番外 デビュタント
フレデリック様との婚約が整い、それを公表する前に初拝謁をすることとなった。これを済ませなければ、私は上流階級のレディとして認められない。
もとは平民として暮らしていた私が国王陛下ご夫妻に拝謁を賜るのかと思うと大変緊張するけれど、これも必要なことの一つだと思えば前向きに取り組むことができた。
男爵様は私とフレデリック様との婚約の調整が終わると領地に戻られた。
この夏、私は奥方様とタウンハウスに残り、デビュー用のドレスを仕立てることとなる。
当日の装いは王室により厳密に定められており、変な格好をして家の恥となってはいけないため奥方様も確認される。
男爵令嬢に許された装飾で、白い生地を使い、控えめながらも私の魅力を引き出してくれる素敵な装いとなった。
奥方様は私の存在は気に入らないという態度を取られるものの、必要なことは手配してくださる。会話はほとんどないけれど、粗相をしなければ厳しい言葉で指摘されることもなく、マナーを身につけてしまえばきつく叱責されることはなくなった。
だからといって、言われた言葉の色々を自分の中で消化できるかと言われると微妙だけれど、奥方様も奥方様で複雑な気持ちがあったのだと思うことにしている。
フレデリック様も夏の間は子爵家の領地に戻られているそうで、お互いに手紙は送り合うもののお会いすることはできなかった。
婚約を結んだばかりなのに寂しいという気持ちはあったけれど、ドレスの手配と、拝謁の際のマナーを家庭教師に教わっている間にあっという間に夏は終わってしまった。
* * *
とうとう陛下に拝謁を賜る日となった。
領地から戻られた男爵様と奥方様と共に馬車に乗り、混雑する王宮への道を進む。
会話もなく気詰まりだったけれど、国王陛下にご挨拶した後はお披露目の夜会でフレデリック様とお会いすることができると伺っていて、それが一番楽しみだった。
王城につくと広間には今日デビューを迎える他の家のご令嬢がたくさん待っていらっしゃった。
早い時間は、優先して入場が可能な特権をお持ちの方々がご挨拶されている。そのような特権がない私達は、爵位に関わらず先着順となる。今日デビューを迎える他のご令嬢とともに、私も自分の名が呼ばれるのを待った。
他のご令嬢も緊張されているのか、広間ではあまり会話はない。拝謁を終えたご令嬢が軽やかな足取りで退室されるのを羨ましく眺めていると、ようやく名が呼ばれて謁見の間に入ることができた。
見たこともないほどきらびやかな空間と、その中央に堂々とお掛けになっている国王陛下に感動する。国王陛下は壮年の穏やかなお顔立ちで、この方が私たちの国を治めていらっしゃるのだという畏敬の念が湧いた。
そして、これからこのお方にご挨拶申し上げるのだ。そう思うと、緊張で足が震えそうだった。
それでも、練習通りに前に進み出て、まずは国王陛下に正式なご挨拶を、次に側にいらっしゃる王妃殿下にご挨拶して退室した。
謁見が無事に終わると、夜会の会場へと移動した。
きらめくばかりのシャンデリアの下、盛装したたくさんの男女が談笑している。
ところどころに白い衣装を着た方々がいらっしゃるのが見え、デビュタントは私だけではないのだとほっとした。
先を進まれる男爵様ご夫妻の後を、あまりきょろきょろしないよう気を付けながら付いて行く。
男爵様は知り合いの貴族様に会われる度に外向きの顔でご挨拶され、私のデビューを寿ぐ言葉に御礼を返している。
私はその後ろで腰を曲げご挨拶する。求められない限り、口を開かないようにしていた。
そうして挨拶をしてまわっていると、フレデリック様とウォーレン子爵ご夫妻にお会いした。
ウォーレン子爵様と男爵様が少し話をされひと段落ついた後、男爵様はフレデリック様に視線を向けられた。
「本日、エレイン嬢がデビューなさると伺いましたので、私からも祝福申し上げます」
「わざわざありがとう。夏の間はいかがお過ごしだったかね?」
「領地で父の手伝いをしておりました」
フレデリック様は男爵様を見て話されていて、視線は合わないけれど、久々に拝見するお姿に、私の方はドキドキが止まらなかった。
フレデリック様に見惚れていた私の名を男爵様が呼んだ。
「エレイン」
その声音にはっとして、一歩前に出ると礼をする。
「お久しぶりでございます」
「あぁ。久々に君に会えて嬉しいよ。これでエレイン嬢も立派な淑女だね。おめでとう」
「ありがとうございます」
そして手袋越しに親愛の挨拶を頂いた。
それだけのことなのに顔合わせの日のことが思い出されて、少しだけ身構えてしまう。フレデリック様も同じことを思い出されていたのか、体を起こすと悪戯気な笑顔を浮かべられた。
しかしそれも一瞬で、すぐに表情を引き締められた後、私の手を取ったまま男爵様に向き直られる。
「今日、これからエレイン嬢をエスコートしてもよろしいでしょうか」
