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付き合ってる子たちの話

前略 静かに輝く一番星のようなきみへ

作者: 藤崎珠里

 好きな人と付き合いたいなんて、思ったことがなかった。

 友達でいるのが楽しいから、心地いいから、変わる必要なんて微塵も感じていなかった。


 ――と、言えば、数年前から付き合っている菖蒲(あやめ)文香(ふみか)は「マジで!?」とバカでかい声を出した。

 どうにもめちゃくちゃびっくりしているようだが、その反応に俺のほうこそびっくりである。


「文香だってそう言ってたくせに、なんでそんなびっくりしてんの」

「いや……うん、よく考えればそんなびっくりすることじゃなかった」


 真面目な顔で言う文香に、少し笑ってしまう。

 彼女はこういうところがある。反射のように反応してから、いや……と考え直すようなところが。

 そしてそういうとき、大抵大真面目な顔をしているものだから、なんだか面白いのだ。


「でも二人して付き合わなくていいやって思ってたってことだよね? それでもう……何年? 四年? 付き合えてるの、すごくない?」


 指折り数える文香に、「ほんとにな」としみじみとうなずく。

 文香と付き合い始めたのは、高校二年のとき。当時の俺と文香は、非常に仲のいい友達だった。いや、今だって恋人であり友達であり、という関係なのだが。

 ……俺は文香のことを親友だと思ってるけど、文香はどうだろうな。


 友達でありながら、恋愛的意味でも好きになるなんてこと、たいして珍しくはないだろう。

 それだけ仲がよかったからこそ、別に付き合いたくないな、と思っていたのだ。

 だって十分楽しいし。もしも文香に彼氏ができて、今までみたいな距離感でいられなくなったとしても、文香が楽しく笑って過ごせるのならそれでよかった。

 本気で、そう思っていたのだ。


 ――名無しのラブレターなんてものをもらうまでは。


「おかげさまで、俺は俺らしく楽しい日々を過ごせてますよ」

「……それは何よりですぅ」

「まだ照れるんだ」

「いや告白に使った言葉ことあるごとに言われたらふっつうに照れるからね!?」


 顔を真っ赤にする文香が可愛くて、喉の奥でひそかに笑う。ここで大声で笑おうものなら、彼女は拗ねてしまうので。


 今俺が口にしたのは、名無しのラブレターに書かれていた一文である。

 俺の名前と、俺が俺らしく楽しい日々を過ごせることを祈った、たった二文だけのラブレター。だけどそこに込められた気持ちがどれだけ大きいものかは、一度読んだだけでもわかった。

 わかったから、すぐに二度、三度、何度も読んだ。


 これ絶対文香じゃん、と確信するまでに時間はかからなかった。

 いろんな要素が、「絶対文香じゃん」と確信するピースでしかなく――だけど一番は、俺が、文香だといいなと思ってしまったから。


 文香が名無しのラブレターなんていうよくわからない手段を持ち出したのは、ただ気持ちを伝えるためだった。付き合いたいわけではなく、本当に純粋に、好きだと伝えたいと思ってくれただけだった。

