保護(2)
浴室はあまり広くはない。
わたしが二人も並んで両手を広げたら壁に当たってしまうくらいだ。
でも狭いと言うほどでもなく、シャワールームとしては、これくらいなら不便はないかなという感じであった。
十七番が服を脱ぎ始める。
「ほら、八番も脱いで! 水浴びと同じだよ!」
裾を引っ張られてわたしも服を脱ぐ。
奴隷用の服は灰色っぽいくすんだ色をしていて、厚手でガサガサで、着心地は最悪だ。
成長してもなかなか新しい服をもらえない。
元々古着らしく、形は全部違う。
わたしはやや袖が足りない長袖の服に、七分くらいになってしまったズボンだが、十七番はワンピースだ。
中に下着はなくて、適当に裂いた布を巻いている。
それも外して互いの体を見る。
どちらも傷だらけだ。
「私達、傷だらけだね」
困ったように十七番が笑って、それからシャワーのある場所へ歩いていく。
壁にはシャワーのノズルがかかっている。
下の方には蛇口みたいなものがある。
そこに二つ、ドアノブみたいなものがついていた。
「八番、こっち来て」
呼ばれて十七番に近付く。
「えっと、確かこっちがお湯で、こっちが水……」
細長いコックを右側に向けて十七番がドアノブみたいなものの青い方を捻っていく。
蛇口から水が出てきた。
触ると冷たくて、ただの水だった。
十七番がもう一つのドアノブみたいなのを捻る。
段々と水が温くなり、お湯になる。
十七番もお湯に触ってから頷いた。
「うん、こんな感じかな」
それからコックを左に回した。
ザアッと温かいお湯が降り注ぐ。
思わずビクッと肩が跳ねた。
……あったかい……。
「八番、頭洗ってあげる」
十七番が言って、置いてあったビンを手に取った。
確か髪を洗うための石鹸だったはずだ。
ビンのフタを開けて中身が十七番の掌に出てくると、半透明の液体だった。
十七番が掌でそれを泡立ててわたしの頭につける。
わしゃわしゃと洗われた。
でも思ったよりもその手つきは優しかった。
「いい匂いだね」
さっぱりしたハーブみたいな匂いのする石鹸だ。
十七番はそれでわたしの頭を二回洗った。
髪がかなりギシギシしていて、それでも十七番が丁寧に洗ってくれたおかげで絡まりは取れた。
最後に別のビンの中身で洗う。
多分、前世で言うシャンプーとリンスみたいな感じなのだろう。
「八番は体洗ってて。私も髪を洗うから」
言われて頷いた。
小さなタオルに水気を含ませて、固形の石鹸を泡立てる。思ったよりも簡単に出来た。
泡立ったタオルで体を擦ると凄く垢が出る。
一度泡を流してもう一度体を洗う。
傷にちょっと沁みる気がするけど、いい匂いの石鹸と温かなお湯が気持ちいい。
横を見れば十七番も体を洗っていた。
「ジュ、ナ、ナバ、ン、せ、なか、あら、う」
「いいの? ありがとう!」
タオルを受け取り、背を向けた十七番の背中を洗う。
わたしより大きいけれど細い背中だ。
……傷がない。
あの時、魔法で怪我をしたはずだけど。
「キ、ズ、なぃ?」
十七番が「傷?」と振り向く。
「ああ、治癒魔法で治してもらったから。もう痛くないし、傷も消えたから、大丈夫だよ」
そう言った十七番にホッとする。
それから十七番もわたしの背中を洗ってくれて、二人で泡を落としてから大きなタオルで体を拭く。
この世界、ドライヤーはなさそうだ。
水気を拭ったら用意してあった服を着る。
下着は上はタンクトップみたいなタイプで、下も短パンみたいで、下の方は腰部分を紐で締めて調整する。
服は患者服っぽくて、本来なら大人が着たら七分袖になるのだろうけれど、わたし達が着ると長袖長ズボンになった。ズボンも紐で腰部分を絞って穿くタイプだった。
髪を大きなタオルで拭きながら出ると、セレストさんが椅子に座って待っていた。
「こちらへ」
手招きされて近寄る。
セレストさんが立ち上がり、代わりにそこへ座らされた。
「髪を乾かすために風魔法を使いますね」
頷けば、後ろから「『温かな風よ、この手に宿りて吹きたまえ』」と小さな声がした。
フワァッと後ろから温かな風が吹く。
大きな手が髪に触れて、撫でるように、手櫛で梳くようにされるとどんどん髪が乾いていった。
短いこともあってかすぐにわたしの髪は乾いた。
十七番と場所を交代して、十七番も髪を乾かしてもらう。
その後はベッドに戻り、それぞれ水の入ったコップを渡されて、それを飲む。
「体はつらくありませんか?」
頷き返す。
十七番も「大丈夫です」と返した。
「飲みながら聞いていただきたいのですが、今現在、お二人は警備隊に保護されています。しかし保護はあくまで一時的なものです」
十七番と一緒に頷く。
「本来であれば、この後お二人は保護区にある孤児院に入っていただくことになるのですが……」
セレストさんがわたしを見た。
金の瞳が一度瞬く。
「実は、八番は私の番なのです」
その言葉に十七番が「ええ?!!」と声を上げる。
……つがいって、何?
