双子(2)
セレストさんに急かされていないとは言え、確かにいつまでも保留にし続けるわけにもいかないだろう。
チラ、とセレストさんを見上げれば苦笑された。
頭を撫でられる。
「気にしなくていいですよ」
その言葉にホッとしつつも、少しだけ寂しいような感じがして、首を傾げてしまった。
…………寂しい?
しかし考えてみてもその理由は分からなかった。
イヴォンさんが膝に頬杖をつく。
「まあ、セス兄がいいならいいけどさ」
シルヴァンさんは黙って紅茶を飲む。
静かな沈黙が落ちた。
不意にイヴォンさんが「あー」と頭を掻く。
「でもさ、とりあえず今はセス兄のところで預かってるんだよな? 少なくとも成人まではここにいるんだろ?」
「ああ、最低でも成人までは私の保護下にある」
「じゃあ、俺達にとっても妹みたいなもんだな!」
何がどうしてそうなるのだろうか。
セレストさんが微妙な顔をする。
「養子縁組はしてない」
「そうだけど、でもセス兄のところにいるんだし、俺達からしたら似たようなもんだって。なあ、シル?」
イヴォンさんの言葉にシルヴァンさんが小さく息を吐いた。
「イヴは妹が欲しいだけでしょ?」
「なんだよ、シルは妹欲しくないのか?」
「欲しいに決まってるよ」
セレストさんが少し呆れた顔をする。
「すみません、ユイ。どうにもこの二人は昔から妹が欲しいと言っていたもので……」
……ああ、そういうことか。
双子で、三兄弟は全員男だったから、下に妹が欲しいと思っていたわけだ。
イヴォンさんもシルヴァンさんも双子だから年の差もなく、どちらもある意味では末っ子に近いような感じで、下に弟妹がいなくてつまらなかったのかもしれない。
前世のわたしも、兄弟姉妹に憧れはあった。
「だいじょうぶ」
妹が欲しい。
そこに、セレストさんの番のわたしが現れた。歳下で妹になる可能性もある。
実際は兄の妻になるなら義姉なのだけれど、年齢的に姉というより妹なのだろう。
ズイとイヴォンさんが身を乗り出してくる。
「なあなあ、お兄ちゃんって呼んでみてくれよ」
期待のこもった新緑の瞳に気圧される。
思わず黙ったわたしに、イヴォンさんが両手を合わせて「少しだけだから」「頼むよ」と何故か拝み倒される。
困ってシルヴァンさんを見てみたけれど、シルヴァンさんはニッコリ笑った。
「いいな、僕もお兄ちゃんって呼ばれてみたい」
二対のよく似た顔に見つめられる。
……分かった、分かりましたよ。
根負けしたのはわたしのほうだった。
「おにいちゃん」
ちょっと照れくさい気持ちになる。
「俺はイヴお兄ちゃんで」
「僕はシルお兄ちゃんで」
呼び方の指定までされた。
「……イヴおにいちゃん、シルおにいちゃん?」
目の前の二人が顔を見合わせた。
そして頷き合う。
「やっぱ妹いいな」
「うん、妹いいね」
……エルフって排他的な種族じゃないのだろうか?
とてもそうは見えなかった。
それともわたしがセレストさんの番だからか。
「セス兄が可愛がるのも分かるな!」
「私は兄妹として接しているつもりはない」
イヴォンさんの言葉にセレストさんが言う。
シルヴァンさんが「そうだよ」と頷いた。
「セス兄とこの子は番だから兄妹じゃないよ」
二人に言われてイヴォンさんが肩を竦める。
「分かってるって」
それからイヴォンさんが「あ」と何かに気付いた様子で、上着に手を突っ込んだ。
そこから二通の手紙を取り出した。
一通はややベージュっぽい色合いのシンプルなもので、もう一通は白地に金でドラゴンが描かれていた。
「これ、セス兄に。こっちは父さんと母さんからで、こっちは竜王陛下から」
なんてことない顔で言われて、セレストさんが目を丸くした。
「竜王陛下から、私に?」
「そっ、セス兄に渡してくれって頼まれた」
セレストさんはすぐに爪を引っ掛けて、竜王陛下からだという手紙の封を切った。
中から便箋を取り出し、読んでいく。
セレストさんの表情から笑みが消えた。
……何が書かれてるんだろう。
少し心配になってセレストさんの手に触れれば、金の瞳が我へ返った様子でこちらを向いた。
その表情はどこか戸惑っていたが、けれど、わたしと目が合うと何とか微笑んだ。
「だいじょうぶ?」
セレストさんが頷いた。
「ええ、大丈夫です」
そうは言っているが表情が優れない。
「竜王陛下からの召喚状です。ユイと私に、使節団の帰還と共に王都の城に来るように、と書かれています」
