休日(3)
「──……ィ、ユイ、起きてください」
トントンと肩を叩かれてふっと目が覚める。
顔を上げると、目の前にセレストさんがいた。
あまりにすぐそばにあったのでビックリした。
……顔、近っ……!
ドキッと心臓が跳ねる。
「絵が描き終わったようですよ」
そう言われて、寝る前のことを思い出す。
……そうだ、セレストさんと今日は出かけて、絵を描いてもらう途中で寝ちゃったんだ。
セレストさんはわたしを抱き寄せて支えてくれており、体を起こすと肩に回されていた腕はあっさり外れた。
まだ心臓がドキドキと脈打っている。
思わず胸に手を当てる。
セレストさんはそんなわたしに気付かないのか、立ち上がって絵を受け取り、戻って来る。
「見てください。良い絵を描いてもらえました」
差し出された紙を受け取って見る。
そこにはわたしとセレストさんがいた。
セレストさんに寄りかかって安心した様子で眠っているわたしと、そんなわたしを優しい表情で見つめるセレストさん。
他の人からわたし達はこんな風に見えるのか。
いつも優しい人だと思っていたけれど、こうして絵になっている姿を見ると、本当にわたしのことを大事に思ってくれているのだなと感じられた。
優しい、慈愛に満ちた眼差し。
見上げれば、セレストさんが微笑んでいる。
絵と同じく優しい眼差しでわたしを見る。
「……わたし、ねてる」
「ふふ、また今度も来ましょうか。起きているユイと並んだ姿も描いていただきたいですし」
そっと頭を撫でられる。
この手に触れられるのは酷く安心する。
それがどういう感情なのか、まだよく分からないけれど、でも、きっとこの感情を理解していくことが今後のセレストさんとの関係に繋がっていくのだというのは分かる。
「うん、また、くる」
紙を丁寧に丸めて持つ。
セレストさんが絵を描いてくれた人にお金を渡して、それから、セレストさんと手を繋ぐ。
「そろそろ家へ帰りましょう」
帰るべき我が家がある。
そう思うと嬉しくなる。
「うん」
セレストさんに手を引かれて歩き出す。
綺麗で可愛らしい街並みの中を、セレストさんと並んで家への帰り道を進む。
いつもの仕事帰りとは違う道だ。
普段通らない道は新鮮だ。
今日は本屋にも連れて行ってもらって、外で昼食を食べて、お菓子を買って、噴水を見に行って。
凄く、そう、凄く楽しかった。
いつもは家でのんびり過ごしていたけれど、こうやって外出するのも楽しい。
前世では病室で過ごすのが当たり前で、奴隷の間も牢屋の外に出ることがなくて、だから家にこもっているのも全然苦ではなかった。
でもセレストさんが外に連れ出してくれた。
……どこも輝いて見える。
きっとセレストさんにとってはごく普通の景色かもしれないが、わたしには見るもの全てが目新しい。
ゆっくりと歩くセレストさんを見る。
多分、一人だったら出かけたいとは思わなかった。
セレストさんがそばにいてくれるから、初めての場所でも安心していられるのだろう。
そういう意味ではセレストさんの存在はわたしにとって、とても大きなものだ。
キュッと手を握れば、すぐにセレストさんの目がこちらへ向けられる。
「今日は楽しかったですね」
ニコ、と嬉しそうにセレストさんが微笑んだ。
「すごく、たのし、かった」
「良かったです」
「また一緒に出かけましょうね」と言われて頷き返した。
少し足が疲れてきたけれど、その疲れは不思議と嫌ではなくて、なんだか心地が良い。
わたしの歩調に合わせてくれるセレストさんと、ゆっくり家へ向かうこの時間が好きだ。
帰る場所があることを実感出来る。
「帰ったらすぐに絵を額に入れましょう。確か、使っていない額がいくつかあったはずです」
そう言ったセレストさんの声は機嫌が良さそうで、わたしもその声を聞くと気分が上がる。
「いま、かざる?」