男爵様は満足気に頷かれる。
「ああ、構わんとも。フレデリック殿がエレインを気に入ってくれたようで私も嬉しいよ」
「責任を持って、夜会後は家までお送りします」
「頼んだぞ」
そして男爵様は奥方様をエスコートされ、ウォーレン子爵ご夫妻も、夜会の人並みのなかに消えていかれた。
残されたフレデリック様が、私を見られる。
「とても可憐だ」
ただ一言なのに、フレデリック様の言葉に、私は頬に血が昇るのを感じた。
それでもなんとか思っていたことを伝える。
「フレデリック様も、とても恰好いいです」
ほんのり日焼けしていらっしゃる様子はとても健康的で、以前、顔合わせでお会いした時よりたくましくなられている。その精悍な様子に、私の胸は高鳴りっぱなしだった。
私の声にフレデリック様も少し表情を緩めてくださった。
「良かったら、ダンスでもどうかな?」
「嬉しいです」
「それでは、こちらに」
フレデリック様にエスコートされダンスフロアへ向かうと、優雅に流れる曲に合わせて男女が踊っている。
色とりどりのドレスがターンのたびに優美な軌跡を描くのが美しかった。
私と同じ白いドレスのデビュタントも幾人か踊っている。
見惚れている間に曲が変わった。
穏やかなワルツで、最後少し曲調が変わるけれど、練習でも踊ったことがある曲だった。
「これは、踊れるかな?」
「はい」
頷くと、フレデリック様のエスコートでダンスの輪の中へと入る。
必要なことなのだけれど、腰を抱き寄せられ、密着するのは恥ずかしかった。それでも、曲に合わせて踊り出すと、ステップを踏むのに頭がいっぱいになり、他のことを気にしている余裕はなくなってしまう。
私も、美しく踊れているだろうか。
ターンをし、再びフレデリック様に向き合うと、目があった。
「私たちはダンスの相性もいいみたいだね」
「はい。とても楽しいです」
「エレイン嬢は夏の間はどうしていたの?」
「ずっとタウンハウスにいました。このドレスを作るのと初謁見の練習だけで終わってしまって」
「そうなんだね。さっきもいったけれど、そのドレス、とても似合っているよ」
「ありがとうございます」
話したいことはたくさんあるのに、なかなか言葉が出てこない。
「そうだ。お手紙も、ありがとうございました。いつも届くのを楽しみにしていました」
「私も楽しみにしていたよ。手紙だけでは足りなくて、何度エレイン嬢に会いに行こうと思ったことか」
「まぁ、お上手ですね」
そうして話をしていると、ふと、フレデリック様の瞳がためらいがちに揺れた。
「どうか、されましたか?」
「いや、エレイン嬢に、今度私の瞳の色のドレスを贈りたいと思って。でも、まだ、早すぎるだろうか」
思わずフレデリック様を見つめるけれど、じっと見つめられるだけで、フレデリック様は何も言われない。
ドレスを贈られるなんて、とても親密な気がして、ステップを間違えないように気をつけながらも、どうしよう、なんと答えようなんて焦ってしまう。
まだお会いしたのは数えるほどなのに。高価なものをよいのだろうか。厚かましいと思われたくない気持ちもあるけれど、嬉しさを伝えたいという気持ちがまさった。
「うれしい、です」
フレデリック様には十分だったようで、深い青の瞳が嬉し気にきらめいた。
「よかった」
そして、見つめあっている間に、曲調が変わった。ステップが少し速くなり、ついていくので精一杯だ。練習の時も苦労していたところだった。
それに気づいたフレデリック様が私に囁かれる。
「もっと、私に体を預けられるかい?」
言われた通りに従うと、自分の体なのに、そうじゃないみたいに足が動く。軽やかにリズムに乗れているみたいで、とても楽しい。
「そう、上手いね」
フレデリック様もとても楽しそうで、最後は大きく回転し、フレデリック様の腕の中で曲の終わりを迎えた。
その後は、一旦ダンスフロアから出て軽食をつまみ、再びダンスフロアに戻ってはじめての夜会を楽しんだ。そして名残惜しいものの、遅くなりすぎない時間に会場を後にした。
帰りの馬車では、疲れで少しうとうとしてしまった。
「だいぶ疲れたようだね。よかったら、私の肩を使うといい」
申し訳なくもありがたい申し出に、素直にお礼を伝えて肩にもたれかかる。
服越しに伝わる温もりにドキドキするよりも眠気が勝ってしまう。
「フレデリックさま……」
「なんだい?」
「きょうは、ありがとうございました」
「楽しんでもらえたなら何よりだよ」
優しい声音が、まぶたをさらに下げていく。
「今度、昼間に誘ってもいいかい。メイソン伯爵の薔薇の庭園が見頃だと聞いたんだ」
「……はい。うれしいです」
「着いたら起こしてあげるから、眠ってもいいんだよ」
その言葉に甘えて、目をつむる。
ふと、馬車の揺れに意識が浮上した。けれど、柔らかな温もりに肩を包まれて再び眠りに誘われる。
そうして、幸せな思い出に包まれて私のデビューは幕を閉じた。