 にもかかわらず、俺がラブレターの送り主をすぐに見破ってしまったから、こうして数年も仲よくお付き合いができているというわけである。

 大学が離れたとき、正直別れる覚悟もしてたけど。なんとかなるものだった。なんとかしたい、とお互いに願い続けた結果だろう。



「ってわけで、はい、今月のラブレター。今ここでは読むなよ」

「読めっていうフリ?」

「んなフリしたことないだろ」

「ふふ、わかってるわかってる。ちゃーんと家に帰ってから、じっくり読みますから」


 にへらっと笑って、文香は俺の手紙を受け取ってくれた。

 別にどちらが決めたわけでもないけど、なんとなく、俺たちは毎月ラブレターを送り合っている。

 手紙というのはなかなかいいものだった。声よりも、スマホの文字よりも、手で書く分言葉を考えるスピードが遅くなって、結果的に本当に伝えたい言葉が見つかりやすい。

 まあ、そういう気がする、という程度の差なのかもしれないが、楽しいからなんだっていいのだ。

 文香も同じようなことを思っているからこそ、この変な文通は続いているんだろう。


 付き合いたての頃は数日続けてラブレターを送り合っていたが、あれはたぶん、二人して謎に対抗心を燃やしていた。

 次第にそれも落ち着いて、一週間に一度になり、一か月に一度になり。

 四年続けても書くことは尽きない。始まりが始まりだったから、数文に収めるというのが暗黙のルールになっているということも一因かもしれない。

 それにラブレターとは言いつつ、もうそういう感じじゃないしな。なんていうか……交換日記? そういうのにも近い気がする。

 相手のことを思って書いているのなら、何でもありの手紙だった。


「この封筒めっちゃ綺麗だね。便箋も絶対綺麗じゃん、楽しみ~」


 文香はうきうきそわそわと、封筒を矯めつ眇めつしている。

 レターセット選びも、これがなかなかに楽しいのだ。文香と付き合い始めてから、文房具屋や雑貨屋を巡るのが趣味になった。


 文香に似合いそうなもの、文香が好きそうなもの。

 文香のことだけを考えながら選べるのが楽しかった。

 一番初めに選んだレターセットは、安直だけど菖蒲が描かれたものだった。苗字が菖蒲だし、花言葉もいいなと思って。


「封筒は夜空だけど、中は夕方の空だよ。一番星のレターセットだってさ」

「便箋のネタバレ禁止!!」

「ごめんなさい」


 むすっとした文香に、割と真剣に謝る。いや俺も便箋のネタバレされるのは嫌だわ。

 封筒からは予想もつかない便箋がセットになっていることもあるから、レターセットは奥が深い。


詠一(えいいち)、毎回いいの見つけてくるよねぇ。私も雑貨屋巡り強化しなきゃ!」

「一緒に行く?」

「いや選ぶ横にいられるのはハズいって……」

「俺は恥ずかしくないけど?」

「そう言えば私が乗ってくると思ってるな? わかりました、乗ります。先に恥ずかしがったほうが負けだから!」


 いやだから俺は恥ずかしくないんだって。負ける勝負を挑んで楽しいのか? ……楽しいんだろうな。

 デートの途中でふらっと雑貨屋によることはあっても、雑貨屋目的で一緒に出かけるなんていつぶりだろうか。

 そう考えて、ふと思い出す。


「……そういえば、最初の手紙くれた前日、一緒に雑貨屋行ったじゃん。あれってもしかして、レターセット買うため?」


 文香があのとき何を買ったのか、俺は知らない。秘密の買い物があるから別行動で、とお願いされたからだ。

 でも翌日のことを思うと、たぶん。……そうだよな。


「きっ……気づいても言わないでしょそれは!!」

「文香って年々照れ屋になってない?」

「誰のせい!?」

「たぶん俺のせい」

「わかってんなら言うな」


 ジト目で小突かれた。いや可愛いな。昔はそうでもなかったのに、今じゃ結構すぐ顔真っ赤になるし。

 慣れていくならまだわかるけど、年々照れ屋になるのは正直よくわからない。わからないからこそ、面白がっていじってしまう。

 嫌がらせしたいわけじゃないから、毎回ほどほどに留めるが。


「ネタバレされたことだし、今読んじゃお」

「おいやめろごめんってさすがに俺も手紙目の前で読まれんのはハズいから!」

「反省してるみたいなのでやめますけど、次は読みます」

「ありがとうございます……以後気をつけます」

「ええ、十分気をつけるように!」


 ちょっと偉ぶるように、文香はつんと上を向く。だけどすぐ、くすくすと無邪気に笑った。



 今までいろんなレターセットを使ってきたけど、今回のものが今までで一番文香に似合う気がする。

 一番星。夕方の綺麗な空に、最初に輝き始める、まぶしい星。

 だけど太陽みたいにまぶしすぎることはなくて、どこか静かな感じも、文香に似合うなと思う。


 文香には、『物静か』という言葉自体は似合わない。反応だって結構オーバーなことが多いし、笑うときには大体大きく笑う。

 でも俺にとっては……なんていうか、そこにいるのがすごく自然というか。静かだな、と感じるのだ。

 空を見上げれば気づかないような輝きなのに、気づけば一番に見つけてしまう。俺にとっての文香はそういう感じ。


 ……こんなポエミーなこと考えて選んだとかバレたら、軽く死ねる。


 絶対言うつもりはないが、まあ、割と伝わってしまっているとも思う。

 だって文香が選ぶレターセットも、絶対俺イメージして選んでくれてるし。俺がそうわかるってことは、文香にも伝わってるってことだ。


「じゃあ、そろそろ私帰るね。明日一限なんだよねぇ」

「え、三年のこの時期にまだ一限あんの? しかも月曜……かわいそう」

「推し教授の講義だからいいの!」


 唇を尖らせた文香は、それからいそいそと手紙をバッグにしまった。俺の部屋に忘れ物がないかをざっと確認して、立ち上がる。

 片道二時間は遠いと言えば遠いが、遠距離恋愛というほどでもない。今日は俺の家でのデートだったけど、中間地点で会ってしまえば何の障害にも感じない距離だった。


「駅まで送る」

「いいよ、近いし」

「ちょっとでも長く一緒にいたい彼氏の気持ち、察してくんないの?」

「私を照れさせようって魂胆が見え見えのセリフ言って恥ずかしくないの?」

「……ちょっとハズい」

「ばぁか」


 とはいえ外はもう暗いし、ここで送らないのは男が廃る。

 そう主張すれば、結局文香は俺に送られてくれた。


「またね、詠一。次の手紙楽しみにしといて」

「言われなくても楽しみにしてるって」

「それは張り切って書かなきゃな~」


 改札前でそんなやりとりを終えた後、文香はさっと素早く辺りに視線を走らせた。

 そして次の瞬間、唇に一瞬だけ、柔らかいものがふれる。――文香の顔が離れていく。



「じゃっ!」



 にーっと満足げに笑った文香は、颯爽と改札を抜けてホームへと消えていった。

 …………こういうことさらっとしてくるんだからずるいよなぁ。

 付き合って四年も経つのだから、ただのキスくらい挨拶のようにできるのが当然なのかもしれない。

 いやでも、『そういう雰囲気』のときのキスにはいまだに照れるのに、なんでこういうのはできるわけ? 俺は逆にこっちのほうが照れるんですけど??


 各停しか停まらない寂れた駅には、利用者はそれほどいない。辺りに人がいないことを確認したからこそ、文香もこんなことをしてきたのだろう、が。

 ……次に会ったときには何かしら仕返しをしよう。絶対。

『覚えてろ』とメッセージを送れば、『こわっ笑』とすぐに返信が来た。笑、ってついてるけど、これたぶん大分マジでびびってる。


 ほんの少し溜飲が下がって、頬の熱もおさまる。


 さて、仕返しはどうしようか。文香が照れて、俺は照れないやつ。

 ……最初の頃にもらった手紙、文香の前で朗読しようかな。さすがに怒られるか?

 まあ、次に会うときまでに何かしら思いつくだろう。

 思いつかなかったら、いつ仕返しされるのか密かに気にする文香を見て楽しむだけでもいい。想像するだけで気分が上がった。


 改札に背を向けて、帰路に着く。

 もうそらで言えるくらいに読み返した、最初にもらったラブレターを思い出しながら。





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