ミズホとカレン
一隻の宇宙船が漆黒の闇を高速で駆けて行く。
比較対象が皆無であるので一見ゆっくり進んでいるようにも見えるが、実際にはあの宇宙戦争映画の如く高速の世界を飛行していた。
宇宙船のサイズはこの世界では小型に部類される。
とは言っても全長は70メートルほど。
船内は各種実験スペースの他に、リビングを模した生活スペースや訓練施設などが備わっている。
そして生活区画に当たる船内中程の寝室では、冬眠カプセルで就寝している女性が1人だけ居た。
20代半ば、ショートカットの黒髪に寝ていても整っているその顔立ちは、男性に困らない人生を歩むことは難しくなかったであろう。
しかし、彼女は職業柄、は建前としてとある理由から長年独り身であった。
しばらくしてカプセル内の温度が上昇する。
保存モードが解除されて常温に戻ると数分程経ってアラームがけたたましく鳴り始め、寝ていた女性はうーんと大きな伸びをして起床した。
長時間寝ていたせいもあり意識が定まっていないように見える。
フラフラとカプセルから這い出ると、目を擦りながら誰かを探すようにキョロキョロとし始めた。
その彼女に呼応するように、横にふと別の、これまた見惚れる程の美人が前触れ無く突如彼女の横に出現した。
しかし、彼女は驚かない。
それどころかどこか嬉しそうな笑みを浮かべて金髪の美人を受け入れた。
(おはよう。お昼寝はもう十分?)
「…おはよう。お昼寝にしてはちょっと長すぎね」
ニコニコと笑顔を浮かべたその美人の問いに対し、寝起きの彼女は欠伸をしながらそう返答する。
「…それで状況は?」
(今のところ順調よ)
黒髪の女性
彼女の名前はタカハシ ミズホ
日本宇宙軍 第5軍団 ナカヤマ特別探索小隊 2等宙佐
身長は160cm半ば
軍人らしく鍛えられたスラッとした身体をしているが、出るところはしっかりと出ていて男性の視線を釘付けにすることは容易い。
くっきり二重に日本人らしい茶色の瞳
左目の下にある小さなほくろがチャームポイントだ。
ごく一般的な家庭で育ち、大学卒業後は人のために働きたい、給料が高ければより良いとの理由で日本軍に入隊
そこで秘めていた才能が開花し、類い稀なる才能であれよあれよと出世を成し遂げ、27歳で2佐まで登って来た。
2XXX年、先進国が続々と宇宙開発に勤しむ時代
日本もそれに漏れず宇宙開発を進めていた。
結果として戦場が地上から宇宙空間に及ぶのは自然の摂理であり、自衛隊が日本軍に改称し宇宙部隊を創設するに至るまで時間はさほどかからなかった。
その宇宙軍であるが、戦争だけが仕事ということでもない。
事実、彼女が所属する特別探索隊は銀河系のあらゆる星の調査を行う部隊であった。
けれど、部隊と言っても実際に探索に赴くのは1人であった。
理由としては大幅な技術革新で宇宙船の操作程度であれば1人又は機械で行えるので、人手が不要になったこと
さらに少子高齢化による人手不足と遠い星へ赴くので長期間拘束されることに加え、移動中は冬眠カプセルに入っているので歳は重ねないが、地球に帰還した際に浦島太郎状態になることが忌避され定員減に拍車をかけていた。
とある理由からしばらく遠出を望んでいたミズホはちょうど良いと喜び勇んで部隊に足を入れ、早4年が経過していた。
それでも死ぬ時は日本に骨を埋めたいと思う程度に郷土愛はあるため、何れは地上で落ち着いて暮らしたいという願いはあった。
そのような理由もあり、彼女は独りで旅をしていた。
そう、彼女の横に居る美人は人ではない。
