里までの旅(1)
* * * * *
「──……寝てしまいましたね」
腕の中で、ユイの体から力が抜ける。
隣には移動したディシーがいて、ユイと手を繋いだまま同じように寝息を立てている。
つい先ほどまでは二人一緒の旅は初めてだと楽しげに話していたが、のんびりとした空気に安心したのか二人とも寝てしまった。
「ディシーは初めての旅だって昨日は興奮してたから、少し寝不足だったのかもしれないねぇ」
「ふふっ、ユイも同じでしたよ。ディシーと旅をするのが楽しみだ、と」
「大きくなって成人したと思ったけど、まだまだ子供だねぇ」
ヴァランティーヌは立ち上がり、こちら側に来るとセレストに寄りかかりかけていたディシーの横に座り、寝ているディシーを自分のほうに寄りかからせた。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、ユイもディシーも気持ち良さそうに寝ている。
寄りかかるディシーをヴァランティーヌが優しい眼差しで見つめる。
「子供の成長は嬉しいけれど寂しくて……いつまでも子供のままでいてくれたらと思ってしまうよ」
困ったように微笑むヴァランティーヌの気持ちも分からなくはない。
ユイの成長を感じ、見守っていく中で、セレストも同じ気持ちを抱いていた。
いつまでも子供のままでいてくれれば、老衰で死ぬこともなくずっと共にいられるのに。
……ああ、そうか……。
遥か昔、人間の寿命を伸ばそうとした竜人も同じ気持ちだったのだろう。
しかし、それは自然の摂理として正しいことではなかった。
もしかしたら、その竜人も心のどこかでは気付いていたのかもしれないが、竜人の本能が『番を失いたくない』と叫び、判断を鈍らせた。その結果、悲劇が起こった。
「そうですね……」
目元にかかっているユイの前髪をそっと除けてやる。
「……人間の成長はあまりに早すぎます」
「ああ。……アタシ達が何年、何十年とかけて歩んでいく道を一瞬で駆け抜けていってしまうね」
「できるだけゆっくり育ってほしいと思う半面、その眩しさに見惚れてしまいます」
人間は短命で、だからこそなのか日一日と変化を見せてくれる。
昨日より今日、今日より明日と、命を燃やして生を駆け抜けていく。
目を離せば成長を見逃してしまいそうなほどに早い。
「人間ってのは儚くて、眩しくて……愛おしいよ」
「ええ……本当に」
それでも、もっと長い時間を共にいたいと思ってしまう。
そんなことは無理だと分かっているのに。
ユイを抱き締め、セレストはその温もりを記憶に刻みつけるしかない。
……いつかの別れを、私は受け入れられるのだろうか。
* * * * *
ガタン、という揺れで目が覚める。
顔を上げるとセレストさんと目が合った。
「おはようございます、ユイ」
「……わたし、寝てた……?」
「はい。ですが、特に何もなかったので問題ありませんよ」
まだ少し眠くて欠伸をすれば、セレストさんが小さく笑った。
「んー……」という声がして振り向くと、ディシーがヴァランティーヌさんに寄りかかって寝ていた。
「ディシーも寝ちゃってる」
「ユイと旅するって楽しみにしていたからねぇ。……気持ち良く寝てるところを起こすのは可哀想だけど、そろそろ昼になるし、御者を交代しないといけないからねぇ」
ヴァランティーヌさんが微笑み、ディシーの肩をトントンと叩く。
「ディシー、起きな」と声をかけたけれど、なかなか起きる様子がない。
それにヴァランティーヌさんが「仕方ないねぇ」と言う。
「ディシー、遅刻するよ」
「えっ、遅刻!?」
ガバリとディシーが体を起こし、辺りをキョロキョロと見回した。
「……あれ?」
「もうすぐ昼食だよ」
「え? ……あ、そっか、バルビエの里に行くんだった……」
ディシーが「本当に遅刻したかと思った……」とホッとした様子で座り直す。
そんな様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「お、起きた? そろそろ昼休憩にするよ」
と、御者のベランジェールさんが振り返る。
馬車の速度が落ちて、道の端に寄って停まる。
みんなで馬車から降りれば、辺りは森が広がっていた。
荷物から食事を取り出す。
旅の間は日持ちのする黒パンとチーズ、干し肉、瓶詰めの塩漬け野菜を食べる。
夕食は火を使うから鍋になるらしいけど、他はこういう感じらしい。
以前、王都に向かった時も似たような食事内容だったけれど、あの時はこまめに村や街に立ち寄った。
今回は森の中に入るのであまり村はない。エルフの里がある森は他の種族があまり村を作らないそうなので、行くとなると、どうしても野宿が基本になってしまうのだとか。
木陰に布を敷いて、みんなで上に座って昼食を摂る。
「『小さき炎よ、ファイア』」
セレストさんがパンに乗せたチーズを炙ってくれる。
ヴァランティーヌさんも自分やディシーのものを焼いて、その上に瓶詰めの野菜を挟んで食べる。
香ばしくて固い黒パンに溶けたチーズと塩気のある野菜がよく合う。
野菜から出た水気で黒パンも食べやすい。
セレストさんは黒パンとチーズだけで、その後に干し肉を食べている。
……竜人は肉が好きだから?