首を傾げればセレストさんが苦笑する。
「番とは『神が定めた運命の相手』です。言うなれば、夫婦になるべき相手ということです。……分かりますか?」
……夫婦?!
思わずまじまじとセレストさんを見てしまう。
「番同士は一緒に暮らすのが通例です。けれども、人間は他の種族と違って自分の番を本能的に感じ取ることが出来ません」
「せれ、す、と、さん……わ、かる?」
「はい、私は番が分かります。竜人と獣人は本能が強いので。あなたを見た瞬間に分かりました」
セレストさんが言うには竜人は特に番を必要とするらしい。
番を見つけ、添い遂げることで、その竜人は更に強くなるそうだ。
逆に番を見つけられずに狂ってしまうこともあるのだとか。
……それって。
「つが、ぃ、たすけ、た?」
セレストさんが頷いた。
「そうですね、番だからこそ、私はあなたを助けるのに必死でした。今もあなたの世話をしたいと思うのも、恐らく番だからでしょう」
……なるほど、敵意がないのもそういう理由なら納得出来る。
最初に会った時から優しいのも多分番だから。
「竜人や獣人は番を何よりも、それこそ自分自身よりも大事にします。番の望むことは何でも叶えたいと思うほどです」
金の瞳が伏せられる。
「そして、先ほども申し上げましたが番は共に暮らすのが通例です。このままだと私があなたを引き取ることになるでしょう。……でも、もし、あなたが嫌だと言うのであれば無理にとは言いません」
無理強いはしないと言っているけれど、その表情はどこか痛みを堪えているかのようだった。
セレストさんはさっき言った。
番を自分よりも大事にする。
番の望みは叶えたい。
つまり、それくらい、竜人や獣人にとって番という存在は大きくて、本能的に手放し難いものなのだと思う。
「そちらの十七番は恐らく保護区預かりになります。あなた達が離れたくないと言うのであれば、八番も共に保護区へ行くという道もあります」
そう言いながらも金の瞳は伏せられたままだ。
…………凄く、苦しそうだ。
わたしにはまだよく分からないけど、きっと、竜人であるセレストさんにとって、番であるわたしと離れることはかなりの苦痛を感じるのだろう。
そんなにつらいのに、わたしに選ばせてくれるのか。
コップを棚に置いてベッドの上を這う。
「だい、じょぅ、ぶ?」
そっと手を伸ばして俯くセレストさんの額に触れると、金の瞳がハッとこちらを見て揺れる。
まるで道に迷った子供みたいに不安そうな顔だ。
でもセレストさんは一瞬唇を引き締めると笑った。
「ありがとうございます」
「大丈夫です」と言った声は少し掠れていた。
「まだ数日は保護期間ですので、その間に、これからどうしたいのか考えていただけますか? 十七番も、保護区には孤児院だけでなく里親制度もあります。里親の意味は分かりますか?」
「分かります」
「ある程度、どの家に行きたいかの希望も聞けますので、孤児院に行くか里親の所へ行くか、あなたも考えてみてください」
それに十七番が頷いた。
……正直に言えば十七番と一緒にいたい。
保護区ということは他にも人間がいるのだろう。
そちらの方が安全に暮らせるのだと思う。
……でも、それでいいのかな。
「お二人へのお話は以上です。まだ疲れているでしょうから、今日はゆっくり休んでください。一応、明日は医師による診察がありますので無理はしないでくださいね」
セレストさんはそう言って席を立つと部屋を出て行った。
十七番がベッドから出て、わたしのベッドに上がってくると、手を繋がれた。
「……あの人、八番の番なんだね」
「びっくりした」と十七番が言う。
いまいち番というものがよく分からないが、竜人であるセレストさんは番を大事に思っていて、その番がわたしであるということは分かった。
「つが、ぃ、なに?」
十七番が「うーん」と首を傾けた。
「前にお母さんが言ってたけど、番は神様が決めた『結婚すると幸せになれる人』なんだって……」
十七番が考えるように黙った。
そうして顔を上げた。
「八番はセレストさんのところに行ったほうがいいよ」
そう、言われた。
「ジュ、ウ、ナナ、バン、は?」
「私は……、保護区に行くよ」
