分がアレイスターと浮気していた事を認め、トレシアの事も見下している事を公言しているも同然の行いをしているのをマリーは分かっていないらしい。


 あまりにも頭の悪い言動に呆れたトレシアは静かに溜め息を一つ吐くと、切れ長の美しく鋭い瞳でマリーの姿を見据えた。

 すると、睨まれたとでも思ったのか、ヒッと短い悲鳴を上げたマリーは一層アレイスターに擦り寄りながら、アレイスター様! マリー怖い! と喚き散らした。

 それに便乗してアレイスターがまた、マリーを脅すとは矢張り貴様は悪魔のような女だ! 等と中身のない罵声を浴びせてくる。


 二人揃って、まさにバカップルだ、とトレシアは頭の中で吐き捨てた。


「殿下、マリー様、よろしいでしょうか?」


 トレシアは再び口を開くと、落ち着き払った声音と口調でアレイスター達の雑音のような言葉を遮った。


「何度も申し上げました通り、私は殿下の仰ったような行いは致しておりません。むしろ、マリー様は招待状を送っていないにも関わらず、殿下にお会いしたいからという理由で勝手にお茶会等に入り込んでは好き勝手に振る舞い、私のみならず正式に招待した方々にも無礼を働いておりました事はご存じないのですか?」

「え、えっとぉ……それはぁ、どうしてもアレイスター様にお会いしたくてぇ……」


 トレシアの反論にマリーは微かに顔を強張らせて口ごもり、視線をトレシアの方から横の何もない空間へと逸らしていった。


 その態度はトレシアの言葉を肯定しているも同然だった。


「そ、それはだな……そうだ! マリーは母親の元で庶民として生まれ育ち、半年程前に実の父親であるスタローン男爵と感動の再会を果たし、貴族の仲間入りをしたばかりなのだぞ! 貴族の礼儀やルールに多少疎いのは仕方のない事だ! それを容赦しない貴様は本当に血も涙もない冷酷な女だ!」


 アレイスターは黙り込んだマリーを見て、勢い任せに慌てて擁護すると同時にトレシアに対して見当違いな批判を仕掛けた。


「マリー様のご事情については私も存じ上げておりました。しかし、一度や二度の粗相ならばまだしも、マリー様は催し事に招待すらしていないにも関わらず、乱入する度に同じような無礼を繰り返し、反省をしている様子も見受けられなかったのです。そのような振る舞いさえも見て見ぬ振りをするのが正しき事だと殿下は仰るのですか?」

「ぐっ、ぬぬぬ……」


 流石のアレイスターも言葉を失くしたらしく、唸りながら苛立たしそうにトレシアを睨め付ける事しか出来ないようだった。


 ついでに、そのスタローン男爵が自分の領地の村で見掛けた酒場の踊り子と不倫して生まれたのがマリーで、その日までの十数年間ずっと男爵はマリーの事を存在しないもの扱いしていた事実も知っていたけど、と心の中でトレシアは付け加えた。


 元々は高利貸しを営んでいた商人で、金を貸していた貧しい男爵家を脅して彼等から借金の形として男爵位と一人娘を奪って貴族の仲間入りを果たした成り上がり者。

 

 しかも、妻として娶った男爵家の一人娘を使用人同然にこき使い、散々苛め倒したのが原因で彼女が子供を産めない程に身体を壊してしまった事を知るや無一文で捨てたという救いようのないクズ。


 それがトレシアが知っているスタローン男爵だ。


 そんな情なんてものを持ち合わせていないようなスタローン男爵がずっと放置してきたマリーを急に引き取る事に決めたのは、恐らく見た目だけは良く育ったマリーをアレイスターにあてがって側室にでも出来れば、王家とのつながりが出来るという欲得尽くな考えによるものだろう、と予想出来る。


 そんな実情を知ってか知らずか、感動の再会なんて口にするアレイスターには本当に呆れるしかない。


 これが次期国王候補筆頭である王太子なのかと、目の前で繰り広げられるアレイスターの醜態に軽く頭痛すら覚えたトレシアはそっと自分の額に手を添えた。


「そもそも殿下は私という婚約者がいる身でありながら、マリー様と共に過ごす時間をお作りになる事に腐心しておられるように見受けられました……それは、誇り高き王家の一員、いえ、それ以前に一人の殿方として如何なものでしょうか?」

