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後編

 それから三年。私は十五歳となった。

 バーバラ様とはあのお茶会以来、親しくさせて頂いている。

 バーバラ様経由だったり、奥方様経由だったりで、お茶会にもたくさん呼んで頂き、今はもうあのお茶会のようなミスをすることもなくなった。


 『星ルツ』の世界なら、そろそろ婚約者が決まるのだろうか。

 残念ながら、前世の私は受験勉強で苦労していた通り、あまり勉強ができる方ではなかった。だから『星ルツ』の世界についても詳細には覚えていない。

 だいたいのストーリーとか登場人物、すごくときめいた場面なら鮮明に覚えているのに、フレデリック様の家の名前とか、あんまり物語に関係があると思えなかった部分は全く覚えていなかった。


 字を習ってすぐにフレデリック様を探そうと、図書室で貴族名鑑を見ることはした。けれど、同名の男性はたくさん存在し、あの物語のフレデリック様が本当に存在するのかはわからなかった。


 私はいつか結婚する。そのために、この家に呼ばれたとここに来た時に言われている。

 奥方様は兄しか産めず、そのために仕方なく男爵様の御手付きの後に姿を消したメイドを方々探し、そしてようやく見つかった男爵家の色を持つ私を引き取ったのだ。

 結婚相手がどなたに決まろうと、男爵様の決定に従うしかない。だからフレデリック様を探しても、意味はないのだけれど、可能ならフレデリック様に会ってみたかった。


 物語を思い出してみると、この時期、物語のエレインはお茶会でお友達がわずかだが出来て、ささやかな幸せを感じていた。

 けれど、その交流も嫁ぎ先によっては失われるかもしれないと不安に思っていたはずだ。

 それでも、婚約に関しては男爵様がお決めになるからと、不安を押し殺していた。そして、どんな人と結ばれることになっても、誠実にその方に向き合いたい、と思っていたのだ。


 私は、男爵様の決定に従わなければいけないと思いながらも、もし、希望が叶うなら、物語通り、フレデリック様が婚約者に決まったらいいなと思っている。

 いけないことだけれど、フレデリック様以外の人と婚約することになれば、少しがっかりしてしまうかもしれない。


 うーん。

 最近、少しはエレインに近づけたかもしれないと思っていたけれど、そういうことを考えてしまう時点で、まだまだ理想は遠いかなぁ。




  *   *   *




 ある夜、帰宅した男爵様に書斎に呼ばれた。


 まだ、婚約の話と決まったわけでもないのに、ドキドキしながら侍女と呼びに来た執事と共に男爵様の書斎に向かう。

 執事が入室の伺いをして、待たされることなく中に通された。


 この書斎に入るのは、引き取られた日以来である。

 その時は、壁を埋め尽くす本と、部屋の真ん中でこちらを見つめる貴族の男性の存在に圧倒された。

 今は、その貴族の男性が父だとは知ってはいても、緊張は変わらない。

 父は、私にとっては父というよりは、男爵様なのだ。

 男爵様も親子として親しく交流するというよりは、私の存在が必要だからひきとったという感じで。

 外ではさすがにお父様、お母様とお呼びするけれど、私には男爵様と奥方様という方がしっくりくる。


 男爵様は膝を折り挨拶をした私に、ちらりと目を向けると口を開いた。


「お前の婚約者が決まった」

「はい」

「お相手はウォーレン子爵家のご嫡男、フレデリック殿という。一月後に顔合わせだ。わが家とはお前の婚約でもって事業が締結されることになる。くれぐれも、お相手には嫌われないようにしろ。釣書きはこれだ。しっかりと中身を読んでおけ」

「承知いたしました」

「では、下がっていい」


 部屋を出ると、待っていた侍女について部屋に戻る。

 執事さんはまだ男爵様と話があるようで、退室しなかった。


 部屋に戻ると侍女には下がってもらって、一人になる。

 このフレデリック様が私の記憶にあるフレデリック様でも、同名の別の方でも、どちらのフレデリック様でも、絶対に冷静に見ることは出来ないと思ったから。


 釣書きの表紙を眺め、ゆっくりと開いた。

 中には肖像画も添えてあり、私は、思わず息を止めた。


 そこには、多少の違いはあれど、前世の記憶にあるフレデリック様のお顔が描かれている。


 冷静でいようと思ったけれど、無理だった。

 こんな嬉しいことってあるだろうか。

 婚約者があのフレデリック様なんて!