彼女の妄想でもなく、脳に埋め込まれたAIチップが創り出すミズホにしか視認できない映像である。
とにかく楽に生活をしたいという欲求により、AIチップは産み出された。
これを脳に埋め込むことで脳からチップに指令が送られ、それに呼応してチップがあらゆる処理を施すという仕組みになっている。
例えば、テレビを点けたいと思考するとチップがそれを汲んでテレビの電源を入れる。
流石に脳から直接テレビに指令を送ることは不可能であったので一度チップを中継することにはなったが、人が動かなくなる動機として普及するのには十分であった。
そんなAIチップは車を買う程度の値段で購入出来たため、人類の6割程がミズホと同じ様にチップを埋め込む処置を施していた。
「なら良かった。寝てる間も操縦ありがとね」
(これくらいなんてことないわ。気にしなくて平気よ)
そしてミズホ専用のAI
その名はカレン
ミズホとは対照的に肩まで延ばされたサラサラな金髪と典型的な欧米の整ったスタイルは、ミズホと同様に目を見張るものがある。
ただし、視認可能なのはミズホだけであるが。
大きく水色の瞳に尖った鼻、薄い桃色の唇はいつもニコニコと口角が上がっている。
そんな見た目とは裏腹に、軍の特注品として製造されたカレンは索敵から照準アシスタント等の戦闘サポートを得意とする。
また、ミズホの任務の特異性から、民族・文化解析やハッキングなど、普通のAIには備わっていない専門的なソフトが多数存在する。
リミッターも取り払われているため、軍規に反しない限り何でもやり放題ということだ。
ミズホは、軍からチップを支給されると、戦の友にとカレンという存在を映像としてわざわざ展開できるように改造を施した。
この映像展開は最初から備わっている機能ではなく、映像が無くてもチップだけあれば事は足りるので、無駄だからと追加しない人の方が多数派だ。
それでもミズホは戦場でも精神に余裕を持たせるため、会話の相手が欲しいと願った。
その結果、知人の伝を利用してその手の専門家にオプションで追加してもらったのだった。
ちなみにその人物は、顔はそこそこなのに性格が残念と言われる同じく日本軍に所属する者で、もうすぐ魔法遣いになると巷で噂されているらしい。
(あと2時間もすればワープを抜けて地球よ)
「ようやく帰れる!って、本来は言いたいところだけどね。
でも、命令されたからわざわざ1年もかけて辺境な惑星に行ってあげたのに、着いて早々に帰還命令を下してくるなんて、幕僚は損得勘定の計算出来ないアタオカに違いない。本当にふざけてる」
ミズホがそう言って地球に戻れるにもかかわらず、今度は起きて早々苛立ちを浮かべていた。
そもそもミズホが起床した理由は地球に接近したからだ。
2年前、ミズホはある惑星にレアメタルが大量に埋まっている可能性有りとの理由で、その星の調査を命じられた。よって、1年もの長い年月をかけて探索へ赴いたのだが、到着していざ調査と、意気揚々としていたところに帰還命令が下されたのだ。
流石に1年をかけて向かったのにまともに調査もせず、また1年かけて帰還することになれば不機嫌になる動機としては十分であった。
しかも理由も告げられずに、一方的に伝えるだけ伝えて切られてしまったのだ。
その時のミズホの顔は、誰も話しかける勇気が出ないような鬼の形相を浮かべていたことは想像に難くない。
(そうね。でも他の惑星に飛ばされるよりはマシってポジティブに考えましょ? その方が気が楽になるわよ?)
