ちゃんとする
「仕事内容は問題ないんだけどさ、人がねぇ。1人すごいウザイ人がいてさ、自分でやるべき仕事を押し付けてくるの。ほんとクソ。早く異動してほしいわ」
「分かるわー。居るよね職場に1人か2人ムカつく奴。私は幸い目の前にイケメン君が居るから、嫌なことがあった時はそれで浄化してる」
「浄化って。新興宗教にでも加入した?」
気が付けば既視感のあるテラス席で優雅にティータイム。
ミズホの前にはティラミスと湯気漂うダージリンがある。
けれど、鼻には華やかな甘い香りは入ってこないし、湯気を靡かせる風も感じられない。
なんなら寒いか暑いかもよく分からなかった。
それでも、そんなことは微塵も気にならなかった。
そんな些細な問題よりも、テーブル越しにはしゃぐ友人達とのひと時を楽しみたいと思う。
「あ! そういえばハルカ猫見せてよ」
「そうだそうだ、ちょっと待ってね」
友人の1人、ハルカは少しだけ何やら考える素振りを見せる。
頭の中でAIに画像を探らせているのだろう。
数秒でそれぞれのAIに画像が送られて、目の前に子猫の映像が現れた。
茶トラだ。可愛い。
名前は確か……「ちゃちゃ」だったはず。
ハルカらしい単純な名前の付け方だと思った。
「え、めっちゃ可愛い! なにこれ! いいなぁ、私も癒されたい」
「でしょ! 毎日仕事から帰ると出迎えてくれるの。もうストレスとか吹っ飛ぶよね」
「頭良いんだね。名前はなんて言うの?」
「ちゃちゃ」
「ちゃちゃ……見た目通りの名前だね」
あれ、でも何で名前を知ってるんだろう。
今日初めて見たはずなのに……
でもなんだか懐かしい思い出だな、とミズホは微笑んだ。
「あ、またアップデートだって」
「ね、どんだけ容量食えば気が済むんだか」
猫の映像を消してから、ハルカは自身のAIからの通知に顔をしかめる。
「ここ最近ずっとやってるよね。メモリ満杯になるっての」
「ミズホからサエキ君に『無駄なアップデートはやめろー!』って言ってよ。確かチップのSEだったよね?」
「……え? あぁ、え?」
それまで2人で完結していた会話
急に話を振られてミズホは眼を瞬かせた。
「ちょ! アズサ!」
「え? なに?」
「なにって、もしかしてまだ聞いてない?」
するとコーヒーを飲み始めたハルカはガチャっとカップをぞんざいに置くと、慌てて話題を振ったアズサに顔を向ける。
なにか不味いことでも言った?という風に不思議そうにするアズサと、そんなアズサとこちらに何度も視線を往復させるハルカ。
そうだ、この時点ではまだあの事はアズサには伝えていないから、あの台詞を言わないと。
ミズホはどこからか湧き出る義務感に駆られて、視線を友人の目に向ける。
「えっと、あの人とは別れたんだよね」
記憶を辿り、いつしかの日常と同じ台詞、苦笑を作った。
「え、え、え……なんで? あんなに仲良かったのに」
案の定その事実を知らされていなかった友人は口をあんぐりと開け固まる。
まるで典型的な漫画の一場面だ。
1,2秒ほど経過して再起動したアズサはオロオロと、猫の時とは思えないほど小さな声で質問を投げかける。
「向こうに新しい女が出来たんだって」
「え? なんで?」
「たまにしか会えないのがしんどかったらしいよ。ほら、私卒業してすぐに山口行っちゃったし、仕方ないんじゃない?」
「は? なにそれ? 向こうも忙しそうだしお互い様じゃん。勝手過ぎでしょ」
だがそれもミズホから事情を聴いて180度転換した。
不愉快さを前面に醸し出し、額に2本の皺を作る。
美人が台無しよ、とミズホは前回体験した時と同様の感想を抱いた。
「もう終わったことだからそんなに怒らないで」
「ミズホはそれでいいの?」
「うん、大丈夫。まぁ20年以上一緒に居たからね。辛いと言えば辛いしそれまでの人生は駄目になった訳だけど、逆に言えばまだ70年くらいは楽しめるんだからいいんじゃない?」
「でも20年も貴重な時間を無駄にしたんだよ?」
「昨日まで無駄だったんだから今日は尚更いいものにしないとでしょ? 楽しむか悲しむか選べるんだったらさっさと気持ちを切り替えて楽しまないと」
でも結局、今でもくよくよしてるから宇宙軍に異動したんだけどね、と心の中で付け足す。
ミズホが幼馴染のサエキと恋人関係になったのは高校に入学してから。
物心付いた時から一緒にいた彼との関係は順調そのものだった。
結婚することが当たり前だとさえ思っていた。
その交際に陰りが出始めたのが、大学を卒業して就職をしてからだ。
ミズホは空軍の教育機関に、サエキは大手IT企業の研究室にそれぞれ監禁され、お互い自身の生活で手一杯だった。