「おうさまの、ところにいくの?」
「ええ、竜王陛下が私達に話があるそうです」
突然の手紙に驚いた。
何故、この国の王様から召喚状なんてものが届いたのか理由が分からなかった。
「イヴ、シル、何か話は聞いてるか?」
セレストさんの問いにシルヴァンさんが答えた。
「ううん、特には。ただセス兄とその番を帰りに同行させて、王都まで一緒に連れて来てくれって言われただけだよ」
「あー、でも、なんか番に関する話だって言ってたような気もする」
「そうか……」
セレストさんが考えるように手紙へ視線を落とす。
それから小さく首を振った。
「こうして召喚状が来た以上は行かなければならない。使節団の予定はどのようになってる?」
「ここで二泊して明後日の朝、国境に向かう。そんで、多分一泊砦で過ごしたら戻って来るって感じだと思う」
「ここから東の砦までは馬車で一日かかるから、それを考えると街を発つのは一週間後か」
セレストさんがわたしを見る。
「ユイ、王都までは馬で移動するのですが、馬に乗った経験はないですよね?」
「ない」
セレストさんが考える。
「事情を説明してしばらく休暇をもらうとして、馬は少し乗る練習をしないといけませんね……。それに旅の準備もしなければ」
……旅の準備って何が要るんだろう?
一緒になって考えているとセレストさんが、同じく腕を組んで首を傾げるわたしを見て、微笑んだ。
「まあ、どのような理由で呼ばれるにせよ、王都への観光と思って行きましょうか。使節団と一緒ですから安全ですよ」
わたしを安心させるためだろう。
その微笑みにわたしは頷き返した。
「おうと、たのしみ」
呼ばれた理由がどうだったとしても、王都への旅行である。初めてこの街の外へ出るのだ。
不安もあるけれど、期待もある。
前世でも今生でも初めての旅行なのだ。
「で、もう一通はさっきも言ったけど父さんと母さんから、セス兄宛てにって」
「住所は変わってないのに何故直接送って来ないんだ?」
「読んでみれば?」
セレストさんはそちらも封を切って読む。
しばらく読んだ後、小さく息を吐いた。
「荷物の一部を魔獣に燃やされたって、相変わらずフラフラしてるんだな」
「でも燃やされた後はずっと砂の国の王都にいるらしいよ。おかげで手紙を送れたけどね」
「そのようだ」
手紙を封筒に仕舞い、セレストさんが苦笑する。
そうしてわたしを見た。
「父と母は今、海を渡った先の砂の国の王都にいるそうです。ここ三十年ほどはそこで過ごしているみたいで、イヴォンとシルヴァンからユイのことを聞いて、そのうち会いに来ると書いてありました」
セレストさん達のお父さんとお母さん。
……あ、でも。
「わたしたち、おうといったら、すれちがいにならない?」
わたし達はこれから準備を整えて、王都へ向かう。
もしセレストさんの両親がその間に来てしまったら、すれ違いになってしまうだろう。
セレストさんが「大丈夫ですよ」と言った。
「父と母の『そのうち行く』は数年先の話なので急ぐことはありませんよ」
とのことだった。
竜人とエルフという長寿同士の夫婦だからなのか、そのうちというのが数年単位の話とは、何とも気の長いことだ。
「それより、旅の支度をセリーヌに頼まなくてはいけませんね。私も準備を整えておかないと」
「わたしは?」
わたしも旅の準備をするべきだろう。
「ユイはセリーヌに準備してもらってください。何が必要か分からないでしょう?」
……わたしが出来ることは少なそうだ。
せめて、セリーヌさんと一緒に準備をしよう。
何を持って来たか分からない、なんてことにならないようにもしたいし。
「セス兄とその番と旅が出来るなんて楽しみだな!」
「そうだね、セス兄と旅は初めてだよね」
イヴォンさんとシルヴァンさんが笑った。
不安だけど、それ以上に外の世界が楽しみだ。
「そういえばそうだな」
セレストさんも微笑んだ。
そういうわけで、一週間後、わたし達は王都へ旅立つこととなった。
* * * * *
兄セレストの家から宿泊中の宿への道を、イヴォンとシルヴァンは歩いていた。
久しぶりに再会した兄は元気そうだった。
兄と暮らしたのは七十くらいまでだったので、それからは手紙のやり取りだけだったけれど、再会した兄はあまり変わっていなかった。
