新しい家(3)
それから少ししてセリーヌさんが部屋に来た。
この部屋はセレストさんとセリーヌさんが話し合って揃えたそうで、日用品についてあれこれと教えてくれた。
セリーヌさんは大体朝の八時か九時に来て、家の中の掃除や洗濯を行い、来客があれば対応し、夕食と翌朝の朝食の準備をして夕方に帰るのだとか。
わたしはセレストさんについて第二警備隊に行くから、あまり長くセリーヌさんと会うことはない。
基本的にセレストさんが出仕する前にセリーヌさんが来て、セレストさんが帰って来たら、セリーヌさんも帰るという感じらしい。
「あら」
フードを下ろしたわたしにセリーヌさんが目を丸くした。
「ユイ様、私でよろしければ少し御髪を整えましょうか?」
言われて、ああそういえば、と思い出す。
見た目なんて気にする余裕が今までなかったけれど、さすがにこれからもボサボサで毛先の長さも揃っていないざんばらな髪型のままでいるのは良くないだろう。
頷くと、セリーヌさんはすぐに大きな布を二枚持ってきて、一枚を床に敷くと、その上に椅子を置いた。
「こちらにおかけください」
「は、ぃ」
ポンチョを脱いで椅子に座ると首だけを出すように、もう一枚の布がかけられ、首の後ろで結ばれる。
セレストさんは壁に寄りかかっていた。
「かなり毛先も傷んでおりますね。セレスト様、今度髪に良い香油を買ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん。ユイに必要だと思ったものは買ってください。お金が足りなければ言っていただければ都度、渡しますので」
「かしこまりました」
セリーヌさんがハサミで毛先を切っているのか、小さく、シャキ、シャキ、と音がする。
前は長かったのだが、ある程度の長さになると髪は切られて売り払われてしまっていた。
適当に結んだところでナイフでザクザク切られたから、わたしの髪は長さが揃っていなかったのだ。
「ユイ様、香油には色々な匂いのものがありますが、どのような匂いがお好きですか? お花やハーブ、蜂蜜、柑橘類など、沢山ございますよ」
セリーヌさんに訊かれて考える。
「にお、ぃ、わ、から、な、い、です」
「では一つずつ使ってみて、ユイ様のお好きな匂いを探しましょうか」
「は、ぃ」
髪を切っている間、セリーヌさんが話しかけてくれたので気まずい雰囲気はない。
食べ物は何が好きか。
好きな色は何色か。
やりたいことはあるか。
どんな服が好きか。
でもわたしはどれも答えられなかった。
前世のわたしならともかく、今生のわたしはまともな食事も生活も出来なかったため、好きなものというのがない。
食べられればいい。
着られればいい。
好みなんてなかった。
だけどセリーヌさんは呆れることもなく「ではこれから沢山の好きを見つけられますね」と微笑んだ。
「さあ、終わりましたよ」
最後に前髪を整えて、セリーヌさんが言う。
大きな手鏡を渡されて自分を見る。
肩にギリギリつくかどうかのざんばらだった髪は、今は顎くらいまで短くなっている。
でも毛先を整えてもらったからかスッキリした。
「かわ、ぃ、い。……あ、り、がと」
「いえいえ、どういたしまして」
肩にかけていた布が外される。
首回りがすっきりして少し涼しい。
セレストさんがポンチョを着せてくれた。
セリーヌさんが椅子を退かして二枚の布を纏めると、それを持って立ち上がる。
「昼食の支度をしてまいります」
「ええ、お願いします」とセレストさんが返事をした。
セリーヌさんは布を抱えたまま一礼して、部屋を出て行った。
わたしはもう一度持っていた手鏡で自分を見る。
亜麻色の髪に、オレンジがかった赤色の紅茶みたいな色をした目は意外とぱっちりしている。外に出ることがなかったせいか肌はやや青白い。痩せていた。
ここ一週間ほどは毎日三食食べているものの、すぐに体に変化が現れるわけではない。
