休日(2)
……そうだな、次はお菓子屋に連れて行こう。
セリーヌの作る菓子も美味しいが、たまには違うものも食べさせたいし、セリーヌへの土産も買いたい。
ユイのことだからきっと目移りするだろう。
すぐにユイが戻って来たので一度席を立ち、ユイの椅子を引いて座らせ、また自分の席へ戻る。
それからユイに表を渡した。
「この中から好きなものを選んでください。飲み物と、食事と、あとはデザートも」
そう言えばユイの表情が真剣なものになる。
ユイはどんな食べ物も好きだ。
奴隷だった頃はまともな食事を与えられていなかったそうで、今は食事が一番の楽しみなのだとか。
思い出すだけでもユイ達を奴隷にしていた獣人の男に腹が立つが、もう既にこの世にいない者に対して怒っても仕方がない。
ユイが顔を上げる。
「決まりましたか?」
「うん」
声をかければ厳かに頷かれた。
それについ笑ってしまいながら手を上げれば、すぐに店員がやって来る。
「ご注文はお決まりですか?」
ユイが頷いた。
「これ、と、これ、あと、これも、おねがぃ、します」
「かしこまりました」
店員がこちらを見る。
「お客様はいつものでよろしいですか?」
「ええ、それとデザートに果物の盛り合わせもお願いします」
「かしこまりました」
店員が浅く頭を下げて去って行く。
ユイが首を傾げた。
「いつも、の?」
「ええ、ここにはよく来ているんですよ」
そう答えればユイが二度頷いた。
それから窓の外を見る。
窓の外には小さな鉢植えが飾ってあり、小花が沢山咲いていて綺麗だった。
ユイも窓辺にくっついて花を眺めている。
ふと、思い出したように鞄を漁ると、先ほどの本屋でもらった栞を取り出して、窓ガラスに寄せて花を背景に栞を眺め始めた。
蝶々の栞なので花との相性はいいだろう。
セレストも先ほどもらった栞を取り出した。
「私は鹿でしたよ」
そう声をかけて栞を差し出せば、ユイが振り向いて、セレストの栞を覗き込んだ。
どうぞ、ともう一度手を前へ出すと、そっとユイの手が栞を受け取る。
紅茶色の瞳が輝いている。
朝からずっとそうだ。
差し込み光の加減もあって、本当に輝いているみたいに見えて、セレストは思わず目を細めた。
「しか、かわいい」
「可愛いですね。そこに彫ってあるのは多分子鹿だと思います。前にもらった栞には大人の鹿も彫ってありましたよ。帰ったら見ますか?」
ユイのキラキラした目がこちらを向く。
「みる」
「栞は沢山ありますから、ユイの気に入ったものがあったら差し上げますよ」
「いいの?」
「ええ、むしろ沢山ありすぎて余っていたので、いくつか持っていってもらえたら嬉しいです。使わないと勿体ないですからね」
そう答えればユイが嬉しそうに笑った。
そうしていると店員が注文した料理を持ってやって来る。
何度か往復して、セレストとユイの前に料理が並べられた。
ユイの前にはミニサラダとパンケーキ、そして飲み物の恐らく白レザンのジュースだろう。
セレストの前にはステーキと、セットのパンとスープ、いつも飲む紅茶。
「果物の盛り合わせは食後のデザートに、一緒に食べましょうね」
セレストの言葉にユイが頷いた。
食事の挨拶を済ませると、一緒に運ばれてきた小さなポットをユイが覗き込む。
パンケーキにかけるものだと教えれば、すぐにそれをパンケーキたっぷりとかけ始めた。
ふんわりと甘い匂いが漂ってくる。
最近、ユイは食事を綺麗に食べられるようになった。
今もナイフとフォークを使い、丁寧に切り分けて口へ運んでいる。
パッとユイの雰囲気が明るくなった。
「美味しいですか?」
口の中にパンケーキがあるからか、口元を押さえながらもユイが何度も頷いた。
それを微笑ましく思いながらセレストも食事をする。
ユイは一口一口、味わって食べている。
時々、ミニサラダで口直しをして、それからまたパンケーキを食べて楽しんでいた。
少々パンケーキはユイに大きいかと思ったが、本人が美味しそうに食べているので黙っておこう。
もし食べ切れなければ、残しても良い。
……でもこれなら食べ切るかもしれない。
いつもより食べる速度の早いユイを見る。
一生懸命食べている姿が可愛らしい。
よほど気に入ったようで、無言で食べ進めるユイを眺めつつ、セレストも食事を続けた。
沢山食べて、健康に育って欲しい。
今のユイは最初に出会った頃に比べれば多少良くなったものの、それでもまだ痩せているので、もっと健康的になってもらいたい。
頃合いを見て、店員が果物の盛り合わせを持って来た。
時期に関係なく色々な果物が食べられるというのは、実は結構凄いことだと思う。
まだパンケーキを食べている途中だったが、ユイの視線が果物へ向いた。
ユイはフレーズが好きだ。
フォークでフレーズを刺して、ユイに差し出した。