「ふ、不敬が過ぎるぞトレシア! 伯爵家ごときが王家を誹謗するつもりかっ!!」

「王家への誹謗? いいえ、そのような恐れ多い事は致しません。先程の私の問いは殿下個人にお尋ねしたもの……ですので、これらの会話は全て王家も伯爵家も一切関係のない私と殿下、二人だけのお話でございます。ご理解して戴けましたか?」

「お、おのれトレシア! 貴様のそのような澄ました態度が以前から気に入らんのだ! 伯爵令嬢の分際で図に乗りおって!」


 次々と繰り出されるトレシアの反論にアレイスターは怒りで顔を赤らめ、声を荒げて怒鳴った。


 しかし、そんな怒れるアレイスターの姿に対してもトレシアは全く動揺する事なく、アレイスター達に気付かれないよう配慮しながら小さな溜息を吐く余裕さえ持っていた。


 トレシアは軽く呼吸を整えると、アレイスターとマリーの背後に控える三つの人影に視線を向けた。


 侯爵家令息にして宰相の息子、シリウス・ベルモンド。

 次代の剣帝と期待される若き騎士、ライオネル・レヴィ。

 中央聖教会教皇の孫で聖女の弟、セシル・ニコラウス。


 皆アレイスターの側近であり、王国の未来の担い手でもある彼等は、トレシアにとって王宮入りしたばかりの頃に知り合った親しい友人達でもあった。


 ――トレシア、君とこうしてずっと語り合いたいなと、私はいつも思うよ。


 シリウスとは、今後の王国が向かうべき方針や現在の内政の問題点についてから好きな本や使用人達の噂話で知った世間の流行り等を語り合う親しい間柄だった。


 ――どんな奴が来ても、俺がお前を必ず守ってやるからな!


 ライオネルには、自分が王太子妃候補である事を良く思わない貴族の刺客に狙われた時に守って貰った事があった。


 ――トレシアは、優しくて、キレイ、好きだよ。


 セシルは、とある事情から本来なら憎まれても仕方のない立場であるはずの自分に、純粋な親愛の情を向けてくれた。


 仲の良かった彼等の内の一人でも自分を庇おうとする者がいてくれるかと思っていたが、誰も何の発言もせずにトレシアとアレイスター達のやり取りを黙って傍観し続ける様子だ。


 相手が王太子じゃ仕方ないかと思いながらも、トレシアは一抹の寂しさを覚えた。


 そろそろ頃合いだな。


 トレシアは一際良く通る声で、殿下、と言ってアレイスターとマリーを紫色の澄み切った力強い瞳で見据えながら口を開いた。


「私は、クロムウェル伯爵家の家門に傷を付けるような行いは一切致しておりません。ですが、私の至らなさが殿下の不興を買ってしまっていた事は事実……殿下のご命令、承知致しました」

「な、何? つ、つまり、それは……」

「ええ、婚約破棄を受け入れます」


 トレシアは芯の通った強さを感じる口調で王太子の要求に同意をすると、ドレスの裾を軽く持ち上げながら恭しく頭を垂れた。


 そんなトレシアの優雅な所作と予想外の言葉にアレイスターとマリーは、二人揃って口をポカンと開いた間抜けな表情を浮かべていた。


 まさに完璧な伯爵令嬢の手本とも言える美しい所作に、断罪劇でありながら一部始終を見ていた人々はトレシアへ向けて感動の視線を投げ掛けていた。


「もう二度と、殿下の前にも、いいえ、この場にいらっしゃる全ての方々の前にも姿をお見せしない事を誓います。それでは、殿下、マリー様、どうか御二人の未来が幸多きものでありますように」


