初恋と失恋と
「それでシリルと二人ですごく泣いちゃった」
翌日の昼食でディシーがそう言った。
受付で抱き合って泣き出した二人なので、当然仕事にもならず、エルデンさんが第二警備隊の隊長さんにご挨拶へ行っている間、シリルとディシーは休憩室で休ませてもらうことになったそうだ。
でも二人ともなかなか泣き止まなくて大変だったのだとか。
三年、いや、三年半ぶりの再会なのだ。
もしかしたらもう二度と会えないかもしれないと思っていた家族との再会だから、仕方がない。
「今日、仕事が終わったらヴァランティーヌとシリルとご飯を食べに行くんだけど、ユイもどう?」
誘われて、セレストさんを見上げた。
「ユイが行きたいのであれば構いませんよ」
と、言ってくれたので行くことにした。
「いく」
「やった、シリルもユイに会いたいって言ってたよ。シリルに計算を教えてくれてありがとう! それにグレイウルフからも助けてくれたって! 全部ユイのおかげだね!」
「ううん、わたしはなにもしてないよ」
シリルがディシーの弟だったのは偶然だ。
計算を教えたのはなんとなくディシーに似ていたからで、シリルとグレイウルフの間に割って入ったのも、もしもディシーの弟だったとしたら、怪我をした時にディシーが悲しむと思ったから。
こう言ってはなんだがシリルのためではない。
「よかったね、ディシー」
ディシーが笑顔で「うん!」と頷いた。
* * * * *
仕事を終えて、わたし、セレストさん、ヴァランティーヌさん、ディシーの四人で第二警備隊を出る。
近くの広場でシリルと待ち合わせをしているそうだ。
一ヶ月ぶりの仕事は相変わらず忙しくて、計算ばかりだけど、旅の間はわりと時間を持て余していたのでやっぱり仕事があったほうが良い。
「久しぶりの仕事は大変だったでしょう?」
手を繋ぎながらセレストさんに訊かれて首を振る。
「ううん、しごとたのしいよ」
「そうですか、ユイは働き者ですね」
「たびのあいだはひまだったから」
ふふ、とセレストさんとヴァランティーヌさんが同時に笑った。
「まあ、旅の間は娯楽もないし、持っていける物もそんなにないからヒマなんだよねえ」
懐かしそうな口調でヴァランティーヌさんが言う。
それにわたしは頷いた。
「かえりはシリルにけいさんをおしえてたから、よかったけど、いきはひまだった」
横からディシーが顔を近付けてくる。
「シリルはどれくらい計算出来るようになった?」
「たしざんとひきざん、ばいざん、わりざんはもうできるよ。シリルはがんばってた」
「そっか、昨日聞いたけど、シリルは商人になりたいって言ってたから計算は大事だよね」
「教えてくれて、ありがとうユイ」とまた言われる。
それに苦笑してしまった。
「そんなにきにしないで。おしえただけ。できるようになったのはシリルのどりょくのけっかだよ」
広場に着くと、噴水のところに見慣れた金茶の髪が見えた。
向こうもすぐにこちらに気付いて近寄ってくる。
「姉ちゃん!」
駆け寄ってきたシリルがわたしを見て、表情を明るくする。
「ユイも来たのか? 良かった、姉ちゃんと仕事内容が違うって聞いたから、会えないかもって思ってた」
「ディシーにさそわれたから」
「そっか……」
何故かちょっとだけシリルが肩を落とした。
でもすぐに背筋を伸ばすと、シリルがヴァランティーヌさんを見上げた。
「初めまして、シリル=フェネオンといいます。姉を養子に引き取ってくださり、ありがとうございます。いつも姉がお世話になっております」
浅く頭を下げられて、ヴァランティーヌさんも同様に少しだけ頭を下げた。
「ヴァランティーヌ=バルビエだ。こちらこそディシーにはいつもお世話になってるよ。ディシーの弟なら、アタシにとっても身内みたいなものさ。気楽にしておくれ」