片方が休暇を取得できても片方が仕事で会えないことが重なり、恋人なのに会えるのは年にたったの1.2回。
サエキはそんな織姫と彦星のような間柄に耐えられなかったようだ。
社会人2年目のある日、唐突に20年以上の繋がりがピリオドを迎えた。
何となく醒められていることは察していたミズホであったが、いざその時を迎えると堪えるものがあり、その月のミズホは仕事以外の時間はベットにうつ伏せで倒れていた。
枕カバーは毎日濡れていた。
「ミズホは優しすぎるでしょ。私だったら迷わず家に突撃するけど」
「だって会えないのはどっちの責任でもないし、彼が一方的に悪いわけじゃないし。会えない私よりも会えるその人に惹かれるのは仕方ないよ」
「…余計にサエキ君をぶっ飛ばしたくなった。ねぇカレン」
アズサは自身のバックからA4サイズの端末を取り出すと、画面をタッチして起動させた。
するとそこにはミズホのAIであるカレンが映し出される。
端末を通じてカレンを他人に見せることは可能であるので、ミズホは仲の良い友人には彼女のことを紹介していた。
「久しぶりね。私を呼び出してどうしたのかしら」
端末の中のカレンは相変わらずの美人だった。
ミズホが目指す美の要素が詰まった存在。
AIだから数百年経ってもこの美貌は維持できる。
「カレンならサエキ君のAIにハッキングできるでしょ? 何か陰湿な嫌がらせしてきてよ」
「ちょっと待って! 駄目に決まってるでしょ!」
「分かったわ。すぐに実行するわね」
「カレンも待って!」
ふふふと悪そうに笑う2人にミズホは本気でやりかねないと止めに入る。
ハルカも止めて、と顔を向けるが、苦笑するだけで止める気はないようだ。
どうやら気持ちは2人と同じらしい。
本当にそんなことをしでかしたら軍規に違反して捕まってしまう。
これ以上人生が無駄になってしまったら狂うに違いない。
「任せてちょうだい。ミズホに悪いようにはしないわ」
「え? まさか本当にやろうとしてる?」
いくらカレンでもまさか実行することはないと思う。
……いや、カレンならやりかねない。自信がなくなってきた。
あぁでも結局あれは冗談で収まったはず。
カレンが脅迫文を作成するに留まって、それもすぐに削除した。
故郷に帰ってきたような懐かしさ
……だんだん視界がぼやけてきた。
そろそろ起きなければならないようだ。
だとしたらこれは夢だったの?と思うけれど、考える暇もなく意識が薄れてゆく。
ミズホはこの何でもない日常の思い出を手放さなければならないことを悲観した。
とある閑静な住宅街
辺りはプール付きの家、子供向け遊具が備わっている家
はたまた立派な庭園のある家など、比較的裕福な層が建てたであろう不動産が建ち並ぶ。
休日になったならば、家族揃って庭でバーベキューでも楽しむ絵が想像できる。
しかし、家はあるのに、そこに主人公となる住人の気配は全くない。
朝昼晩に関係なく、周辺を訪れる人はゼロであった。
その様を物語るように、ここら一帯に人の手が加わらなくなってから相当年月が経過したのか、道の割れ目には雑草が青々と生育し、垣根や門には蔦が絡まる。
家屋によっては家主が帰ってくることを待ちくたびれたのか、倒壊しているものさえある。
玩具、自転車、車が、最後に持ち主が置いた位置から動くことはなかった。
そんな時が止まってしまったかのような廃れた住宅街の一角
屋根に大きな穴が開いた、同様に状態の悪い廃墟があった。
室内には無事であった他の家具と共に、屋根を壊した犯人であろう丸くて巨大な箱が鎮座している。
人の居ないこの街ではそれを撤去しようとする者も現れず、長年雨ざらしの状態で放置されていた。
その日も取り留めもない一日であるはずだった。
時折鳥が鳴き、風が吹いて木々が揺れる。音の発生源はそれくらい。
しかし、何の前触れもなく箱の中身を守っていた蓋がけたたましく音をたてて外れたことで、数年振りに状況に変化がもたらされた。
蓋は目の前の家具を押し潰しながら倒れ、その役目を果たし終えた。
件の箱の外側は、長年の雨風や屋根を破壊した時などにできた傷で何ともみすぼらし外見をしていたが、対照的に内側は、その見た目からは想像もできないほど綺麗な状態が保たれていた。
そして中には一人、箱の持ち主であろう黒髪の女性が穏やかに眠っていた。
蓋が外れて中身が露わになってからまた更に時が経ち、内部と外部の温度が徐々に同一のものになる。
それがきっかけとなったのか、やがて彼女はゆっくりと瞼を開いて視界に光を取り込む。
(おはよう、お昼寝はもう十分?)