それでは、わたし達は離れ離れだ。
ギュッと手を強く握られる。
「あのね、番は簡単に見つからないってお母さんが言ってた。でも見つけられたら凄く幸せになれるって。あの人が八番の番なら、きっと、八番は幸せになれる」
十七番の瞳がまっすぐに見つめてくる。
「ジュ、ナナ、バン、は、なれ、る……いや」
わたしの言葉に十七番が笑った。
「大丈夫、私、いい考えがあるの」
そう言った十七番はどこか自信に満ちていた。
* * * * *
番の部屋から離れ、はあ、とセレストは壁に寄りかかった。
思った以上に精神的にきつい。
番と離れ離れになると考えただけで、胸が張り裂けそうなほどの苦しみだ。
……これでは竜人達が番に執着するわけだ。
本能が「番が欲しい」と叫んでいる。
番がそばにいるだけで多幸感に包まれる。
必要以上に世話を焼きたくなってしまう。
……小さな手だった。
小さくて、温かな手がそっと額に触れた。
それだけでどれほど嬉しかったか。
「あ、やっぱここにいたか」
聞き慣れた声に視線を動かせばウィルジールがいた。
「……ウィル……」
「つらそうだな。どうしたんだ?」
近付いて来たウィルジールも壁に寄りかかる。
「……番に話してきました」
「え、もう話したのか? あれだろ、お前のところに引き取られるかどうかってやつ」
「あと、私の番だと……」
「それも話したのか?!」
驚いたウィルジールが「お前、勇者だな」と言う。
「あー、でも番の話をしないと何でセスが引き取るかって話になるから当たり前か」
うんうんと横で頷いて、ウィルジールが心配そうにこちらを見る。
「もしかして断られた?」
それに首を振る。
「いえ、断られてはいません。今はまだ考えていただいています」
「そっか……」
しばし沈黙が落ちる。
断られた時のことを考えるだけで酷い絶望感に襲われる。
……他の、番のいる竜人達を尊敬する。
番を得られれば強くなるとは聞いていたが、まさか、これほどまでに精神的に不安定になるなんて想像もしていなかった。
「……そんなにつらいのか?」
ウィルジールの問いに頷く。
「ええ、そうですね……、番と引き離されることを考えただけで身を切られるような思いになります。今は理性で何とか抑えつけていますが……」
「番を見つけるのが一番の幸せって聞くけど、いいことばっかりじゃないんだな」
「そうかもしれませんね」
しかし、出会わなければ良かったとは思えない。
番と出会った瞬間の幸福感は言葉に表現し難いほどのものであったし、自分の半身とも呼べる存在がそこにいるということがどれほどの喜びなのか、他の者に伝えるのは難しい。
だが番のいる竜人達が番を大事にする気持ちは分かる。
番を見つけた瞬間、自分の欠けていた部分が満たされるような感覚があった。
いつも、どこか物足りなく感じていたものの正体を見つけられた気がした。
「しかし、この喜びは確かに他のものには代えられないのです」
これが本能的なものだと理解している。
理性では出会ったばかりの子供相手に、と呆れる自分もいる。
もちろん、大切に感じているが子供相手に欲情しているわけではなく、ただ、大事にしたいのだ。
守りたい。笑って欲しい。そばにいたい。
そんな感情が胸の内から湧き上がってくる。
「それなのに自分で選ばせるとか凄いな」
「断られたらどうするんだ?」と訊かれてセレストは苦く笑った。
「どうもしません。彼女が望むなら、私はそれに従うしかないのですよ」
「まるで奴隷だなあ」
ウィルジールの言葉はその通りだった。
五つの種族の中で最も強く長寿な竜人だが、番の前では愛を乞う哀れな奴隷にすぎないのかもしれない。
……距離を置くべきなのは分かっている。
彼女は番を感じ取れない人間で、彼女にも選ぶ権利があり、誰を愛するかは彼女の気持ち次第なのだ。
ここでセレストが引き取れば、恐らく、彼女との距離は近くなる。
だが果たしてそれが彼女にとって良いことなのか。
セレストがそばにいたら、彼女の選択を狭めてしまうのではないか。
そう思いながらも自分を選んで欲しいと願ってしまうのが竜人の性なのだろう。
「……そうですね」
竜人は面倒な種族だと初めて思い知った。
* * * * *