 枕に顔をうずめてこの胸の高ぶりを受け止めてもらった。


「すごい、本当に!?」


「私が、フレデリック様と、――――」


「神様、ありがとう!」


 いるのかわからない神様に感謝し、興奮した顔を上げる。

 もう一度、釣書きを見る。

 興奮していないで、全部、読んで経歴を覚えておかないと。失礼があってはいけないのだ。


 あ、フレデリック様、私の二歳年上なんだ。

 今は王立学院で学ばれているのね。

 将来のために、経営科に進まれている、と。


 冷静になれるよう、あえて肖像画を見ないようにして、経歴を読み進める。

 最後まで読んだところで、また、少しだけ肖像画を見ようと、ちらり、と覗く。


 うん、無理。

 かっこよすぎだ。

 肖像画を目に焼き付けるように眺めた後、目を閉じる。


 物語のフレデリック様は、頑張るエレインに惹かれていた。

 今の私はどうだろうか。

 エレインらしくあろうと、貴族社会に馴染もうと頑張ってきたつもりだ。

 けれど、最初の頃はお茶会で失敗したりもしていた。

 今だって自分の感情に振り回されている。

 完璧には程遠いかも。

 あ、不安になってきた。

 どうしよう。


 そうだ。物語では、最初にエレインはウォーレン子爵家の家紋を刺繍したハンカチを渡していた。

 幸い、顔合わせまで後、一か月ある。

 よし、そうしよう。

 刺繍も、練習はしていたが、まだ上手と言える域にはなっていない。

 孤児院で繕い物をしてはいたから針は持ったことはあったけれど、貴族の刺繍はまた繕い物とは違う難しさがある。

 一人で家紋なんて難しいものが刺せるだろうか。

 明日、家庭教師の先生に相談してみよう。

 そして、もう一度肖像画を確認して、この幸運が夢ではないのか確かめた後、眠りについた。




  *  *  *




 あっという間にお見合いの当日がやってきた。

 この日のために仕立てた清楚な水色のドレスに身を包み、男爵様と奥方様と共に馬車で向かう。

 気づまりな空気の中、それでも、今日は男爵様がいるお陰か奥方様も静かである。


 確か、物語では、男爵様のお仕事のためにこの婚約の話が出たはずだ。

 そう記憶していたけれど、もう少し詳しいことが知りたくて執事に確認した。すると、この婚約は男爵家で作っているワインを国外に販路をもつ子爵家に特別に取り扱ってもらうための婚約だという。