「ええ、二階の居間に飾るんです。そうすれば見る度に今日の楽しかった記憶を思い出せていいですね」
「うん、たくさん、みる」
居間に飾っておけばいつでも見られる。
そうすれば今日の楽しかった気持ちも思い出せる。
家に着くと、セレストさんが扉を開けた。
「ただ今戻りました」
「ただいま」
奥からセリーヌさんが出て来た。
「おかえりなさい。お出かけはいかがでしたか?」
セリーヌさんに訊かれて頷いた。
「すごく、たのし、かった、です」
「それは良かったですね。さあ、沢山歩いてお疲れでしょう? 二階の居間にお茶をご用意いたしますので、ごゆっくりお休みください」
さあ、さあ、とセリーヌさんに促されて二階へ行く。
セレストさんが「上着を置いてきましょうか」と言われて頷き、二階へ一緒に上がる。
廊下で分かれ、わたしは自分の部屋に戻り、上着と鞄を置きに行くと、机の上に午前中に買った本があった。
……もう届いたんだ。
少しだけ本に触って、それから部屋を出た。
二階の居間に向かう。
扉を叩けば「どうぞ」と声がした。
扉を開けると、そこにはもうセレストさんがいて、いつもの定位置と化した揺り椅子に座っている。
セレストさんが振り向いて手招きされる。
わたしも暖炉の前の絨毯に腰を下ろした。
「今日は沢山歩きましたね」
「うん、たのし、かった」
体を背もたれから起こしてセレストさんがわたしの頭を撫でる。
わたしは何となく、その手に身を任せてセレストさんの膝にうつ伏せにくっつく。
揺り椅子が揺れなくなってしまうけれど、セレストさんは嫌な顔一つせず、膝にくっつくわたしの頭をまた撫でた。
「ユイに楽しんでもらえて何よりです。これからも街の色々なところに出かけましょうね」
セレストさんの言葉に頷いた。
扉を叩く音がする。
セレストさんが声をかけると、扉を開けてセリーヌさんが入ってきて、テーブルに紅茶を用意してくれた。
テーブルには昼間、セリーヌさんへお土産に買った袋が置かれていた。
セレストさんを見たら頷き返されたので、わたしはそれをセリーヌさんへ渡した。
「これ、セリーヌ、さん、おみやげ」
セリーヌさんが「あらまあ!」と嬉しそうに目を瞬かせた。
「私へお土産を買ってくださったのですか? 何でしょう、甘くていい匂いがしますねえ」
「うん、クッキー、かわいい、の、えらび、ました」
「まあまあ、ユイ様に選んでいただけるなんて嬉しいです。大事にいただきますね」
セリーヌさんがニコニコ笑顔で受け取ってくれる。
両手で大事そうに持ってくれて、丁寧に頭を下げると「夕食の頃にお呼びいたします」と下がっていった。
セレストさんが立ち上がる。
「ユイ、紅茶を飲んで少し待っていていただけますか?」
と、言われたので頷いた。
紅茶を飲みながらしばらく待っていると、セレストさんが戻って来た。
揺り椅子に座ったセレストさんが両手を広げた。
「こちらへ。口を綺麗にしてきました」
口、と聞いて昼間のことを思い出す。
牙について訊いた時に帰ってから見せてくれると言っていたので、それのことだろう。
ぽんぽんと膝を叩いて示される。
恐る恐るそこへ座れば、セレストさんの腕がしっかりとわたしの腰へ回った。
セレストさんの顔が近くなる。
それから、もう片手でセレストさんが自分の口の端を軽く引っ張った。
そこには確かに牙があった。
人間のものより鋭い犬歯は牙と言えるだろう。
……これで噛まれたら痛そうだ。
まじまじ見ているとセレストさんが苦笑した。
「……口の中を見せるのは少し恥ずかしいですね」
初めて見るセレストさんの照れた表情に、わたしも急に近い距離を思い出して気恥ずかしくなった。
「ごめん、なさい」
「ユイが謝ることではありませんよ。でも、そうですね、良ければユイの牙も見せてもらえませんか?」
「いい、よ。いっかい、くち、あらって、くる」