「わかった。よろしく、ヴァランティーヌさん」
ヴァランティーヌさんが手を差し出して、シリルがその手を取って握手を交わす。
二人とも笑顔なので問題なさそうだ。
それから五人で移動する。
今日行くのは『銀の雄鹿亭』というお店らしい。
それなりに大きなお店だけれど、高級なお店ではなく、広い店内にいくつもテーブルがあって、そこで食事をするようだ。
よく行く酒場よりかは良いお店だけれど。
でもお酒も飲めて、ゆっくり食事が出来る。
そういうお店だった。
お店に着いて、中へ入れば、お店の人がすぐに来て席へ案内してくれた。
メニューを見て、それぞれ料理を注文する。
シリルがそわそわと店内を見回した。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。ここ、見た目よりも高くないし、すごく美味しいんだよ」
ディシーの言葉にシリルが頭を掻いた。
「そっか。その、あんまりこういう店に来たことがないから、落ち着かなくて……」
「王都では行かないの?」
「大旦那様ならともかく、オレは下働きだし、お金を貯めたいし。それに大旦那様のところの食事、美味しいから」
「そうなんだ?」
ディシーとシリルが楽しそうに話している。
それをヴァランティーヌさんもセレストさんも穏やかな表情で眺めていて、わたしも二人の邪魔をしないように黙っていた。
でもすぐにディシーがわたしに振り返った。
「ねえ、ユイ、王都ってどんな感じだった? やっぱりグランツェールよりも華やか? 広い?」
それに答える。
「ひろくておおきいよ。まちのふんいきも、おうとのほうがあかるいかんじだった。ひともいっぱいいたよ。いちにちだけかんこうもしたの」
「あ、そうだ、お土産ありがとう! ヴァランティーヌとお揃いで嬉しい! 大事に使うね」
「うん」
そのうちお揃いの髪飾りをディシーとヴァランティーヌさんがつけている姿が見られるかもしれない。
ディシーに訊かれるまま、王都の話をする。
ケットシーの観光案内人とケンタウロスの話をしたら、ディシーが「いいなあ」と言った。
川にかかる綺麗で大きな橋を見たり、時計塔を見たり、本屋さんに行ったり、川の商店を見て回ったり、色々と行った。
王都はどこも綺麗で、淡い色合いが可愛くて、人々の表情も明るくて賑やかで、街全体の景色も良かった。
「とけいとう、もう何かいももえてるんだって」
「そんなに? よく取り壊さないね」
「あの時計塔は王都の観光名所の一つだし、昔からある建物だから壊すとかはないと思う」
シリルも混ざって三人でお喋りをする。
料理がテーブルへ並べられても、そこからはヴァランティーヌさんとセレストさんも混じって五人でお喋りして過ごすことになった。
とは言っても、殆ど話していたのはディシーとシリルで、ヴァランティーヌさんとわたしが時折会話に混じり、セレストさんもたまに入る感じであった。
……シリルは本当にディシーの弟なんだな。
並んで話している二人はそっくりで、それに心からホッとした。
ディシーの家族が見つかって良かった。
ディシーはいつも明るくて、元気で、でもだからこそ心配だった。
つらいと思っていてもディシーはそういうところを見せない。
奴隷だった頃も、いつもわたしを気遣ってくれて、時には守ってくれた。
ヴァランティーヌさんもいるけれど、やっぱり、実の家族のことだって気になっていただろうから。
「私だって計算も読み書きも出来るんだから」
「オレだって出来るよ」
「でもユイに教えてもらったばっかりなんでしょ? 私のほうが先に出来るようになったんだし、やっぱりまだまだお姉ちゃんのほうが偉いんだから!」
「でもオレのほうが背は高いけどな」
楽しそうな二人に少しだけ寂しい気持ちになる。
……なんで寂しいんだろう?