……もう少し健康になりたいな。
前世のわたし基準になるが結構可愛いと思う。
セレストさんがわたしのそばで屈んだ。
「可愛くなりましたね」
微笑ましげに金色の瞳が細められる。
その優しい眼差しとまっすぐな言葉に少し照れる。
「触ってもいいですか?」
頷くと、手が伸びてきて頭を撫でる。
そうして確かめるように毛先に触れる。
「確かに香油を使った方が良さそうですね」
セレストさんが立ち上がる。
「疲れていませんか?」
「つか、れ、て、なぃ、です」
移動はほぼ馬車だったのであまり歩いていない。
「服と靴を買いに行きませんか?」
「ぃ、く」
「では昼食後に行きましょう」
手鏡を元あった化粧台に戻す。
化粧台にも丸い鏡がついており、わたしが映っている。明日からはここで、自分で身支度をするようになるのだ。
化粧台の上には髪を梳かすためのブラシや、多分、髪を纏める時に使うリボンなどが並んでいた。
……リボン、自分で結べるかな。
前世は髪ゴムがあったので簡単だったけれど、ただのリボンで髪を纏めるのは慣れないと難しそうだ。
今は短いのでいいが、長くなったら練習した方がいいのかもしれない。
セレストさんのところへ戻ると手が差し出される。
それに手を重ねて、緩く引かれながら部屋を出た。
階段を降りて、左手前にある扉をセレストさんが開けて、中へ入る。
四角いテーブルがあり、椅子が四つ。
セレストさんはわたしを奥側の椅子に座らせ、自分はその向かい側に腰を下ろした。
テーブルは幅が一メートルくらいある。
広々としており、白いテーブルクロスがかけられ、真ん中に小さい花瓶が置いてあり、淡い水色の花が飾られていた。
扉が叩かれ、サービスワゴンを押しながらセリーヌさんと、その後ろから、セリーヌさんに似た顔立ちの若い女性が入ってくる。
セリーヌさんがセレストさんの食事を並べ、セリーヌさんに似た若い女性がわたしの食事を並べた。
セリーヌさんに似た女性は恐らく二十歳前くらいか、そっくりの柔らかなブラウンの髪を後頭部で纏めている。
食事の支度を済ませると二人が一礼する。
「紹介が遅くなりましたが、娘のアデライドです。今日よりユイ様のお世話は娘が担当させていただきます」
若い女性、セリーヌさんの娘さんがもう一度、浅く頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「お、ねが、ぃ、し、ます」
返事をしながらセリーヌさんの娘さんを見る。
……この人はあんまりいい人じゃない気がする。
どこがとはハッキリ言えないが、空気がピリピリするし、こちらを見る目は冷たい。
ゴシュジンサマが八番を見る時の目に似ている。
この人はわたしに敵意を持っている。
どうしてかは分からない。
セリーヌさん達は紹介を終えると部屋を出て行った。
「ここは食堂です。食事をする部屋です。この隣も居間ですが、そちらは人が来た時に使います。廊下を挟んだ向こうの部屋は階段側が使用人の過ごす部屋で、玄関側は厨房になります」
セレストさんの説明に頷き返す。
使用人の過ごす部屋というのは、最初にセリーヌさんが出てきた部屋のことだろう。
「食事が冷めてしまうので、説明はこれくらいにしていただきましょうか」
セレストさんが両手の指を組んで、顔の前まで手を上げると、目を閉じた。
わたしもとりあえず真似てみる。
数秒その姿勢を保った後にセレストさんは手を下ろし、わたしを見て「ああ」と気付く。
「食前の挨拶です。『主よ、素晴らしき糧を与えてくださり、ありがとうございます』と心の中で唱えてから、食事をするのですよ」
こちらの世界での『いただきます』みたいなものか。
もう一度手を組んで心の中で呟く。
……主よ、素晴らしき糧を与えてくださり、ありがとうございます。
目を開ければ、セレストさんは食事をせずに待ってくれていて、それから食事が始まった。
…………ん?
