セレストさんと
客室に戻り、霊樹の実をカバンに仕舞ってからセレストさんとソファーに座った。
何となく気まずいと感じるのはわたしだけだろうか。
……多分、そう思ってるのはわたしだけ。
セレストさんがわたしの手を取り、そっと指を絡めてくる。
抱き寄せられてセレストさんに寄りかかった。
「ユイ、悩んでいますね」
セレストさんに言い当てられて、わたしは素直に頷いた。
「うん……ごめんなさい」
「謝ることではありません。……もし私が同じ立場だったとしても悩むでしょう」
丁寧に頭を撫でられる。セレストさんは本当にとても優しい人だ。
わたしに『食べてくれ』とは言わず、こうして寄り添おうとしてくれる。
それが嬉しくて、でも、同じくらい寂しくて。自分でもおかしいと思う。
……この優しい人を傷付けたくない。
そう思うのに『食べる』と言えないのは、わたしが臆病だから。
ギュッと抱き着けば、優しい声で「ユイ」と名前を呼ばれる。
「少し、一緒に考えましょうか。あなたは優しいから、私のことを気にしてくださっているのだと思います。それはとても嬉しいですが、一番大事なのは『ユイがどうしたいか』です」
「わたしがどうしたいか……」
「ええ、そうです。……あなたが人間のまま生を終えたいというのであれば、私はそれを尊重したい」
セレストさんの優しさと気遣い、わたしを尊重したいという気持ちは本物だ。
……それなのに、求めてほしいなんてわがままなのかな。
そっとセレストさんが体を離してわたしと目を合わせた。
「ユイ、教えてください。あなたが何に悩み、躊躇い、どう考えているのか」
セレストさんの手がわたしの頬に触れて、優しく親指で頬を撫でられる。
「ずっと、私はあなたのことを知りたいと思っていました。あなたが何を見て、何を感じ、何を考えるのか」
「頭の中、ぐちゃぐちゃで……伝えるのは難しいかも……」
「それでも構いません。あなたが今感じているものを、話していただけませんか?」
穏やかに微笑むセレストさんは静かにわたしの言葉を待っている。
急かすことも、責めることもなくて、見つめてくる緑がかった金の瞳は優しくて。
出会った時から、セレストさんはそうだった。
わたしに対して敵意なんて欠片もなくて、いつも温かくて、優しくて、安心する。
「寿命が延びることは、怖くない……」
「はい」
セレストさんが柔らかな声で返事をしてくれる。
「セレストさんと一緒にいたい」
「ありがとうございます」
嬉しそうにセレストさんが微笑む。
その表情を見ていると心が温かくなる。
「……ディシーと死に別れるのが嫌……」
言って、自分で納得した。わたしは怖いんだ。
この世界で最初に優しくしてくれて、話しかけてくれた人。
わたしにとってはお姉ちゃんみたいな存在。
親友だけど、お姉ちゃんで、仲間。
「……お姉ちゃんがいなくなるのは、怖いよ……」
ディシーが先に年老いて死んでしまう。
離れ離れになることを想像するだけで、視界が滲む。
目を閉じれば涙があふれて、頬を伝った。
セレストさんの指が涙を拭ってくれる感触がした。
「そうですね、親友──……いいえ、家族と死に別れるのはつらいでしょう」
そっと抱き締められ、大きな手が背中を優しく撫でてくれた。
「でも、ディシーは……『実を食べるべきだ』って……」
「彼女がそんなことを?」
「うん……自分はシャルルさんに『百年をください』って告白したから、濃い百年を生きるって。私のこと看取ってって言われて、だけど、その時も『うん』って頷けなくて……」
セレストさんは驚いた様子だったけれど、ギュッと抱き締められた。
「ディシーも優しい子ですからね。……ユイのために、そう言ってくれたのでしょう」
「わたしも、そう思う……」
瞬きをする度に涙がこぼれて、顔を寄せているセレストさんの服を濡らしていく。
また、セレストさんの手がわたしの背中を撫でた。
「ディシーの言葉を聞いて、ユイはどう思いましたか?」
目を閉じて考える。
……あの時、多分わたしは……。
「……悲しかった、かも」
「それはどうしてですか?」
「……わたしのために言ってくれたって、分かってるけど……死に別れるのに、ディシーが全然平気そうで……こんなにつらく思ってるのはわたしだけなのかなって……」
もちろん、そんなことはないと分かっている。