「どうぞ」
そう声をかけると、パクリとユイが食いついた。
しっかりと味わって食べている。
…………。
これは癖になりそうだ。
残りのパンケーキを食べるユイに時々果物を差し出せば、ユイはそれに食いついてくる。
番への給餌行動が愛情表現というのがよく分かる。
これはなかなかに嬉しいし、楽しい。
「……もう、おなか、いっぱい」
パンケーキを食べ終えて、果物もそれなりに食べたユイが自分の腹部をさすりながら言う。
いつもより多く食べただろう。
「では残りは私が食べますね」
残った果物をセレストが食べる。
それを向かい側でジュースを飲みながら、ユイがジッと眺めてくる。
気にならないと言えば嘘になるが、その目に見つめられて嫌な気はしない。
「セレスト、さん、きば、ある?」
ユイに訊かれて頷いた。
「ええ、竜人は牙も爪もありますよ。大抵は爪は整えているため、あまり目立ちませんが」
左手をユイに差し出すと、セレストのものより小さな手が触って指先を確かめる。
ユイを傷付けないように爪は特に気を遣っているため、触れたくらいでは問題ない。
今度はユイが顔を見上げてくる。
牙が見たいのだろうな、と分かった。
「牙は帰って、口を綺麗にした後ならいいですよ」
さすがに食後すぐの口内を見せるのは抵抗がある。
ユイが黙って頷いた。
種族の違いを見るのが好きなユイなので、爪や牙を見たがるのは好奇心から来るものだろう。
果物を食べ終え、残った紅茶を飲む。
「つぎ、どこ、いく?」
ユイの問いかけに答える。
「次はお菓子を売っている店に行こうかと思っています。セリーヌへのお土産も買いたいので」
「おみやげ、だいじ」
真面目な顔でユイが頷いた。
「ユイは疲れていませんか?」
「だい、じょぶ、まだ、げんき」
「良かった。お土産を買った後は、近くに噴水があるので、そこを見てからゆっくり帰りましょうか」
うん、とユイが頷いた。
お互いに食べ終えたので、セレストは席を立ち、ユイの椅子を引いて席から立たせる。
忘れ物がないか確認して、テーブルの端に置かれていた紙を手に取る。
店の出入り口で会計を済ませ、ユイと手を繋ぎ、外へ出る。
今日が仕事の者達も今は昼休憩中だろう。
逸れないようにしっかりユイの手を握り、ユイが人にぶつからないようにセレストはやや前を歩く。
「ユイはどんなお菓子が好きですか?」
歩きながら訊くと、ユイが悩む。
「おかし、どれも、おいしい」
どうやらどれか一つは選べないらしい。
正直な言葉にセレストは微笑んだ。
「確かにどれも美味しいですね」
「セレスト、さんは?」
「私はポムを使ったパイが好きです。火の通った果物というのはちょっと意外かもしれませんが、美味しいんですよ」
ユイが「ポムの、パイ……」と呟く。
想像しているのだろう声音だった。
「ふつうのポムのパイもいいですが、卵たっぷりのクリームを一緒に使ったもののほうが、私は好きですね」
「おいし、そう」
そんな話をしていると昼食を食べたばかりなのに、もう空腹を感じるような気がしてしまう。
ユイもそう感じたようで、少し黙った後に「おかし、の、はなし、は、おなか、すく」と言った。
セレストも「そうですね」と笑った。
お菓子を買いに行くからかユイの足取りは軽い。
「セリーヌ、さん、どんな、おかし、すき?」
「彼女はよくクッキーを好んで食べていますよ。仕事の合間にも簡単に摘めて良いのでしょうね」
ユイがうんうんと頷いている。
「おみせ、クッキー、たくさん、ある?」
「選べないくらい沢山あります。せっかくですから、ユイも食べたいものがあったら買いましょうね」
「セレスト、さんは?」
訊き返されて少し驚いた。
「セレスト、さんの、すきな、ポム、のパイ、ある? かえる?」
その優しさが嬉しかった。
「ええ、あります。私も好きなものを買うので大丈夫ですよ。ヴァランティーヌとディシーの分も買いましょうか」
ユイの目が輝いた。
「いいの?」
「いつもお世話になっていますからね、お礼として渡しましょう。ユイが選んであげたらきっと二人とも喜びますよ」
「がんば、て、えらぶ」
ユイがグッと手を握ってくる。
やる気が出たようだ。
目的のお菓子屋は少し混んでいた。
だが入れないほどではなく、セレストが扉を開ければカラランと音が鳴った。
甘い匂いが鼻をくすぐる。
屋内に入ったユイも匂いを嗅いで、嬉しそうに振り返った。
「いい、におい」
「そうですね、美味しいそうです」
店内にはお菓子が並べられている。
クッキーから焼き菓子、パイ、ケーキなど色々とあって、ユイは次から次へと目移りしているようだった。
見た目も可愛いものが多いので女性に人気の店だ。
「セレスト、さん、これ、かわいい」
ユイが指差したのは花形のクッキーだった。