外見は多少成長していたものの、竜人である兄のほうが寿命が長いので、いつかはイヴォンやシルヴァンのほうが年老いていくだろう。
それでも、まだまだ先の話である。
人間に比べればずっとずっと先の話だ。
「セス兄、番にべったりだったな〜」
頭の後ろに腕を回しながらイヴォンが笑う。
「正直、セス兄は竜人の中でも結構理性的なほうだけど、やっぱり本能には抗えないってことだよね」
シルヴァンは兄とその番を思い出す。
ソファーの上で隣同士で座った兄セレストとその番のユイという少女の距離はかなり近かった。
それに兄は何度も番の頭を撫でていた。
あの後、夕食に誘われて一緒に食べたけれど、兄はずっと番を気にかけていた。
「でもさ、番のほうもセス兄のこと好きな感じじゃね? かなり信頼してたよな?」
「そうだね、あれで何で番ってないのか不思議だよね。セス兄の給餌を受け入れてるし。……あ、もしかして竜人の求愛行動のこと知らないのかな?」
「あー、まあ、竜人の家族がいないと知らないかもな」
夕食の時に、兄は番の世話を焼きたがった。
パンにチーズをかけて焼いてやったり、自分の食事を分け与えたり、飲み物を注いでやったり、見ているこちらが呆れてしまうくらいだ。
そうして番はそれを受け入れていた。
まだ番っていないということは、番は兄の正式な番ではない。
兄もあえて求愛行動について教えていないような気もするが、あれほど世話を焼かれて鬱陶しく思わない辺り、兄の番も少なからず兄のことを想っているのではというのはイヴォンとシルヴァンの見解だった。
「それにしても思ったよりちっちゃくて細くて、子供って感じだったな。あれは姉じゃなくてやっぱ妹だろ」
にひひ、とイヴォンが笑う。
「うん、あれは妹って感じだね。小さくて、華奢で、
人見知りなのかな? あんまり喋らなかったけど、僕達のお願いも聞いてくれて、悪い子じゃなさそうだった」
初めて会ったばかりのイヴォンとシルヴァンのお願いを、兄の番は素直に聞いて応えてくれた。
少し戸惑った様子で「お兄ちゃん」と呼ばれるのもなかなかに悪くない。
兄が番と結婚したら、そう呼んでもらいたい。
物静かで、見た目よりも落ち着いていて、やや人見知りがあるようだけれど、素直な感じの子供だった。
「そうだな、俺『イヴお兄ちゃん』って呼ばれた時、セス兄に早く結婚して欲しいって思ったし」
「引っ込み思案な妹も可愛いよね」
王都とグランツェールではかなり距離があるけれど、それでも会えないほどではない。
兄が番と結婚すれば、イヴォンとシルヴァンはあの小柄で少し人見知りらしい少女と家族になる。
昔から男三兄弟で育ったので、出来れば可愛い妹が欲しいとイヴォンもシルヴァンもずっと思っていた。
子供の頃は母と父に強請ったこともあった。
成長してからは、エルフの母と竜人の父の間に三人も子がいることがどれだけ恵まれているか知って、もうそのようなことは言わないが。
「帰りは楽しくなりそうだな!」
言葉通り楽しげなイヴォンにシルヴァンが言う。
「僕達は護衛の仕事があるから、あの子に構えるのは夜くらいだけどね」
日中はほぼ馬に乗って隊列を組んで移動するため、休憩時間か夜くらいしか話す機会はないだろう。
「いいんだよ、それで。あんま構ってばっかいるとセス兄に嫉妬されるだろーし」
「それもそうだね」
兄は普段は穏やかだけれど、怒らない人ではない。
滅多に怒らないが怒った時はかなり怖いのだ。
兄は外見だけでなく、中身も母に似ている。
母も穏やかな人だが怒ると容赦がない。
「でもセス兄、幸せそうだったな」
兄弟なので、子供の頃は兄がイヴォンとシルヴァンの世話を焼いたり、遊んでくれたりしたこともあったが、あそこまで丁寧ではなかった。
「セス兄のあんな表情初めて見たね」
番にあれこれとしながら、兄は目尻を下げて楽しそうにしていた。
その姿は幸せそうで、イヴォンもシルヴァンも余計なことはそれ以上言えなかった。
「……エルフか竜人だったら良かったのにな」
ポツリとイヴォンが呟く。
せめて同じくらいの寿命であれば……。
シルヴァンが双子の兄の肩に手を置いた。
「寿命ばっかりは仕方ないよ」
せめて、二人が一緒にいる短い間だけでも幸せであったなら良いと思う。
兄のためにも、兄の番のためにも。
「僕達は見守ろう」
「そうだなあ」
星空の下を、双子は肩を並べて歩いて行く。
二人の頭上ではキラキラと星達が瞬いていた。
* * * * *