「……ぁ、うー」
ミズホは宇宙での戦争を命からがらなんとか逃げ延びて、地球に帰還してからしばらくの間、この脱出ポッドで永い眠りに就いていたのだ。
その眠りから目覚めたミズホは、しばしぼんやりと外の世界を眺めていた。
何がなんやらさっぱり、といった雰囲気だ。
カレンは主人が目覚めたことに対して、普段よりもやや嬉しそうな笑みを浮かべていた。
ついでに分析の結果、身体や脳に大きな障害は無さそうだと判明
カレンにとっては朗報であった。
(無理に喋ろうとしなくても大丈夫よ。
それよりもまずは左側にあるケースから緑のラベルが貼ってある薬を飲んでちょうだい)
舌が思うように動かない。
何故だろう。今までこんなことはなかった。
コクリと頷いて、ミズホは上体を起き上がらせようとする。
しかし、身体も思うように動かせなかった。
舌が動かないのだから当然と言えば当然のこと。
けれど、身体が動かない衝撃と恐怖にパニックに陥りかけた。
そんなミズホを予期して、カレンはミズホに優しく大丈夫だと微笑みかける。
(大丈夫。大丈夫だから落ち着いて)
軍人としてどんな状況下でも冷静に行動しなければならない。
ミズホはカレンの笑顔も加わり精神をちゃんとしなきゃ、とコントロールすると、言われた通り薬を飲めば解決するだろうと予測し、左腕に神経を集中し何とかケースまで動かす。
震える手で薬を取り出し、時間をかけて口の中まで運んだ。
何故普段できることができなくなっているのかまるで理解できない。
けれども考えるのは後でいくらでも出来ると、まずはゆっくりと奥まで流し込み、その時まで静かに待機した。
すると、暫くして体中のエネルギーが駆け巡るような力強さが漲り、今度こそ上体を起こすことに成功した。
(筋肉を活性化させる薬よ。でもこれだけだと不安定だから、流動食を摂取してね。あ、固形は駄目よ。胃が受け付けないわ)
ミズホはまたコクリと頷いて、同じケースに入っていた緊急用の流動食を胃に流し込んだ。
少しだけキュッと締め付けられる腹痛に見舞われたが、それもすぐに収まった。
薬のお陰だろう。
カレンはその間も終始ニコニコと安心を与えてくれた。
「……おはよう。あと、ありがとう。分からないけどお昼寝にしてはちょっと長すぎる気がする」
(長すぎる……確かにそうね……)
けれど、そのミズホの支えともなったカレンの笑顔は、ミズホの一言でひどく神妙な顔つきへと変わる。
続けて何かを告げようと口を開きかけるが、すぐに閉ざされた。
それから、しばらく顎に手を添えて考える素振りを見せた後、何かを決心をしたようで再度重い口を開けた。
(ミズホ、起きて早々申し訳ないけれど、これからとても大事なことを言うわ。
それはミズホをとても苦しませることになる。でも、ミズホはそれを知らなければならないの)
そんな逡巡を繰り返すカレンの態度は、ミズホの記憶の限りでは過去1度もなかった。
つまり、並大抵のことではない事態が私を襲っているのだろうと考え、思わず唇を紡ぐ。
(心の準備が整ったら教えてちょうだい)
「大丈夫、これでも私は軍人だし、さっきはあれだったけど精神面も鍛えてあるから」
(そう、それなら…)
ミズホの決意にそれならばと語り始めるが、それでもカレンは歯切れが悪くなってしまう。
自分の主を、悲しみのどん底へ落としかねない内容を口にしなければならないからだ。
下手をすれば再起不能に成りかねない。
最悪、自殺すら選択肢に入りうるだろう。
カレンは、凡そ半分の確率でミズホがそれを選択するだろう踏んでいた。
故に、そんな博打を打って良いか判断しかねていたのだが、ミズホが黙ってカレンの瞳を見据え続きを促すので自身も覚悟を決めて再び話を切り出した。
(まず、宇宙での戦闘は覚えているかしら?)
「えぇ、船を捨てて脱出したところまでは覚えてる」
(そう。その後私たちはその船の爆発に巻き込まれて、方法は違うにしても地球には戻って来られたわ。
ちなみに今私たちがいる場所は、ドイツ、ニュルンベルクの郊外よ)
「それは悪くはなかったと捉えるべきかな?」
変な惑星に飛ばされたり宇宙を放浪したりするよりはマシ、運が良かったんだと思う。
……でもそういう事ではなくて、別に悪い話があるんでしょ?」
なんだ、そんなことか、とミズホは一瞬事を甘く捉えた。
しかし、カレンの自身を気遣う表情を見て、まだ何か別の事案が発生しているのだと悟り、震える声を抑えながら再度気持ちを引き締める。
そして遂にそれは告げられた。
(そうよ。その悪い話だけれど、ミズホが寝てから目覚めるまでだいたい……300年近く経過したわ)
「ッ!」
そんなこと、誰が予想できるだろうか
次回も2週間以内に頑張ります