 儚げに微笑み掛けながら言い終えると、トレシアは身を翻して颯爽と会場から姿を消した。


 そのあまりにも華麗な去り方に会場はしぃんと静まり返っていた。


「……はっ!」


 一番最初に我に返ったのは、全ての元凶であるアレイスターだった。


「何だ? 突然アッサリと引き下がって……ま、まあよい! さあ! マリー! これで君は私の婚約者、真の恋人だ!」

「え、ええ! 嬉しいですわ! アレイスター様!」


 間の抜けた顔でしばらく立ち尽くしていた二人は我に返ると、トレシアのあまりの潔さに僅かな疑問を抱いたものの、それもすぐに忘れて計画が上手くいった事に手放しで喜ぶのだった。


 そんな様子を側近であるはずの三人が憎々しげに睨み付け、周囲の人々からはアレイスターの身勝手極まりない醜態とマリーの常識に欠けた無礼な振る舞いに対する非難や侮蔑の視線を送られているとも知らずに……。


   ※


「ぃよっしゃぁぁあ!」


 王城から離れて伯爵邸へと向かう馬車の中で、トレシアはガッツポーズを決めながら大きな声で心の底からの満足感を表現していた。


「ははっ! 遂にやったぜ! これでもう肩の凝る婚約者生活からはおさらばだっ!!」


 大きく口を開いて豪快に笑うその姿に先程までの上品な伯爵令嬢の面影は全く無くなっていた。


「このキッツイ装備も必要ねぇな!」


 そう言うと、トレシアはなんとドレスの上半分をその場で脱ぎ出し、身体のライン作るコルセットを急いで外しに掛かった。


「トレシアお嬢様……誰もいないとは言え、羽目を外し過ぎですよ」


 馬車の中の様子を小窓から時折見ていた壮年の御者が呆れた口調で嗜めた。


「おいおい! ジョン! もうトレシアお嬢様はいないんだぜ!? ついでにこれももういらねぇ!」


 笑いながらトレシアは自分の胸と髪の毛を無造作に掴むと、それを乱暴に引っ張った。


 すると、美しい長い髪と形の良い豊満な乳房がトレシアの身体からサッと外れ、代わりに同じ色でも肩に触れるかどうか程度の長さしかない本当の髪と白くて滑らかで平な本当の胸が現れた。


「ああ~、蒸れるわキツいわで面倒だらけだった御令嬢変身セットともこれで、おさらば! つー訳で、もう元の呼び方で大丈夫だぜ」

「はいはい、今夜ばかりは少々のはしたない振る舞いには目を瞑りますよ。トレス坊ちゃん」

「ありがとな! いやー、本当長かったぜ! ははっ!」


 ジョンの言葉にトレシア、いや、クロムウェル伯爵家三男のトレス・クロムウェルは半裸姿のまま、愉快そうに笑い続けていた。


 何故、彼が女装をして王太子の婚約者をしていたのか?


 全ては今から一年程前に遡る。


 トレス・クロムウェルは王国の古参貴族であるクロムウェル伯爵家の三男として生を受けた。


 クロムウェル伯爵家は由緒ある長い歴史を持つ古参の貴族だ。

 しかし、長く続く勢力争いに疲弊して徐々に力を弱めていき、更に現当主であるトレスの父親のシメオン伯爵は至極マイペースでお人好しな性格であった為に貴族内での派閥争いでは何度も出遅れてしまっていた。


 そういう経緯から、現在のクロムウェル伯爵家は名前と歴史ばかりの弱小貴族にまで落ちぶれてしまっている。


 次期当主である長男のソロモンと、その補佐である次男のデュオンも父親によく似た凡庸なお人好しで、落ち目の伯爵家を復興させる能力もその気概もなく、貴族の一員として国の為にやれる事だけをやろうという消極的な姿勢だった。


 その中で三男のトレスはクロムウェル伯爵家を興した初代クロムウェル伯爵の再来とも言える才覚とカリスマ性、そして王国でも屈指の美貌の持ち主。


 彼が陣頭に立てば伯爵家の再興は不可能では無かったが、トレスは古いしきたりや貴族の在り方といった堅苦しいものを嫌う自由奔放な性格の持ち主だった。


 その為、上の兄二人を押し退けて当主の座に就こうという欲はなく、むしろ逆に余程の事でも起こらない限り伯爵家を継ぐ必要がない自由な己の立場を愛し、町まで下りて平民に混じって日雇いの仕事をしたり、安酒場でマナーの必要のない食事や談笑を楽しんだり、親しい者達と路上で演奏やダンス等を披露したりと好き勝手に日々を過ごしていた。