干して固い肉をセレストさんは何の苦もなく食べ進めていた。
わたしとディシーは干し肉にかじりつき、柔らかくなるのを待って食べる。
塩気もあるけど、それ以上に脂が結構あって、そんなに沢山はいらないかなという気分だった。
自分がかじったところをちぎり、残りをセレストさんに渡す。
「セレストさん、あげる」
「ユイはそれだけで足りますか?」
「うん」
頷くと、セレストさんが嬉しそうに干し肉を受け取り、食べる。
……竜人はきっと歯もすごく頑丈なんだろうなあ。
ディシーやヴァランティーヌさん達は干し肉を半分残した。後で食べるらしい。
「それにしても、良い肉を買ったね? 高くなかったかい?」
ヴァランティーヌさんの問いにベランジェールさんが頷いた。
「まあね、そこそこしたよ。でも安い肉は美味しくないからね。旅の間だったとしても、それなりに美味しいものは食べたい」
「そういえば、アンタは昔っから食にはうるさかったねぇ」
「ヴァランティーヌが適当すぎるんだよ」
ベランジェールさんとヴァランティーヌさんの話に、ディシーが小さく笑う。
「会った時から思ってたけど、ヴァランティーヌさんとベランジェールさんって話し方が似てますね」
「それ、わたしも思ってました」
ベランジェールさんのほうが間延びしているところがあるけれど、言い回しや雰囲気がよく似てる。
わたし達の言葉に二人が「ああ」と笑った。
「ベランジェールは五十の頃からアタシのところにいたからねぇ」
「そうなると言葉遣いも似るよね〜。でも、あたしはヴァランティーヌと違って自活できるから」
「アタシだってアンタがいなくなってから、一人で暮らしてこれたよ」
「どうせ外食ばっかりしてたんじゃないの?」
それにヴァランティーヌさんが「まあねぇ」と誤魔化すように微笑んだ。
「魔法の腕はすごいのに何で料理になるとあんなに不器用になるんだか………」
「それはアタシが知りたいよ」
「まあまあ、人には得意とか苦手とかあるじゃないですか。私は料理得意なので、大丈夫ですよ!」
「ヴァランティーヌは本当に良い子を引き取ったね〜」
よしよし、とベランジェールさんがディシーの頭を撫でた。
その後は少し休憩して、今度はヴァランティーヌさんが御者台に座り、ベランジェールさんが馬車の中に入ってくる。持ち回りで交代するそうで、明日はセレストさんが手綱を握るらしい。
馬車が走り出し、ディシーがベランジェールさんに訊く。
「バルビエの里ってどんな感じですか? エルフの里は自然豊かだと聞いたことがあります」
「ん? そうだねぇ……深い森にある場所でね、木が家なんだよ」
それにわたしとディシーの「木が家ですか?」という声が重なった。
ベランジェールさんが頷いた。
「魔法で木を大きくして、その内部で暮らしているんだよ。まあ、実際に見てみないと想像がつかないと思うけど、自然豊かっていうより『そのまま森の中』って雰囲気だねぇ。一般的な村や街に比べると全く違うから、他種族からすると面白いかもしれないね」
思わず、ディシーと二人で「へえ〜」と声が漏れてしまう。
「でもね……」とベランジェールさんが困ったように微笑む。
「二人とも、ヴァランティーヌやセレストから聞いたと思うけど、エルフは他種族が嫌いなんだ」
「奴隷として狩られそうになったから、ですか?」
「そう。あたしからすれば、一体いつの時代の話を引きずってるんだ〜って感じだよ。だけど村のまとめ役の長老達はそういうのをずーっと口伝いに、何かある度に村の者達に話すんだよ。それもあってエルフは自然と他種族が嫌いになるんだろうね」
……その気持ちは分かるかも。
わたしも奴隷から解放された後も、しばらくは獣人が苦手だった。
賭博場でわたし達の主人だった『ゴシュジンサマ』は獣人で、同じ獣人だからみんなそういう性格ではないと分かっていても、似た種族の獣人を見かけると少し怖くて警戒してしまったこともある。
「私達が行ってもいいんでしょうか……?」
「ん〜、人間は特に嫌われているからねぇ。……でも、あたしとヴァランティーヌで絶対に説得するよ。一番嫌っている人間が精霊樹を救えるかもしれない、なんて皮肉な話だけどね。もし里のエルフが全員人間嫌いのままだったら、精霊樹が枯れるのを待つしかなかったんだから」