恐らく型抜きしたものに色付きの砂糖で華やかにしたのだろう。カラフルなクッキーである。
「ディシー、に、これ、あげる」
と、言うので一袋取った。
他にもヴァランティーヌに焼き菓子を選んだり、セリーヌにクッキーを選んだりとユイはとても楽しんでいた。
それとウィルジールへのお土産も選んだ。
「セレスト、さん、ウィル、ジール、さんの、えらぶ」
「ウィルの、ですか?」
「うん」
しかもそれはセレストが選ぶべきだとユイが言うので、セレストはあまり甘くないクッキーにした。
ウィルジールはさほど甘いものが好きではないのだ。
それからセレストとユイとでポムのパイを買った。
「わたし、も、ポム、のパイ、たべて、みたい」
ユイがそう言うならとポムのパイを二つ買う。
会計を済ませて、紙袋を抱えて店を出る。
ユイは機嫌が良さそうだ。
買い物をしている間に昼休憩の時間が過ぎて、通りの人気は先ほどに比べると大分減って、歩きやすくなっていた。
ユイと手を繋いで近くの広場へ向かう。
「あれ、ふんすぃ?」
初めて噴水を見たユイが駆け寄っていく。
水が優美に描く曲線を眺めている。
「……さわ、っても、いい?」
見上げられて頷いた。
「いいですよ」
ユイがそっと噴水の水へ手を伸ばす。
指先が水に触れると「つめたぃ」と呟いた。
もうすぐ夏なのでそう寒くもないだろう。
手を引っ込めたユイはジッと噴水を眺めた。
「ふんすぃ、きれい」
ユイの言葉にセレストも頷いた。
「ええ、綺麗ですね」
水面が光を反射させて輝いている。
セレストは噴水の縁に腰掛けて、噴水の周りをゆっくりと歩きながら水を眺めるユイを見ていた。
……これからはもっと外に連れ出そう。
楽しそうなユイを見てセレストは心に決める。
もちろん、ユイが出かけたいと言う時だけだ。
無理に連れ出すのでは意味がない。
ユイが戻って来る。
「セレスト、さん、きて」
と、手を引かれて立ち上がる。
何か見つけたのかとついて行けば、そこには観光客向けの画家見習いらしき青年がいた。
旅行客や街の者達を相手に短時間で絵を描いて、それを売ることで生業にしているようである。
「え、ほしい」
ユイが自分とセレストを指差した。
「私との絵でいいのですか?」
「うん、ふたり、いい」
ユイがそう望んでくれるのが嬉しかった。
「では描いてもらいましょうか」
青年に声をかけ、噴水を背景に絵を描いてもらうことになった。
ユイとセレストが並んで噴水の縁に腰掛ける。
あまり大きく動かなければ話をしてもいいそうなので、ユイもそこまで苦痛ではないだろう。
「え、かざる」
「そうですね、どこに飾りましょうか?」
「…………いま?」
のんびりと話をしながら絵が描き上がるのを待つ。
ぽかぽかと暖かな日差しが心地好い。
今日は快晴で天気も良い。
もう少しすれば夏になって暑くなるから、今くらいの時期が一番過ごしやすいかもしれない。
トン、と肩に何かが当たった。
顔を戻せばユイがこちらへ寄りかかっている。
見れば、眠ってしまっていた。
いつもより沢山歩いて、沢山喋って、初めての場所にいくつも行ったから疲れたのだろう。
起こさないようにそっと腕を回して支えてやる。
触れた亜麻色の髪は日差しを浴びてほんのり温かい。
最初は酷く傷んでいた髪も最近はかなり触り心地が良くなって、青白いくらいだった肌も今は色白くらいになっている。
「ゆっくり成長してくれていいんですよ」
急がなくていいのに、ユイは賢い子だから、あっという間にどんどん成長してしまう。
つい半年前までは奴隷で何も物を知らなかった子が、今はもう、第二警備隊の事務方で働いている。
以前よりもずっとよく話すようになった。
それが嬉しいけれど、不安もある。
大人になったらセレストから離れてしまうのではないか。セレストとは別の者を愛するかもしれない。
そう思うと今のままでいて欲しいと考えてしまう。
「……私は我が儘だ」
誰よりもそばにいるのにもっとと願ってしまう。
真面目で、努力家で、勤勉家で、優しい子。
ユイのことを知っていく度に、彼女の良いところを見つけられて嬉しくなる。
自分の番がどれほど素晴らしい人なのか、それを知ることが幸せなのだ。
だが今のセレストは番を見つけただけで、番を得たわけではない。
本能が欲しいと叫んでいるのを抑えているが、時折、それを酷く苦しく感じることがある。
ユイがセレストを受け入れてくれたなら。
つい、そう願ってしまう。
本当の番になりたい。魂の繋がりを得たい。
番の一番になりたいと思うのは竜人の宿命なのかもしれない。
……そんなこと、ユイには知られたくない。
ユイには自分の意思で選んで欲しい。
セレストを番と認めて欲しい。
それもまた、セレストの我が儘なのだろう。
* * * * *