思わず首を傾げてしまう。
「ユイ、これも美味しいですよ」
「食べてみてください」という言葉と共にお皿に料理が一口分、置かれる。
顔を上げればセレストさんが微笑んでいる。
「ありがとう。……おいしい」
置かれた料理を食べる。
魚料理は香辛料や香草を使って味付けしてあり、その香りと魚の淡白な味がよく合っている。
わたしの言葉にセレストさんが頷いた。
「普段は肉が多いですが、魚も良いですね」
それに頷きながら、あ、と思う。
先ほどまでの寂しさはもうなくなっていた。
* * * * *
ヴァランティーヌという人から姉のことを教えてもらい、シリルは内心で安堵した。
自分が大旦那様に救われたように、姉もまた、良い人達と出会えたようだ。
成長した姉は大人っぽくなっていたものの、それでも明るい笑顔は変わらず、姉を養子に引き取ったヴァランティーヌという人は姉のことを大事にしてくれているのが感じられる。
それに姉からは暗い気配がない。
きっととても良くしてもらえていたのだろう。
昨日、姉と話した時に、お互いがどうしていたかは教えてもらったが、それはシリルよりもずっと酷い状況だった。
だがこうして笑顔でいられるのは、周りの人々が姉を助けて、支えてくれたからだ。
……それにユイも。
姉は昔から世話焼きで、負けん気が強い。
もしも奴隷にさせられて、たった一人だったなら、どこかで心が折れてしまったかもしれない。
しかし姉はユイと出会った。
自分より歳下で小さなユイを見て、恐らく姉は「自分がしっかりしなければ」と思ったのだろう。
姉が言う通り、ユイという存在がいたから耐えられたのかもしれない。
そう思うとユイと姉が出会ってくれて良かった。
「ねえ、ユイ。ユイは王都で何か買った?」
「ほんをたくさんかった」
「ユイは本、好きだね」
「うん、しらないことをしるの、たのしいよ」
姉とユイが話している。
シリルもユイと仲良くなりたい。
でも、どうやらユイはそうでもないらしい。
というよりも、ユイのそばにはいつも彼女の番である竜人がいる。
その竜人が時々、感情の読めない目でシリルを見てくるので、それが少し怖いと思う。
……竜人は嫉妬深いって大旦那様が言ってた。
だから多分、竜人に警戒されている。
大旦那様に「お嬢様に触ってはいけませんよ」とも注意された。
番を見つけた竜人は嫉妬深くて、自分以外の匂いがつくことすら嫌がる竜人も中にはいるのだとか。
見る限り、ユイの番の竜人はそこまでではないようだけれど、それでもシリルがユイに近付くと、いつも視線を強く感じる。
一緒に旅をしていた、同じ竜人の男性も、ユイと話すことはあっても絶対に触れることはなかった。
他の人達もそうだった。
女性は良くても、男性はダメらしい。
「セレストさんもたくさんほんかったよね」
ユイが番の竜人を見上げる。
整った顔立ちが優しく微笑んだ。
「ええ、そうですね、沢山買いました。ああいう時でなければ、なかなか王都に行く機会がありませんから」
その微笑みに、他の席にいた女性達の視線が集まったものの、竜人は全く気にしていない。
「ユニヴェールさんはどういう本を買ったんですか?」
「私は歴史書を」
「ユイもユニヴェールさんもすごいなあ。私、本読むと眠くなってきちゃうのに」
「集中して何かをするのは疲れますからね」
竜人が小さく笑いながら、食後に頼んだケーキを半分に切って、大きいほうをユイの皿に移していた。
それにユイが「ありがとう」と言う。
竜人が嬉しそうに目を細めて「どういたしまして」と答えている。
ユイと竜人の距離はかなり近い。
番だからなのか、それとも家族だからなのか。
ユイがニコリと笑う。
シリルには向けられたことのない笑顔に、ツキリと胸に針が刺さったような痛みを感じた。
……分かってる。
ユイには番の竜人がいて、竜人はユイをとても大事にしていて、シリルの入るところなんてない。
シリルがどんなにユイを好きになっても。
ユイの番はシリルではない。
竜人と目が合ってドキッとした。
少しだけ緑がかった金色の瞳がまっすぐにシリルを見てきたのが、まるで内心を見透かされているようで、落ち着かない気分になる。
その視線がすぐに外れたことに胸を撫で下ろす。
……それでも、やっぱり……。
シリルはユイが好きだ。
まだ知らないことばかりだけど、それでも、知っていることもある。
ユイは物静かで、真面目で、優しいところもあって、目の前で危ない目に遭っている者がいたら助けてくれて、だけど他人に興味がない部分もあって、シリルはユイにとってはまだ他人なのだろう。
姉の弟だけど、それだけだ。
シリルが想うほど、ユイはシリルを近しく思っていなくて、それはユイの様子を見ていれば分かる。
……ユイがオレのこと、なんとも思ってなくても、オレが気持ちを伝えない理由にはならない。
きっと断られるだろう。
ユイを困らせてしまうかもしれない。
それでもこの気持ちは伝える。
そうしなければ、ずっと、この気持ちを抱えたままになってしまう気がしたから。
だけど、やっぱり少しつらい。
初恋は気付いたのと同時に失恋したのだ。
シリルは自分で自分を「バカだな」と思った。
番がいる人を好きになるなんて、勝ち目がない。
* * * * *