困ったような顔をして、ベランジェールさんが荷物の箱から瓶を取り出した。
カポッと蓋を開けて、細長い木の串で中身を取り出して食べる。
「あたしの言葉だけだと聞いてくれないだろうけど、ヴァランティーヌがいるから大丈夫さ」
それにディシーと顔を見合わせた。
「ヴァランティーヌさんがハイエルフだからですか?」
「うん。あ、種族的に格が高いからってだけじゃなくてね、エルフの寿命は千年くらいで、ハイエルフは千五百年くらいなんだよね。ヴァランティーヌは長く生きてて、年長者だから話を聞いてくれるっていうのもあるかな」
「こういう時はババアで良かったって思うよ」
御者台に座り、こちらに背を向けたままヴァランティーヌさんが笑う。
それにベランジェールさんが「年寄りって言うにはまだ早すぎるでしょ」と返す。
ヴァランティーヌさんは七百歳を超えていて、ハイエルフの寿命で考えると人生の半分ほどだ。
だが、いつもヴァランティーヌさんは自分を『年寄り』だと言う。
「ヴァランティーヌはまだ若いですよ」
と、セレストさんも苦笑していた。
ふとそこで疑問が出てきた。
「セレストさんは二百歳、超えてるんだよね?」
「ええ、そうですね。……確か、今丁度二百八十になったところです」
セレストさんの容姿は出会った頃から全く変わっていない、二十代半ばくらいのままだ。
ウィルジールさんも多分、セレストさんと同い年くらいで──……。
「第二警備隊の隊長さんは何歳くらい?」
「え? ジェラール隊長は千二百歳くらいだったと思いますが……」
「竜人は強い人ほど長生きって本で読んだけど、隊長さんはセレストさんより強い? セレストさんは三百歳で、二十歳真ん中くらいなのに、隊長さんは千二百歳でも若く見える」
「ああ、もしかして竜人の年齢と容姿の差について気になっているのですか?」
「うん」
セレストさんがわたしを抱え直す。
「他種族に比べて竜人は魔力が多く、体もその影響を受けています。ユイが本で読んだ通り、竜人は強い者──……つまり、魔力が多いほど長生きします。大雑把に千五百年から二千年ほど生きると言われていますが、最も魔力の少ない者で千五百年前後という意味です」
「魔力が多いと二千年、超える?」
「ええ、超えますね。ジェラール隊長も恐らく二千歳は余裕で超えるでしょう。竜王陛下のようにとても魔力量が多くて強い竜人はもっと長生きです。竜人の成人は百六十から百七十くらいで、それまではエルフと同じ成長速度ですが、それ以降は個々の魔力量に応じて老いる速度は変わります」
そこで興味が湧く。
「セレストさん、何歳まで生きる?」
「私もウィルも竜人の中では魔力量が多いほうなので、二千歳は超えるかもしれませんが……」
「二千歳……」
わたしが百歳まで生きたとしても、それを二十回も繰り返すのか。
そう思うと、とても気が遠くなるような時間のように感じられる。
「そんなに生きてて、飽きない?」
「そうですね、たまにはあるかもしれません。ですが寿命が長い種族は感覚もとてもゆったりしているので、読書をしたり、旅をしたり、各々で上手く人生を楽しんでいると思いますよ。私の両親も好んで旅をしているでしょう?」
「なるほど」
時間があるからこそ、好きなことをして過ごすというのも羨ましい話なのかもしれない。
そこで不意に気が付いた。
セレストさんが二千歳まで生きるとして、今は三百歳手前。
セレストさんには弟がいて、エルフの双子で、今は百七十歳くらい。
……イヴォンさんとシルヴァンさんのほうが先に死んじゃうんだ。
ハイエルフのヴァランティーヌさんも、エルフのベランジェールさんも、リザードマンのシャルルさんも。竜族は長生きだから、みんな先に歳を取って死んでいく。
みんなが死んだ時、セレストさんの横にいるのは多分ウィルジールさんだけ。
そう思うと切なさで胸がキュッと苦しくなる。
こんなに優しくて、穏やかで、良い人なのに──……取り残されてしまう。
わたしがセレストさんと一緒にいられる時間は本当に少なすぎる。
「竜人からすれば人間の成長は忙しなく感じます」
苦笑したセレストさんにわたしは何も言えなかった。
……どうして、人間はこんなに寿命が短いんだろう。
みんなが同じくらいの寿命だったら、きっと幸せなはずなのに。