ディシーはきっと、番のセレストさんと一緒に生きていくのがわたしの幸せに繋がると思っていて、そのために背中を押そうとしてくれただけだ。
「ディシーもユイと離れるのはとてもつらいと思いますよ。……覚えていますか? ユイとディシーが初めて、それぞれの家に行った日……あなた達は離れるのがつらくて抱き締め合っていましたよね」
黙って頷いた。四年前のことだけど、よく覚えている。
ディシーと過ごすようになってから、初めて、別々の場所で眠ることになった日だ。
戦闘用奴隷だった頃は毎日同じ牢屋みたいなところで身を寄せ合って眠っていたから、たった一晩でも、離れ離れになるのが不安だった。
……あの時、ディシーは涙目になっていたっけ。
「あの頃の気持ちを、ディシーは今も失ってはいないと思いますよ」
セレストさんが言葉を続ける。
「ですが、ディシーは姉としてユイの幸せを願ってくれているのでしょう」
「一緒に生きたいって思うのは、わたしのわがまま……?」
「そんなことはありませんが……」
セレストさんは一瞬、躊躇った後に更に言った。
「共に老いていくことだけが『一緒に生きる』ということではないと、私は思っています」
ハッと顔を上げれば、セレストさんが困り顔で微笑んでいる。
「竜人は長生きです。……私には獣人の友も多くいましたが、皆、亡くなっています。獣人の寿命は長くても二百五十年ほどなので、幼い頃の友人は私が成人する頃には年老いてしまいました」
「……つらかったよね」
「ええ……ですが、皆、いつも笑顔で結婚の報告や子が生まれた報告をしてくれて……中には孫を見せてくれる者もいました。私の獣人の交友関係はほとんどが友の子孫なのです」
ウィルジールさんがセレストさんに執着するのも、分かる気がした。
みんなと仲良くなっても、寿命の関係でみんなのほうが先に年老いていく。
同じ竜人の友達がいなかったら孤独だろう。
エルフであっても竜人の寿命には及ばない。
しかし、セレストさんが小さく笑った。
「皆、先に逝ってしまいましたが……その表情はとても満足そうなものでした」
そこには悲しみはなくて、懐かしそうに目を細めたセレストさんは幸せそうだった。
「彼らとの思い出を振り返ると、浮かんでくるのは楽しげな笑顔ばかりなんです。亡くなった時は悲しくて、寂しくて……けれども、長生きで良かったとも思いました」
「どうして?」
「彼らの大事な子や孫、その先も見守ることができますから。彼らが生きている限り、友がこの世から完全に消えてしまうわけではない。私が生きている限り、少なくとも、私の中で彼らはまだ生きています」
セレストさんが生きている限り、友達も記憶の中で生きている。
……そういう考え方もあるんだ……。
「私の感覚ですが……」とセレストさんは苦笑した。
「ユイ、想像してください。……もしも実を食べたら、どんなふうに生きていくと思いますか?」
目を閉じて、想像する。
霊樹の実を食べたら、きっと寿命が延びて今後の成長はずっとゆっくりになるだろう。
ディシーのほうが先に成長して、いつかシャルルさんとの間に子供ができるかもしれない。
その子が人間でも、リザードマンでも、わたしはきっと祝福するし、嬉しい。
ディシーが年老いて、いつか、わたしが手を引く側になるかもしれない。
でも、想像の中の年老いたディシーは笑顔だった。
セレストさんやヴァランティーヌさん、シャルルさん──もしかしたらディシーとシャルルさんの子もいて──、みんなでベッドを囲んでディシーを看取る。
そうだとしても、きっと、ディシーは笑顔だろう。
だって、それがディシーの望む『最期』なのだから。
「想像できましたか?」
セレストさんの問いに頷き返す。
「では、もしも実を食べなかったら、どんなふうに生きていくと思いますか?」
目を閉じて、想像してみる。
霊樹の実を食べなければ、わたしはディシーと一緒に老いておばあちゃんになって。
横にいるセレストさんはきっと、今とほとんど見た目は変わらない。
セレストさんはヨボヨボのおばあちゃんになっても面倒を見てくれるだろう。
……だけど、わたしが死んだあとは?
あの家で、わたしのことを思い出しながら何百年も、千年以上も一人で過ごすのだろうか。
わたしとの思い出の品を膝に置いて、あの揺り椅子に一人腰掛けて過ごすセレストさんを想像したら──……胸が締め付けられるような気持ちになった。
……セレストさんを一人にしたくない……!!