一度セレストさんの膝から降りて、居間を出て、浴室で歯を磨いてくる。
この世界では歯を磨くことを『口を洗う』と言う。
しっかり磨いてから戻り、セレストさんの膝の上に乗れば、セレストさんにジッと見つめられる。
そっと口を開けた。
「…………可愛い牙ですね」
ふふ、とセレストさんが小さく笑った。
「ああ、なるほど、人間の牙もあまり竜人と変わらないのですね」
セレストさんの顔が離れたので口を閉じる。
……うん、確かに口の中を見られるのって何だか照れる。
「ありがとうございます。なかなか見る機会がないので勉強になりました。人間の歯のほうが竜人より丸いのですね。それに小さい」
セレストさんが思い出したのか、また、ふふ、と笑った。
「セレスト、さん、おおきぃ。わたし、ちいさい、は、おおきさ、ちがう」
「そうですね、体格が違うので歯の大きさも違うかもしれませんね。それに恐らくですが竜人のほうが噛む力も強いのでしょう」
それは何となく想像がつく。
「セレスト、さん、て、かして」
わたしが言うとセレストさんが右手をわたしへ差し出した。
……セレストさんはわたしのこと信用し過ぎだよ。
そんな簡単に利き手を差し出すなんて。
でもそれが少し嬉しいと感じてしまう。
差し出された手を持ち上げて、わたしの手と、掌同士をくっつける。
「セレスト、さん、て、おおきぃ」
「ユイの手は小さいですね」
セレストさんの手は大きくて、指が長くて、細くて、筋張っていて、男性の手だなと思う。
そうしてセレストさんがわたしの手を握った。
「ユイの手は可愛いです。爪もこんなに小さい」
どこか感心した風にセレストさんがわたしの手を見る。
爪は自分で切っているけれど、いつも綺麗に形を整えているので、これはちょっと自慢だ。
でもわたしの手を握っているセレストさんの指の爪も丁寧に整えてあって、あまり爪が伸びていない。
「そうだ、額を探しに上の倉庫に見に行ってきます。ユイは絵を持って来てくれますか?」
「うん」
セレストさんの膝から降りる。
揺り椅子から立ち上がったセレストさんと一緒に廊下へ出て、わたしは自分の部屋へ向かう。
絵を持って廊下へ戻るとセレストさんが丁度、廊下のランタンにライトの魔法を入れているところだった。
いくつかのランタンに小さなライトが入れられると、廊下が明るくなって歩きやすい。
窓の外を見れば、空が薄暗くなっていた。
差し出された手にわたしも手を重ねる。
手を繋いで三階へ行く。
三階はほぼ行ったことはないが、二部屋あって、片方が倉庫になっているそうだ。
倉庫と言ってもそれほど中に物が置いてあるわけでもないようで、セレストさんの後ろから中を覗き込めば、整然と整えてあった。
「確かこの辺に……」
セレストさんが棚に近付き、そこに収めてあったものを取り出した。
どうやら額縁がいくつか重ねて置かれていたようで、一番上のものに少しだけ埃がついている。
それ以外は比較的綺麗である。
わたしが絵を広げると、セレストさんがそれに額を当てて、大きさの合うものを探した。
「これが一番良さそうですね」
柔らかな色合いの額縁は確かに大きさが丁度良い。
セレストさんが「外で埃を払って来ます」と言い、わたしは先に二階の居間へ戻った。
ややあって綺麗になった額縁を持ってセレストさんも戻って来た。
そしてセレストさんが額縁に絵を入れる。
「この辺りなら見やすいと思います」
壁に額が飾られた。
二人で並んでそれを眺める。
なかなかにいいかもしれない。
……わたしは寝ちゃってるけど。
次は起きてるところをちゃんと描いてもらおう。
額縁の中のわたしとセレストさんは、噴水を背景に心地良さそうにしている。
その後、夕食だからと呼びに来たセリーヌさんが絵に気付いて微笑ましそうにそれを眺めた。
「良い絵を描いていただきましたねえ」
わたしもセレストさんも頷いたのだった。