 そんなある時、曾祖父の代から親交のある隣の男爵領の領主の屋敷へ遊びに行っていたトレスは、親友で幼馴染でもある領主子息のフラン・コルトンが酷く落ち込んでいる様子が気になり、一体どうしたのかと心配して尋ねた。


 フランの話によると、以前から貧しくて貴族内での立場も弱い男爵家出身である自分の事を苛めてくる裕福な子爵令息、エドマンド・ゴールディンが開く婚約者のお披露目パーティーに招待されたのだが、これが未だに婚約者のいない自分を年齢の近い令息や令嬢達の前で笑い者にする為の嫌がらせの一環だと気付き、そのせいで気が重いという事だった。


 爵位が上、しかも父親の仕事の関係から頭の上がらないエドマンドの誘いを断る事が出来ず、かと言って婚約者がいない自分が同伴出来そうな女性は母親くらいしかいないので、その場合は恐らく“マザコン”で、一人でいけば間違いなく“独り者”と嘲笑われる事になるだろう。


 もう八方塞がりで嫌がらせを受け入れるしかないんだよ……と暗い表情を浮かべるフランの姿を見て、トレスは此処は友人として一肌脱ごうと心に決め、とある作戦を決行する事にした。


 そして、お披露目パーティー当日、トレスは母親が若い頃に使っていたドレスをアレンジした物を着用し、更に化粧をしてフランの秘密の婚約者、トレシアとして会場に現れた。


 淑女としての礼儀、作法、振る舞いも完璧に修め、更に王国屈指と名高い美貌を化粧で更に際立たせて絶世の美女となったトレスは主催者で主役でもあるエドマンドと婚約者の二人を空気にしてしまう程の圧倒的な存在感を放ち、主役の座を完全に奪ってやったのだった。


 招待客の令息達はトレシアに夢中か、こんな美しい婚約者をずっと秘密にしていたフランを見直しただの羨ましいだのと褒め称えるばかりで、令嬢達はミステリアスな美女にお近付きになりたいと話し掛け、誰もエドマンドと婚約者に興味を持つ者がいなくなっていた。


 エドマンドの面目はすっかり潰れてしまっており、丁度良い頃合いを見計らって適当に切り上げ、フランと会場を後にした時には、プライドを傷付けられた婚約者がヒステリックにエドマンドを罵った挙句、その頬に平手打ちを喰らわせている姿が見えていた。


 これで、プライドが無駄に高いエドマンドはこの屈辱的な出来事を蒸し返される事を警戒して、フランに突っかかる事を控えるようになるだろう。


 こうしてフランの憂いは無くなり、トレスの完全な作戦勝ちで終わるはずだった。


 ただ一つ、王太子のアレイスターがエドマンドのお披露目パーティーの会場付近にいた事を知らなかった点を除けば。


 本来ならば伯爵よりも爵位が下の者のパーティーに王族が参加する事などありえない。


 だが、その日は偶然にもゴールディン子爵の領地の近くまで趣味の狩猟をしにアレイスターがやって来ていた。

 珍しい獲物を見付けたアレイスターは夢中になり、予定よりも長く狩猟を続行した事によって山の中で日没を迎えてしまった。

 夜中の下山は危険なので近くにある領主の館で一夜の宿を頼むのが最善、という護衛の騎士の提案により、アレイスター達はゴールディン子爵の館を訪れた。


 それから、すぐに屋敷の中に通されたアレイスターは客室へと案内されるはずだったが、その際にフランと共に会場から颯爽と出て行くトレスの姿を目撃し、見事に一目惚れをしてしまっていた。


 更に言えば、そのアレイスターが後日、一目惚れしたからお前の婚約者を寄越せ、元々いた婚約者とは既に縁を切ったから早くしろ、と非常識極まりないクズとしか言いようのない要求をフランにしてくるなどという予想外の事態にさえ発展しなければ作戦は完璧なはずだった。