ギュッとセレストさんに抱き着けば「……ユイ?」と不思議そうに名前を呼ばれる。
この優しい人を一人にするなんて嫌だし、離れたくないし、誰かに取られるのも嫌だ。
セレストさんは理性的だから、狂うこともできなくて苦しむだろう。
もし狂ったとして、その時、セレストさんを止めるのはきっとウィルジールさんだ。
親友を傷付けるのはつらい。剣を向けて戦うのは、悲しくて痛い。
賭博場でディシーと戦わされる時、いつも痛かった。
あれは怪我や体の痛みではなくて、心が痛かったんだ。
……わたしは何を怖がっているんだろう。
本当はセレストさんのほうがもっとつらくて、苦しくて、悲しくて、きっと痛いのに。
それでもわたしの気持ちを優先して、尊重して、守ろうとしてくれている。
こんなに優しい人を残して死ぬなんて、絶対、最期に後悔する。
……やらないで後悔するのは嫌だ。
そこまで考えて、あ、と気付く。
最初から、本当は答えなんて決まっていたんだ。
バルビエの里でセレストさんと話した時、自分で『覚悟ができてない』と言った。
それはつまり『覚悟が決まれば食べる』と言っているようなものだ。
わたしに足りなかったのは本当に覚悟だけだった。
……セレストさんと……この優しい人と一緒に生きていく。
そう覚悟を決めると、不思議なくらい気持ちが軽くなった。
ディシーは多分、わたしの心に気付いていて、ああ言ってくれたんだと思う。
戦闘用奴隷の頃からあまり話せないわたしの言葉をきちんと理解してくれていたディシーだからこそ、わたしよりもわたしのことを知っていたんだろう。
手を伸ばし、セレストさんの両頬に触れる。
滑らかな肌はわたしよりも硬くて、張りがあって。
背伸びをして、セレストさんにキスをした。
思いは言葉にしないと通じないって言うけど、触れたところから、この気持ちが伝わればいいのに。
そっと唇を離して、セレストさんに伝える。
「わたし、セレストさんが大好き」
間近にある緑がかった金色の瞳孔がキュッと細まった。
まさか、そんなところでセレストさんの感情の変化が分かると思わなくて、少しおかしかった。
もう一度、セレストさんにキスをする。
今度は短く、優しく、労わるように。
「……霊樹の実、食べるよ」
囁けば、セレストさんの目が見開かれる。
「ユイ、それは──……」
「ディシーと死に別れるのはつらいけど……セレストさんを残すのも、きっと、すごくつらいから」
年老いてからやり直しはできない。後悔してもきっと遅い。
それなら、やって後悔すればいい。
「ディシーが死んだら、わたし、すごく泣くし落ち込むと思う」
「……はい」
「でも、セレストさんが一緒にいてくれたらきっと乗り越えられる」
強く、セレストさんに抱き着いた。
「わたしはセレストさんと、もっとずっと一緒にいたい。ディシーも応援してくれたから。……霊樹の実を食べて……これからも一緒にいてもいい?」
セレストさんの腕が今までで一番強く、わたしを抱き寄せた。
「ユイ、私にはあなたが必要です」
その声は今までにないくらい、切ない響きだった。
「本音を言えば、あなたに実を食べてほしいと願っています」
「うん」
「あなたがいなければ、私の世界は色褪せてしまうでしょう」
「うん」
セレストさんの言葉が嬉しい。
強く抱き締められて、息苦しいほどの力なのに、それが嬉しい。
掠れた声で切なく紡ぎ出される言葉が、とても嬉しかった。
「どうか、この先も……一生、私のそばにいてください」
セレストさんの懇願するような声にわたしは頷いた。
「はい」
そして、セレストさんの背中に腕を回す。
わたしよりも大きいのに、まるでわたしにすがりつくように抱き締められている。
この腕の中が安全で、心地良くて、安心できて……幸せな場所だとわたしは知っている。
ずっと、この先もこの腕の中にいたい。この人と一緒にいたい。
「わたしはセレストさんと生きていきたい」
隷属の首輪で死にかけたあの時、セレストさんが『死ぬな』と叫んでくれたことを覚えている。
セレストさんが助けてくれたこの命と共に、あなたと生きていく。