すぐに違和感に気付く。
セレストさんとわたしとでは食事の内容が違う。
わたしはパンがあって、野菜とお肉の入ったシチューみたいな匂いのするスープ、それと馬車でもらったものだろうポムが食べやすく切ってある。
量は多くないけど、わたしには丁度良いくらいだ。
セレストさんの方はパンがあって、シチューみたいなスープに、大きなステーキがある。パンとシチューはあまり量は多くないけれど、ステーキがとにかく大きい。
思わずまじまじと見るとセレストさんがステーキの端を切って、わたしのパンのお皿に入れた。
「竜人は肉が好きなのです」
……へえ、そうなんだ。
もらった肉を食べる。
がっつり『肉!』という感じがする。
美味しいけど、結構脂ものっているので、これ以上はいらないかなと思った。
「りゅ、じん、にく、すき。ほか、は?」
「他に酒も好きですね。基本的に竜人は人の手が入ったものが好きなのです。人の手が入ったものは美味しいですから」
セレストさんは食事を食べ進めていく。
わたしより量が多いが、わたしより食べるペースが早くて、それに綺麗に食べる。
わたしはまだなかなか綺麗に食べられない。
パンくずを落としたり、ちょっとこぼしてしまったり、食器の扱いが下手だ。
それに熱いものは早く食べられない。
「慌てなくていいので、ゆっくりよく噛んで食べてくださいね」
先に食べ終えたセレストさんにそう言われた。
セレストさんは自分で水をコップに注いで、それをのんびりと飲みながらわたしを眺めている。
わたしは口の中にパンが入っていたため、返事の代わりに頷いた。
パンはふわふわもちもちで温かく、シチューみたいなスープはまろやかで、ゴロッと入った野菜と肉の旨味が出ていて美味しい。
パンとスープを交互に食べ進める。
最後に切ってあるポムを食べた。
途中、お茶を飲んだ時にお菓子も食べたので少し苦しいくらいだったが、それでもお腹いっぱいに食べられることが幸せだった。
食後にちびちびと水を飲む。
水はハーブみたいな爽やかな香りがした。
「お、ぃし、かっ、た、です」
セレストさんが微笑んだ。
「そうですね、セリーヌの母親が作ってくれた食事も美味しかったので、きっと母親の腕を継いだのでしょう。使用人の料理の腕がいいと助かります」
……そっか、料理下手な人だと美味しくないから。
その点では確かにセリーヌさんの料理は美味しい。
「せれ、す、と、さん、せりー、ぬ、さん、なが、ぃ?」
「ええ、彼女が十六歳の頃にここで働き始めたので、かれこれ四十年近い付き合いになります」
四十年とはまた随分と長い付き合いだ。
いや、もしかしたら竜人からしたら四十年なんてそれほど長い時間ではないのかもしれない。
千五百年から二千年も生きるのだから。
「せれ、す、とさん、かぞ、く、は?」
セレストさんが苦笑する。
「父と母と、双子の弟達がいます。ですが父も母も旅をするのが好きな人なので、わたしが成人するのと同時にグランツェールを出て行きました」
「い、ま、どこ、ぃる?」
「さあ、どこでしょうね。五十年くらい前に海を渡った東の大陸に行くと手紙が届きましたが、長く同じ場所に留まらないので今どこで何をしているかは分かりません。弟達は王都で騎士になったそうです」
そう答えたセレストさんは慣れた様子で、そこまで両親を心配してはいないようだった。
「しん、ぱ、ぃ、なぃ?」
セレストさんが苦笑する。
「心配はありませんね。母はエルフで、父は竜人なのでどちらも魔法に長けていますし、我々は長生きなので五十年程度、連絡が途絶えてもあまり気にならないのですよ」
それはまた随分と気が長いと言うか、のんびりしているなと思った。
でも竜人は千五百年から二千年も生きるから、その寿命の中の五十年って、人間の感覚的には長くても数年くらいに感じるのかもしれない。
それにしてもセレストさんはエルフと竜人のハーフなのか。
「せれ、す、と、さん、エル、フ、とりゅ、じん、のこ? はん、ぶ、ん、こ?」
「半分?」
セレストさんが首を傾げた。
「エル、フ、りゅ、じ、ん、ふた、つ、しゅぞ、く、まざ、る?」
それにセレストさんが首を振った。
「いえ、私は竜人です。両親が異種族同士だと、子供はどちらかの種族として生まれてきます。私は竜人ですが、双子の弟達はエルフですよ」
……そうなんだ。
前世みたいに両親両方の遺伝子を継いで、それぞれの特徴が現れるということはないのか。
だけど、ハーフの子がいないほうが種族として分けやすくて良さそうだ。
中途半端にそれぞれの特徴を受け継いで、どちらからも受け入れられないとなったらつらいだろう。
それなら、両親どちらかの種族で生まれてきたほうが、必ずどちらかの種族には受け入れられる。
「お、とぅ、と、さん、なん、さぃ?」
「確か私が百を少し過ぎた頃に生まれているので、今は百七十前後だと思います。人間で言えばユイよりもいくつか上くらいの歳ですね」
セレストさんが二十代前半くらいに見えるので、弟さん達とそこまで年齢は離れていないようだ。
……でも、弟さん達とは種族が違うんだ。
竜人とエルフなら竜人の方が長生きだ。
つまり、弟さん達の方が早く寿命を迎える。
セレストさんの口調や雰囲気からして、その辺りのことはやはり気にしていないらしい。
「さあ、そろそろ出かけましょうか」
お腹が落ち着いたので、わたし達は外出することにした。
ポンチョのフードを被り直し、セレストさんに手を引かれながら、セリーヌさんとその娘のアデライドさんに見送られて家を出る。
やっぱりアデライドさんから漂ってくる空気はチクチクしていたけれど、セレストさんもセリーヌさんも気付いていないようだったのでわたしも黙っておいた。
敵意があっても、何もなければそれでいい。
何かあったとしても彼女相手なら問題ない。
わたしの方が彼女より強いから。