そんなミズホを宥めるように、ニコニコとカレンはそう言った。
「そうだけどさぁ、でも2年も時間を無駄に過ごしたわけじゃん。
時は金なり、時間を無駄にするな、だよ。
帰還したら絶対に高級レストランを奢らせてやる」
しかし、そんなカレンの言葉も空しく、なかなかミズホの怒りは収まらない。
腕を組みながら、上官の顔でも思い出したのか拳を固く握り締めてそう言った。
(でもミズホは約2年もの間保存されていたのだから、歳はとってないわよ? プラスマイナスゼロに等しいじゃない)
「うん、そうだけど…」
(だからまだ、27歳のアラサーよ)
「殺されたいの?」
(あら怖い)
カレンは先ほどの宥める発言とは正反対に、今度は火に油を注ぐような言葉を浴びせた。
当然、ミズホはそれに反応して煌々と燃え上がる。
27歳ともなると、何かとデリケートな年齢だ。
言われたくないことを指摘されて、つい汚い言葉が飛び出てしまう。
ふざけるな、とミズホはカレンに睨みを利かせる。
それでもカレンは臆せずに、フフと表情を綻ばせながら肩を上げておどけて見せた。
…まったく、いつもこうなんだから、とミズホはその仕草を見て、恨めしく顰めた頬が知らずのうちに緩まった。
「しょうがないから、カレンに免じて許してあげる」
(そう? ありがとう)
どうせ自分のストレスを緩和させるためにわざと口にしたのだろう
カレンには敵わないなぁと、ミズホは大きな瞳を見つめ返した。
このやり取りも友達としての付き合いの賜物であり、本気で罵りあっている訳ではないことはお互い理解している。
まさに一心同体
彼女達の関係性は切っても切れない強い結びつきがあった。
(さて、とは言ってもまだ2時間もあるし、朝の準備運動でもしましょう。
寝ている間に身体も鈍っているでしょ?)
カレンは一通り恒例のやり取りを交わした後、軍のAIとしてそう提案した。
「えー…寝起きでそれはちょっと…ご飯とかお風呂に入った後にしようよ」
(せっかく食べた物がまた出て来て、せっかく綺麗にした身体がベタベタになっても気にならないのなら、それでも良いけれど?)
「…やる」
本音を述べればやりたくないに尽きる。
なかなか動こうとしないミズホの態度がそれを如術に示していた。
しかし、上官が組んだプログラムをAIが受託しているので、実質拒否権はない。
拒否したら最後、事を報告され、聞きたくもない上官の声を永遠と耳に入れることになる。
そうなったら耳が腐る。それは避けたい。でも訓練もしたくない。
ミズホは知恵を絞って有耶無耶にしようと試みた。
けれども悲しいかな
いくらシミュレーションを重ねてもその全てがAIに負ける結果が見えたので、諦めて指示に従うことにした。
「…私のAIなのに」
はぁと溜息を漏らしながらベットから降りる。
(なにか問題でも?)
「別にー」
ただ、唯々諾々と従うイエスマンではないぞ、という意味を込めて、軽く遺憾の意は表した。
遺憾の意砲の無意味さは時代を超えても同じであった。
お互い船内後方、一切物が無い白い空間が広がる部屋へとやって来た。
広さは大体25mプール1個ほどだ。
格闘戦から銃撃戦まで訓練はこの場で行われる。
銃撃戦の際はもちろん本物の銃を使用するのではなく、AIによって造り出された映像を使用する。
ミズホとカレンはお互い適度に距離をとった。
二人共訓練の為に灰色と黒で構成されるデジタル迷彩、日本軍戦闘服5型へと着替えを済ませている。
カレンに関しては特に意味は成さないが、そこは気分の問題だ。
さて、この戦闘服はAIと連動して身体の動きをより精強なものへと向上させる、パワードスーツのような役割を果たす。
生身の時と比べ何倍もの力を出すことが可能だ。
一般向けに販売されているスーツですら日曜大工で重機を使用せずに家を建てることができる力がある。
なお一番のセールスポイントは、普通の迷彩服と変わらない厚さなので扱いに変化がない点だ。