 この契約があるかどうかで、男爵家の年収も変わるのだろう。奥方様もさすがに男爵様の顔を潰すわけにはいかないようだ。

 少し貴族らしい思考ができるようになった自分に気がついて、そっと口元に微笑みを浮かべる。


 物語のエレインからは少しずれているかもしれないけれど、私も彼女みたいな素敵な女の子に近づけているはずだ。

 失敗はしたくないし、フレデリック様に嫌われたくもない。

 できたら、うまくいくといいな、そう思いながら、顔合わせに臨んだ。


 顔合わせの会場は子爵家である。


「ようこそいらっしゃいました」

「こちらこそ、お招きくださりありがたく存じます」


 応接間に通され、現れた子爵様に男爵様がご挨拶をされた後、それぞれ自己紹介をする。

 直に見るフレデリック様は、前世の記憶や、釣書きについていた肖像画以上に恰好よかった。

 短く切られた金髪に、深い青をした目が印象的な方だ。

 この方の雰囲気は、少女漫画にも、釣書きにも表現できていないと思う。


 子爵様も、子爵家の奥方様も優しそうな方たちだ。

 フレデリック様は色味は子爵様と同じだけれど、顔立ちはどちらかというと、奥方様に似ていらっしゃった。

 私もいくつか子爵様から質問という形で話しかけられたが、そこで問題ないと判断されたのだろう。

 席を外すようにと言いつかった。


「我々は少し詰める話がある。フレデリック、エレイン嬢に庭を案内して差し上げなさい」

「わかりました。失礼、エレイン嬢、お手をよろしいですか?」

「よろしくお願いいたします」


 まさかのフレデリック様にエスコートされてのお散歩である。

 お庭は、タウンハウスだというのにとても広く、煉瓦でつくられた小道をゆっくりと歩いていく。

 何か話さなければいけないと思いながらも、憧れのフレデリック様に手を引かれていると思うと、思考がうまく働かない。


 だからこそ、ふいに落とされた言葉の衝撃は大きかった。


「思った以上に美しい方で驚きました」

「そんな。――ありがとう、ございます」


 いいえ、というのもおかしい気がして、礼を言うと、ふふ、と笑われた。


「エレイン嬢のお話は、伺っています。きっとたくさん、努力なさったのでしょうね」


 あ、そうか。当然、私の釣書きも渡されているのだろう。

 どこまで書いてあったのかはわからないが、私が平民として十歳になる前まで育ってきているのは広まっているし、当然、ご存じなのだ。

 あまり取り繕わない方がよいのだろうか。


「必要なことでしたし、私も、学びたいと思いましたので」


 素直に考えていたことを答えると、フレデリック様は私の答えに驚いたように目を見張り、そして、嬉しげに笑った。


「婚約者が君みたいな人で嬉しいと思う」

「私も、フレデリック様にお気に召して頂いて嬉しく思います」


 うん、と頷いた後、フレデリック様も言葉が見つからないようだ。

 そうだ。今、ハンカチを渡してしまおう。


「初めてお会いする記念に、と思いまして、こちらをお持ちしたのです」


 後ろを付いてきていた侍女に合図を送り、持ってきてもらう。

 侍女から受け取った包みを、フレデリック様にお渡しする。


「こちら、どうか受け取ってください」

「開けてみても?」


 包装をフレデリック様が丁寧に開くと、現れた家紋入りのハンカチにフレデリック様は驚いてくれたようだ。


「これ、君が?」

「はい、顔合わせにお伺いするとお聞きして時間があったものですから」

「ありがとう。大切にするよ」


 そして、包みは侍女に渡しながらも、私の刺繍したハンカチはそのまま懐にしまってくださる様子に嬉しくなる。


「どうかした?」

「いいえ」


 頬がほてっている気がするから、もしかしたら顔が赤いのかもしれない。


「私の方は、あいにく、なにも用意していないんだけれど。

 君となら、うまく行きそうな気がする。これから、よろしく」


 そう言って、手を取られる。あれ、と思っている間に、フレデリック様は、私の手の甲に唇を軽くあて、すぐに離した。


「内定はしているけれど、まだ正式には婚約を結んでいないからね」

「それは、どういう――」

「婚約をしたら、きっとすぐにわかると思うよ」


 そして、フレデリック様は深い色の瞳を悪戯っぽくきらめかせた。

 つまりは、額や頬や、唇といった、手の甲以外のどこかにキスをされたかった、という意味だろうか。

 一拍遅れて意味が解り、今度こそ顔が真っ赤に染まってしまったのだろう。


「意味、わかってくれたんだね」


 追い打ちのような一言に、言葉が出ない。

 それでも、なんとか絞り出した言葉は平凡なものだった。


「フレデリック様は、女性に、慣れていっらっしゃるのですか?」

「いや、まさか」


 そう思われるのは心外だな、と口にされる様子に、それでこれなんて、という動揺は収まらない。

 だって、少女漫画の中でだって、こんなシーンはなかった。

 あったらきっと、絶対覚えていたはずだ。


 そこまで考えて、気がついた。

 もしかしたら、ここは完全に物語と同じ世界ではないかもしれない。

 私は完璧に物語のエレインになれていないし、フレデリック様は、物語よりも甘い気がする。


 そして、もしそうなら嬉しいと思ってしまう自分がいることも気がついた。

 だって、これから、私しか知らないフレデリック様をたくさん知ることができるのだから。


「君と結婚できるのが、楽しみだ」

「――――はい」


 長い時間をかけ庭を散歩して応接間に戻ると、婚約に関する細かい話が詰められており、私達は二年後に結婚式を迎えるということが決まっていた。


 私を支えてくれたエレインであることをやめるつもりはないけれど、それでも、これからはフレデリック様のためにも、エレインよりもエレインらしく、淑女になろうと思う。

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