 お披露目パーティーの件の時よりも一層弱り果てて、今にも倒れそうなくらい蒼褪めたフランが、どうすればいいのかとトレスの所へ泣き付いて来たのは言うまでもなく、これには流石のトレスもどうしたものかと頭を抱える事になった。


 やっぱり素直に事情を話して精一杯謝罪するのが一番だろうか、とフランは言っていたが、アレイスターがエドマンド以上にプライドが高く、傲慢で融通も利かない性格の問題児だと噂に聞いていたトレスは謝罪なんて通用しない相手だろうと反対した。


 更に自分達が全く関与していない出来事とは言え、本来の婚約者である聖女テレサとの婚約破棄にまで事態が大きくなったしまったこの状況で正直に言ったところで事態は収束しないだろうし、最悪王家を騙したと言い掛かりを付けられて何かしらの刑に処される可能性が高い。


 二人揃って土下座で許し乞いをしたところで済む話では、最早なくなっていた。


 あまりにも絶望的な現状に泣き崩れそうなフランを案じたトレスは、俺が責任取って何とかするから安心しろ、と言って落ち着かせると覚悟を決めた。


 こんな事態になる事は予想出来なかったとは言え、結果的に自分の考えた計画が原因で親友を追い詰めてしまったのならば責任を取り、後は自分の力で自分の身を守るしかない。


 それが、王太子の婚約者トレシア・クロムウェル誕生の契機だった。


 トレスは家族や屋敷の使用人達を説得してからトレシアとしてアレイスターからの要求を受け入れ、彼の婚約者として王宮入りする事となった。


 勿論ずっと騙し通せる訳がない事は初めから承知していたトレスは、アレイスターの方から婚約破棄を言い出すように仕向けて半年頃には王宮を出る計画を立て、それを密かに実行した。


 計画自体は実にシンプルなもので、嫌味にならない自然な振る舞いでプライドの高いアレイスターのマウントを取り続けるというものだった。


 アレイスターよりも完璧なマナーや華麗なダンスを修めて周囲の視線を独り占めし、夜会ではアレイスターの方を引き立て役にするように美しく聡明に振る舞い、少しでもアレイスターが粗相をすれば上品にそれを嗜めて自分の方が上だと周囲に思わせるように印象付ける。


 正直、能力はハッキリ言って凡庸かそれ以下で、性格は最悪で腐りきっていて優秀なのは顔立ちの美しさだけ(しかも、トレスの方がずっと美形)なアレイスターがトレスに勝っているのは権力くらいしかない為、ほぼ全てにおいて見劣りしてしまうトレスとの生活はアレイスターにとって屈辱以外の何ものでも無かった。


 プライドだけが異様に高いアレイスターは自分よりも優秀な人間を嫌悪するどうしようもない性質の持ち主で、元婚約者であるテレサとの婚約破棄に乗り出したのもトレシアの美貌に一目惚れした以外にテレサがとても優秀な女性でアレイスターの劣等感を刺激してしまっていた事が原因の一つだとトレスは確信していた。


 計画通りにアレイスターの不満は順調に溜まっていき、更にそこに突然出現したマリーという男爵令嬢の存在によって、トレスの計画は面白いくらい加速して進んでいった。


 明らかに王太子妃になって富と権力を手に入れたいという下心が丸見えなマリーは、ある日の王族主催の夜会でアレイスターに近付き、持ち前の可愛い系の容姿と小動物のような庇護欲をそそる振る舞いで彼を落としに行った。


 アレイスターはそんなマリーの策にあっさりと嵌り、優秀で何かと自分よりも目立つトレスと違って自分の真価を理解して引き立ててくれる愛しい女性としてマリーを寵愛し、トレスとの交流も公務や行事等の必要な場面でもない限りは一切皆無にしたりと気持ちは速攻でマリーの方へと傾いていった。


 こうしてトレスの計画は面白いくらい順調に進行し、今夜の夜会での婚約破棄騒動へと繋がった。

 

 途中で性別がバレやしないかという点だけは心配だったが、現国王であるアレイスターの父親と王妃である母親は揃って頭が残念な親バカであり、可愛い一人息子が選んできた相手を疑う事なく受け入れ、着替え等は実家の屋敷から連れてきた使用人に見張り等を含めてやって貰っていた為、バレずに済んだ。