今回の訓練では実践さながら、カレンが操る戦闘ドロイドを相手に格闘戦を行う。
つまり、攻撃が当たると痛い。兎に角痛い。
ミズホが難色を示した一番の理由がそこにあった。
「ちなみに私は寝起きです」
(そうね。もちろんそれは考慮するわ)
「本当に?」
(もちろんよ。起きて早々従来の力は出せないでしょ? 鈍った身体に適した加減ぐらい、ちゃんとするわ)
任せなさい、と胸を張り、誇らかな顔をするカレン。
対してミズホは、AIが嘘を言うことは無いと思うけど、妙に嘘くさい詐欺師みたいな顔をしているなぁと、苦笑いを浮かべた。
(では始めましょう)
「はーい、お手柔らかっ!にっ!ちょ!」
カレンは開始の合図を送ると早々に、ミズホがそれに返答するのも待たずに主人の懐に飛び込んだ。
まるでスピードスケートでもしているかのような滑らかさで、速度をそのまま利用し右手をミズホの腹に向けて突き出した。
油断していたミズホは過去の訓練の成果により何とか身体を左に捻り、ドロイドの右腕を両手で掴んで攻撃を防ぐ。
「えっ! ずるくない!? 私のこと嫌いでしょ!?」
(ミズホ、戦は卑怯な奴が勝利するわ。あと、ミズホのことは目の中に入れても痛くないくらい好きよ。ミズホが存在しなければ私も存在できないからね)
「いや、カレンは映像なんだからそりゃ痛くないでしょ! あと、好きならもう少し手加減してよ!」
どうせ言っても止めてくれないだろう
文句を吐き出しつつその程度は自身のAIについて理解力はあるので、ミズホも遅れて反撃に移行する。
ドロイドが腕を引っ込めようとするので、右腕を掴んだままその引っ込める力を利用してバランスを崩そうとドロイドの両足に自身の両足をロックオン、ブランコのように足から突っ込んだ。
ドロイドはその攻撃をカエルのように前に飛ぶことで難なく躱す。
ロボットとは思えない流暢な動きは、カレンの操作技術と化学技術が融合した産物である。
ドロイドは両手で着地するとそのまま腕を曲げて大きなバネを作り出し、再びミズホが居る後方へ飛び蹴りを繰り出す。
それをミズホはスーツの力を借りて無理矢理身体を空中で回転させることで、ギリギリ避けた。
「ねぇ! どこが軽くなの!」
(大丈夫よ、ミズホの身体の状態はしっかりと把握しているから問題ないわ)
「そういうことを言っているんじゃない!」
お互い床に足を付けたところで再び対峙する。
カレンはニコニコと、ミズホは険しい表情を浮かべていた。
自分のAIは簡単には倒されてくれないようだ。
なぜ寝起きでこんなにも激しい運動に取り組まなければいけないのか。
それほど運動神経は鈍くないし、身体のプロポーションだって悪くないはず。
ただ、いくら嘆いたところで状況が改善されるはずもない。
ミズホはその思いの丈を原動力に、今度は自分の番だとカレンへ突っ込んだ。
カレンと同じく滑らかに、懐へ一気に距離を詰める。
それをドロイドは視線を敢えて右腕、次にミズホの顔に移し、わざとらしくフェイントを誘って惑わせた。
そして右手をやや前に出した後、本命のミズホの顔を狙った強烈な蹴りを繰り出す。
「っ!」
ミズホはフェイントであろうことは直ぐに予測できたが、本命が読めず攻撃に躊躇いが生じ、さらにフェイントであるはずの右手が前に出されたことで反応が僅かに遅れた。
「これぐらい!」
(甘いわ)
辛うじて左腕でドロイドの右足受け止める。
「ウ゛…」
が、それを待っていたとカレンは隙のできたミズホの顔に頭突きを浴びせて、ミズホは勢いそのまま、潰れたカエルのような声を発して後方へ倒れた。
人間とAIの攻防は、AIの優位性が保たれたまま呆気なく終わった。
「…痛い、泣きそう」
(ごめんなさい、もう少し手加減すべきだったわね)
何度も痛い訓練を受けているとはいえ、痛いものは痛い。
だから嫌なの!と、内心で叫んで、ミズホは顔をしかめてしばらくの間踞っていた。