「計画通りに大体半年くらいで成功したし、全部上手くいって良かった、良かった!」


 全てをやり切ったトレスは豪快かつ愉快そうにケラケラと明るく笑いながら馬車の中で寛いでいた。


「そうですね……しかし、坊ちゃん……」


 馬の手綱を握る手を緩めず、しっかりと操縦しながらジョンは振り返り、馬車の中で必要以上に明るく振る舞うトレスに向けて寂しげな表情を浮かべた。


「本当に国を出て、二度とお戻りにならないつもりなのですか?」


 ジョンの深刻さの滲んだ口調にトレスは笑う事をピタリと止め、寂しさと諦めの混じった微笑を浮かべながら口を開いた。


「……仕方ねぇさ。俺がこの国にいる限り、何時トレシアの正体が俺だった事にアレイスターや他の王宮の連中が気付くか分かったもんじゃないからな」


 トレスは最悪、性別を偽って王宮入りした自分が裁かれる覚悟はしていたが、フランや協力してくれた自分の家族、屋敷の使用人達といった身内が巻き添えを喰らう事だけは避けたかった。


 だから、婚約破棄が済んだ後は、今までの貴族らしくない振る舞いを父親が諫めた事が契機で親子喧嘩が起こり、遂に勘当されて家を追い出されたという設定で自分はさっさと旅支度をして国を去り、トレシアはアレイスターからの婚約破棄が原因で心を病んで自害したという事にして誰も埋まっていない名前だけの墓を用意しておく事になっている。


 仮に王宮の誰かが疑念を抱いたとしても、流石に国を去って行方をくらませた男を探し出したり、墓を暴いたりするような面倒を好き好んでやろうとはしないだろう。


 それに、あの婚約破棄騒動は王家と伯爵家の諍いではなく、飽くまでアレイスターとトレシアの二人個人による諍いだと周囲の参加者達に印象付けながらアレイスターを完全にやり込んでやったのだ。


 幾ら容姿以外が全滅しているアレイスターやそんなバカ息子を甘やかしまくっている国王王妃夫妻でも、子供の喧嘩レベルで済んだ騒動を、わざわざ蒸し返して大事にするのは醜聞を広めるだけで何のメリットもない事くらいは分かっているはず。


 余計に恥を掻く上に王家のやり方に対して厳しい目を向けている一部の貴族や官僚達が、今回の件を撒き餌にして反王家派閥の勢力を拡大し、ここぞとばかりに王家を叩いて求心力が減退するのが目に見えているから、もう話題にさえしないだろうと踏んでいる。


「大丈夫だよ。下町の仲間達と一緒に日雇いの経験も路上で寝た事もあっから、何とかやっていけるさ」


 そう言って、トレスはわざとらしい位に明るい口調で答えた。


 しばらくそうした後、トレスは笑う事を止めてアレイスターを虜にした美貌に憂いの色を浮かべながら、口を開いた。


「……だからさ、親父にお袋、兄貴達の事を頼むぞ。ずっと好き勝手生きてきた不良三男坊の俺からの、最後のワガママだと思って聞いてくれ」

「……言われなくても、私は旦那様にも奥様にも、ソロモン様にもデュオン様にも、クロムウェル伯爵家の皆様に最期まで誠心誠意お仕え致しますよ……ですから、どうかご安心なさって下さい……トレス坊ちゃん」


 いつの間にか顔を前に戻していたジョンの表情はトレスから見えなくなっていたが、その声は震えているように聞こえた。


「……ありがとうな、俺は幸せ者だよ」


 そう答えたトレスは儚げな微笑みを浮かべていた。


 ※


 トレスを乗せた馬車が王宮から走り去った直後、その様子を一人の青年がジッと見据えていた。


「やはり、こうなったか……こちらも動く時だな」


 静かに呟いた青年は身を翻し、王宮の方へとしっかりした足取りで向かって行った。


「全てが終わった時、必ず迎えに行くぞ。トレシア、いや、トレス・クロムウェル!」

 最後まで読んで戴き、本当にありがとうございました。

 楽しんで戴けましたでしょうか?

 後編は24時間後の辺りに投稿する予定です。

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